38 花びらは知っている
薔薇の花びらが風に乗って舞い踊り、ふたりの頬をかすめる。
数時間前に見た押し花とは違い、瑞々しくて鮮やかだ。
レティはキャシーの屋敷の前にたどり着くと、見事に咲き誇る花々を前に、深いため息をついた。
「またすぐにここにくることになるとはね……」
その声が届いたのか、入口を覆っていたつるバラが扉を開けることができる位置まで移動した。
「お見通し……いや筒抜けって感じですかね」
「……行こうか」
ハハ……とレティが乾いた笑みを浮かべていると、出迎えるように蕾が一斉に花を開いた。
庭を抜けて玄関を進むと、猫たちが客間へといざなう。
キャシーは奥のソファーで猫たちを撫でながら、のんびりとお茶を飲んで待っていた。
「いらっしゃいふたりとも。思ったより早い再訪で嬉しいことだわ」
「こんなにすぐ来るつもりではなかったのだけれどね」
「もう、またそんなことを言って」
眉を少し上げて半眼になるレティと反対に、キャシーは始終楽しそうにニコニコと笑う。
「わたくしに会いたかったんでしょう?」
「君に聞きたいことがあるだけだ」
「レティは恥ずかしがり屋ね。ねえ、お前もそう思うでしょう?」
キャシーは肩をすくめると、腕の中の猫に問いかける。
猫は片耳をぴくりとさせるが、興味なさそうにすぐ目を閉じる。
ユールは微笑みながらそれを見やると、キャシーに菓子の入った紙袋を手渡した。
「こんにちはキャシーさん。これ、お土産の焼き菓子です」
「あら、ありがとう。いい匂いね。キャラメルにアーモンド?それにバターの香り」
「アイリスという店のフロランタンとフィナンシェです」
「ああ、そこのお菓子美味しいのよね。さっそくいただきましょう」
キャシーが手を組んで一呼吸置くと、花びらが舞い出でるとともに、テーブルの上に追加のティーセットと皿が現れ、ふわりと着地する。
ユールは魔法が織りなすその様子に、つい目を奪われてしまう。
何もない場所に急に現れるのはまだ感情も感覚も追いつかない。驚くのもワンテンポ遅れるぐらいだ。
レティはといえば慣れたもので、我が物顔で客間を闊歩する。
当然のようにソファーに腰掛け、座るや否や紅茶が入ったばかりのティーカップを手に取った。
「ふむ。いい香りだ。……いつもと違うブレンドか?」
「ええ。最近気に入っているお店があるの。後で教えて差し上げるわ。ただ、今教えてほしいのは別のこと……でしょう?」
「話が早くて助かるよ」
「と、言いたいところなのだけれど……」
「ん?」
キャシーはふぅと息をついて、口に軽く手を添える。
「人探しについてはあまりお役に立てるかはわからないわね」
「そうなんですか? なんでもご存じかと」
「ふふ。そうだったらいいのだけれどね。この子たち、私以外の人の顔はほとんど覚えていないし、たいして覚える気もないし。見覚えがあるかないかはわかっても、誰が誰かなんて気にしていないもの」
「ああそれは……そうか」
「この子たちが集めてくれた情報の破片からまとめあげるのがわたくしの仕事ですけれど。まったく知らない人物について、となると難しいのよね」
「確かに……特定の人物を探すというのは、向いていないですかね」
「まぁ、私やこの子たちが知らない情報もあるかもしれませんし。運が良かったら何か知っているかもしれないわ。詳細を教えて頂戴」
レティは懐から手紙を取り出し、物憂げなまなざしでそれを見つめた。
「運が良かったら、ね……」
「『ニコル・メレディス』さん。体型は小さめで華奢、薄い茶色のような髪の学生ぐらいの年齢の男性です」
ユールはメモしたノートを片手に、キャシーに向かって集まった情報を読み上げる。
「どう?あなたたち。その人間に覚えはある?」
猫たちは一瞬静まり返ったかと思うと、皆キャシーの方をちらちらと見やり、口々に、にゃあにゃあと何かを宣っている。
「そうよね。そう言っておくわ」
キャシーは少し困ったような表情をした後、にこやかに笑って告げる。
「彼らは『その人間は知らない』と。彼らが『知らない』と言うことは、知らないわ」
「そうですか。あ、あとは花……少なくとも薔薇が咲く屋敷で働いていることはわかっています」
「ふうん、それもあってうちに来たってわけね?」
「ええ。こちらのお屋敷に出入りしている人物の可能性もあるかと」
「うちに出入りしている業者の人間ではないわ」
キャシーは笑みを浮かべながらもピシャリと言い放つ。
「私たち以外でこの家に来る人は、私の把握している3人以外にいるか?」
「そうね……いつもの配達の方2人と、たまに来る魔法協会の野郎……いえ、殿方おひとりだけ。……ああ、最近はジョーもたまに来るわね」
「ジョー君が?」
「あれも東の出身ですからね。いろいろと情報交換をしたり……いえ、最近は専ら猫とじゃれあってばかりですわ」
「猫と触れ合っているジョー君はそれはそれで見てみたいですけど……」
「じゃあやはり、マリス師の……」
「キャシー、ね?」
キャシーはムッとした顔で言う。
レティはこほんと咳払いをして言い直す。
「……キャシーのところの関係者ではない、か。人間嫌いの貴女が人間を雇い入れるわけもないとは思っていたけれど」
「わたくしにはこの子たちが居れば充分」
キャシーは手元にいた猫たちを撫でまわす。
レティは納得したのか、ゆっくりと頷いて紅茶を口に運んだ。
「ちなみに、お庭の薔薇をどなたかに差し上げることはありますか?」
「ああ、言われてみればそれは結構あるわね。……やっぱりみんな薔薇が好きね。美しいのだから仕方ないわ」
キャシーはその時のことを思い出したのか、にこやかに微笑む。
「人間でも、猫と植物を愛するものには優しくすることにしているの。なるべくね」
「いい心がけだ」
「そういった時は直接渡しに行かれるのですか?」
「大抵は魔法で渡してしまうわね。気が向いたときは渡しに行くこともあるけれど」
「その中にこの方がいた可能性は?」
「さぁ……もしかしたらいたかもしれないけれど。自分では見られないし。いちいち名前を聞いたりはしないものだから」
「そう、ですよね」
「『幸運の手紙』については知っているか?」
「おおよそね。ただ街の外のことはあまり情報が手に入らないものだから……最近もっぱらファウラーの弟子がお熱らしいのと、他にも狙っている輩はいそうだってことぐらい。それはファウラーの弟子が牽制してくれているみたいよ」
「ふうん、それは便利に使わせてもらおう」
「有り難く利用させていただきましょう」
キャシーは珍しく呆れた顔を浮かべる。
「お前たちって意外と強かよね……」
「迷惑は被っているんだ。そのぐらいしておいてくれないとね」
「あら?ちょっとその手紙……」
「気になることでも?魔法はかかっていないと思うが」
「触ってもよろしくって?」
「少しなら構わないよ」
キャシーは手近にあった手袋をはめてから手紙を手に取り、確かめるように封筒の端を指でなぞる。
「ああ、やはりそうね」
レティに手紙を返すと、眉間に皺を寄せながら頷いた。
「魔法ではないけれど、魔法になりそこねた念のようなものがこもっているわね」
「なりそこねた?」
「ええ。魔力を持つ人の願いや祈りがあまりに重なると、望まれた効果が実際に現れることがあるのよ。稀にね」
レティは手紙をくるくると回しながら改めてじっくりと見やる。
「やはり魔力の残滓は感じないが……」
「魔法が使われたわけではないからかしらね。うーん、これは魔法使いとしての感覚の話だから、説明が難しいのよ。ごめんなさいね」
キャシーは眉尻を下げて頬に手を添え、困った表情を浮かべる。
「これの場合、人の『幸運になりたい』という思いが手から手へ渡るに連れて膨れ上がったのね」
「幸運、ね。そんなに欲しいか?私はただ運に任せるのは怖い気がするよ」
「人の欲は計り知れませんね。……でもやっぱり、呪われてるみたいで僕もちょっと……」
ユールの顔がうっすらと引き攣った。
紅茶を飲んだばかりなのに喉が渇いてくる。
「ああ、そうね。……どちらかというと呪い、の方が近いかもしれないわ」
「うわぁ」
ユールはため息をつき、げんなりとした顔をする。
「あら、ユール君は呪いが苦手?」
「苦手、というか。えーと、魔力が大きいと呪いの類は影響を受けやすくて、あんまりいい思い出がないもので」
ユールは指先を合わせたり離したりぐるぐる回したりと少し落ち着かない動きをする。
「ああ、なるほどね。それならずっとレティが持っていた方がいいわね、これは」
「先生。すみませんが、お願いします。」
「だろうね。まず間違いなく私が持っているのが一番安全だろう」
キャシーはふぅとため息をつく。
「……『幸運』を求めるだなんて、人間ってやっぱり欲深い生き物ですわね」
「幸運になる魔法ってあるんですか?」
「さぁ……もしかしたら世界のどこかにはあるかもしれないけれど。魔法というのはイメージが大事だから、概念的な物は難しいのよね」
「なるほど」
「それも人によるから。私であれば、植物に関する知識やイメージをしっかりと持っているから、このように花を出現させたりというのが得意」
キャシーが小さく息を吸って指を組むと、また花びらが舞い上がり、テーブルの上に花束が現れる。
「キャシーさんの生み出す花は本当に美しいですね」
「ありがとう。……ああ、お前たちが薔薇を欲しいと望むのであれば喜んで差し上げますわよ」
「もし機会があればお願いいたしますね」
「レティ、お前も花は好きよね」
「うん?ああ、もちろん」
突然ぶわりと花びらが舞いあがり、ユールの耳元を掠めてひらひらと浮かぶ。
そして、ユールの耳元にキャシーの小声だけが届いた。
「機会がありそうかしら?」
慌ててユールが耳を押さえても、魔法で届いた声はもちろん形を成さない。
ユールが驚いてキャシーの方を見やると、キャシーは焼き菓子を口に運びつつ、にやりと口の端に笑みを浮かべていた。
「これからまた別の場所にも向かうのかしら?」
「ああ。温室のある屋敷にね」
「ふうん。じゃあ最後に、他のところじゃ見れないものを見せて差し上げましょうか」
キャシーがそう言うや否や、浮かんでいた花びらはくるりと向きを変えレティへと向かう。
いつのまにか溢れんばかりの量になった花びらは、レティを中心に弧を描きながら舞い上がる。
目線より高く浮かぶごとに花びらは蕾へと姿を変え、レティの膝元に届く頃にはその花を開かせる。
花びらの海に包まれたレティは、まるで赤いドレスを身にまとっているかのようだ。
「先生は……やっぱり赤が似合う」
「……知ってる」
レティは少し目を伏せると、誇らしげに微笑んだ。




