第三話 暗殺者のエゴ
休暇を与えられたジョセフは学園に通う気さえ起きず、リチャードを、いやノエルをサイラスとチリーノに任せ、一人寄宿舎の屋上で黄昏ていた。
(俺は、どうすればいいんだろうな)
風のまま流れていく雲を眺めながら、ジョセフはぼんやりと思考する。
思考すると言っても、頭の中には靄がかかっていて、普段のようには働かないが。
(ノエルさまと共に王国を滅ぼし後を追うか、ノエルさまの望み通り、海の向こうまで王国の末路を広めていくか……)
後者は生き延びられたら、という条件がつくが、元より戴冠式の日に命を捨てるつもりだったのだから、どう転ぼうがさしたる差はない。
全ては復讐の延長線だ。
だがそこに、ノエルはいない。
(……嫌だ)
復讐の為、ノエルの為とどれだけ自身に言い聞かせても、結局、そこに行き着いてしまう。
まるで言い付けを守れない子供のようだ。簡単なお使い一つできない、愚かで無力な子供。
もしも母が今でも生きていたら、叱ってくれただろうか?
「……母さま」
女手一つで自分を育ててくれた、唯一の肉親。
——大きくなったら公国を、公家をお支えするのですよ?
——貴方のお役目は、安らぎを与えることなのですから。
湖の管理を教わる傍ら、母は幾度もジョセフの役目と心得を説いていた。
人の役に立ち、思いやり、癒しを齎しなさいと。
——来年になったら、練習しましょうね。
何を?
その疑問が解消される日は訪れない。母は亡くなった。苦悶に満ちた表情を浮かべたまま。
母の願いや思いはその日を境に霧散した。ジョセフは役立つことも思いやることも癒すことも、何も実現できていない。
憎悪と復讐に囚われ、暗殺者に身を落としたのだから。
びょお。
風が吹く。それによって巻き上げられた雪が、ジョセフの鼻先に落ちた。
「くちゅん」
直後、小さくくしゃみをしてしまう。
同時に思い起こされるのは、目線を合わせ、マフラーを巻いてくれたノエルの姿。
注がれた優しさと、温かさ。
ぶわりと、胸の奥からぬくもりが溢れる。
(やはり、駄目だ)
あの日を思い出したジョセフに、諦められない思いが濁流のように押し寄せてくる。
死んではいけない。生きて欲しい、何がなんでも。
それがノエルにとって、どれだけ残酷なことだったとしても。
もうこれ以上、失いたくないから。
(考えろ。どうすれば、ノエルさまを救える? いや、救うと表現するのはおこがましいな。目標はシンプルに……ノエルさまの死を、回避する)
ジョセフは立ち上がる。冷たい風が全身に当たる。
しかし不思議と寒さは感じなかった。
(リチャードのままでは、確実に死ぬ。今からでも身代わりを用意するか? しかしノエルさまが納得してくださるかどうか……。そもそも彼は、破滅を望んでいる)
代案を提案ところで、意思が変わらなければ意味がない。
そこでふと思い出したのは、野営地からの帰り、馬車の中で交わしたノエルとの会話だ。
──見ず知らずの無辜の民を焼き、家屋を焼き、城を焼き……。頃合いを見て、元の体へ戻る。
——これならば責は元々の王へ向かうからな。
(あの話は、本心だったか?)
ノエルは元の体に戻ることを想定していた。
マーティンの死体を発見させたのに、ノエルの死体を見せないのも気になる。遠回しにスウィッチの存在を伝えるよりも、その方が直接的に正体を示唆できる。リチャードの生死もぼかしていた。
ノエルの死体を確認していない以上、元の体に戻せる選択肢は依然、残っている。
(ノエルさまの体を見付け、かつての計画へ変更するよう説得をする……。そうすればノエルさまの破滅願望を満たしたうえで、死ぬ理由がなくなるかもしれない……!)
確証などない。確かめるのも怖くて、ノエルに訊くこともできない。
こんなことは現実逃避だと、頭の隅では理解している。
だが一縷の望みに縋らなくては、心身がどうにかなりそうだった。
(ノエルさまの体はどこだ!? もう処分された……いや、考えるな! 生きている、生きているんだ! 生きてなくてはいけない!!)
衝動のまま、ジョセフは駆け出した。
(あの日! 八月三十日!! ノエルさまはいつどこで、どうやってリチャードと接触した!?)
向かった先は学園だ。
昼休憩に入っており、教室に残る生徒はまばら。ノエルの姿もない。ここにいなければ食堂にいるだろうと踏んで、ジョセフは足早に廊下を移動した。
そうして辿り着いた大食堂。そこでは学生が無秩序に行き交い、雑多な談笑が入り混じっている。だが角の席——ノエルが就いているテーブルは、人が寄り付いていない。多くの生徒が彼を畏怖から避けているのだ。お陰で探すのが楽だった。
そしてノエルの正面にはサイラス、隣にはチリーノが座っている。
「サイラス」
つかつかと大食堂を突き進みながら、ジョセフはサイラスの名を呼ぶ。
「おっ、おう……!?」
背後から不意に現れたジョセフを見て、サイラスは大袈裟に肩を跳ねさせていた。
「来てたのかよ、ジョセフ」
「リチャードさま、こいつを少し借ります」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
「無視……!?」
サイラスの抗議を流し、ジョセフは彼の襟首を掴むとフォークを置く時間さえ与えないまま、廊下へ引っ張っていく。
行先は実験準備室を選んだ。
ここは棚に危険物に関する専門書がある他、薬草や薬品が保管されている都合で、生徒の出入りが制限されている。だが、ここを管理している教授が認めた優等生の出入りは許可されている。密談するのには打って付けだ。
その優等生ことジョセフは、抵抗せずついて来たサイラスと向き合った。
「ジョセフお前、もう体調いいのか? 無理しないで午後も休んだ方が……」
「去年、八月三十日に起きた事を全て話せ」
「なんだぁ、いきなり」
単刀直入にも程がある、尋問のような問い掛け。
当然サイラスは戸惑う。だがジョセフの鬼気迫る表情に押され、渋々といった様子で話した。
「えーっと確か、寄宿舎に行って坊ちゃんの世話を引き受けて、部屋の掃除とか収納して……」
それは知っている、と言いそうになるのを堪えるジョセフ。ただつま先でとんとんと床を叩くのは止められなかったが。
「まだ夏期休暇で学園食堂やってないから、外で飯を食おうって街に出たんだよな」
「どのレストランを使った?」
「近所の定食屋。ほら、引退した元宮廷料理人がオーナーやってるとこ」
「あそこか」
ジョセフは脳内で寄宿舎から定食屋までの道のりを思い浮かべる。
徒歩で二十分。馬車を使うような距離ではない。店は大通りにあり、途中、庶民も行き交う広場を通りがかる。
「外出はそれだけか?」
「おう。寄り道もしないで戻ったよ」
「ではその外出中、瑠璃色の髪をした男性に会わなかったか? すれ違っただけでもいい」
「えぇ? 瑠璃色ぉ?」
わかりやすく困惑の表情を浮かべるサイラス。
瑠璃色の髪を持つ人間は、ランテレス王国ではまず見かけない。非常に珍しい髪色だ。同じ髪色の男がいれば、ノエルである可能性は十分ある。
とは言え、目立つ色ではないので、サイラスの記憶には残っていないらしい。
「いたような、いなかったような……」
「覚えていないのか? 見下げた記憶力だな」
「おい、普通の人間は一度見ただけで覚えられないからな? それ特殊能力だからな? しかも半年近く前の日とか……」
サイラスは不満を述べるがジョセフには関係がない。役立たずだと呆れるだけだ。
(仕方ない。もう一度、整理をするか)
ジョセフは顎に手を置き、無言で思考を始める。
(ノエルさまは救貧院へ入った。怪我を負っていた。王国から出られなかった。各地を転々としていた。そしてマーティンに出会い……)
『健康な体が欲しくないか』と、持ち掛けられた。
(……ノエルさまは、一目で不健康だとわかる状態だった?)
もしそうならば、それは重要な手がかりだ。
(確かノエルさまは『体力がない』と言っていたな。それは見た目でわかるものか? わかったとして、一過性のものと判断つくかどうか)
ちなみにノエルに生まれつきの『瑕』はなく、健康面に不安があった話も聞いたことがない。ジョセフの目からも、彼が首都を視察していた時や馬に乗っていた時、虚弱とは無縁に見えた。
逃亡中、後遺症が残るレベルの外傷を負った、と考えるのが妥当だろう。
(腕か。足か。目か。何にせよ、それなりに目立つ容姿をしていたのでは?)
しかしそれならばなぜ、サイラスの記憶に残っていないのか。
不可解なことの多さに、ジョセフはその場で右往左往する。それを見て、放置されていたサイラスは流石に声をかけた。
「おーい? ジョセフ、大丈夫か?」
「……今、何かが喉まででかかっている……」
「全然、大丈夫じゃなさそうだな」
喉に魚の小骨が刺さっているかのような、落ち着かなさ。
歯車が欠けているのはわかる。だがそれはどこに位置するのかがわからない。故に疑問さえ抱けない。
気持ちが悪い。
「何に悩んでいるのか知らないけどさ、いっそ歌劇でも見に行くか? いい気分転換になるぞ?」
「歌劇……」
舞台の上で歌い。踊り。演じる。
演じる。
ハッと、ジョセフは目を見開いた。
(ノエルさまの異常な演技力は、どこから来ている?)
当たり前にこなしているものだから意識が逸れていたが、他者に完璧に成り代わるには相当な演技力が必要だ。
例え天賦の才能があったとしても、心音さえコントロールできるレベルの演技を付け焼き刃だけで発揮したとは思えない。継続して演じられているのは、以前から演技を身に付けていたのではなかろうか。
(ノエルさまが演劇役者をやっていた可能性は十分あるな。格を考えなければ、身元不詳の貧民でもできる)
転々と移動しながら、食い扶持を稼ぐ手段としても順当。
ここを突き詰めれば、有力な手がかりを得られるかもしれない。




