第二話 王太子の潜伏
八月三十日、外食からの帰り道。
通りがかった広場で、大きな声で呼び込み、チラシを配っている道化師が遠目から見えたのだ。
分厚い化粧に派手な衣装。軽快な口調に動き。少し眺めたくらいで演者が誰かなど判断できない。だが太陽の下、月のように輝く金色の瞳が帽子の影から見えた時、リチャードは直感した。
彼はノエルだと。
「勿論、確信を持っていた訳じゃない。私はノエルと会ったことがあるが、それも十年前の話だ。第一、彼は公には死んでいる。……だがもしも、生きていたら? そう思うと、居ても立っても居られなくてな」
サイラスの前では涼しい顔を維持して、リチャードは頭の中でずっと可能性を追い求めていた。
そこでチリーノをブティック・ラヴィソンへ使いに出し、髪や瞳の色を短時間、変化させられるという『変身薬』を用意したのだった。
「それで軽く変装し、夜を待ち寄宿舎を密かに出た。本当にノエルならば、私は彼を捕虜にしなくてはならない」
「残党狩りをしたかったと?」
「違う! 捕虜とは言ったが実質、保護だ! 父上……先王派の人間に見付かれば、それこそ彼は殺されてしまう……!」
先王は大公家を根こそぎ処刑した。彼は崩御したが、先王派は未だ幅を利かせている。
生き残りがいると知れば王家の威光に関わるなど理由をつけ、首を刎ねにかかることだろう。容易に想像がつく。
「幼い頃。私はノエルに大変、世話になった。戦争を起こした罪はどんな贖罪をしようとも許されないが、せめて平穏に暮らせる場を提供したかった」
ランテレス王国がセルピナ公国に侵攻した当時、リチャードは七歳。影響力も、発言力も、決定権も、何も持たない、ただの子供だ。
しかし王太子として、リチャードは責任を感じていた。
「道化師をより観察するため、サーカスの公演も見たんだが、素晴らしかったよ。上品でいてどこか艶やかなパフォーマンスの数々。花形なだけある。思わず見惚れてしまったな……」
「リチャード?」
「あっ、すまない。話を戻そう。ともかくノエルは道化師だと踏んで、私は公演後に団長へ声をかけ、呼び出して貰った」
その際、チップを渡した団長は「ごゆっくりお楽しみください」などと、嫌な笑みを浮かべていた。きっとノエルに声がかかるのは初めてではないのだろう。
そして仮眠用の小さなテントの中で、リチャードとノエルは二人きりとなった。
薄暗かったものの、化粧を落とし派手な衣装から質素な服装へ変わったノエルは、昔の面影を色濃く残していて——本人だと、リチャードは確信した。
「私はノエルに、貴方の公演は素晴らしかった。是非、パーティで披露して欲しい……など言ったか。ともかく支援を申し出て、王城への招待も仄めかせた。まずは接点を作ろうと躍起だったんだ」
その時のノエルは至極、穏やかに話を聞いていた。肯定的に聞いてくれているように見えた。
提案した時は仇敵である王城に入るのは忌避するだろうか、と内心、落ち着かなかったのだが、この雰囲気ならば受け入れてくれそうだと、リチャードは安堵した。
「そしたら不意に側頭部を強打され、動きを止められてな」
「は?」
「更にノエルは私にマフラーを巻いてきた」
「……当時、夏だったのにか?」
「あぁ。厚手のマフラーだ。それで首を絞められた」
「はぁっ!?」
思わず驚嘆の声をあげるジョセフ。
マフラーによる絞殺——いや、殺すまではいっていないが、この方法は暗殺者であるジョセフも知っている。
厚手のマフラーで首を締め上げると、首に傷跡が残らないのだ。証拠を残さない暗殺のレパートリーの一つとして、叩き込まれている。
まさか、ノエルが使ってくるとは。
——寒空の下でジョセフにマフラーを巻いてくれた時とは、真逆の使い方。
「そこで私は失神してしまい、目が覚めたらノエルの体だった」
そう言ってリチャードは片手で顔を覆い、項垂れた。
目覚めた直後は混乱したものの、体に残るノエルの記憶から何が起きたのかを知り、焦燥に駆られた。
「ノエルはどうやら、王家の関係者の体を奪うのが目的だったらしい。王城に入り込める身分を得て、凶行を犯そうと。私はすぐにノエルを探そうとしたが、この足だ。幾ら義足を使いこなしていたノエルの記憶があっても、ろくに動かせない」
地面に転がっていた木の棒を杖代わりに、リチャードはテントを出て王城へ向かおうとした。
テントから王城へは馬車で行くような距離だ、片足しか動かせない状態で辿り着くのは難しい。それでもこれは自身の油断が招いた事態。リチャードは必死に突き進んだ。
その途中で、馬車に轢かれかけた。
「馬車の主は夜会帰りのカトリーヌでな。これ幸いと、拾って貰ったんだ」
「身元不詳の人間を? 侯爵令嬢が?」
「ほら、私は整った顔をしているだろう? 野垂れ死にさせるには惜しいと思ったんじゃないか?」
「ノエルさまの体で何を言っているんだ、お前は」
確かにノエルは人を惹き付ける美貌を持っている。セルピナ公国の至宝と言っても差し支えない。
これで中身がノエル本人ならば完璧なのにと、ジョセフはきゅっと口を固く結んだのだった。
「冗談はさておき。私はカトリーヌに、リチャードから火急の用があると訴えたんだよ。自分は王太子の使いの者だ。夕方、購入した化粧品はどれだ。以前、音楽会で話した内容はこうだ。などと、私しか知らない情報をあれこれ伝え、どうにか信じて貰えた」
リチャードは今晩にでも事件が起こるかもしれない、と焦っていたが、カトリーヌ侯爵令嬢の馬車に乗って一息つけたからか、気を失うように眠ってしまった。
スウィッチ使用による魔力消費と、慣れない体を動かした疲労が原因である。
目覚めたのは三日後。カトリーヌ侯爵令嬢の別宅で、リチャードは意識を取り戻した。
「慌てて侍女に情勢を訊ねたところ、王城も王都も平穏そのもので、首を傾げたものだ。もしや気が変わって、殺戮者ではなく王になろうと決めたのかと予想していたんだが……」
「……それはノエルさまが、より多くの人々を犠牲にしようと、計画を改めたからだな」
「何?」
「あの方は戴冠式で、レギオンを使うつもりだ」
控え室の空気が、凍り付く。




