第44話 わりとまじだよコボルトさん
前回までのあらすじ!
コボルトさん、人間やん……
殺した。ヴァニールを殺した。
ああ、そうとも。俺はたしかに、異界から召喚された少女は魔王ではないと知っていながら、その胸をヒヒイロカネの剣で刺し貫いた。
感触は、いまもこの手の中に残っている……。
魔王に仕立て上げられた少女は追い詰められ、魔族領域へと逃げ込み、数年間姿を眩ませた。同時期に俺とシュヴァルツは、エトワールの謀略を知った。
異界の少女は魔王などではなく、ただの人間に過ぎなかったことをだ。すべてはジャンティーユ王国の強権を大陸で不変とするためだけに仕組まれた、カビの生えたような古くさい生け贄制度に過ぎなかった。
俺はエトワールを見限り、シュヴァルツとパルフェだけを連れてヴァニールを追った。捜し、捜し、捜し、少女の影を捜し続けた。
ようやく彼女を発見したときにはにはもう、すべてが手遅れとなっていた。
ヴァニールが俺の前に再び姿を現したとき、彼女は凄まじいまでの魔法の力を手に入れていた。少女はわずか数年で名実ともに本物の魔王となり、この世界の動物たちを新型の魔族へと強制的に進化させたんだ。
そうして進化させた魔族らを率いて、人間の村や町を襲った。ジャンティーユ王国とエトワールへの復讐を果たすため、ジャンティーユ王国領で殺戮を繰り広げた。
滅ぼされた町を見た俺とシュヴァルツは、取り返しのつかないことをしてしまったことを知った。
俺はヴァニールを説得しようとした。
けれども故郷から引き剥がされるようにむりやり召喚され、あまつさえ命を狙われ、追い詰められた少女は頑なだった。
殺さなければ、殺されると、そう泣き叫んでいた。彼女はジャンティーユに属するいくつもの町や村を襲った。罪なき人々を殺した。
だから俺は、ヴァニールの胸を刺し貫いた……。
手に残った感触は、少女の胸を破ったナイフの感触ではない。命を貫いた己の手を、血まみれの両手で包んで、「わたしを止めてくれてありがとう」と言ってくれたときの、彼女の血のぬくもりだ。
肉体を失い、パルフェとなったいまも、そのぬくもりが忘れられない。
俺は、彼女を救えなかった己に失望していた。勝手な話だ。追い詰めたのもまた、俺自身であったというのに。
それから数年後。
ヴァニールへの罪滅ぼしのため、彼女が進化させた魔族らの安住の地となるボニータの建国を終えた俺は、盟友であるシュヴァルツに別れを告げて、ヴァニールの進化秘術を使って、その頃寿命を終えようとしていた愛犬パルフェと融合した。
もう、人間という薄汚い生物のままでいたくはなかった……。
※
巨大な炎を宿したパルフェのナイフが、逆袈裟に振り上げられる――!
「黙れ!」
渦巻く炎がヒヒイロカネの刃から解き放たれて、エトワールへと迫った。
しかしエルフはヒヒイロカネの杖すら使わず、片手を軽く持ち上げて、刃の形状を取った巨大な炎を細い指で握りつぶす。
いいや、握りつぶしたのではない。炎を形成する魔力を掻き消したのだ。いともあっさりと、その秀麗な眉一つ動かすことなく。熱も、色も。
パルフェの【火炎斬り】には、森の広範囲を灼き払う威力があるというのに。
「落ち着きなよ。こんな出入り口さえない狭い地下室で全力の【火炎斬り】なんて使ったら、私も君も蒸し焼きになってしまうよ」
「構わねえ。俺は生きるためにきたわけじゃねえ。あいにくと、シャルマンはもう死んじまってるもんでな。ここには、おめえを殺しにきただけだ。そのためだけに冥府から這い上がってきた。――パルフェの肉体を借りてな!」
パルフェのナイフに再び炎が宿る。しかしエルフはゆっくり首を左右に振ると、また片手を上げてその炎を掻き消した。
今度は触れもせず、遠隔でだ。
「私に魔法は通用しないよ。君ならそんなこと、わかってるでしょう」
「そうかい、だったら――ッ」
パルフェが石畳を蹴った。小さな肉体をさらに屈め、高速でエトワールへと迫って、その膝にナイフを振るう。けれどエトワールの足を包む薄衣に触れる直前、赤色刃のナイフは、同じ色の杖に防がれ、火花を散らした。
金属音が鳴り響く――ッ!
エトワールが杖の中央をつかんで鉄棍のように取り回し、パルフェを跳ね返す。舌打ちをしたパルフェが再び距離を取って凄まじい速度で回り込み、今度は跳躍して側方上段から斬りかかった。
「らぁ!」
「……ッ」
しかしエトワールはまたしても杖を鉄棍のように取り回す。右手で杖の上部を、左手で下部をつかみ、杖の中心部でナイフの刃を受け止める。
またしても跳ね返されたパルフェが、着地と同時にバックステップで後退した。
「シャルマン。もしも君がいまも人間の肉体だったなら、私はいまの一撃で膝をついていただろうね。けれどもパルフェの小さな肉体では、力で私を押し切ることもできない。仮に君がシュヴァルツだとしても、怪力だけでは私には掠りもしないよ。速さと力と魔力のすべてを兼ね備えたあの頃のシャルマンじゃなければ、私には勝てない」
力なき己に対する苛立ちが、自然と牙の隙間から漏れた。
「ううぅぅぅぅ~~~!」
「だから、もうやめよう。私は友人である君とは戦いたくないんだ」
その言葉が本心から出ていることがわかるから、余計に腹立たしい。
歯を食いしばり、再び飛びかかる。低く、膝を斬るように。けれども細身のエルフは力こそないものの、その身軽さでひらりと躱す。着地の瞬間を狙っても、風の魔法でタイミングをずらされる。
ナイフは何度も空を斬る。
虚を衝き、壁を蹴って飛ぶ。しかし回避不能の攻撃を繰り出しても、エトワールは慌てず冷静に、ヒヒイロカネの杖で防いだ。
両者の間で火花が散る。
「何でだ……ッ!」
「ふふ、年の功、かな」
おそらくエトワールの言っていることは、間違ってはいない。
命の選択など、本来ならば数以外に指針はないだろう。自身であっても、ヴァニールやカリンと個人的な関わりがなければ、何の迷いもなく数百万の命を優先させていたに違いないのだから。
だが、関わってしまった。二人の少女と。知ってしまった。この国の真実を。
この重い世界を下から支えていたものは、哀れな生け贄少女の細腕だ。
「いい加減、大人になりなよ、シャルマン。君は短命種だろう。もう成人していてもいいはずだ」
「あいにくとっくの昔に老いぼれでなッ」
「……仕方ないな……」
エトワールが攻撃に転じた。
杖の中心部をつかみ、上下で代わる代わるパルフェを打ち据える。パルフェはナイフでそれを捌くものの、そのたびに小さな肉体が左右されて、体勢を保つことさえできない。
やがて短い足がもつれて、背中から石畳に転がった。起き上がろうとした瞬間、パルフェの腹部へと杖の先が押し当てられる。
「そこまでだよ」
「ぐ、く……」
あるいは自身とて、数千年を生きてエトワールの言うところの“大人”になれていたのであれば、個人的な関わりがあったとしても、数百万の命を優先できていたのかもしれない。長く生きるほどに、感情は薄くなっていくのだから。
俺は、いまも間違っているのか……?
諦観の念にとらわれかけ、瞳を閉ざす。
「わかってくれたかい?」
ふと、瞼の裏にカリンの脳天気な顔が浮かんだ。
暗鬱とした闇の中に、太陽のように浮かんだ。
いや、違うな。違う。
そんなふうに感情を鈍らせて生きるくらいなら、己は命を絶つ。絶対にカリンやヴァニールを見捨てるようなことはしない。何百、何千年生きたとしてもだ。
考えろ。考えろ。
数百万の犠牲を伴う戦争であっても、未然に防ぐ方法を考えればいい。その場その場で、場当たり的に、刹那的に、行き当たりばったりに。
あの脳天気な娘のように。カリンのように。
それでいい。それが生きるということだ。
きっとどうにかなるさ。
パルフェは瞳を開けて口角を持ち上げ、歯を剥いて笑った。そうして自らのこめかみを指さして、外連味たっぷりに言い放つ。
「ゲハハ! いや、まったく。微塵もわかんねえや。犬頭だからな。おめえみてえに賢かねえんだ」
にこやかだったエトワールの表情が、初めて微かに引き攣った。
「そう。じゃあ、仕方ないね」
「ンだな。わかんねえもんは、しゃあねえ」
「勘違いしないでね。もちろん君を殺したりはしないよ。大切な友人なんだから」
エトワールの顔から表情が消失する。
だが、ニオイでわかる。コボルトは感情のニオイを嗅ぎ分ける魔物だから。エトワールはいま初めて苛立った。
苛立ちを隠すため、表情を消した。
愉快。実に愉快だ。
「ただ、悪さをした子供みたいに、この出口のない部屋に閉じ込めておくだけ。もちろん【火炎斬り】は発動できないようにしておくからね。食事は魔法陣に転送する。反省できたら、出してあげるよ」
押し入れに閉じ込められる感じのアレ。




