40 厄介な相手
大人たち3人は顔を見合わせ、それぞれ眉間にしわを寄せる。
レティは改めて同じ文字を比較し始めた。
「やっとわかってすっきりしました。どこかで見たことがあると思ったんです」
ユールは酷似する文字群を宙でなぞると、安堵のため息を漏らし、柔らかい笑みを浮かべる。
「いくら直近の書類や手紙を探しても見つからなくて当然ですよね、本なんですから」
「この手本の筆者がニコル……なのか?」
レティは本の作者を確認するが、ニコルとは似ても似つかない名前である。
「それは違うんじゃないかなぁ。確か昔に1度だけ会ったことがあるが……学生ぐらいの若さではないと思うよ」
副支部長は困惑の表情を浮かべつつも記憶を辿る。
確か何かのパーティーで会った覚えがある。
「まぁ、もし魔法とかで姿を偽装していたらわからないけど……」
「その可能性もないとは言い切れないか」
「でもこれはそもそもこの文字をもとに練習をするものですから、筆跡を忠実に真似た、という可能性の方がしっくりきます」
「……やはり自分の筆跡を隠すため、だろうか?」
「それ以外の理由があるかい?」
「頑張って覚えようとしたら忠実な再現になってしまった、とか?……さすがに無理がありますかね」
ユールは自分で言いながらも、すぐに苦笑いでかぶりを振る。
「いずれにしても、本来の本人の筆跡である可能性は低そうだねぇ」
「筆跡から辿るのは厳しいか……」
手がかりを得たようで失くしてもいる状況にレティは嘆息した。
「なんのおはなし?」
大人たちが頭上でよくわからない話をしている。と思ったのか、エレナは退屈そうに足をぶらぶらさせる。
「エレナさんのおかげで探していた物がひとつ、見つかったんですよ」
エレナはまだよくわからない、という顔をしていたが、ユールの笑みを見てにこりと笑った。
「よかったね」
「はい。ありがとうございました」
ユールが本をエレナに返したのを見送ると、レティはコホンと咳払いをして立ち上がった。
「では本当にそろそろお暇させていただこうか」
「ああ、そうですね」
「副支部長、エレナさん。ありがとうございました。このお礼は……」
「いやいや。大した話はしていないしねぇ。支部に顔を見せに来てくれれば、それでいいよ」
「うっ……はい」
途端にレティの顔が一瞬引きつる。
副支部長は有無を言わさぬ満面の笑みだ。
出口へと向かう足取りが早くなったのは、次を急ぐからなのか。早くこの場を離れたいからなのか。
「かえるの?」
「はい。お邪魔いたしました」
「ばいばい」
ユールはエレナに手を振り返すと、小走りでレティへと追いつき並ぶ。
日が少し傾き始め、石畳に伸びる影が小さく揺れた。
街の中心部へと近づくにつれ、蒸気の音が耳に届き始める。
「やっぱりこの音がある方が……ちょっと安心しますね」
「君もだいぶこの街に慣れたね」
「そりゃあ……まぁ」
「出会ってすぐのころはこの音が落ち着かないと言っていたぞ」
「そういえば……そうでしたね」
キャシーや副支部長の家のあたりと違って、街の中心部は店が多いこともあり、蒸気機関を必要とするものも多い。
どこに居てもパイプを伝う蒸気のはじける音が少なからず聞こえるものだ。
「最初は雑音だと思っていたんですけど。慣れると少し心地いいんですよね。なんかこう、ちょっと気の抜ける音で」
「わかるよ」
「音といえば、ずっと人の足音はしていましたけど……副支部長の家の近くでは行きも帰りも邪魔が入りませんでしたね」
「そうだね。やはり相手は魔術師……それも副支部長には手を出せない程度の魔術師の仕業ではあったんだろう」
「ですね……」
公園の近くに差し掛かると、ユールは視線を巡らせる。
周りに人がいないことが確認できると、鞄からいくつかの紙を取り出しながら少し声を張り上げた。
「まぁ、その程度の小心者でしょう。小賢しいじゃまばかりしてますし」
「そうだね。厄介ではあるが、思ったほどではない」
「最初にきたあいつのほうがよっぽど潔かったですね」
「随分な言い草じゃあないか」
ふたりが背後を振り返ると、その男はすぐ後ろに立っていた。
「うわっ」
「そう驚くなよ。呼び寄せるために煽り文句を並べたてたんだろう?」
「……それはそうですけどこんなに近いとは思いませんでしたよ」
ユールはレティを後ろ手にかばいながら距離を取る。
黒いジャケットに、三角に鳥の羽の印章のブローチ。ファウラーの弟子だ。
「昼間はテオが世話になったようで」
「テオ?」
「きみたちに挑んだガキだよ」
「ああ。彼そんな名前だったんですね」
「名乗りもしなかったのか、あいつ。礼儀のなってない後輩でね」
男は腕を組み、ため息を漏らす。
「ああ、君が厄介な先輩か」
「あいつがそんなことを?」
「……ニュアンスが違ったかな?」
「先輩はもっと厄介、だったかもしれないですね。まぁ、今日を振り返ると厄介な人間であることは確かでしょうけど」
「はは、きみたちからすればそれはそうか」
男は鮮やかな青い髪をなびかせ、恭しく礼をとる。
「ジャレッド・オーヴィルと申します。お久しぶりですね、お嬢様」
「先生、会ったことが?」
「ええと、東部でだろうか」
レティは眉間にしわを寄せる。
ああ、これは覚えていないという顔だ。ユールは顔を覆いたくなった。
「……貴方様からすれば取るに足らない人間の一人だったことでしょうね。まぁ、そんなことはどうでもいいんだ」
「あ、どうでもいいんですね」
よかった。寛容な人で。ユールは内心胸をなでおろした。
「わかっているだろうが、私が欲しいのは『幸運の手紙』だ。あれはファウラー師匠にこそ相応しい」
「ファウラーが不可思議なものや遺物を集めているという噂は知っているが、本当なんだね」
「ああ。師匠のコレクションへ加えるにも適した品物だと、私は考えている。効能も欲するに値する」
「これが、ねぇ……」
「……そんなに幸運が欲しいですか?」
「あの人はすでに地位も名誉も実力もあるが、正直なところ運がいいとはいいがたい。すべてを兼ね備えてもらうのが私の理想でね」
「信奉者か。厄介だな」
「貴方のような実力を伴わない、運がいいだけの人間には必要ないだろう」
「私が、運がいい?」
レティはきょとんとした顔をする。
「生まれを考えればそうだろう。どうして認定魔術師になれたかは知らないが、それだってどうせコネかなにかを使ったんだろう?」
レティは大きなため息をついて、心底嫌そうな顔をした。
こんなやり取りをしなければいけないのも、面倒だ。
「生まれがどうだか知りませんが、先生はきちんとした実力をお持ちの方です」
「弟子のきみはそう思うしかないか。不憫なことだ」
ジャレッドは肩をすくめ、可哀想な物を見る目でユールを見やる。
ユールは顔が若干引きつり、鳥肌が立った。
「先生、こいつ厄介です」
「そうだね」
「はぁ。魔力が低いくせに普通に認定されるはずがないだろう。運がよくておめでたいことだ」
ちらと見えたユールの顔は、ぱっと見だけでは完璧な笑顔に見えた。
ああ、これはまずい。
レティは知っていた。ユールは感情を抑えようとすればするほど貼り付けたような笑顔になる。
「連盟の学会誌を読んだことは?」
「論文か?やたらと無駄に複雑で読む気も失せたが。誰でも書けそうなものだ。あれだって本人が書いたかどうかもわからないしな」
「貴様の読解力が心配になりますね」
ユールの声からいつもの柔らかさが少しずつ抜け落ちていく。
「さて、私もこれ以上邪魔だてするのは本望ではない。呼び出したということは、手放す気になったか?」
レティが口開く前に、ユールが数歩前に出る。
額に浮かんだ青筋と握りしめられた指先からわずかに零れる青白い光が、言外に怒りを放っていた。
「いいえ。あまりにも邪魔なもので、お帰りいただきたくてお呼びしました」
「残念だよ」
ジャレッドは大きなため息をつくと、手の中で見覚えのある赤い火花を発して散らす。
「ユール、」
レティが踏み出そうとした足をユールは後ろ手で制し、振り返る。
「3つ。いいですよね?」
ユールは外した魔力制御の指輪をしまい込みつつ、小声でレティに問いかける。
「2つだ」
「いいえ。僕はいま彼をぶん殴りたい気持ちでいっぱいです」
「予定通りに」
「譲れません」
「はぁ……あくまで予定通りに進めるつもりでやるんだ」
「……………………善処します」
ユールは視線を逸らしながら答えると、ジャレッドに向き直った。
「実力で黙らせられれば受け入れますよね?」
「そんなことができればな」
「単純で助かります」
ユールの顔から貼り付けていた笑みがふっと消える。
伸びていく影の中で、青白い光が冷たく輝き始めた。




