第四話 火の手からの籠城
黒い煙が青い空を汚している。
黒煙が上がっているのは寄宿舎の三階からだ。大方の消火は既に済んでいるようだが、未だ残り火があるようで、そこから絶え間なく煙が上がっている。
真っ黒に染まり、剥き出しとなった骨組みが火事の悲惨さをまざまざと見せ付けていた。
多くの生徒は校庭で立ち竦み、安全が崩壊した象徴を唖然と眺めている。
しかしただ一人、人々の混乱や焦げ臭い臭いなど気にも留めず、落ち着き払った様子でベンチに腰掛けている者がいた。
リチャードの皮を被った、ノエルだ。
「リチャードさま!」
人混みを掻き分け、ジョセフは真っ先にノエルのもとへ駆け付ける。
「ご無事ですか!?」
「あぁ、無傷だ」
ノエルは読んでいた本を閉じ、悠然とした態度でジョセフを見上げた。
「どうやら生徒に恨みを持つ輩が、結界を壊してしまったようでな。そのまま暴徒を呼び込み、この有様だ」
「暴徒が……!?」
「安心しろ。そいつらは迅速に警備兵が捕えてくれたよ」
「そうですか……。しかしまさか、何十年も破られなかった結界が壊されるなんて、只事ではない」
「そう、只事ではない」
尋常ではない事態に陥っているというのに、リチャードは至極嬉しそうに、歪な笑みを浮かべる。
「やっと実ったようだ」
この事態を歓迎している——いや、待っていたかのような物言い。
そこでジョセフはふと気付く。暴徒が迅速に捕まっているにも拘らず、火事が発生している違和感に。それも三階。炎の魔術を放てばあるいはと思うが、焼け跡からして火は屋内から発生したと推測させる。
暴徒がそこまで辿り着く筈がない。
自作自演。冤罪の擦り付け。ジョセフの脳裏に不穏なワードが横切った。
「……リチャード、さま」
「ジョセフ」
呼び掛けと、視線を一つ。
それだけで指示を理解したジョセフは地面を蹴り上げ、人混みの上を飛び上がる。そして着地地点にいた人間の眼前に着地。その人物は後ろ手に隠していたナイフを構え、無茶苦茶に振り回す。しかしジョセフはそれをあっさりと見極め、ナイフを蹴りで叩き落とした後、頭を鷲掴み、地面へ押さえ付けた。
そうしてジョセフは不審者をうつ伏せにさせた状態で、その者の顔を隠していたシルクハットを取り払う。
そして絶句した。
「お前、あの医師か……!」
「は、は、離せ! 離せぇっ!」
シャンデリア落下による、王太后暗殺未遂の罪を被せられた宮廷医師。
今では『元』がつくが、宮廷医師は有事の際に王太子の元に駆け付けられるよう、結界の抜け道を教えられている。それを悪用したのだろう。
「貴様、貴様の所為で私は全てを失ったんだ! 職も、資格も、家族も、財も、何もかも!!」
宮廷医師が捕えられた後、ジョセフは彼の処分を気に留めていなかった。
リチャードの体にノエルがいるかもしれない、という可能性に気を取られ、他者を気にする余裕などなかったのもあるが、医師が投獄されて以降、ジョセフは王城から離れ事態を把握しきれていなかった。
「何が王子だ! 次期国王だ! 私に冤罪を被せただけでなく、裁判さえ許さず追放したのはそちらだろう!? これは、正当な報復だぁっ!!」
医師は恨み言を撒き散らし、がむしゃらに暴れ、聞いてもいない罪を勝手に白状する。
自棄に陥っている。人混みに紛れナイフを隠し持っていた辺り、元より差し違える覚悟でノエルを殺す気だったのだろう。
(ノエルさまはこいつを放逐していたのか!? そんなことをすれば今日のように報復されることなど、目に見えて……!)
「これはいけない」
重厚感のある声が、校庭に響く。
「私が学園にいれば、皆が巻き込まれてしまうな」
空気が張り詰め、人の波が左右にわかれた。
そうして出来た道を、ベンチから立ち上がったノエルが歩む。
「私はこれより、王城に向かう。そして戴冠式の日までに治安を整える」
「……!」
「残りの学園生活を楽しめないのは残念だが、仕方がない」
薄らと笑みを浮かべ、ノエルは医師を見下ろしながら、わざとらしく首を振る。
「全ては民の為に」
籠城。
それがノエルの狙いだ。ジョセフは察する。
宮廷医師は、ノエルが籠城する大義名分を作る為の駒にされた。都合よく動くよう、投獄から放逐までの間に敢えて顰蹙を買う言動をした可能性もあるだろう。
ノエルは戴冠式を誰にも邪魔されないよう、先手先手を打っている。
(クソ! あと一歩、遅かった……!!)
◇
その日の夜、ジョセフはブティックラヴィソンの控え室を再訪していた。
ノエルが王城へ立て籠ってしまったことを、リチャードに伝える為に。
「ノエルさまが籠城してしまった以上、俺の力では連れ出すことはもうできない」
そう言って、ジョセフは悔しさで顔を歪める。
王城には衛兵は勿論、『影』も数多配置されているのだ。秘密裏にノエルを連れ出すことはできない。ノエル自身も警戒を強め、過敏になっている筈だ。
下手を打てば直ぐに勘付かれることだろう。
「殿下が隠し通路を使ってこっそり潜入する……。とかはできないのかしら?」
深刻な表情をしているリチャードの隣で、カトリーヌ侯爵令嬢が遠慮がちに案を出す。
しかしそれは直ぐに却下されてしまった。
「そりゃあ私はありとあらゆる抜け道を知っているが、その情報はノエルにも共有されてしまっている。既に対策されているだろうよ」
「じゃ、じゃあどうするのよ……っ! このままじゃ、王国が危ないんでしょうっ!?」
カトリーヌ侯爵令嬢は扇で顔を隠し、涙声で訴える。
声は震えている。それでも彼女は逃げ出そうとはしなかった。
若い身でありながら、貴族としての責務を理解している。
己の暮らしを守るためだけではない。民を、国を守ることもまた、貴族に課せられた務めなのだと。
「……戴冠式だ」
ぽつりと、ジョセフは呟く。
その意味を汲み取れず、カトリーヌ侯爵令嬢は目を瞬かせた。
「えっと、タイムリミットがということ?」
「いいえ。最大の、それでいて最後の機会こそ、戴冠式だという話です」
「えぇっ!? それこそ警備が厳重で近付けないじゃないっ!」
「それは違うな。寧ろ逆だ」
ジョセフに同意する形で、リチャードは理由を述べる。
「戴冠式は、王太子の警備が最も薄まる日でもある」
戴冠式には諸外国から多くの王侯貴族が集まる。
王都全体の警備が強化され、パレードの演奏や行進など平時にはしない仕事も増え、騎士団の人員はあちらこちらに割かれる。
同時に、反乱軍も分散する。国家転覆を成す為、戦闘態勢へ入る。
「戴冠式は昼頃、正装に身を包んだ王太子が大聖堂へ行進するところから始まる。音楽隊や騎兵隊が随行する他、沿道警備も配置されるが……王太子がパレードの馬車に乗る直前、王城の中。奴の注目は、最も薄くなる」
王都は音楽が鳴り響き、花火もあがり、大道芸が盛んになり、出店も並ぶ。
人々は王太子が姿を現すまで、外に注意が逸れる。
「人の出入りが激しくなる王城に忍び込み、身なりを整えている最中のノエルと接触するのが、最も現実的だな」
「可能性がゼロからイチになるだけで、一筋縄でいかないことには変わらないが……そこは、俺が何とかするとしよう」
みしりと、ジョセフは膝に爪を立てる。
血管が浮き出るほどに、手に力を込める。
「どんな手を使ってでも」
そんな危うささえ感じるジョセフの決意を見て、リチャードは酷く悲しげに、眉をひそめた。




