第二話 湖畔の記憶
私が反乱軍の存在を知っていたのは、ズルでしかない。
きっかけは、彼が従者として王城にやって来たこと。マーガレット公爵夫人の縁者と聞かされて、私は怪訝に思った。
私は彼が、セルピナ公国の人間だと知っていたから。
彼と私は会ったことがあったんだ、一度だけ。
その時に彼から受けた言葉は忘れ難いもので、私の心の支えとなっていた。
だから王城で彼と再会した時、歓喜と——絶望が、同時に襲った。
なぜ、名前を変えた?
なぜ、身分を偽る?
なぜ、出自を偽る?
なぜ、目に光がない。なぜ、笑わない。なぜ、恨まない。なぜ、罵倒しない。なぜ、怒らない。
なぜ、泣かない。
私の国は、君のなにもかもを滅ぼしたというのに。
なぜ。なぜ。なぜ。
尽きぬ疑問を解消する為に、私は少しずつ調べた。彼にも近衛兵にも『影』にも、誰にも気付かれないように。
求めていた謎が解けたのは、情報を集め始めてから五年後か。
——彼は私を殺す為に、従者となったんだ。
これを知った時、私は大いに困った。
彼の望みが私の命であること自体はいい。
だが私が殺されたら、彼は処罰され死んでしまう。
私に心の支えを与えてくれた恩人を、死なせる訳にはいかない。
従者を辞めさせる?
いいや、ただ配属を変えてもきっと捨て駒にされる。寧ろ自ら鉄砲玉になることを選ぶだろう。
それだけ強い決意がなければ、憎くてたまらない筈の私の前で完璧な従者などこなせない。
上手いこと彼を死なせることなく復讐を達成させたとして、きっと彼は自死する。
彼は復讐の為だけに生きているんだ。それが終わった後は、生の未練をなくす。
死ぬまではいかなくとも、生きる理由がないままでは廃人となってしまう。
彼に生きたいと思わせるには、何が必要だろうか?
親友。趣味。伴侶。仕事。家族。故郷。
彼は、セルピナ公国を心から愛していた。
彼の他に公国の人間が生き残っていれば、生きる気持ちが湧いてこないか?
戦時中、ランテレス王国に密かに亡命した公国民は存在するという話だ。
見付け出せるだろうか。見付け出せたとして、彼と会ってくれるだろうか。
彼と生きてくれるだろうか。
そんなある日、広場で大道芸を見かけた。
そして厚い化粧に赤毛のカツラを被っている道化師が、目に付いた。
まさか。
彼は、公子ノエルじゃないか?
セルピナ公国の象徴。
居ても立っても居られなくなって、すぐに会いに行った。王太子だとバレないよう変装をして、宮廷道化師に興味がないかとまずは話を持ちかけてみよう。
何度かやり取りを続け、ノエル公子と彼と会わせることができたなら——
◇
「おや、目が覚めたかね?」
薄く開いた視界に、見慣れない木目が映る。薄暗く、薬草の臭いに包まれた、知らない場所。
背中から感じるのは少々固い布団の感触だ。どうやらベッドに寝かされているらしい。加えて腕に繋げられた点滴から、自分は介抱されていたのだと察せられる。
「いやしかし、君は運がいい。初期対応が非常によかった」
だが聞こえてくる声は知っている。ハイドリヒ教授だ。
ここは彼の管理する場所なのだろう。
「完璧な配合の解毒剤が投与されたのだからね。僕の仕事は経過観察をする程度だったよ。だが恐らく、後遺症も残らない。僕は医者ではないが、医学自体は修めているからね。この点は信用してくれたまえ」
彼はそのまま「お陰で僕まで引っ張りだこさ、何せ医者が足りないからね」と愚痴をこぼしている。
死者との戦争で王都中が血に濡れたのだ、死傷者がどれだけ出たのか。期待通りの成果でなかったとはいえ、被害は甚大だ。中途半端に社会性を保てている分、医者やそれに準ずる技能を持つ錬金術師は大忙しだろう。
「あぁ、そうだ。君が目覚めたら呼ばなければいけない人がいたのだった。少し待っていてくれたまえ」
そういうと、ハイドリヒ教授はぱたぱたと足音を立てながらこの場から離れていく。
「やぁ、ノエル公子。起きているんだろう?」
真横から声を掛けられて、ノエルはようやく両の目を大きく開眼させる。
そしてゆっくりと顔を横に動かし、先程までハイドリヒ教授に声を掛けられていた人物——隣のベッドに横たわる金髪碧眼のリ青年、チャードに視線を向けた。リチャードは少しやつれ、青白い顔をしているが不敵に微笑んでいる。
ノエルは眉間にシワを寄せた。
「……どうして体を入れ替えた」
毒に侵されていない、健全な体に戻ったことを自覚しながら。
「私が元の体に戻って何が悪い?」
「死にかけの体だったんだぞ」
「それでも私の体だろう? それに生きているんだ、それでいいじゃないか」
結果論だ。ノエルは心の中で毒づく。
二人して今の今まで眠っていたのは、魂の入れ替えによる反動だろう。長らく、別の体に入っていたのだ、元の体と言えど馴染むのに時間を要する。
「……正直。貴方が私の立場を欲していたのなら、体を譲り渡してもよかった」
リチャードは言う。
「それでジョセフが生きてくれるのなら」
ずっと側に置き続けた従者を、思い浮かべながら。
「酷い男だろう。王国よりも民よりも、何なら婚約者よりも、私は」
「……いや、私はそうは思わないな、風邪っぴき坊や」
ノエルの口からあだ名が出た直後、リチャードは顔を赤くして勢いよく起き上がった。
滅多にない動揺した姿。ふっと、ノエルは笑みをこぼす。
「ノエル。その話、彼には……!」
「そんな野暮な男ではないよ、私も」
風邪っぴき坊や。
それは十年前、セルピナ公国の首都でリチャードがノエルにつけられたあだ名であった。その時のリチャードが、風邪を患っていたことに起因する。
王太后と共にセルピナ公国へ訪問した幼いリチャードは、体調が万全ではないことを必死に隠していた。実の母にさえ。
けれど彼の不調を見抜いたノエルは、親睦を深めるという名目で大人たちの集まりから抜け出し、自室のベッドでリチャードを休ませたのだ。
そしてその時、寝物語代わりにセルピナ公国の文化を聞かせた。
——森の湖には精霊が住み着いていて、癒しの加護を司っている。
——その畔に暮らす司祭は、癒しの加護を借りられるのだ、と。
ひと眠りして熱が下がったら行ってみようか、というつもりで話したそれを、リチャードはすぐに実行した。ノエルが水を取りに部屋を離れている隙に、顔を隠せるローブを拝借し、たった一人で森へ向かってしまったのだ。
そして湖の畔で、リチャードは『妖精』と出会った。
「……あの時の私は色々と幼過ぎて、迷惑をかけてしまったな」
「全くだ。当時の私は賓客が行方不明になったと、どれだけ肝が冷えたか」
「すまない。けれど、後悔はしていない」
妖精に贈られた言葉と、お守りの羽で、リチャードは今日まで生きてこられたのだから。
「結局、私はまた彼に救われてしまったな。心の次は、体を」
精霊の加護を借りられる、湖の司祭。その司祭の子供こそが、ジョセフであった。
——精霊の加護として伝わっているものの、実際には司祭の血に受け継がれる固有魔術が癒しの正体だ。
湖の存在はフェイクで、妖精が暮らす美しい場所というだけ。司祭を利用されない為の隠れ蓑。
いかなる傷も病も、毒さえも癒してしまう究極の治癒魔術。
それを高塔で発動させたことによって、リチャードとノエルは生き延びることができた。
「これで、レギオンを公表できる」
今度はノエルが起き上がる番であった。
「リチャード、そんなことをすれば」
「王位撤廃を求める声があがるだろう。危険すぎる力だ。封印する為にも王家の解体は必須だと、誰もが考える。特に王都にいた者達は、その恐ろしさを目の当たりにしたのだからな」
王国内だけならば揉み消せたかもしれないが、諸外国から招いた王侯貴族が黙っている筈がない。
ここであの惨劇は王家レイヴンズクロフトの血が宿す禁忌と知れ渡れば、その条件が王になることだと判明すれば、権威は失墜の道を辿る。
「王家という礎を失えば、他の貴族が統治者として台頭するか、他国に吸収されるか、縮小するか、はたまた滅ぶか——。どう転ぶか私にもわからない。だが、我が民は優秀だ。何年かかろうとも、いずれ自力で国を回せるようになるだろうよ」
「……君はそれでいいのか? 全てを、命さえ手放すことになる可能性が……」
処刑されるか、よくても追放だ。
そこに輝かしい未来は存在しない。
「いいんだ」
だがリチャードはどこか晴れやかな顔を浮かべていた。
「元より歪な王国だったんだ。私の代で、終わりとする」
ランテレス王国はレギオンを用いて大きくなった。広大な領土も、王家の権威も、諸侯を従えるだけの力も。
華やかな王国の下には夥しい数の屍が積み上がっている。先王が王の器として相応しくないとされながらも周囲の者達がすり寄っていたのは、粛清によって配下とされることを恐れてだ。
不均等な力関係。今回の反乱がなくとも、遠からず滅んでいたに違いない。
「養生中は静かに過ごしたいからと、ハイドリヒ教授に無理を言ってこの王立研究所に身を置いていたが……。私の身は今後、公爵家の預かりとなるだろうな。さて、お前はどうする?」
リチャードに問われ、答えに詰まるノエル。
復讐は失敗したものの、王家は形を保てなくなり、王国は動乱の世が始まる。これ以上、介入する理由も手段もなくなる。
「……死ぬつもりだったんだ。今後のことなど……」
「では彼と共に、考えればいいさ」
リチャードがそう言ったと同時に、慌ただしい足音と共に、命を繋げてくれた人物が部屋に入ってきた。
「ノエルさま!」
安堵を孕んだ笑みを浮かべた、ジョセフ。
「お目覚めになって、本当によかったです……!」
彼は一目散にノエルへ駆け寄ると、声を震わせながらノエルの無事を心から喜んだ。
「……お前も起きていたのか。もっと寝ていてもよかったものを」
反対に、リチャードには冷ややかな目を向けている。
「まぁ、ノエルさまの体を元に戻したのは感謝してやらなくもないが、そもそもお前が最初から俺にスウィッチの詠唱を教えていればだな」
「教えたらノータイムで使うのが目に見えていたからな。魔法陣を書き込むところまでやっていた辺り、正解だったようだ。はっはっはっ」
「リチャードお前……っ!」
そのまま軽口の応酬を始めてしまう二人。
ノエルの記憶に残る、ジョセフとリチャードの今までと相違ない光景だ。王太子と従者という肩書きがなくなろうとも消えない、積み上げてきた十年間がそこにあるようで。
微笑ましく、そして少し、羨ましい。
ノエルはふっと力の抜けた笑みを浮かべる。
「一つ、私の話を聞いてくれないか? ジョセフ……いや、ルネ」
ルネ。
それは『復活』を意味するルネサンスを由来とする名前。
ジョセフの、本当の名。
「何なりと」
名を呼ばれたルネは穏やかに微笑み、胸に手を当て、うやうやしく頭を下げたのだった。




