34 視線をいざなう赤
学生たちを解放したふたりは、大通りへと歩みを進め始めたが、その足取りは重かった。
「一旦休憩がてら喫茶店で方針のご相談を、と思っていたのですが……やめた方がよさそうですかね」
「さすがにそのあたりの分別はできている、と思いたいが……どうだろうね」
ユールはがっくりと肩を落とし、今日一番大きなため息をつく。
この街のことを考えて一番先に思い出すほど気に入りの店だ。
迷惑をかけるわけにはいかない。
「楽しみに……してたのに……昨日から…………」
「またすぐ来たらいいよ」
「……そう、ではあるんですけど」
今食べたい気持ちというのはそう簡単に消えるものではない。
そうこうしているうちに、もう店は目の前だ。
コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
店の前に出ている看板には、美味しそうな赤いベリータルトのイラストと、『季節限定・本日まで』の文字が躍っている。
「私は店の前で見張っているから……さっと買ってきたらいい」
レティは小さく息を吐くと、ユールの肩を押し出した。
「……いや、でも先生。その間に襲われたりでもしたら」
「もう今の間にも来るかもしれないよ」
「すぐ、すぐ戻りますから!」
ユールは足早に店内へと向かい、満面の笑みで扉をくぐっていった。
「さて……」
それなりに通行人はいるが、昼前ということもあってか多くは駅か料理店へ向かっている。並木道を歩く人々はこちらには見向きもしない。
近くの店の客たちも、こちらを気にする様子はない。
それなのに、レティは背筋がぞわりするような、不気味な違和感があった。
――誰かに見られている。
何でもない風を装いながら、手持ちの地図と見比べるふりでもう一度通りを見やる。
不自然さや違和感を感じるものはないか。いくら目を凝らしても、代り映えはない。
それならばと、耳をそばだててみても、蒸気の流れる音が風に乗って少し届くばかりだった。
レティは人よりも魔力や気配に敏感な方だと自負しているが、相手が魔術師ともなると、先ほどのように簡単にはいかない。
何か魔術を使おうにも、相手の居場所がわからなければ手が出しにくい。
煙を用いた魔術で探ることもできはするが、煙草を吸うとなると、かなり無防備な状態になる。
ユールがすぐそばにいない今、レティひとりでそれを実行するのは賢明ではない。
レティは自分の手の内の少なさを歯がゆく思った。
「お待たせしました、先生」
視線の主にたどり着けないまま、ユールがケーキの箱を手に提げて店から戻った。
目的のものを買えたのか、零れてしまいそうなほどの笑みだ。
つられてレティも穏やかな表情になる。
「おかえり」
「何かありました?」
「いや。嫌な気配は感じるが……いまのところ何もない。相手も出方をうかがっているのかもしれないね」
「ああ、ええと……それもですけど、そうじゃなくて。さっき表情がいつもとちょっと違ったかなって」
「……何でもないよ。帰ろう」
「はーい」
駅への道は大通りを道沿いに歩くのみだ。
先へ進むたびに少しずつ駅へ向かっているであろう人が増えていく。
ユールもレティもこの街は不慣れではあったものの、ゆるやかな人の波に乗っていけばいいという安心感があった。
「それで……とりあえずは事務所に帰るとして、その後はどうします?」
「引っ越したとはいえ、まずは彼の住所に行ってみよう」
「周囲の方から何か情報を得られるかもしれませんしね」
「ああ。あとは……花が咲いている屋敷だね」
「アルディアでお花が有名なお屋敷は……いくつかあったはずですね」
ユールは記憶の中の地図を思い浮かべた。
花に凝っていて使用人がいそうな屋敷は、思いつくだけでも5か所はある。
レティはこめかみに指をあて、ロザリンドの言葉を脳内で反芻する。
「候補としては……マリス師のところと、あと2か所だな」
「おや、キャシーさんと筆跡は違いましたが……?」
「彼女は、薔薇の花びらが『年中』送られてきていたと言っていた。アルディアは冬場しっかり寒いからね。種類によるのかもしれないが……庭で育てている場合は、年中は咲かないはずだ」
「なるほど。キャシーさんの咲かせる薔薇に季節は関係ないですもんね」
「そういうことだ。あと2か所は温室がある屋敷だから、そこも年中咲かせること自体はできるだろう」
「承知しました。……でも、キャシーさんは人間嫌いですよね? 使用人なんているんですか?」
レティはコクリと頷くと、眉間に皺を寄せてこめかみを抑えた。
「そこなんだ。荷物を届ける場合はもちろんあるが……出入りの業者は私がすべて仲介しているはずだし、そんな名前の人物も、あの筆跡にも覚えがない」
「でも何か引っかかってるわけですね」
「ああ。候補から外すにはまだ早いかな。私が知らないだけで誰かが出入りしている可能性もないとは言えないしね」
「承知しました。後で詳しい場所を教えてください。経路を整理しておきます」
「頼んだ」
レティはメモ用紙にいくつかの文字列を書き記すと、ユールに手渡した。
ユールはメモを受け取って中身を確かめると、手帳に挟んでパタンと閉じる。
びゅうと吹いてきた風に飛ばされぬように、急いでポケットにしまった。
蒸気の音が徐々に大きくなり、駅が近づいていることを知らせる。
「ところで、先生……」
「……静かだね」
環境音はよく聞こえるのに、周りにいたはずの人々の音がまるでしない。
否。周囲の人の波が、気づけばいなくなっているのだ。
ふたりの足音だけが浮かんでいるようだ。
その瞬間だった。
バチリ、と見覚えのある赤い火花がレティの眼前で弾ける。
「……っ」
風に揺れたレティの髪と、火花の赤い軌跡が重なる。
すんでのところでレティは身を逸らし避けるが、髪の先を少し掠めてしまった。
「……随分なご挨拶だね」
「先生!」
続けて、2発目もレティの胸元めがけて飛び出でる。
が、青白い光が見えたかと思うと、2発目の赤い火花は弧を描き立ち消えた。
ユールがすぐさま自分の身をレティの前に乗り出し、右手に魔力をまとわせてはじき返したのだ。
「先生。大丈夫ですか」
「何ともない」
レティは掠めた髪を耳にかける。少し焦げ臭い気もするが、毛先など後でいくらでも整えられる。
ユールは悔しそうに顔をゆがめると、指を伸ばしかけて握りしめた。
顔からは笑みが消え、額には青筋が浮かぶ。
「……そこにいるのはわかっていますよ」
ユールは後ろを振り向くと、建物の影のとある一点を鋭い目で見つめた。
指先にはまだバチバチと青白い光がまとわりついている。
「出てこないと、こちらからも”挨拶”しないといけなくなりますが」
青白い光は勢いを増して眩しく輝いた。
「ちっ……面倒くさいな……」
影からひとりの人間がぬるりと姿を現す。
声の主は黒いジャケットをだらりと羽織った、気だるげな様子の若い男だった。
「はいはい、出てきてあげたよ」
「三角に鳥の羽の印章のブローチ。ファウラーの弟子だね?」
「はぁいそうでーす」
「これは音の遮断をする系統の魔術かな?」
レティはわざとらしくパチパチと拍手をする。
「よくできているね」
「これはこれはどうも。師匠の教えがいいもので」
「そうかそうか。あの人は腕だけはいいからね。ただ……君は師匠に礼儀ってものを教えてもらわなかったのかな? ああ、失敬。師匠が礼儀を知らないのか」
「言うねぇ」
青年は自らの師匠が貶されたにも関わらず、けらけらと笑う。
「ま、実際ファウラー師匠は礼儀なんかどうでもいいと思ってそうだし。それはあってるかも」
「狙いは『幸運の手紙』だね?」
「そうでーす。それをいただいてこいとのご用命ってわけ」
「強引なやり方ですね」
ユールは変わらず険しい目つきだ。
眉間にしわを寄せながら、さり気なくレティのさらに一歩前に出る。
「言い値で買うこともできるよ?」
「お断りです」
「俺だってさっさと終わらせて帰りたいからさぁ……」
「ああ、そういえば。ユール、ケーキの中身は崩れてないか?」
「あっ」
ユールは慌ててケーキの箱を少し開き、中身を確認する。
ベリーのタルト、イチゴのタルト、リンゴのカスタードケーキ。
どれも重みがあって形がしっかりしているタイプのケーキだったおかげで崩れてはいない。
「よかった。大丈夫そうです」
「君にしては珍しい選択だね」
「そうなんですよ。今日は――」
「聞けよこっちの話も」
始終だるそうにしていた青年も、まさか自分を置いてけぼりにケーキの話を進められるとは思わず、つい口を尖らせた。
「先生、一旦ケーキ箱をお預けしてもいいですか?」
「構わないよ」
レティにケーキの箱を渡すと、ユールは指輪を1つ外し、深く息を吸って前を見据えた。
ユールはむすりとした顔でぶっきらぼうに返事をする。
「こっちだってさっさと帰ってケーキを食べたいんですよ」
「その手紙を渡してくれればすぐ帰れるけど、どう?」
「それはできない相談だね」
「交渉決裂かぁ」
青年は残念そうに肩をすくめると、思い切りのびをし、そのままの勢いで指を振る。
指先から赤い火花が溢れ出し、ふたりめがけて飛びかかった。
「運が味方してくれるといいね」




