28 閑話 すれ違う砂時計
閑話 ストーリーの主軸からは少し離れたお話です。
「えっ臨時休業……ですか?」
ユールが出勤してすぐのことだった。
昨日からずっと書類に埋もれているレティは、ペンを走らせながら続ける。
「すまない。論文の締め切りが近いんだが……終わらなくて……うまくまとまらなくて……どうにかこう……もっとうまく……」
ユールは知っていた。この状態になったレティはもう何を話しかけてもほとんど上の空だ。
ユール1人でもできる作業は進めるとして、まず間違いなく新規の受付は無理だろう。
「先生、僕は一旦1階に……聞こえてないか」
ユールは表の看板を臨時休業時のものへ取り替えると、階段を降り、郵便受けをのぞく。
依頼関係の手紙3通と、差出人の記載のない手紙が1通。
それらを懐にしまうと、建物の1階に入っている喫茶店へと向かった。
「――というわけで、今日は締め切り前の臨時休業です」
「ああ、いつものやつね。もうそんな時期か。時の流れは早いなぁ」
レティは半年に1回、魔術師連盟の学会誌に論文を寄稿している。
が、たいていは締め切り直前に悲鳴をあげて同じような光景が繰り広げられていた。
「こればかりは僕にも手伝いようがないですからねぇ。先生は集中するといつも飲食を忘れるので差し入れするぐらいです。なので僕用にコーヒーと、先生用に持ち帰りで軽食をお願いします」
「はいよ」
ユールはカウンター越しに注文を終えると、窓際の席に座って手帳を広げた。
「備品リストアップして買い出し行って……うーん、早く終わりそうかな」
今日の予定は、不足している備品の調達と書類整理、情報提供者への連絡など、幸いユールひとりでも遂行できそうな内容ばかりだ。
いつもはこの合間に新規の依頼やレティの研究の手伝いが入るのでそれなりに時間を要すのだが、何も入らないと昼過ぎには終わってしまいそうだった。
「まぁいっか。たまにはこういう日も」
窓から差し込む光が柔らかくユールを包み込む。
温かい日差しで眠気がこみ上げる。少しゆっくりしていこう。
「はい、とりあえずコーヒー。軽食はもうちょっと後でもいいか?」
「ありがとうございます。もちろん大丈夫です。」
ユールは、ふぅと一呼吸を置くと、差出人の書いていない手紙を取り出して中身を開く。
「……こりないなぁ」
おおよそわかってはいたが、差出人の書かれていない手紙はたいてい、嫌がらせの手紙だった。
魔力の少ないレティが魔術師として評価を受けていることが気に食わない魔術師が、前々から一定数いるらしい。
「また?」
「またです」
レティに関するよからぬ噂や誤解はこうした嫉妬や悪意を持った魔術師による作為的な物が多い。
都度都度警察や連盟側へ通報してはいるが、まるでペンフレンドかのように毎月届く。
「学会誌に定期寄稿し始めてからはだいぶ減ったんですけどね」
ユールはびりびりに破きたい衝動をぐっとこらえると、丁寧に懐にしまい込んだ。
レティは目にしてもゴミを見るような眼で面倒くさそうにするが、傷ついていないわけではないことはわかっている。
なるべくレティの目に入らないうちに勝手に通報しているが、完全には防げていないのが実情だ。
腕を伸ばして伸びをすると、窓越しに見覚えのある猫と目が合った。たしか、キャシーのところにいた一匹だ。
嫌な物を見た後は可愛らしいものを見るに限る。
手を振ってみたが、その場でくるりと回ると、すぐに走り去ってしまった。
「ああ……」
「猫に振られたのぉ、ユール君」
カラン、とドアベルの音と共に、ヴェールを被った女性がくすくすと笑いながら店に入ってきた。
「そのようです」
ユールは肩をすくめ、涙をぬぐうふりをする。
「かわいそ。おはようジョー。コーヒー1つくださいな」
「おはようアウロラ。今日は早いね」
「逆なのよ。お客さんと盛り上がっちゃって、眠れなくてそのまま起きっぱなしなの。あんなに白熱したのは久々だわ。」
アウロラは料金を支払うと、未だ興奮冷めやらぬといった様子で、うっとりとした表情を浮かべる。
「ええと、それは占い師のお仕事で?」
「そうなの。初めてのお客さんだったんだけどねぇ。詳しいことは言えないんだけど……ああすごく人に言いたいわ。あんな山あり谷ありの面白い出方はレティぐらい……あれレティは?」
「先生は締め切りに追われてるところです」
「ああ、そういうことね。だから夜も部屋にいなかったんだ。……なんだぁ、つまんなぁい」
アウロラはレティの隣の部屋に住む占い師である。
ウェーブのかかった髪をくるくると指でもてあそぶと、ユールの隣に座った。
「あたしはてっきり……ユール君と朝帰りかと思ったんだけどぉ」
「ごほっげほっ……なん……、そんなわけ……」
ユールは思いきりむせて口をぱくぱくとさせている。
アウロラは肩を落とした様子で椅子にもたれかかった。
「これだもんなぁ。はーぁ、つまんないつまんなぁい。もっとドでかい感情ぶつけてるところ見せてほしいなぁ」
「見せませんよ」
「ふーん?」
「……」
ユールはぷいと窓の方を向き、無言でコーヒーをすすった。
「アウロラ、コーヒー。あとユールをからかうのもいい加減に」
アウロラはにやにやと笑うと、コーヒーを受け取りにカウンターへと戻る。
「からかってないよぉ。ご近所さん同士のコミュニケーションだよぉ」
喫茶パラソルと捜索事務所が入っている建物の3~5階はアパートになっており、この場にいる3人とレティは全員住人だ。
「ごめんね?」
「別に……気にしてませんけど?」
「そういうことにしておいてあげる」
アウロラは変わらずにやにやと笑う。
「……はぁ。それにしても、昨日のお客さんは良かったなぁ」
「先生がこの前『感情ジャンキー』って言ってましたけど。本当に占い師が天職ですね」
「『感情ジャンキー』かぁ、いいねえ。嫌いじゃないよ。そうそう、いろんな感情をぶつけてくれるから本当に楽しいよ、占い師。気分がいいから占ってあげようか?」
「結構です」
ユールは苦そうな顔できっぱりと断った。
アウロラはコーヒーを一口飲むと、満足そうに笑みを浮かべ、あくびをして目を擦った。
「コーヒー飲んだら急に眠くなっちゃった。帰るね」
「本当に意味が分からないです」
ジョーもユールもつい遠い目をする。
「それじゃ。あ、レティによろしくー」
そんな二人をよそに、アウロラはパタパタと扉へと駆けていき、颯爽と店を去っていった。
ドアベルが静かに音を立て、店内は嵐が過ぎ去った後のように静まり返った。
「性格全然違うのに先生とめちゃくちゃ仲が良いの、ちょっと不思議なんですよね」
「……それはお前もじゃないか?」
「そ……れはそうかもしれないですね」
ユールは言われてつい口ごもった。
言われてみれば確かにそうだ。キャシーも自分もそうだが、レティはおしゃべりな人に好かれやすい傾向がある気がする。
レティが聞き上手だからだろうか。
「アウロラに関して言えば……確か姉さんに似ているらしい」
「えっ……先生、お姉さんがいらっしゃるんですか?」
ユールは前のめりになった。初耳である。
ジョーは一瞬しまった、という顔をして、頭をかいてごまかした。
「あー……そう聞いた。まぁ今度本人に聞いてみろ。俺から言うことでもないだろう」
「うーん、本当に僕は先生のことを全然知らないな……」
一緒に働き始めて3年ほどが経つが、過去のことは知らないことの方が多い。
東部出身らしいが、そのあたりのことを聞こうとすると口ごもったりごまかしたりするのが常だ。
「まぁ……僕も過去のことはあんまり自分から言いたくは……ないし。どっちもどっちか」
先生のことだから勝手に調べて知っていそうだけれど。自分のことはそれならそれで別に良い。
ユールはコーヒースプーンを意味もなくぐるぐるとかき回した。
それはそれとして先生のことは気にはなる。
「先生が落ち着いたら聞こうかなぁ」
少なくとも今は聞くべき時ではないことはよくわかっている。
そもそも耳に入らないだろう。
そんなことを考えていると、ジョーがバスケットを持ってやってきた。
「お待たせ。チキンを挟んだバゲットだ。小さめに切ってあるから食べやすいだろう」
「ありがとうございます……」
ユールはバスケットを受け取ると、中身を見ながらそのまま動かなくなる。
「どうかしたか?」
「いや……料理を学べばもうちょっと先生の役に立てるのかなって……」
「充分だろ」
「そうでしょうか……」
「まぁ、興味があるなら教えるのはやぶさかじゃないが……菓子作りは得意な方だろ?」
「お菓子作りは……またちょっと別で。料理となると気づいたら質より量になっちゃうんですよねぇ」
「なるほどな。それは……ユールらしいな」
ジョーはいくつかの言葉を飲み込んだ。
「まぁ……一番役に立つのは魔術師としての腕を上げることじゃないか?」
「……まぁそれはそれこれはこれということで」
訓練に励んではいるものの、自分ひとりで式を組み上げられるようになったのも最近のことだ。
上達への道はなかなか先が長い。
「ははっ。がんばれ。いろいろと」
「いろいろと……」
「いろいろと」
ユールは眉間にしわを寄せながら出口の扉をくぐった。
夕方、ユールが買い出しから戻ると、レティが煙草に火をつけたところだった。
「おかえり」
「ただいま戻りました。ひと段落ついた感じですか?」
ユールは備品が入った紙袋を机に置くと、手を洗って買ってきた菓子を棚にしまい、湯を沸かし始めた。
「そう。ちょうど君に連絡しようと思っていたところだ」
「何か御用でした?」
「いや……これといって用があったわけではないんだけれど」
最後の一文を書き終わったと思ってすぐ、気づいたら煙草に手を伸ばしていた。
「なんでだろう」
レティは不思議そうな顔をして、開いた窓から煙が外へと伸びてゆくのをぼんやりと見つめた。
「……お腹空きました?」
「君じゃないんだから」
「はいはい。いつもお腹が空いているのは僕です」
ユールはすっかり冷めたティーポットとバスケットを手早く片付ける。
「あ。そうだ。チキンサンド、ありがとう。美味しかった」
「それは何よりです。よかった、ちゃんと食べてくれていて」
ユールは空になったバスケットを見て微笑んだ。
そうこうしているうちに、沸騰した薬缶が鳴り響き、ユールを呼びつける。
「やっちゃった」
パタパタとキッチンへと向かい、あわてて火を止める。
早く沸騰させる魔道具が実用化されないかな、とユールは思った。飲み物を淹れることが多いユールにとってはかなり魅力的な商品だった。
スープを温めるために使っていた失敗作の魔道具は、専らティーポットとティーカップを温めておくことに使われている。
紅茶を飲ませたいときにすぐに使えるので、これはこれで便利だ。
この事務所に勤め始めてから、紅茶を淹れることに関しては、かなり上達した。
「先生、ここに置いておきますね」
ユールはティーセットと砂時計を机の開いたスペースへ置くと、買ってきたものをしまいに戻った。
レティは紅茶の匂いを嗅ぎつけると、振り返ってすぐに煙草をにじり消した。
ちょうど水分が欲しかったところだ。早く飲みたい。
「君は私より私のことを知っているな」
「……え」
「うん?どうした」
「ああ、いえ、何でもないです」
ユールは荷物を片付け始めた手を止めてソファに座り、窓の外を見るふりをした。
――このままずっとこうしていられたらいいのに。
砂時計がさらさらと落ちてゆく。
ふたりは反対の気持ちでそれを見つめていた。
4/20 一部気になった表現を修正しました。




