第一話 偽物の正体
年が明けて間もなく。新学期が始まった。
王立学園は二学期制。秋から冬までの前期と、冬から初夏までの後期。
そしてリチャードの戴冠式が行われるのは、卒業式の翌日である六月十五日。
(……あと、半年もない)
学園の教室の端、長机の隅の席で、ジョセフはぼんやりと頬杖をついていた。
当のリチャードは黒板の側で級友たちと談笑をしている。
今日まで、ジョセフは魔法陣を見付けられていない。どうせならばそのまま、魂が入れ替わったという確信を否定し、疑惑も疑心も夢の中の出来事だと思い込みたかった。
(だが、否定しきるには……)
ジョセフは視線を下げ、溜め息を吐く。
長机の上には教材が重ねられ、頁の隙間から栞がはみ出ている。その栞にはカーバンクルが描かれていた。
通常、カーバンクルの額で輝く宝石は赤い。だがその栞に描かれたカーバンクルの宝石は、青色だった。
青石カーバンクルは、セルピナ公国の湖付近にしか生息しない固有種。
精霊の眷属と言い伝えられていた、神聖な存在。
それを渡してきたのは、リチャードであった。
帰省を終え王城に入城した折り、新年祭の祭り会場で見付けただのなんだの理由をつけて、ジョセフに手渡してきたのだ。
(青石カーバンクルは珍しいが、見目の愛らしさから他国の絵画にもよく描かれている。雑貨のデザインに採用されてもおかしくはない、が……)
リチャードは今まで、小動物に興味など抱いていなかった。
ラピスラズリに激情を抱いた姿を見せた後、立て続けにセルピナ公国を彷彿とさせる一面を出されてしまっては、意識を外に逸らすことさえできない。
「ジョセフ」
前ばかり見ていたら、ふと、横から名を呼ばれた。
いつの間にか隣に、ソフィア皇女が立っている。留学生として学園に在学している彼女は、清楚な制服姿でも凛々しい。
「体調が優れないと聞きました」
「……お気遣い、ありがとうございます」
ジョセフは席から立ち上がると、疲れた顔で微笑む。
「疲労が出ているのですか? ……リチャード殿下のことで」
小さな声でリチャードの名を呟くと、彼女は複雑そうな表情を浮かべた。
ジョセフ以外で今最も彼に違和感を覚えているのは、ソフィアだ。そのことについて話したいのだ、と察したジョセフは廊下を指さし、二人でひっそりと移動をした。
壁越しに生徒たちの賑やかな声が聞こえるなか、ジョセフはソフィアと向き合う。
「悩みごとがあるのでしょう? 他言はいたしません。俺でよければ話してください」
「……すみません。かえって気を遣わせてしまって」
ソフィアは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ジョセフに訊きたいのですが……」
「はい」
「リチャード殿下は、その……」
魂の入れ替えについて、どこまで話そうか。ジョセフは迷う。
以前は疑惑を植え付けるだけ植え付け、利用しようと目論んでいたが、今は状況が違う。
違和感を気の所為だと流させるべきか否か。ノエルかどうか判然としない限り、ソフィアを遠ざけるべきか——
「浮気を、していますか?」
途端、完全に意表を突かれ、ジョセフの思考が停止する。
「う、浮気、ですか?」
「……その、はしたないと言われるかもしれませんが……」
指をもじもじと絡ませ、気恥ずかしそうにソフィアはこう言った。
「最近スキンシップが、減っていまして」
「……。それは寂しいですね」
「はい、寂しいです」
彼女は素直に頷く。
常に毅然として雄々しささえ覚えるソフィアが、年頃の少女らしく恋愛に悩んでいる。
政略結婚を見越した婚姻ながら、二人は人目を忍んで口づけを交わす仲だった。ジョセフも従者として、その現場を幾度か目にしている。
最後に目撃したキスは曇りガラス越しだったものの、なかなか濃厚な——
(……あ)
そこで、はっとした。気付いた。気付いてしまった。
気付いたからには、確かめなければ。
ジョセフは「リチャードさまはソフィアさま一筋です」と大雑把にも程がある返事を返した後、足早に教室へ戻ったのだった。
◇
その日の晩、寄宿舎の自室。
「リチャードさま」
寝間着の着替え補助の最中、ジョセフはリチャードの顎を掴み、
「不敬をお許しください」
無理矢理に口へ指を入れ、大きく開けさせた。
「——あぁ。ようやく、見付けた」
綺麗に並んだ歯が生えた口の中。
その奥、健康的な色をした舌に——魔法陣が、刻まれている。
「そんなところに、隠していたのですか」
口から指を抜き、ジョセフは言う。
「とうとう見付けてしまったか」
それを受けたリチャードは不敵に笑った。悪戯が見付かった子供のように。
思い返せば聖歌の拍数を間違えたのも、宮廷医師に濡れ衣を着せたのも、他者の前で口を大きく開けたくなかったからだったとわかる。
着替えや入浴を補助する従者も、口の中までは見ない。盲点だった。ジョセフは今日まで思い至らなかったことを恥じた。
「……俺の勘違いでなければ、見付けて欲しかったように思えますが」
「そうだ」
なんてことのないようにリチャード、いや、偽物は言った。
「私の正体も、君ならもうわかっているんじゃないか?」
試すような物言い。
ジョセフは一歩、後ろに下がると、胸ポケットからハンカチを取り出した。
「……この花を、知っておりますか?」
そして偽物に刺繍を見せる。
五枚の花弁を持つ、薄青色の花。
ブルースター。
「また懐かしいものを」
ふっと、彼は柔らかく微笑む。その慈愛に満ちた表情を、ジョセフは知っている。
「我が祖国の国花じゃないか」
ランテレス王国の国花は、明るい黄色の花、マリーゴールドだ。
ブルースターを国花としているのは、亡きセルピナ公国である。
(あぁ、間違いない)
これで確定してしまった。
頭の中が悲喜こもごもとなり、心臓がばくばくと跳ねる。
目の前の偽物の魂は、セルピナ公国の公子——ノエル・オルレアン。
その人だ。
「我が公国民よ。よくぞ今日まで生き延びていてくれた。再会できて、私は嬉しく思うよ」
寝台に腰を下ろし、リチャードの皮を被ったノエルは、公国民の身で王国に随順しているジョセフを、笑って許した。
十年前のあの日と同じように。
ジョセフはハンカチを握り締め、深呼吸をし、泣きそうになるのを必死に堪える。
「……経緯を、お聞きしても?」
そうしてどうにか、声を絞り出した。
ノエルは目を伏せ、一拍置き——口を開く。
「公国が滅んだ日。私は命からがら国境を越え、ランテレス王国の救貧院へ入った。本当はサドバ帝国に行きたかったんだが、怪我の関係で難しくてな」
公国は炎に包まれ、城は攻め落とされ、無傷でなどいられない。
ジョセフも腕に小さな火傷痕が残っている。拾ってくれたマーガレット公爵夫人からの処置がなければ、酷いケロイドとなっていたことだろう。最悪、死んでいた可能性もある。
ジョセフは、運がよかった。
しかし王家に顔を知られているノエルはそうはいかない。敵国の中で、息を殺すような逃亡生活を余儀なくされた。
「金はない。食事も最低限。体力が大して戻っていないなか、再び国境を越えるのは厳しい。だがひと所に留まっていても危険だろうと、乞食まがいのことをしながら王国内を転々としていたよ」
時には男に股を開くこともあったなと、生気のない顔で呟くノエルに、ジョセフは頭に血が上っていくのを感じる。
「いつか王城に入り込み、復讐を果たすことだけを、生きるよすがにして」
同じだ。
ノエルはジョセフと同じように、いやジョセフよりも遥かに強い憎悪と、恥辱を抱いて過ごしてきたのだ。
「そんなある日、マーティンと出会った」
それが、転機。
「あいつから声をかけてきたんだ。『健康な体が欲しくないか』と。怪しいとは思ったが興味本位で話を聞いてみた。そしたらタネが禁術ときた!」
そこでノエルは碧眼を見開き、興奮した様子で寝台から立ち上がる。
「ホラではないと知った私は暫くマーティンに媚び諂い、情報を引き出し、動物に試行し自分でも使えるか確認した! 問題なかった!」
当時の事を思い出しているのか、感情が昂るまま両手を叩くノエル。
ぱんぱんと、乾いた音が部屋に響く。
「だから、口封じをした」
一転。
淡々と、ノエルはマーティンの末路を話す。
「今後、スウィッチを使った際、入れ替わりが露見しては意味がないからな」
遺跡の地下で一人、腐敗していた彼は、やはりノエルの手で始末されていたのだ。
「虎視眈々とタイミングを窺っていると、存外早くチャンスがやって来た。まさか、こんなに上手くいくとはな」
血なまぐささとは無縁だった彼が、その両手を血に染めた。
その事実が、ジョセフの背中にずしりとのしかかる。




