第四話 レギオン
風が止んだ。
それに伴い歓声も、騒めきも、水を打ったかのように静まり返り、人々はただ一点を見詰めている。
暗雲に包まれていく、王城。
それに伴い黒く染まっていくそれは、見る者に不気味な印象を抱かせ、不吉な予兆を感じさせる。
——ごぼり。
緊張が高まり切ったその時、王城の床下から、何かが湧き出した。
「……え?」
それに気付いた近衛兵の一人が、恐る恐る視線を下に向ける。
石畳の隙間から、真っ黒なヘドロに似た何かが滲み出ている。
それはみるみるうちに膨れ上がり、石畳を押し上げる。とうとう耐え切れなくなった床が、べきりと音を立てて砕けた。
そこから這い出してきたのは——人間だった。
否。
人間の形をしただけの、泥人形。だがその中には、かつてこの世に生を受けた人間の魂が宿っている。
不完全な蘇生というべき、禁術。
一人や二人ではない。十人。百人。千人。
次々と地の底から這い上がってくる。
それはもう、魔術などという規模ではなかった。
王国が積み重ねてきた罪、そのものだった。
「ひっ……!」
近衛兵が後退する。しかし、死者は背後にもいた。
囲まれている。
「うわぁああっ!」
恐怖に飲まれた近衛兵の一人が、がむしゃらに剣を振るった。
べちゃりと、妙な手応えと共に死者の首が落ちる。
だが所詮は泥の体、首などあってもなくとも関係なく、それは動き続けた。
剣を構える近衛兵へ向け手を伸ばし、腕を掴めば他の死者も真似をするように肩を掴み、足を掴み、首を掴み。
最後には顔を掴み、そして——四方へ引き千切る。
血の雨が、エントランスに降り注いだ。
半狂乱に陥った悲鳴が城内に響き渡る。
その声に反応してか、死者達が体の向きを一斉に変えた。間もなくして、真っ赤な噴水が噴き上がる。次から次へ、絶えず赤は溢れて、床を、壁を、天井を、真っ赤に染め上げた。
「な、な、何、あれ……」
「チリーノ、静かに……!」
その惨劇を目の当たりにしたチリーノとサイラスは、共に円柱の陰で息を押し殺す。
二人は学友であったリチャードを華々しく送り出そうと、ツテを使いエントランスで待機していた。
新品の騎士服に身を包むサイラスを「服に着られている」と笑ったことも、文官の制服を着たチリーノを「サイズが合っていない」と指摘したことも、遠い昔の話のようで。
それだけ現実離れした光景が、目の前に広がっている。
「ど、ど、どうしよう……!?」
「落ち着け。あいつら音に反応するみたいだ。黙っていれば多分、やり過ごせる」
小さな声でやり取りをし、身を潜める二人。
だがチリーノは狼狽したまま、
「こ、このままじゃ王子さまっ、危ないんじゃ……!」
リチャードの身を案じた。
「チリーノ、それどころじゃないってわかるか?」
「で、でもっ! 心配だよ、僕……っ! ……友達、だから」
今にも泣き出しそうな顔をして、チリーノは言う。
ぐっと、サイラスは唇を噛み締めた。
「……坊ちゃんにはジョセフがいるから大丈夫だろうが、多勢に無勢じゃ流石に厳しいか」
「そうだよ、きっとそう……! ……あの二人、人に頼ること、知らないみたいだしさ」
チリーノは震える手で杖を取り出す。彼の覚悟は決まっていた。
それを受けて、サイラスは一つ大きく深呼吸をする。
「……よし、突っ切るぞ!」
「うんっ!」
◇
大地という大地から、死者が立ち上がっていた。
城内から。城外から。街中から。
数えることすら馬鹿らしくなるほどの数多の亡者が、軍隊のように列をなしていく。
旗を掲げる者もいない。鎧を鳴らす者もいない。
それらはただ、規則的に足音を立て——目に付いた生者を、蹂躙する。
「ママ、ママァッ!」
街道の隅。
四肢をもがれ、肉塊と化した母に子供が縋っている。おろしたてのワンピースが赤く染まるのも厭わず、必死に呼びかけ続けている。
その子供にも、死者の手は容赦なく迫り——
「駄目っ!」
死者に襲われる直前、子供を抱き上げ、引き離したのは華美なドレスに身を包んだカトリーヌ侯爵令嬢であった。
泣き叫ぶ子供を宥めつつ、彼女は必死に走って馬車へ逃げ込み、御者に命じる。
「出して頂戴っ!」
「しかしお嬢さま、逃げるにしてもどこへ……!」
「大聖堂よ! この事態を、国王陛下に知らせなくっちゃ……っ!」
正式な戴冠式は完了していない。現国王陛下は依然としてリチャードの祖父だ。故に彼の威光を広め、国民の認識を正しく改めれば、レギオンの効力は切れるはず。
そう考えたカトリーヌ侯爵令嬢は、はやる気持ちを抑えながら到着を待つ。だがその途中、馬車は激しく揺れ、彼女は子供ごと外へ投げ出されてしまった。
「きゃあっ!」
何とか子供を庇いつつ、街道を転がるカトリーヌ侯爵令嬢。見上げれば、辺りに死者の軍勢が集っている。
べちゃり、べちゃりと泥を滴り落としながら、一歩一歩迫って来ている。
カトリーヌ侯爵令嬢はぎゅっと子供を抱きしめながら、死者の群れを睨み付けた。その体は震えている。
だが不意に、死者の一人が吹き飛んだ。
突き飛ばされたのだ、ステッキを用いた棒術によって。
それは泥の体だろうと、手足を千切り顎を砕き、行動不能とする。
そうして道を作った人物は、震えるカトリーヌ侯爵令嬢のもとへ真っ直ぐ歩み寄った。
「こんな場所で如何しましたか、レディ」
その人物——ガビンズ伯爵はカトリーヌ侯爵令嬢に手を伸ばす。
「逃げるのなら教会がいいでしょう。亡者は近付けない」
「……に、逃げている場合ではないわ」
堪え切れずぼろぼろと涙をこぼしながら、カトリーヌ侯爵令嬢は言う。
「成り行きを知っている私が、動かなくてどうするのよ」
この事態はリチャードと入れ替わったノエルが、レギオンを発動させたことによるものだと、彼女は知っている。
「じゃないと皆、死んでしまうわ……」
自分にはそれを伝える義務があるのだと、自負している。
そんな彼女に、ガビンズ伯爵の亡くなった愛娘が、重なって見える。
「……。そうですか」
そこでふと、ガビンズ伯爵は煙管を取り出した。
「では、狼煙をあげましょう」
火皿に何も入れないまま、彼はそれに口を付け、フーッと、深く息を吐く。
すると紫色の煙が立ち、天高く昇っていく。
間もなくして、城内から。城外から。街中から。
鬨の声が、上がった。




