第五話 王太子の行方
休暇を終え、従者の仕事に復帰したジョセフは、嬉々としてノエルの世話を焼いた。
着替えや入浴補助の他、ヘアセットやマッサージまで懇切丁寧に。
寄宿舎の自室で休息を取っている時など、積極的に献身した。
「ノエルさま。お好みの紅茶はなんでしょうか? ここになければ仕入れます」
「君が選ぶ物ならなんでも美味しいから、気にしなくていい。ただ呼び方には気を付けてくれ。誰かに聞かれたら困るからね」
「承知しました」
その理由の一つは、信用される為だ。
現状、リチャードの体を持つノエルの方が絶対的な権力を持つ。不興を買えば遠ざけられる可能性がある。彼の計画を止める為にも、それは避けなくてはいけない。
スウィッチの証拠である魔法陣を告発すればその限りではないだろうが、そんなことをすればマーガレット公爵夫人はどんな手を使ってでもノエルを拘束し、手元に置いてしまうことだろう。
代わりに影武者を差し向け表面上の平和を保ち、戴冠式にリチャードの死体を転がす——そのぐらいやりそうだ。容易に想像がつく。
(リチャードがノエルさまだという事実は、誰にも知られてはいけない)
ジョセフは今まで以上に神経を尖らせ、ノエルに仕えた。
それから、もう一つ。
かつて遠目で眺めるばかりであったセルピナ公国の宝、ノエルに従事できるのは、単純に嬉しかったのだ。
夢のようなひと時。
体がリチャードだという点は少々、不快だが、それを補って余りあるレベルの多幸感。
それと同時に「この人を死なせない」という願望も、日に日に強まっていった。
◇
雪が溶け、春の温かさが近付いてきた頃。
「解散しているだぁっ!?」
ジョセフは教会の懺悔室で一人、叫んでいた。
手に持っているのは調査を命じた『影』からの報告書。側から見るとオペラ劇団のパンフレットにしか見えないそれは、暗号化された文章で埋め尽くされていた。
曰く、去年の八月三十日——正確には八月終盤に王都に滞在していたサーカス団は、年を超える前に解散し、団員は散り散りとなってしまったらしい。
何でも、出資していた商人が気に入っていた団員が退団し、それを理由に支援をやめ、活動を続けられなくなってしまったのだとか。
(だが出資者から話は聞け、団員の主要メンバーの情報は手に入れられた、と……。これだけでも収穫か)
中でも退団したという団員——道化師は『金色の瞳』を持っていたと、暗号文には書かれている。
髪は毎回、染めていたようで地毛は不明。しかしランテレス王国の民に金色の瞳を持つ者は極少数。それも貴族の血筋が流れている者が大半。
(おおよその年齢も、ノエルさまと一致する)
ノエルはかつてサーカスに所属していた、と判断していいだろう。
その体にリチャードの魂が入り、姿をくらましたと考えるのが自然だ。
(これで『サーカス団を隠れ蓑にしている線』はなくなったな。しかしどこに行ったんだ、あいつは。もう戴冠式まで三ヶ月だぞ? どうする、どうやってリチャードを見付け出す?)
ジョセフが自由に動ける時間はごく僅かで、この広い王都を捜索する時間など確保できない。再び『影』を使うにしても、それらしい大義名分が用意できない。マーガレット公爵夫人に不審がられるのも致命的だ、避けなくては。
ひとまずジョセフは懺悔室から退室し、教会の外に出ると人気のない路地裏でパンフレットを燃やした。
(一つずつ推測を重ねていくしかないな。リチャードがノエルさまと体が入れ替わったら、何が起きる?)
記憶が流れ込み、ノエルが復讐を目論んでいることを知るだろう。
愛国心に満ちたリチャードのことだ、自分の体が死のうとも全力で止めにかかるはず。しかしリチャードの体には、誰かと争ったような形跡は残っていなかった。
スウィッチの条件——魔法陣を刻む過程も考えると、ノエルは一旦、リチャードを気絶させ、入れ替わりを済ませたのではないだろうか?
そしてリチャードが目覚める前に立ち去り、人知れず寄宿舎へ戻った。
(ノエルさまは元に戻ることを見越した計画を立てていたからな、きっと放置したんだろう)
——その憶測には、願望も入っている。
それを自覚しながらも、ジョセフは頭の中でシミュレートを続けた。
(目覚めた後どうするか、だが、俺がリチャードだったらまず身を隠す。何らかの理由をつけて、投獄される恐れがあるからだ。最悪、殺される)
王太子の権力を持ってすれば、如何なる理不尽も罷り通る。
ノエルの復讐を止める為にも、リチャードは身を守る算段を立てたことだろう。
(どこに身を隠す? 身分的に貴族街は入れないだろうから、貧民街か? いや、親しい貴族を説得し、匿って貰うこともできる……。とは言え、その親しい貴族の大半は学園にいる。ノエルの体では近付けない)
パンフレットが灰となったのを確認した辺りで、ジョセフは宛てもなく歩き始める。
動いた方が頭も働くだろうと踏んでのことだ。
(指名手配を警戒し、変装もすることだろう。それから、乞食となり飢えを凌ぐか? それとも救貧院へ行くか? ……まさか、娼館なんてことは……)
「ジョセフ」
背後から不意に名を呼ばれ、びくりと肩を震わせるジョセフ。
人の接近に気付けなかった。注意力が落ちている。
ジョセフは反省しつつ、名を呼んだ人物、チリーノと向き合った。
「チリーノ、奇遇だな。どうした?」
「僕は王子さまのお使いだよ。ジョセフは散歩?」
「あぁ。このまま書店か、雑貨店の方まで行こうと思う」
適当な理由をでっち上げ、ジョセフは微笑む。
そっか、と頷きながら、チリーノは手に持っていた紙袋からパンを一つ取り出すと、ジョセフへ差し出した。
「これ、ベーカリーのお姉さんがオマケしてくれたんだ。よかったら食べる?」
「いや、このパンはリチャードさまへ渡すものだろう? 俺が受け取る訳には……」
「おまけだって言ったでしょう? ジョセフなんだか顔色悪いし、食べて元気出しなよ」
「……そんなにか」
チリーノに気に掛けられるほど、心情が顔に出ていたらしい。
ジョセフはありがたくパンを頂戴すると、歩道のベンチにチリーノと並んで座り、ゆっくりと味わった。
「そういえばチリーノは以前も使いに出されていたな。八月の、俺がいなかった日」
「あぁ、新学期前の? あの時はちょっと変わったお使いだったから、よく覚えているよ」
「……うん?」
リチャードの使いと言えば紅茶やパンなど、食べ物に関する物が大半だ。それも既に自らの手で購入したことがあるものに限る。
彼は選択を人任せにしない。
「何を買ったんだ?」
「化粧品かな。僕もメモを店員さんに渡しただけで、中身をよく知らないんだけど。でも渡したら凄く感謝されたよ。何だったろうね」
「化粧品……?」
それは普段、ジョセフが管理しており、買い出しもジョセフが請け負っている。チリーノに頼んだことは今まで一度もない。
そもそも新しい化粧品を見た覚えがなかった。チリーノが購入したというそれは、どこに行ってしまったのか。
(入れ替わったリチャードがそのまま持っていたとしたら、風貌を変えられる……。もしや、新しい手掛かりになり得るか?)
ジョセフは体を強張らせる。
「チリーノ。化粧品をどこで買ったか覚えているか?」
「うん。ブティック・ラヴィソン。あんな高級店入るの初めてで、どきどきしちゃったよ」
「ラヴィソン……」
そこはカトリーヌ侯爵令嬢がパトロンを務め、自分のブランドも作らせているお抱えのブティックである。
(そういえば、カトリーヌさまから何度か店に来いと言われていたな。リチャードの購入実績を知って、贔屓にして貰おうと思ったのか?)
彼女の真意はわからないが、リチャードが何の化粧品を購入したかは気になる。財務記録には残っていなかったところを見るに、ポケットマネーで買える程度の品物なのだろうが。
「確かに変わった使いだな。俺も気になってきた。試しに行ってみるとしよう」
「うん、行ってらっしゃい」
「パン、ありがとう。美味しかったよ」
「それはベーカリーのお姉さんの腕とセンスがよかったんだよ」
二人は笑い合い、和やかに別れた。
しかしジョセフはチリーノの姿が見えなくなったところで、険しい表情を浮かべ足早に移動をする。
ブティック・ラヴィソンは、貴族や富裕層が行き交う高級店が立ち並ぶ商業街にある。店の前には警備も兼ねたドアマンが立っており、重々しい雰囲気を醸し出していた。
学生であるジョセフが入店するには些か不釣り合いな気もするが、カトリーヌ侯爵令嬢が以前誘ってきたのだ、追い返されることはないだろう。
ジョセフは意を決して入店しようとした。
しかし、
「お客さま」
ドアマンに肩を掴まれ、足を止められてしまう。
粗相などしていない筈だと、ジョセフは困惑しながらもドアマンを睨み付けた。しかしシルクハットを目深に被ったその人の表情は読み取れない。
「お時間、よろしいでしょうか?」
だがうっすらと笑う口元はどこか不気味で、ジョセフは警戒を強めたのだった。




