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王太子が偽物と入れ替わっていることに、俺だけが気付いている  作者: 天海二色
第七章 戴冠式と戦火

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第四話 レギオン

 風が止んだ。

 それに伴い歓声も、騒めきも、水を打ったかのように静まり返り、人々はただ一点を見詰めている。

 暗雲に包まれていく、王城。

 それに伴い黒く染まっていくそれは、見る者に不気味な印象を抱かせ、不吉な予兆を感じさせる。

 ——ごぼり。

 緊張が高まり切ったその時、王城の床下から、何かが湧き出した。


「……え?」


 それに気付いた近衛兵の一人が、恐る恐る視線を下に向ける。

 石畳の隙間から、真っ黒なヘドロに似た何かが滲み出ている。

 それはみるみるうちに膨れ上がり、石畳を押し上げる。とうとう耐え切れなくなった床が、べきりと音を立てて砕けた。

 そこから這い出してきたのは——人間だった。

 否。

 人間の形をしただけの、泥人形。だがその中には、かつてこの世に生を受けた人間の魂が宿っている。

 不完全な蘇生というべき、禁術。

 一人や二人ではない。十人。百人。千人。

 次々と地の底から這い上がってくる。


 それはもう、魔術などという規模ではなかった。

 王国が積み重ねてきた罪、そのものだった。


「ひっ……!」


 近衛兵が後退する。しかし、死者は背後にもいた。

 囲まれている。


「うわぁああっ!」


 恐怖に飲まれた近衛兵の一人が、がむしゃらに剣を振るった。

 べちゃりと、妙な手応えと共に死者の首が落ちる。

 だが所詮は泥の体、首などあってもなくとも関係なく、それは動き続けた。

 剣を構える近衛兵へ向け手を伸ばし、腕を掴めば他の死者も真似をするように肩を掴み、足を掴み、首を掴み。

 最後には顔を掴み、そして——四方へ引き千切る。

 血の雨が、エントランスに降り注いだ。


 半狂乱に陥った悲鳴が城内に響き渡る。

 その声に反応してか、死者達が体の向きを一斉に変えた。間もなくして、真っ赤な噴水が噴き上がる。次から次へ、絶えず赤は溢れて、床を、壁を、天井を、真っ赤に染め上げた。


「な、な、何、あれ……」

「チリーノ、静かに……!」


 その惨劇を目の当たりにしたチリーノとサイラスは、共に円柱の陰で息を押し殺す。

 二人は学友であったリチャードを華々しく送り出そうと、ツテを使いエントランスで待機していた。

 新品の騎士服に身を包むサイラスを「服に着られている」と笑ったことも、文官の制服を着たチリーノを「サイズが合っていない」と指摘したことも、遠い昔の話のようで。

 それだけ現実離れした光景が、目の前に広がっている。


「ど、ど、どうしよう……!?」

「落ち着け。あいつら音に反応するみたいだ。黙っていれば多分、やり過ごせる」


 小さな声でやり取りをし、身を潜める二人。

 だがチリーノは狼狽したまま、


「こ、このままじゃ王子さまっ、危ないんじゃ……!」


 リチャードの身を案じた。


「チリーノ、それどころじゃないってわかるか?」

「で、でもっ! 心配だよ、僕……っ! ……友達、だから」


 今にも泣き出しそうな顔をして、チリーノは言う。

 ぐっと、サイラスは唇を噛み締めた。


「……坊ちゃんにはジョセフがいるから大丈夫だろうが、多勢に無勢じゃ流石に厳しいか」

「そうだよ、きっとそう……! ……あの二人、人に頼ること、知らないみたいだしさ」


 チリーノは震える手で杖を取り出す。彼の覚悟は決まっていた。

 それを受けて、サイラスは一つ大きく深呼吸をする。


「……よし、突っ切るぞ!」

「うんっ!」


 ◇


 大地という大地から、死者が立ち上がっていた。

 城内から。城外から。街中から。

 数えることすら馬鹿らしくなるほどの数多の亡者が、軍隊のように列をなしていく。

 旗を掲げる者もいない。鎧を鳴らす者もいない。

 それらはただ、規則的に足音を立て——目に付いた生者を、蹂躙する。

 

「ママ、ママァッ!」


 街道の隅。

 四肢をもがれ、肉塊と化した母に子供が縋っている。おろしたてのワンピースが赤く染まるのも厭わず、必死に呼びかけ続けている。

 その子供にも、死者の手は容赦なく迫り——


「駄目っ!」


 死者に襲われる直前、子供を抱き上げ、引き離したのは華美なドレスに身を包んだカトリーヌ侯爵令嬢であった。

 泣き叫ぶ子供を宥めつつ、彼女は必死に走って馬車へ逃げ込み、御者に命じる。


「出して頂戴っ!」

「しかしお嬢さま、逃げるにしてもどこへ……!」

「大聖堂よ! この事態を、国王陛下に知らせなくっちゃ……っ!」


 正式な戴冠式は完了していない。現国王陛下は依然としてリチャードの祖父だ。故に彼の威光を広め、国民の認識を正しく改めれば、レギオンの効力は切れるはず。

 そう考えたカトリーヌ侯爵令嬢は、はやる気持ちを抑えながら到着を待つ。だがその途中、馬車は激しく揺れ、彼女は子供ごと外へ投げ出されてしまった。


「きゃあっ!」


 何とか子供を庇いつつ、街道を転がるカトリーヌ侯爵令嬢。見上げれば、辺りに死者の軍勢が集っている。

 べちゃり、べちゃりと泥を滴り落としながら、一歩一歩迫って来ている。

 カトリーヌ侯爵令嬢はぎゅっと子供を抱きしめながら、死者の群れを睨み付けた。その体は震えている。

 だが不意に、死者の一人が吹き飛んだ。

 突き飛ばされたのだ、ステッキを用いた棒術によって。

 それは泥の体だろうと、手足を千切り顎を砕き、行動不能とする。

 そうして道を作った人物は、震えるカトリーヌ侯爵令嬢のもとへ真っ直ぐ歩み寄った。


「こんな場所で如何しましたか、レディ」


 その人物——ガビンズ伯爵はカトリーヌ侯爵令嬢に手を伸ばす。


「逃げるのなら教会がいいでしょう。亡者は近付けない」

「……に、逃げている場合ではないわ」


 堪え切れずぼろぼろと涙をこぼしながら、カトリーヌ侯爵令嬢は言う。


「成り行きを知っている私が、動かなくてどうするのよ」


 この事態はリチャードと入れ替わったノエルが、レギオンを発動させたことによるものだと、彼女は知っている。


「じゃないと皆、死んでしまうわ……」


 自分にはそれを伝える義務があるのだと、自負している。

 そんな彼女に、ガビンズ伯爵の亡くなった愛娘が、重なって見える。


「……。そうですか」


 そこでふと、ガビンズ伯爵は煙管(キセル)を取り出した。


「では、狼煙をあげましょう」


 火皿に何も入れないまま、彼はそれに口を付け、フーッと、深く息を吐く。

 すると紫色の煙が立ち、天高く昇っていく。


 間もなくして、城内から。城外から。街中から。

 鬨の声が、上がった。






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