23 足音の行く先
捜索事務所の前で、立ち尽くしている男がいた。
このままドアを開けずにどこかへ消えてしまった方がいいのではないか。
簡単なことだ。階段を下りて、知らない場所へ走り去ってしまえばいいのだから。そんな考えが頭をよぎる。
いいや、向き合わねば。
男はかぶりを振って、勢いよくドアをあけた。
ドアにつけられたチャイムが大きく鳴り響き、来訪者を出迎える。
「待っていましたよ、ガーデンさん」
すぐ先に、レティは立っていた。
扉を開けた男は今回の依頼人、シャル・ガーデン氏その人だ。
「捕まえたというのは……本当ですか」
「ええ。こちらへどうぞ」
最初に訪れた時と同様に、応接スペースのソファへ誘われる。
人数分のお茶と、山のように積み上げられたクッキーをテーブルに置いてある。これも、前回と同じだ。
それは変わらないのに、その場には前回の時にはなかった、妙な緊張感が流れていた。
そうだ、あの物腰の柔らかい青年がいないのだ。
「あの……ユールさんは?」
「彼は捕獲の際に魔力を使いすぎたので、今は療養させています。半日もすれば元気になるでしょう」
「それなら……よかった」
「では、ご確認を」
レティが差し出したのは、トカゲ――もとい、サラマンダーが中にいるケージである。
ガーデン氏はケージの中が見える格子状の箇所から中を覗く。赤い首輪のサラマンダーを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかった……無事だったんですね」
「ええ。それでは今一度報酬金額のご確認を――」
レティは淡々と続ける。契約書を再度確認し、報酬の引き渡しをする。
ガーデン氏は、なぜかずっと冷や汗が止まらなかった。
穏やかなユールがいないからか。
レティがあまりにも事務的で、感情が伝わってこないからか。
受け取りのサインをする文字が震えて踊る。
「確かに、頂戴いたしました」
「はい。ありがとう、ございました」
立ってすぐに事務所を出ていけばいい。もう取引は終わったのだから。
そう思っても、なぜか足は石のように固まって動かない。
「どうしました?」
「いえ、いえ――その、」
ガーデン氏は、つい目線をそらした。しっかりと見ることができない。
言葉を紡ごうにも、思うように出てこない。
向かい側に座るレティは、相変わらず表情が見えない。何かを見透かしているような、そんな視線にも見える。
口の中が乾き、鉄のような味がこみ上げる。
腹の中まで探られているような気持ち悪さを感じた。
「どうして…………、どうして、何も聞かないんですか」
気づけば、言いたくもなかったはずの言葉が口から転び出る。
すぐに口を押えても、言葉は戻らない。
「聞いて……ほしいのか?」
「いや、そうでは――――いえ。そうなのかも……しれません」
「では、訊ねよう。」
レティは、組んでいた足を揃えて姿勢を正し、ゆっくりと指を組んだ。
「あなたは、どうしたいんだ?」
短い静寂が訪れた。
時計が秒針を刻む音と、蒸気のはじける音が、空虚に響く。
「はは。」
ガーデン氏は、乾いた笑いを浮かべて天井を仰いだ。
「どうしたいん、でしょうね」
レティは紅茶を一口飲むと、足を組みなおした。
大好きな銘柄のはずなのに、まともに味がしないのは、なぜだろうか。
髪を耳にかける。
瞼を閉じ、息をゆっくりと吸い込み、息を止める。
1つ1つの挙動が、いつもよりも遥かに長く感じる。
瞼をゆっくりと開き、そして、口を開いた。
「私の仕事は、依頼された品物を探し出して届けることだ」
レティは、ごく淡々と言い放つ。
「正義の味方でもなければ……理想主義者でもない。希望も幸運も、祈らない。これからの道を選ぶのは、貴方自身だ」
「そう……ですよね」
ガーデン氏は、躊躇いながら立ち上がり、事務所を後にするべく玄関のドアへと向かった。
一歩一歩が、やけに重く感じる。
ドアノブをつかんで捻り、外へと踏み出そうとした時だった。
「そういえば——1階の喫茶店で私の知人を見かけたんだ。青い制服を着ている女性だ」
ガーデン氏は固まったまま、振り返らずにその声を聴いた。
「もし、貴方が少しでも道を戻りたいのであれば、まだ――間に合う」
レティの声は、震えていた。
「…………ありがとう、ございました。」
パタンとドアが閉まり、チャイムが大きく揺れ、音を立てる。
つい先ほども登ってきた階段が、そんなはずもないのに、長く遠く見える。
ガーデン氏は静かに息を吐き、一歩ずつ階段を下り始めた。
階段を下りていた足音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
レティは唇をかみしめた。
煙草に火をつけようとマッチを取り出すが、手が滑って取り落としてしまう。
何かが溢れそうになり、つい上を向く。
窓越しに空を見やると、雲の隙間から射す光の筋が、ゆらゆらと揺れている。
窓を開き、乾いた空気を口に含んで、ゆっくりと吐き出した。
その時――1階の喫茶店の方から、カランカラン、という音が聞こえた。
レティは静かに瞼を閉じた。




