39 気がかりと手がかり
ふたりは猫たちに見守られながらキャシーの屋敷を後にすると、温室があるという屋敷へと歩みを進め始めた。
「このまましばらくは道なりなので、比較的わかりやすい場所だと思います」
「……そうか」
どこか満足気なユールと違い、レティはこめかみに指を添え、気もそぞろといった様子だった。
「先生、何か……気になることでも?」
「マリス師の様子がいつもとちょっと……違うような気がして」
「そうなんですか?僕がお会いするのはまだ2回目ですし、そこまでの違いはわかりませんが……」
「具体的にどこが……というのは説明が難しいんだが。……いや、気にしないでくれ。気のせいだろう」
「…………でも、先生が引っかかっているのであれば、何かあるんじゃないでしょうか」
「かも、知れないな」
レティには喉の奥に小骨が刺さったような、ぬぐい切れない違和感を覚えていた。
普段通りの少しおちょくるような、おしゃべりな様子は変わらなかったと思う。
しかしどこか、何かいつもと違ったところがあったような、気がする。
「ただ……あの人は普段からセリフじみた歌劇のような言い回しを好んでいるしね……」
「それも確かに……」
思い返してみれば、どこか引っかかるような言い方をしていたかもしれない。
ユールは記憶を辿ろうとするが、どうにも薔薇の花びらのイメージが浮かびあがり、頭の中でじゃまをする。
「……やはり気のせいかもしれない。今はいいよ。先を急ごう」
「そう……ですね」
風に乗って飛んできた花びらが頬をかすめる。どこか遠くで猫の鳴く声がした。
温室のある屋敷は、キャシーの家から歩いて10分ほどの距離にあった。
白い塀に囲われた屋敷は、街の比較的広めの住宅が多い区域の中でもひときわ存在感を放っている。
レティはそわそわと落ち着かない様子だ。
「緊張してます?先生」
「さすがに、魔術師連盟の副支部長のお宅だからね……さすがに本人はいないと思うが……」
レティは背を伸ばして息を整えると、呼び鈴を鳴らした。
出てきたメイドに促されるまま屋敷の門をくぐると、外からは見えなかった植物たちがふたりを出迎える。
塀の内側に鉢植えの草花が多数飾られており、白い壁に鮮やかな彩を添えていた。
屋敷の玄関ホールを通り過ぎ、いくつかの通路を抜けると、アーチ状の柱に囲まれた温室へとたどり着いた。
「こちらでお待ちください」
「はい」
噴水を中心にしてそれを囲むように張り巡らされた水路と植物が立ち並ぶ温室は、暑さを感じさせない涼し気な雰囲気が漂っていた。
温室自体は石畳に天井にはガラスと、よく見る温室のシンプルな造りではあるが、柱や並べられたテーブルや椅子には細やかな装飾があしらわれており、こだわりが伺える。
噴水に浮かべられた花や、葉をのびのびと伸ばした植物たちの鮮やかな彩りがふたりの目を惹きつけた。
「キャシーさんのところとはまた違った豪華さのお屋敷ですね」
「ああ。ここのは西部の色が濃い様式だね」
「あっちの夏は暑いですからね……見た目で涼しさを取り入れる、でしたっけ」
「なるほどね。暑くても心は安らぎそうだ」
「そうそう。それが好きでこれを作ったんだよね」
ふたりが振り向くと、眼鏡をかけた壮年の男性がにこにこと笑みを浮かべながら立っていた。
「素敵な温室ですね」
「そうだろう。西部から職人を呼び寄せて作らせたからねぇ」
「お久しぶりです、副支部長。突然お伺いしてしまい申し訳ございません。ご本人がいらっしゃるとは思っておりませんでしたが」
「構わないよ。この時期は仕事が少なくてねぇ。ちょうど暇を持て余していたところだ。レティが来たというなら私が出ていかないとね……君はユール君だったかな?」
「はい」
「うんうん、新進気鋭の魔術師だと聞いているよ。連盟の集まりで見かけた覚えがある」
「光栄です」
「それに引き換え、レティはちっとも支部の事務所に顔を出しに来ないんだ。君からも言っておいてくれ」
副支部長は肩をすくめると、わざとらしくため息をついた。
「そうですよね。僕からも言ってはいるんですが……。ほら、やっぱりそう思われてるじゃないですか、先生」
ユールは頬に手をあて、わざとらしく困った表情を浮かべる。
「ええと……特に、用がないから……」
レティはバツの悪そうな顔をすると、あからさまに視線を逸らした。
「集会や勉強会の知らせも送っているはずだが?」
「その……検討します」
「用がなくても気軽に顔を見せに来てくれると嬉しいなぁ、横のつながりも大事だよ」
「……はい」
苦々しい顔のレティを見て、副支部長はにやりと満足そうに笑う。
「さ、冷たい飲み物でも飲みながら話そうじゃないか」
メイドが持ってきた飲み物を温室のテーブルへ並べさせると、椅子に座るようにふたりを促した。
「それで、人を探しているんだって?」
「はい。探しているのは『ニコル・メレディス』さんという――」
レティは懐から幸運の手紙と警察からの委任状を取り出すと、探し人の詳細を伝えつつ説明を行った。
「なるほどねぇ。確かに、うちの温室でも薔薇は育てているし、年中咲いてはいるよ。ほら、そこにも」
副支部長が指さす先、噴水の水面にはいくつか薔薇も浮かんでいる。
「でも残念だけど、うちの使用人ではないねぇ」
「……そうですか。ありがとうございました」
「それにしても、幸運の手紙かぁ。……面白い品物だね」
「副支部長もこれにご興味が?」
「まぁ、ねぇ。ああもちろん、手紙を欲しいというわけではないけどね」
訝し気に問いかけるレティに対し、副支部長は慌てて否定する。
「連盟なんかで仕事をしているとさぁ、いろんな人間に会うわけだよ。自分の力でのし上がっていく人ばかりではあるけど、運がいい人間もいれば、どうしても運が悪いというかいつもタイミングが悪い人間もいるから、さ」
彼は何かを思い出したのか、懐かしむような、どこかを見ているような、遠い目をした。
「……運が欲しい気持ち自体はちょっと覚えがあるって話よ」
「正直なところ、その点だけで言えば僕も少しわかります」
「あんなに気味悪がっていたのに」
「そりゃこの手紙自体は、嫌ですけど。運があればなぁと思ったこと自体は多いですよ?」
「そうなのか」
「先生に出会えたので今はとても運がいいと思っていますけどね」
「……そうか」
「気味悪がるような手紙なのかい?」
「マリス師いわく、魔法になりそこねた念のようなものがこもっているそうです」
「ふうん、薔薇の魔女がねぇ。今の話だと、彼女の屋敷が一番合っているような気はするけど」
「僕たちもそう考えたのですが、そんな人間は知らないとのことです」
「ま、人間嫌いが人を雇う訳もないか」
「それはそうなんですが、何か少し引っかかるところがあるような気がしていて」
「ほう。それはどうして……」
「じいじ?」
いつのまにか現れた幼い少女は、眠そうな目をこすりながら、ぱたぱたと副支部長へと駆け寄る。
「エレナ、よく眠れたかい?じいじは今お客さんが来ているからねぇ。もうちょっと待っててくれるかい?」
少女は客のふたりに気づくと、恥ずかしそうに手に持っていた本で顔を隠しながら、副支部長の後ろへと隠れた。
「ああいえ、私たちはもうお暇します」
慌てて立ち上がったレティと反対に、ユール目をしばたかせると、その場でじっと1点を見つめ、眉根を顰めた。
「気にしなくてもいいのに。よっと。ほら、せっかくだからご挨拶しよう」
副支部長は少女を抱き上げて膝に乗せると、ふたりへと向き直らせる。
「……エレナ、です」
エレナはまだ半分ほど顔を本で隠しながらも、小さな声で名を名乗った。
「はじめまして。レティです」
「ユールです。本がお好きなんですか?少しだけ見せていただいてもよろいでしょうか」
エレナはこくりと頷くと、手に持っていた本をテーブルへと広げた。絵本と文字の書き取りの練習帳のようである。
「うそつきのまほうつかいのね、ほん」
「ああ、これか……」
レティは絵本を見やると、懐かしそうに微笑んだ。
「魔法使いの本が今のお気に入りでねぇ。魔術師の孫なのに……いや、まぁいいさ。本を沢山読もうという意欲があるだけで素敵なことだ」
副支部長は少しだけ口を尖らせたが、すぐさまかぶりを振った。
「うそつきのまほうつかい……あれ、確か魔法使いって嘘をつけないんじゃ……なかったですっけ?」
「嘘をつけない、というわけではないよ。『嘘をつかないようにしている』が正しいかな」
ユールは違いがうまく飲み込めず、頭に疑問符を浮かべる。
「それって違うんですか?」
「ふとした願いや出来心でついた嘘が、意図しない魔法を生み出してしまうことがあるからねぇ。たいていは、魔法を習い始めたころに『嘘をつかない』訓練をするものだよ」
「嘘をつかない……訓練?」
「あえて必要以上のことを言わない、だとか。対象を絞った言い方をするだとか。そういう言葉遊びみたいなことだけれどね」
「なるほど」
「まぁそれで、嘘をついた魔法使いがどうなるか……っていうのがその本の話さ」
「ああ、それは面白そうですね」
「おにいさんも、よむ?」
少女が差し出そうと手を伸ばすが、ユールはにこりと笑ってすぐさま手を振った。
「ありがとうございます。ですが、このお姉さんが持っていそうなので大丈夫ですよ。ですよね?前に倉庫で見かけました」
「……ああ。確かあったはずだ」
「それと、もう1つ気になっているのですが」
ユールは文字の書き取りの練習帳を指さした。
「お嬢さん、こちらを見せていただいてもいいでしょうか?」
「……いいよ」
「ありがとうございます。先生、『幸運の手紙』出してくれますか?文字が見えるように横に並べてください」
「うん?構わないが……」
レティはよくわからないといった表情を浮かべながらも手紙を取り出し、練習帳の横に並べる。
「ああ、やっぱりそうだ」
並べてみるとよくわかる。
角ばっていて、全体的に細くコンパクトな文字。
『幸運の手紙』の筆跡は、練習帳の手本の文字に酷似していた。
「これは……」
「……見覚えがあると思った筆跡は、これですね」
練習帳を覗き込みながら考え込む大人たちの中で、小さな少女はそれ見上げながら首を傾げた。




