第一話 クライマックスの行方
演説を終え、伝達を切った直後。
リチャードは大鏡の前でへたり込み、肩を激しく上下させた。大量の魔力によって、力が抜けてしまったのだ。勿論、一人分の魔力だけで各所の鏡を乗っ取ることなどできない。
これは保有魔力が豊富なソフィアの補助によって実現した、力技である。
「お疲れ様です、リチャード殿下」
「ありがとう、ソフィア。混乱は多少、解消できたかもしれないが、これではスウィッチを使う分の魔力が残っていないな」
「では、宝剣を奪いましょう」
リチャードの背中を摩りながら、ソフィアは悪戯っぽく微笑む。
「元々、貴方の物なのですから」
「……相変わらず勝ち気だな、ソフィア」
「誰かさんに似てしまったんですよ」
顔を合わせるのが久し振りでも、姿が他人となってしまっても、ソフィアは変わらず接してくれている。
ふっと、リチャードは肩の力が抜けた。
「さて……。体が動くようになるまでの間、次の行動を考えなくてはな。ノエルは一体、どこに行ってしまったのか……」
考察を始めた時、割れた窓の外で、何かが下から上へ移動したのが見えた。
「……ん? 何だ?」
「鳥、ですかね?」
一瞬の出来事に、二人は首を傾げる。
ややあって見えたのは、ひらひらと優雅に飛ぶ、紫色の蝶だけであった。
◇
「混乱が、解消されたか……」
高塔の上にて。
反乱軍だけでなく騎士団も体制を立て直したのを見て、みしりと、柵を掴むノエルの手に力が籠る。
セルピナ公国が滅んだ時は、こんなものではなかった。騎士も貴族も平民も、老いも若きも何もかも関係なく、命が燃やされていっていた。
「殺してくれ、亡者達よ。もっと、もっと、もっと……。私の命を使い潰し、現世に地獄を顕現してくれ……!」
悲痛な叫び。
それに呼応するように、死者の軍勢は力を強める。不死身たる泥人形で、人々を追い詰めていく。
その光景は、花畑を濁流で押し流しているかのようで。
ノエルの溜飲が、少しばかり下がった。
——ひらり。
その時、顔の横で紫色の蝶が舞った。羽に目玉模様がある、変わった蝶だ。
こんな高所にどうやって登ってきたのかと、ノエルはその蝶を注視していると——蝶ではなく、魔力の塊であることに気付いた。
「あ〜。王子サマ見っけ」
同時に鼓膜を揺らす、気の抜けた声。
「ここに居たんだねぇ。探したよぅ」
ふよふよと、暗雲を突き抜けてクッションが迫り上がってくる。
その上で胡座をかいているのは魔塔の主、ミゲルだ。彼の後ろにはジョセフもいる。
「ノエルさま……!」
切羽詰まった表情を浮かべながら、ジョセフは叫んだ。
すっと、ノエルは頭が冷えていく感覚を覚えた。
「……残念だよ。君を、失いたくなかったんだが……」
ここにきても邪魔をするのならば、ジョセフだろうと始末する。
カンッ! ノエルは宝剣の切っ先を石畳に突き立てた。
次の瞬間、足元からぼこぼこと泥が溢れ出す。石板を押し上げ、割れ目から現れたのは無数の死者。泥に塗れた体が次々と這い上がり、縋りつくように重なり合っていく。その様は、巨大な芋虫の群れにも似ていた。
やがて高塔の床を埋め尽くすほどの塊となった死者達が、一斉に腕を伸ばす。
無数の指が、ジョセフとミゲルへ迫った。
「えい」
だがそこで、ミゲルは杖を一振り。
直後、ゴウッと紫色の炎が渦を巻いて噴き上がり、迫り来る死者の塊を瞬く間に包み込んだ。
炎の中でもがき、無数の腕が宙を掻く死者達。しかし、紫炎はそれらを一切寄せ付けない。
「ミゲルっ! 炎ではノエルさまの身にも危険が及ぶだろう!?」
「えー。これが手っ取り早いんだけどなぁ」
ジョセフに叱責されたミゲルは「じゃあこれで」と呟きながら再度、杖を振る。
すると今度は杖先から小さな水の球が噴出され、死者の塊に着弾。そして少しの間を置き——内側から、空気を入れ過ぎた風船のように、破裂した。
ばらばらになった泥の体が、高塔から落ちていく。
「……はははっ!」
若くして魔塔の主に登り詰めた天才魔術師に相応しい、圧倒的な力量差。彼が杖を持つ限り、文字通り、指一本触れられやしない。
ノエルは乾いた笑い声をあげた。
「結局、私は一人だったんだね」
よろめくような動きで、ノエルは後ろに下がる。一歩、また一歩。背中が、冷たい石柱に触れるまで。
その瞳に、深い絶望を映して。
「これで終わるのならば、あの時……父上達と共に、私も死ねば……」
「そんなこと言わないでください!!」
そこでがしりと、両肩を掴まれた。
いつの間にかジョセフが目の前にいて、ノエルの肩を掴んでいる。
「ノエルさま。……俺と、体を交換いたしましょう」
次いで彼は左の手の平をノエルの前で掲げた。そこには魔法陣が刻まれている。
魂を入れ替える禁忌の魔術——スウィッチの、魔法陣だ。
「最初からこうすれば、よかったのです」
声を震わせながらも、ジョセフは言葉を紡ぐ。
「けれど俺は、貴方に拒絶されることが怖くて……言い出せませんでした」
ノエルは何も言わない。
空には未だ、ミゲルが浮かんでいる。彼は禁術の使用を止める気はないらしく、二人をただ静観している。
「そうでなくとも、もっと言葉を、本心を、伝えていれば……。貴方の心を、一人にさせることはなかった」
ぽたり、と。
俯いたジョセフの頬から、雫が落ちた。
「申し訳ありません、ノエルさま。子供なんです、俺は……。貴方を通して公国を偲びたい、身勝手な……」
「いいや。君は立派に暗殺者を務め上げたよ」
そっと、ノエルはジョセフの左手に手を重ねる。穏やかな笑みを浮かべて。
それを見てジョセフは表情を明るくした。安堵が胸に落ちた。
しかし、
「これは、紛れもない君の手柄だ」
ノエルの手はすぐに離れてしまう。
ジョセフのシャツの裾にあった、カフスボタンを持って。
さっとジョセフの血の気が引く。あれは、あの針には——
自決用の、毒が。
「おやすみ」
幸福そうに目を細め、ノエルはカフスボタンの針を、舌先に突き刺した。
直後、彼の体から力が抜け、後ろに倒れ込む。頭を打たないよう咄嗟に受け止めたものの、ノエルの意識は既に混濁している。
「ノエルさま? ノエルさま! ノエルさま!!」
石床の上に横たわらせ、必死に呼び掛けても返事はなく。
徐々に冷たくなっていく体温だけが、明確に伝わっていく。
「ぁあああっ!」
悲痛な叫びが高塔から響き渡る。
呼応するように、王城に纏わりついていた暗雲が晴れていった。それに伴いレギオンの効果も切れ、泥人形の死者は崩れ、水のように溶けていき、地面に大きなシミを作った。
その上には、青白く発光する人型——死者の魂が立っていた。
実体を持たず、レギオンに侵されてもいないそれに攻撃性はなく、ただ佇むのみ。
「ママ? ママぁっ!」
王城の外、街の中では、女の子がカトリーヌ侯爵令嬢の腕をすり抜け、体が透けている母へ駆け寄った。母親は女の子に触れられない。喋ることもできない。悲し気に笑って、形だけ彼女の頭を撫でた。そしてカトリーヌ侯爵令嬢に深く頭を下げる。
それには感謝と、女の子を託す願いを込められていることがわかった。
現れた魂は彼女だけでなく。
ガビンズ伯爵の隣では、十年前に亡くなった愛娘が微笑んでいた。ガビンズ伯爵の持つ煙管を指さし、どこか誇らしげにしている。
目を見開き、唖然としているガビンズ伯爵の前で、彼女は口を大きく動かした。喋れなくとも、言葉を伝えられるように。
「お前……」
口の動きを読み取ったガビンズ伯爵は、溢れる思いを胸に押し留め、片手で顔を覆い隠す。
「そうか。そうか……」
涙を一つ、目尻から零しながら。
◇
「リチャードは死んだのか?」
大聖堂から天高く伸びる鐘楼の中で、マーガレット公爵夫人は王都を見下ろしながら言う。
泥人形の死者は崩れ、次々と消えていっている。これによって、復讐を達成する最大の障害は消え去った。
だが、これまでの戦闘によって反乱軍の数は大きく減り、疲弊もしている。本懐たるランテレス王国滅亡をなせるほどの余力はない。
(立て直すのは、無理だろうな。反乱軍の存在は公となった。逃れる術はない)
反乱軍は体勢を持ち直した騎士団に捕らえられ、いずれ首謀者であるマーガレット公爵夫人へ辿り着くだろう。
その先で待つのは幽閉か、極刑か。
すっと、彼女は懐から短剣を取り出し、流れるような動きで刃先を喉元に当てる。
そのまま深く突き刺そうとして——止めた。
「……お前達」
かつて戦場で命を散らした夫と息子の魂が、目の前に浮かんでいたから。
悲し気な表情を浮かべながらも、夫は口を動かす。息子はマーガレット公爵夫人の手に青白い手を重ね、直接触れられない身で必死に止めようとしている。
「……私にまだ、生きろと言うのか」
こちらに来るのはまだ早い、とでも言いたげな二人に、彼女は力なく腕をおろした。
「わかった。私は復讐を果たせなかった責任を、取らねばならない。そしてこの王国が積み重ねてきた愚行を、詳らかに伝えるとしよう——」
◇
「ぅ、ううぅ、ううう……っ!」
涙で視界が歪み、目の前の景色がぼやける。
ミゲルは治療ができる者を呼びにどこかへ飛んで行った。この場にはジョセフしかいない。
一人だ。
一人で、死にゆくノエルをただ見ているしかできない。死にゆく母の顔を見るしかできなかった、あの時のように。
「母、さま……」
消え入りそうな声で、愛しき母に縋る。
その時、涙で濡れる頬に誰かが触れた。それは青白く光る、母だった。
「……母さま?」
幻覚だろうか。ジョセフは現実味のない光景を前に目を瞬かせる。
母は優しく微笑んで、石床に転がるティアラを指さした。セルピナ公国の秘宝、ラピスラズリが嵌め込まれたそれを。これを持って祈りなさいと、所作で伝えてくる。
言われるがまま、ジョセフはティアラを手に持った。その時、妖精の羽も冠の端に飾られていることに気付く。
(……? どうしてここに、羽があるのだろう……)
そんなことをぼんやりと考えながら、ジョセフはティアラを胸に、目を瞑って祈りを捧げた。
辺りが、柔らかな光に包まれていく——




