第一話 戴冠式の朝
六月十五日、戴冠式当日の早朝。
王都の端にある、小さな教会の中。
「ここにおりましたか、マーガレット公爵夫人」
静寂に包まれていたそこへ、一人の訪問者が足を踏み入れる。
「何の用だ、ガビンズ伯爵」
訪問者——ガビンズ伯爵に対し、声を返したのは長椅子に腰を下ろしていた先客、マーガレット公爵夫人だ。
彼女はサンクチュリアで朝日を浴びる女神像を、微動だにせず眺めている。
「何度か、若人達が密談しているのを見かけまして。一応、報告をしておこうかと」
「それは計画に支障をきたすものか?」
「そこまではわかりません。ただその若人の中に、ジョセフとカトリーヌ公爵令嬢がいました」
話しながら、ガビンズ伯爵はマーガレット公爵夫人の腰掛ける長椅子まで歩を進めた。
「あの子が令嬢にうつつを抜かしていると?」
「ふっ。面白くないようで」
隣の長椅子へ腰を下ろし、ガビンズ伯爵は目を細める。
「色恋沙汰などどうでもいいが、今になって復讐を諦めたいのなら……私の見えない場所まで、消えてしまえばいい」
「それは駆け落ちを許すということで? 寛大ですね、夫人」
「ふざけているのか?」
「いいえ。その寛大な御心で、彼の勝手も見逃しているのだなと思っただけです」
リチャード(※の体に入ったノエル)が学園から離れ、王城から出ないようになってから三ヶ月。
その間、ジョセフは従者としてリチャードに仕えることもあれば、学生として学園に戻ることもあった。自分の代わりに学園生活を全うして欲しい、というリチャードの配慮を受けてのことである。それからジョセフはせめて学園の雰囲気を報告しようと、忙しなく往復をしていた。
その合間を縫って、彼が命令にない動きをしていることを、ガビンズ伯爵は把握していた。
「夫人も『影』を通して、知っているのでしょう? ジョセフが何やら、計画にない策を練っていること」
「あの子が何をしようとも、こちらに不利益がなければそれでいい」
マーガレット公爵夫人は切り捨てるように言う。
「私は奇跡を信じていない。あの子がしくじったとして、次策など幾らでも用意している」
「そうですか。その割には、ジョセフにばかり負担が偏っていたように思いますが」
「あの子を暗殺者にする為だ。それには生半可な技術は却って邪魔になる。故に私は徹底的に、厳しく指導をした」
幼いジョセフを拾ったその日から、復讐の怨嗟を聞いたその時から。
マーガレット公爵夫人は娯楽を禁じ、まともに余暇も与えず、訓練を繰り返した。
「……あの子はただの一度も、投げ出さなかった」
淡々と喋っているものの、彼女の声には僅かに悲しみが混じっている。
過酷な訓練など、齢十にも満たない子供が耐えられる訳がない。ジョセフは耐えたのではなく、何も感じなかっただけだ。
復讐に取り憑かれていたから。
「後悔していますか?」
「いいや」
だが復讐心がなければ、それを果たす術を欲していなければ、ジョセフはとうの昔に命を絶っていたことだろう。
復讐だけが、彼の生きる理由だった。
「必ずや王家の血を絶やす。その為ならば子供だろうと利用する。私の意思は変わらない」
「……承知しました、夫人。貴女の意思を尊重し、私も見守るとしましょう」
そこでガビンズ伯爵はスッと静かに立ち上がり、うやうやしく頭を下げた。
「しかし不思議なものですね。血の繋がりがないのに、ジョセフは貴女とよく似ている。不器用なところなど、そっくりだ」
「似ているから何だと言うんだ」
マーガレット公爵夫人は吐き捨てるように言う。
「この世のどこにも、代わりなど存在しない。我が子ならば尚更だ。それはお前も、身をもってわかっているだろう?」
「……えぇ」
棺の中で、石のように冷たくなった我が子。
自分よりも若い命を、助かる筈だった命を失った時の絶望を、その命を奪った王家への憎悪を、忘れたことなどない。
ガビンズ伯爵は顔を上げ、女神像を見上げた。
「早く冥府に渡りたいものですね、夫人」
◇
王都は花に溢れていた。
街中に飾られた生花に、笑い合う民、空を飾る花火。朝から酒を飲み、歌い、踊る人々もいる。
幸福に満ちた賑やかな空気に当てられ、警備兵でさえ笑みをこぼす。
王都に招かれた国中の貴族と他国の国賓は粛々と大聖堂へ集まり、ランテレス王国を統べる新たな国王陛下が現れるのを待ち侘びている。
国中、いや世界中に注目されている当の王太子は現在、王城の化粧室でその身を飾り付けていた。
肌を白くし、瞼に薄く赤色を乗せ、金髪を後ろに撫で付ける。
首から下は金糸刺繍がふんだんに入れられた宮廷服に身を包み、肩には真っ赤なベルベット生地のマントを羽織った。
「リチャード殿下、準備が整いました」
「あぁ。ご苦労、下がってくれ」
しずしずと頭を下げながら退室した侍女らを見届け、一人となったノエルは大鏡を眺める。
上から下まで国王に仕上がっている。そこに一分の隙もない。
国王陛下リチャード・レイヴンズクロフト。
そう名乗るに相応しい威厳と高潔。
(この体に、あの先王の血が流れているんだな)
ふっと、ノエルは鏡に映るリチャードへ向け嘲笑する。
次いでノエルは重いマントを引きずって窓辺に立った。いつになく華やかになった王都が一望できる。今日だけは貴族街から貧民街までお祭り騒ぎで、争いも貧困も感じさせない。
平穏そのもの。
(あぁ、もうすぐだ。もうすぐ——この王国は滅ぶ)
子々孫々、積み上げてきた死者の軍隊によって。
(長かった、長かったよ。シエル)
目を瞑れば浮かび上がる、滅びゆく祖国。
ノエルは従兄弟のシエルと共に、燃え盛る城から脱出して、国境を目指した。
殺されていく民の悲鳴を聞き、幾度、足を止めたかわからない。その度にシエルに叱責され、ノエルは走り続けた。
そうしてどうにか国境を越え、ランテレス王国の辺境に辿り着いた時。
シエルが、倒れた。
──兄さま、お願いがあります。
口から血を吐き、矢を受けた腹部から血を流し、既に虫の息であった彼は、兄のように慕うノエルに願った。
——僕のふりをして……生きて、ください。
間もなく、シエルは息を引き取った。
ノエルは泣きながら、シエルと衣服を交換し——彼の顔を、焼いた。
年の近い従兄弟なだけあり、二人は背格好が似ている。顔だけ誤魔化せば、入れ替わりが可能だった。
——う、ぅ、うううう……っ!
涙で目の前がぼやけるなか、ノエルは必死に足を動かした。シエルの遺言を叶える為に。
しかしその足も、道半ばで失うことになった。
城から脱出する際に負った火傷によって、感染症を発生。壊死をしだしたのだ。
特に右足の状態は酷く、まともな治療環境もない中では——切断するしか、なかった。
自らの手で切り落とし、傷口を炎で塞いで、ノエルは満身創痍で敵国の中を彷徨った。
その最中、公女たる姉が斬首されたことを耳にしながら。
片足が欠けていては、まともに動くこともままならない。
物乞いをすることもあれば、体を売ることもあった。
間もなく救貧院に拾われて、そこで下働きをするようになった。だがひと所に留まれば、いずれ正体が露見するかもしれない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、救貧院にサーカスがやってきた。慈善活動の一環としてどこぞの貴族が寄越したらしい。
異様に背が高い者。大人になっても体が小さい者。毛むくじゃらな者。コブがついている者。
多種多様な姿を持つ彼らの中でならば、隻足の自分も目立たない。
加えて、派手な衣装に派手な化粧も都合がいい。ノエルは団長へ頭を下げ、入団を希望した。
希望は道化師。大衆の笑い者になる愚者。
だが腕を磨けば——宮廷道化師になる道が、僅かながら、ある。
身元不詳の貧民が、王の目の前に立つ。
遠い夢物語だとしても、目指すしかない。
そして差し違えてでも王を殺す。
(父上、母上、首が晒されたそうですね。姉上、愚民の前で辱められたそうですね。……そして、シエル)
仇を討つ。
それだけの為に、ノエルは生きることを決めた。
コンコン。
扉がノックされる。意識が現実に引き戻される。
「おはようございます、ノエルさま。……今、よろしいでしょうか?」
ジョセフの声だ。
愛しきセルピナ公国の、数少ない生き残り。
ノエルは歓迎した。
「あぁ。入ってくれ」




