第38話 女子高生と身勝手猫
前回までのあらすじ!
遭難中。
気温が低すぎるためか、温泉から立ち上る湯気は、前回パルフェときたときよりもずっと濛々と立ちこめていた。自分の足下さえよく見えなくて、わたしたちは慎重に歩く。
温泉の周囲にだけは雪は積もっていなくて、近づくだけで湯気に包まれ、ふんわりと暖かい。
わたしはガチガチと震えながらも服を脱ぎ捨てて、片足をくるぶしまでお湯に浸す。
「うひぃ~! 気持ち~……」
冷え切っていたためか、じんと痺れた。しばらくすると温度になれてきて、わたしは右足の鼠径部までお湯に浸ける。
んんんん~~~! 冬の温泉は最高ぉぉ~~~!
「……カリン、おまえ……。外なのに躊躇いなく脱ぐんだな」
「へっへ。どーせ誰もいないから?」
「わからんぞ。この寒さだ。案外、湯気が風で流れたら誰かが入っていたりし――」
ルアナさんが唐突に額に縦皺を刻んだ。彼女の視線が水面に落ちる。
「……」
「……?」
わたしは片足だけお湯に入れたまま、彼女の視線を追いかける。
なんか浮いてる……。
湯気でぼんやりとしてるけれど、白黒の物体が浮いてる。
えっとね、服着た背中と、ほんのり長い黒髪が水面に広がってるの。で、四肢をだらしなく……というか、力なく伸ばされたままプカプカと浮いてるんだよ。
わたしは、そぉ~っとお湯から足を引き上げた。
これ、あれだわ。異次元に繋がるポケットから夢のある便利道具をいっぱい出してダメ人間を量産しようとする狸型ロボットの名前に似た響きの、あれ。
ゾワァ……。
温かいのに寒気がした。
「うわああぁぁぁぁぁぁ! 死、死、死んで――」
大慌てでお湯から身を引いたわたしと入れ違いに、ルアナさんがブーツと貴族服のスカートだけを脱いで、両足でお湯へと入った。
迷うことなく腕を伸ばし、浮いてる物体の首根っこをつかむ。
「ちょ――っ!?」
「よっと」
そして一気に高く持ち上げた。彼女は長身だから、ざばぁ、とお湯が流れて、その全容が白日の下にさらされる。
ぶら~ん、ぶら~ん……。
セーラー服の女の子だった。いや、耳とか尻尾とかあるから正確には違うんだけど。黒猫ケット・シーだ。もちろん、わたしもよく知っている彼女。
「ミ、ミ、ミレ、ミレイ?」
「おい。面倒だ。死んだふりするな。カリンを逃がしたことはもう怒っていないが、その茶番を続けるなら新たに怒るぞ」
ルアナさんがミレイを揺らすと、セーラー服に似せて作られた服の裾から、パタパタと雫がいくつも落ちて波紋を刻んだ。
「ニャ」
パチっと猫目が開く。
ルアナさんが手を離すと、ミレイは温泉の水面に軽やかに降りたったのだった。
※
で、女三人、肩を並べて温泉に浸かっている。
もちろんルアナさんもミレイも、いまは服を脱いでいる。
「いやぁ、もうにゃ、死ぬかと思ったよ」
「よく無事だったね、ミレイ。あの吹雪の中、わたしたちを追いかけてきてくれたの?」
えへへ、なんか嬉しいな。
猫って犬みたく追いかけてくれないから。よっぽどわたしたちのことを気にしてくれていたのかな。
「んや? 帰るつもりだったよ?」
「……へ?」
「いやぁ~、ラッパーゴブリンに警備隊のみんなが夢中になってるうちに、もうお家に帰ろうとしたら、ブルネッタのやつが邪魔するんだもんにゃ~」
オーガのブルネッタさんは、ルアナさんの館の執事長だ。
「ブルネッタが?」
ルアナさんが聞き返すと、ミレイがこくりとうなずいた。
「いますぐお嬢様たちを追わないと、なるべく優しく拳骨でぶん殴りますよって言うんにゃもん。オーガに殴られたら、ケット・シーにゃんて目玉と脳みそ飛び出るっちゅーにゃ。それで、ひょえええってにゃって飛び出しちゃったわけですにゃ」
「まったく、ブルネッタのお節介め。いつまで私を子供扱いするつもりだ」
悪態をつきながらも、ルアナさんは柔らかな笑みを浮かべている。少し嬉しそうに、所在なさげに真っ赤な髪を束ねながら。
「そぉ~んなわけでボニータにゃもう帰れにゃいし、仕方なくあんたたちのことを追っかけてったら猛吹雪になっちまって、ホワイトアウトするんにゃもん。もうね、死ぬかと思ったにゃ。で、命からがらシバイヌ温泉まで辿り着いて、服脱ぐ余裕もなく飛び込んだってわけ」
「柴犬温泉? ここ、そんな名前なの? 温泉だけに、愛着までわいちゃう名前だね!」
わたしが踏んだ高度な韻を無視して、ミレイは真顔で続けた。
「パルフェちんから場所教えてもらったから勝手にそう言ってるだけにゃ」
「そーなんだぁ。……温泉だけにわいちゃうよね、愛着と、お湯がね」
「んで、温まってたらあんたたちがきたからさ、ルアナに叱られる~と思って、慌てて死んだふりをしたってわけにゃよ」
「わいちゃう……」
平たい胸を張って、ミレイは悪びれた様子もなく笑う。
そんな場当たり的な行動で難を逃れようとするあたり、やっぱりミレイは猫だよ。後先考えないからね、あの生き物は。
「しかしおまえ、この寒さだ。服を濡らしてしまったら出るに出られんだろう。凍死してしまうぞ」
「そうにゃんよ。だから一晩中お湯ん中にいたんにゃ」
ルアナさんが呆れたように額に手を当て、ため息をついた。
「せめて脱いで干しながら温まれよ。アホみたいに着たまま入り続けるやつがあるか」
「ハッ!? そ、その手があったにゃ……」
くわっと猫目を見開いてルアナさんを凝視しているミレイを見ていると、何だか笑っちゃう。こんな表情する猫いるよね。動物病院が見えてきたときとか。
「とにかくあたしゃ覚悟を決めて、死ぬまでここで温まり続けるつもりだったんにゃ」
「乾くまではわたしの服を貸すよ。いくつか持ってきたから」
ミレイがほっぺの横でパンと手を合わせて、可愛らしくわたしに擦り寄ってきた。
「あんがとにゃあ。助かるにゃあ。さっすがは魔王様だにゃあ。このご恩は、午前中は忘れないからにゃあ」
「猫! そういうとこホント猫! お腹空いてるときだけ寄ってくる!」
「?」
ルアナさんの視線がわたしとミレイの間で行き来する。
「……浅はかさ、危機感のなさから体型、顔つきまで、ほんとにおまえたちはそっくりだよ。我ながらいい影武者を選んだもんだ。まったく」
わたしとミレイが同時に不本意そうな表情をした。
そういうとこだぞ、猫。




