20 光るゆびさき
空を見上げれば、月が高い位置でぼんやりと輝いている。
レティが3か所目の準備を終えたころには、日付が変わる時間になっていた。
懐から煙草を取り出し、まさに火をつけようとしたその時、遠くから聞き馴染のある声が聞こえてきた。
「先生ー!」
すらりと伸びた右腕を大きく振り、結い上げた長い髪を揺らしながら駆け寄ってくる様子は、まるで主人を見つけた子犬のようだ。
ユールは片手に袋を抱えており、背負っている鞄も先ほど別れた時の倍ほどの大きさに膨れている。
「お疲れ様。その様子だと、問題なく準備は進められたようだね」
「はい。スープは鍋ごと買い取って一旦事務所に置いてきました。この件が片付いたら朝ごはんに食べましょう」
「朝までにはどうにかしたいものだね」
「それと……これ、魔道具工房に寄って借りてきましたよ」
ユールは鞄からスリングショットのような形の魔道具を2つ取り出した。
蒸気の熱暴走対策で用意されていた、凍結の機能を持つ魔道具である。
「ああ、ありがとう」
「扱いはほとんどスリングショットと同じです。引っ張る部分に魔力を込めて手を放すと射出されて、着地点を部分的に凍結させます」
ユールは1つをレティに手渡すと、もう1つで試しに軽くその場で放って見せた。
一瞬光ったかと思うと、足元の着地点に氷が張り付いた。
レティはその様をみるや、スリングショットに掘られた術式をなぞり、中身を確かめる。
「君が使うのにいいかと思ったが……この術式では、焦っているときに君が使うとあたり一帯が氷漬けになりかねないね。慎重に使うことだ。私が使えるのは……せいぜい1回か。行く方向を逸らすことができれば上出来かな」
「承知しました。……でも先生がこういったものを扱っているイメージがないですね」
「昔、田舎の親戚の家で暮らしていた時に、少しね。害獣を追い払うために使ったんだ。もっとも、魔力は使わない一般的な物だけれどね」
「なるほど。僕の地元も田舎だったので、害獣には困らせられたものですが……すぐ狩る発想に至る人ばっかりだったので、もっと攻撃的でしたねぇ。まぁでも似た感じですかね。今度詳しく聞かせてください」
「規模が違うような気もするが……まぁ今度暇なときに、ね」
「ええ、温かいお茶でも飲みながらゆっくり話しましょう、先生。ああ、温かいものと言えば、そうでした」
ユールは袋の底から細長い板状の魔道具を取り出し、レティへと手渡す。
「これも借りてきました」
レティはそれを受け取ると、全体をくるくると回して刻み込まれた術式を眺める。
「発熱装置のようなものかな?」
「さすが先生ですね。簡易湯沸かし器です。沸騰するほどには温度が上がりきらない失敗作だそうなのですが、スープを温め続けるのにはちょうど良いかと」
「いい判断だ。少し調整を加えても構わないか?」
「廃棄予定なので問題ないと聞いています」
湯沸かし器ではより短時間で温度を上げることが求められるが、今欲しいのは持続性だ。
レティはペンを取り出すと、いくつかの単語を追加する。
「詳しい実験をしたいところだが……今は時間がない。実際に使ってみて試すしかないな」
「そうしましょう」
ユールは荷物を降ろし、鞄に道具類をしまうと、ぐるりと周囲を見回した。
「先生の方はもう完了ですか?」
「さきほど終わったところだ。一旦荷物を預かろう」
「ありがとうございます」
「それでは、頼むよ」
レティは両腕を差し出してユールの荷物を受け取ると、背後のリボン状の魔術式を記載した布を指さした。
「ああ、あそこですね」
背中の荷物も降ろして身軽になったユールは、腕をまくりながら布に近づいて行った。
「魔力の量はどうします?」
「普段より多いが、総量の1/10程度は欲しい。今回は私が書いたからね。多少量が多くても爆発はしないはずだ。深く考えなくて構わないよ」
「承知しました」
ユールは魔術式の書かれた布の端を手に取り、ひと通り式に目を通す。
いつものレティの細やかな式である。
「僕とは安定感が違いますね」
「当然だ。しかし……君にもそのうちできるようになってもらわないとね」
「はは、精進します」
指輪を1つ外し首から下げている小袋にしまうと、書き始めに慎重に指を添えて目を閉じる。
大きく息を吸いこみ、時間をかけてゆっくりと吐き出す。
ユールにとって魔力は常に大量に体内を巡っているものだ。溢れ出ないように、抑えるものだ。
指輪も魔力を抑えるために付けている道具の1つだ。
必要以上の魔力を注ぎすぎると、爆発してしまうからである。
魔道具などの単純な構成の魔術式に少しだけ魔力を流すのは慣れたものだが、複雑な構成の魔術式に大量に魔力を使う場合は、より慎重にならなければならない。
魔力の存在を強く意識しながら、必要な分だけ押し出すイメージで、慎重に指先に感覚を集中させる。
「……始めます」
目を見開いたその瞬間、指の先から青白い光が零れ出る。
その光は火花をまとっているかのように弾けて輝きながら、文字を形取り流れていく。
暗い路地ではその光だけが異様に明るく輝き、文字が宙に浮かび上がっているようにすら見える。
レティはその光を瞬きもせず、ただしっかりと見つめていた。
光が駆け抜けて長い布の端までたどり着くと、ふわりと風が二人の髪をなびかせた。
それと同時に肌を刺すようにひやりと空気が冷たくなる。吐く息は白くなり、ぞわりと鳥肌が立つ。
今回施した魔術は、特定の範囲に冷気を発生させるものだ。
「ふぅ。成功、ですかね?」
ユールはグッと伸びをすると、振り返ってレティの表情を伺った。
レティは満足そうに頷く――が、肩が震えている。
「すみません先生、強すぎましたか?」
ユールが慌てて駆け寄り、自身の上着をレティの肩にかける。
「いや、このように設定したのは私だ。調整もうまくできているね。大丈夫だ」
「そう……ですか?」
「ああ、効力と……範囲も問題ない。少し……寒いこと以外は」
「少し……」
ここだけまるで冬が訪れているようだった。
長袖の上着を着てはいるが、春物の上着はまだ薄い。さすがに寒さが身に染みる。
「先生……あと2つも同じように設定してるんですよね?」
レティはユールに上着を押し返して背中を押すと、足早に次の場所へと向かった。
全ての準備を終え、事務所へ戻った頃には、時計の針は2時を指していた。
あとは冷気が流れて誘い出すまで、しばらく待つだけだ。
「ここまでは問題ないね。……準備の方は、だが」
椅子に腰掛けた途端、どっと疲れがのしかかる。
「予定通りですね。……ふぁ」
いつも元気なユールも、多量の魔力を使ったこともあり、疲れと眠気が襲ってきた。
思えば、昼過ぎからは歩き回ってばかりだった。
「仮眠を取ろう。このままではコンディションが良くない。部屋に戻るか?」
「いえ、寝すぎてもよくないのでここで寝させてもらいます」
ユールは目覚まし時計をセットすると、来客用のソファに寝転んだ。ユールには少し狭いが、かえって熟睡せずにすみそうだ。
レティはどこからかクッションをいくつか引っ張り出すと、ソファへと放り投げる。
「おっと。ありがとうございます」
「私は少し作業してから寝る。君は早く寝たまえ」
「はい」
クッションに頭を乗せ、言われるままに目を閉じる。
遠くで何かが擦れる音がして、わずかに火薬と花のような香りがした。先生の煙草の匂いだ。
レティはいつもすぐに匂いを消してしまうが、ユールはこの匂いが好きだった。どこか安心するのだ。
もう少しこのまま。そう思ったが、眠気は許してはくれない。
ユールの意識は微睡の底へと沈んでいった。




