第二話 王太子と公子
王として装束を仕上げたノエルが、大鏡の前で柔らかく微笑んでいる。
威風堂々たる風格と気品は、王国を背負う者として相応しい出で立ち。
本来ならば、その才覚はセルピナ公国で発揮されただろうに。
喜びと口惜しさが綯い交ぜとなった心境を抱きつつ、ジョセフは化粧室へ足を踏み入れる。
「ノエルさま。衣装の準備、お疲れ様でした」
「私は何もしていないがな。飾り付けたのは侍女たちだ」
「しかし、立ったまま動かないのも疲れることでしょう。それもこれ以降、衣装が崩れないよう気を遣わなくてはいけない」
話しながら、ジョセフは手に持っていたトレイをテーブルへ置いた。
その上には水差しとコップが並ぶ。ジョセフは流れるような所作でコップに水を注ぐと、ノエルに差し出す。
ノエルは無言でそれを受け取り、一口分、乾いた喉へ流した。
「それで、お疲れのところ申し訳ないのですが……。一つ、ノエルさまにお願いがあります」
「何だい?」
「ゲストに、お会いして頂きたいのです」
そこでノックもなしに扉が開かれる。
現れたのは、近衛兵の衣装に身を包んだ瑠璃色の髪をした男性。
——リチャードだ。
「……っ!」
久し振りに見る己の体を前に、ノエルは目を見開く。
「……警備を潜り抜けてやって来るとはね」
堂々と現れたリチャードに警戒しつつ、ノエルはサイドテーブルへさり気なく手を伸ばし、呼び鈴を手にしようとする。
「残念ながら誰も来ないぞ」
だがノエルの思惑は、リチャードの発言で潰された。
「この階層の人間は人払いを済ませた上に、部屋には防音魔術もかけたからな」
バタン
扉が重々しく閉まる。作り上げられた密室に、ノエルは険しい表情を浮かべた。
戴冠式当日というこの大事な日に、警備が引き下がる訳がない。音もなく片したか、薬か何かで眠らせてしまったか。何にせよ孤立無援の状態だと考えた方がいいだろう。
孤立無援など、ノエルにとってはいつものことだが。
「そう身構えないで欲しい、ノエル公子。私は貴方と、話がしたい」
リチャードは凛とした佇まいをして、真っ直ぐにノエルを見詰めている。
その瞳に敵意はない。気を引き締めてはいるものの、手は腰にある剣から離れていて、武力を使う気がないことをあからさまに示している。
「入れ替わりの件は極々、少数の者しか知らない。ここで解消できれば全て丸く収まる」
一歩。
リチャードは歩を進めて言う。
「そして私は貴方を保護したいと考えている。と言っても、貴国に侵略を行ったこの国では居心地が悪かろうと思ってな。サドバ帝国へ送る手も考えているんだが、どうだろうか?」
あくまで穏便に。人知れず。ノエルの意思も尊重したうえで、解決へ持ち込む。
王太子らしい交渉である。大胆ながら慎重。それでいてリチャード自身の願望が混じった、未熟さも見え隠れして。
ノエルの胸の内に、胸糞悪さが渦巻いた。
「ノエルさま」
ハッと、ノエルは我に返る。
いつの間にか、ジョセフが隣に立っていた。
「体を元に戻しましょう。俺は貴方に生きて欲しい」
その言葉に表裏はなく。
心の底から、ノエルの身を案じていることが伝わる。
そのままジョセフは囁くように言った。
「復讐は、俺が成し遂げます。……必ず」
リチャードには決して聞き取れない、非常に小さな声で。
ジョセフの瞳には殺気が宿っていて、嘘偽りがないことを訴えてくる。
だが、復讐を自身の手で成し遂げたい思いは、ノエルも同じだ。
「……ここまで来たんだ」
「えぇ。俺も同じ気持ちです」
「後戻りなんてできないんだ」
「そうでしょうね。しかし、引き金を引くのは貴方でなくていい」
ノエルの憎悪に理解を示したうえで、ジョセフはなおも引き下がらない。
「……俺程度の言葉では、貴方へ届かないでしょうか?」
ジョセフは悲しげに目を伏せた。
ノエルからすれば、ジョセフはただ一度、マフラーを渡しただけの子供だろう。
しかしジョセフからすれば、ノエルはセルピナ公国を温かく包んでいた、太陽の如き輝きを放つ尊き方。
これは一方的な忠誠心。信頼も情愛も紙よりも薄いことだろう。
「どうかお願いします、ノエルさま」
故にジョセフはひとえに頭を下げる。誠実に、実直に。少しでも思いが伝わるように。
それを受けたノエルは口を閉じたまま、暫し逡巡する素振りを見せる。
やがて彼は顔を上げ、リチャードへ歩み寄った。
「よくも我が民を籠絡してくれたな? リチャード」
「元より彼は私の従者だぞ? ノエル」
鏡を見るかのように、二人は眼前で己の体を見詰め合う。
そして和平を結ぶかのように、ノエルが右手を差し出し、それに応えるようリチャードも手を差し出した。
直後。
ノエルは左手で、腰に下げていた短剣を引き抜き、高く振り上げる。
標的は当然、リチャードだ。
「ノエルさま!」
ジョセフの切羽詰まった叫びなど意に介さず、短剣はリチャードの首を的確に狙う。
ガッ!
だが短剣はリチャードの手甲に弾かれ、肉を引き裂くことはなかった。
「ノエル、私が近衛兵の装備をしているのを忘れたか?」
「忘れていないさ。……重さもね!」
不意打ちを防がれることは想定内とでもいうかのように、ノエルは不敵な笑みを浮かべたままグッと姿勢を低くし、リチャードの右足を蹴り上げた。
義足たる右足は踏ん張りがきかず、それはあっさりと床から離れる。リチャードはバランスを失い、ぐらりと、後ろに倒れかけた。
そこに再び短剣が迫り来る。
「甘い!」
ガキンッ!
だが今度は長剣が刃先を防いだ。体勢が崩れた最中だろうと、リチャードは冷静に鞘から引き抜いたのだ。
その反動でノエルが仰け反った隙に、リチャードは床に剣を突き刺し支えとし、体勢を立て直す。そして剣はそのままに今度は鞘を引き抜くと、それを木刀代わりにノエルへ殴りかかった。
「私の体をよく使い熟しているね!」
「お褒め頂き光栄だ!」
短剣と鞘がぶつかり合う音が響く。
鞘は盾代わりにできるほどに頑丈で、短剣の刃を通さない。このままではリーチの違いから押されてしまうことを察したノエルは、飾りながら長物である腰の宝剣へ手を伸ばした——
ぐらり
その時、激しい眩暈がし、景色が揺れた。そして襲いかかる、強烈な眠気。
(っ、これは……!)
薬を盛られた。ノエルは理解する。
いつ。どこで。
考えるまでもない。今日、物を口にしたのは一度だけ。
ジョセフから渡された、よく冷えた水。
「……ジョセフ!」
霞む視界にジョセフを映し、ノエルは彼を怨嗟に満ちた目で睨み付ける。
事態を静観していたジョセフは、表情を固くし、両手を握り、祈るように佇んでいた。
(……そうか。これは、復讐の為でもあるのか)
ノエルは察する。
順当に入れ替わりを解消していれば、眠りの世界に旅立つのはリチャード本人。
暗殺をこなす絶好の機会を作れる。
これは裏切りでもあり、信頼でもあり、もしもの時の保険でもある。
ここに来て、先手を打たれてしまった。
(負けるのか、私は。ここに来て、こんな所で。彼を信じなかったばかりに。……いいや、いいや。果たしてみせるさ。やり遂げてみせるさ)
体から力が抜け、ノエルは片膝をつく。
リチャードは既に構えを解いていて、行動不能となったノエルを静かに見下ろしていた。
油断している。脇が甘い。
(だから、私に体を奪われるんだよ。リチャード王太子)
震える手で、ノエルは宝剣を引き抜く。振り上げる力はない。必要ない。
ただ己の足に、突き立てられたら、それで。
「ノエルさま!?」
深く剣が刺さった足から、どくどくと血が流れ落ちる。
顔を真っ青にしたジョセフが駆け寄ってきて、迷いなくマントを引き裂き、患部を止血しようとする。
ノエルはその手を払い、激痛が走り思考が霞むなか、指先で血を掬い、
真っ白な礼服をキャンバスとして——魔法陣を、描いた。
「——終わらぬ冬を、ここに」
パキンッ
直後。涼やかな音と共に、凍て付く氷が、辺りを覆う。




