31 不運な幸運
翌日、ふたりは手紙の差出人へ会いに隣町を訪れていた。
差出人の住所は表通りから少し離れてはいるものの、落ち着いた雰囲気の商店がいくつかあり、住みやすそうな地域だ。
アルディアほどではないが蒸気パイプが街中に多く、シューシューという音がそこかしこから聞こえる。
ユールの記憶通り、美味しそうなコーヒーの匂いが漂ってくる喫茶店も近くにあるようで、彼はずっとちらちらと視線を向けながら歩いていた。
「ユール、後でね」
昨日のことがあってから周囲を警戒しようとしていたレティだったが、その姿をみるとどうしても気が抜けてしまう。
「すみません……つい気になって……」
「感覚が鋭いのは良いことだけれど。君は飲食物の匂いに意識が吸われすぎる」
「うっ……気を付けます」
ユールは人よりも匂いや音に敏感な方だが、食べ物が関わると途端にそちらへ意識が向いてしまうのが悪い癖だった。
自分でも認識はしているのだが、食への興味と空腹になりやすい体質も相まって、そう簡単に変えられるものではないのが難しいところだ。
「あっ、ここですね」
そうこうしているうちに、商店街から続く並木道を抜け、目的地にたどり着く。
差出人の名前と表札を見比べ、一致を確認すると、ユールが呼び鈴をジリリリと鳴らす。
少しして、ガタガタという音と共に、住人が扉を開いた。
「はぁーい」
現れたのは、エプロンをした髪の短い女性だった。
ドアノブをぎゅっと握りしめ、見知らぬ客人に怪訝な顔を浮かべる。
「ロザリンドさん、ですか」
「そうですけど……どちらさま?」
ふたりは名刺を差し出しながら名乗りはじめる。
「プラムヘイゼ捜索事務所所長のレティ・ヘイゼです」
「同じく捜査員のユールと申します。アルディア警察の依頼でとある品物の持ち主の調査をしていまして」
レティは懐から警察からの委任状と、『幸運の手紙』を取り出した。
「こちらの手紙をお届けにあがりました」
ロザリンドは手紙をみるやいなや、眉間にしわが寄り、口角が下がる。顔を抑えて大きなため息までつき始めた。
「あ〜〜、戻ってきちゃったかぁ」
「ええ、届け先は引っ越した後のようで……」
「あーええと、それは知ってるんだよね。そうじゃなくて……」
なかなか受け取ろうとしない彼女に疑問符を浮かべるふたりをよそに、ロザリンドは大きく手を振ったかと思うと、ひとりぶつぶつと呟き始めた。
「そうだな……それを持ってるってことはそれなりに関係してくるだろうし……ねえ、きみたち、時間はある?」
「え、ええありますが」
「いくつか伝えたいことがあるから……立ち話もなんだし、中で話そうよ」
詳細を聞けるのはありがたいが、なんだか少しおかしい様子のロザリンドに、ふたりはどこか違和感を感じていた。
「それでは……お言葉に甘えようか」
「どうぞ、どうぞ~」
導かれるまま部屋へ入ると、オレンジの香りがふたりを出迎える。
香水などではなく、新鮮な果実の匂いだ。
「いい匂いですね」
「ああ、マーマレードを作ろうとしてて……キッチンがオレンジだらけなんだよね。気に障ったらごめんね」
「作業中にすまない」
「ああ、いいのいいの。まだ煮詰め始める前だったし。こういうこともあるかもとは思っていたから」
ロザリンドはエプロンを外しながら肩をすくめると、ソファの上の荷物を手に取り、ふたりに座るように促した。
部屋の中は片付いている……というよりも、物が全体的に少ない。
家具は必要最低限、雑貨もほとんど見受けられない。
「ふたりとも、オレンジはどう?」
「お構いなく」
「あらそう? えーと、そっちのお兄さんは?」
「喜んで。ぜひいただきます」
ユールは思いがけぬ声かけに笑みが零れ出る。
匂いには反応していたが、食べられるとまではさすがに思っていなかった。
横からくる視線が少し鋭さを増しているような感じがしたが、気づかないふりをする。
レティはコホン、と咳払いをすると、キッチンからオレンジをのせた皿をもってやってくるロザリンドに向き直った。
「こういうことがあるかも、というのは……私たちが手紙を届けに来るのを予期していた、ということですか?」
「きみたちのことは知らないけど……そろそろ誰かが届けに来るかもな、とは思っていたんだ」
「……というと?」
煮え切らない言い回しに、レティはつい眉を顰める。
ロザリンドはユールの前に皿を置くと、頬に手を当てて大きくため息をついた。
「きみたちも知ってはいるんでしょ?その手紙がなんて呼ばれているか」
「……『幸運の手紙』ですよね?」
「どういういきさつかも知っている?」
「大まかにはね。幸運な出来事が書かれた手紙で……所持した人に幸運が訪れる手紙、だと聞いているよ」
「そう。もともとはせっかくだから旅行先から手紙を書いてみようって、本当にただの手紙だったんだ」
「やっぱり、ただの手紙ではないんですか?」
「そうじゃないと言いたいところだけど……そうとも言えないのが厄介なところで……」
「詳しく聞いてもいいだろうか」
ロザリンドは頷くと、窓際に飾ってあった写真立てを手に取り、ふたりに見せた。
「商店街のくじで、旅券が当たってね。レアレスって街に行ったんだよ。知ってる? 西部にあって……ちょうどこのオレンジもそこから届いたやつなの。海が近くて綺麗な街なんだ」
青い海と空、白い街並みが映える一枚だ。つばの大きな白い帽子をかぶった女性が映っている。
「行ったことはないが、観光が盛んで活気のある大きな街だと聞いたことがある」
ユールは口に頬張ったオレンジを飲み込むと、にこりと笑って口を開いた。
「ああ……昔その近くに住んでいたことがあります」
「本当? 素敵な街だよね」
「ええ、観光で行くなら楽しそうなところです。景色はいいし、食べ物も……海鮮が有名だったような」
「そうそう。港が有名でね、とても美味しかったよ。それで……旅を楽しんだのはいいんだけど、手紙を書いて出そうとしたらその時、ひったくりに遭ってね……チケットが鞄に入ってたから帰るに帰れなくなっちゃって……」
「ええ?それはむしろ……」
不運なのでは?と言いかけたその時、ロザリンドはそこだとばかりに指をさす。
「そう!そう思うじゃない? それがね、違うのよ。あたしがのる予定だった汽車、大雨で数時間動けなくなったうえに、結局燃料が足りなくて戻ってきたのよ」
「それは……幸運といえば幸運ですね」
「まぁ、それだけだったら数時間無駄にしなくてよかったねってだけなんだけど。……翌日にまた手紙を出そうとしたら、手紙が風で飛んで行って……人の顔にぶつかってその人は前が見えなくなって焦って転んでケガしちゃったのよ」
それはやはり不運なのでは、とふたりの顔に浮かんだところで、ロザリンドが手を前に出して制する。
「でもね、そのケガしちゃった人、私のカバンをひったくった犯人だったのよ」
「えっ」
「ねぇ。びっくりよね。その後も……人にぶつかって飲み物を零されて立ち止まったら、たまたま落下物を避けることができたりだとか。幸運は幸運なんだけど、なんかちょっと気味が悪くて」
ロザリンドはレティの手元にある手紙へ少し手を伸ばすが、すぐに指を引く。
震えだした指先を覆い隠すように手を握りこんだ。
「その話をしたら、面白がって代わりに届けてくれるって人が現れたんだけど……人の手を渡るたびにいろんな幸運と変な話の尾ひれがついたってわけ。欲しがる人が増えちゃって……正直困ってるんだ。あたしはもう……手放したいのにね」
ロザリンドはおどけた口調で、乾いた笑みを浮かべた。




