第四話 公子との思い出
あのラピスラズリはセルピナ公国を滅ぼした際、戦利品として押収したのだろう。そして気に入ったフレデリーカ王太后が、手元に置いていた。
戦勝国側の人間が当たり前に行う、略奪。十年前から散々見てきた、よくある光景。
(やめろ)
それでもジョセフは無意識に、拳を握りしめる。
(触るな)
瞬きも忘れ、凝視してしまう。
(汚すな)
誇りを。尊厳を。歴史を。故郷を。
それら全てを踏み付けられた証を見て、どうして冷静でいられようか。
(畜生。計画のことがなければ、殺してでも奪っているところだ……!)
暴走しそうになる殺人衝動を、理性でなんとか押さえつける。
だがいつまでも見せ付けられるのは堪える。ジョセフは奥歯を噛み締めながら顔を逸らした。
「母上」
その時、ほんの一瞬——背筋が凍るほどの殺気を感じた。
「いけませんね。手入れが足りていません。ほら、金具が曇っているでしょう?」
何事だと殺気を感じた方向へ視線を向ければ、リチャードが、ソフィアの手の中にあったジュエリーボックスを握り締めている。
その手は小さく震え、血管が浮き出ていた。
力が、こもり過ぎている。
「この手で磨き上げ、私からソフィアへ贈ります。よろしいでしょうか?」
「まぁ! それも素敵ね!」
フレデリーカ王太后はリチャードの異常に気付いていないようで、彼の提案を快く受け入れていた。
しかし殺気を直接向けられたソフィアは、流石に戸惑っている。だがリチャードの有無を言わせない空気に飲まれ、彼女は口を閉じていた。
(……初めて、奴の仮面が剥がれた。感情が、揺さぶられた)
怒り。憎しみ。嫌悪。
剥き出しになったのは、どれも負の感情。
たった一つの宝石に対して抱く感情ではない。抱くとすれば——秘宝の存在と、その価値を知っていることになる。
それはつまり、
(偽物は、セルピナ公国の人間……なのか?)
ジョセフは戸惑った。
だが偽物の反応からして、セルピナ公国の歴史も誇りも、骨の髄まで刻み込まれているとしか思えない。
(そのうえ、帝王学を修めている人物と言えば……)
——オルレアン大公家。
セルピナ公国を統治していた、唯一の上流貴族。
彼らは攻め落とされた城の中で捕えられ、大公と大公妃はその場で首を落とされたと聞く。首はランテレス王国に持ち帰られ、王都で長い間、晒されていた。
その光景は、ジョセフも目にした。
公女が公衆の面前で斬首刑に処された瞬間も、立ち会った。
何もできなかった。母が亡くなった時と同じだ。ジョセフは見ていることしかできず、そして泣くことさえ許されなかった。
その時には名を変え身分を偽り、暗殺者として生きることを決めていたから。
(彼女の斬首刑をもって、オルレアン大公家は滅ぼされたと王家は触れ回っていた。……しかし一人だけ、死体が晒されていない方がいる)
いや、正確には晒されてはいた。
ただしその人物は顔の判別ができないほど焼け爛れ、衣服や装備、背格好から大公家の人間と判断されたに過ぎない。
その焼死体が、替え玉だったとしたら?
(まさか。いや、そんな)
辿り着いた可能性に、全身から血の気が引いていく。
(偽物の、正体は……)
そうであって欲しい思いと、間違っていて欲しい思いが交差する。
(——ノエル公子、さま?)
愛おしき、祖国の太陽。
◆
十年前。セルピナ公国が平和だった頃。
俺は一度だけ、ノエルさまと話をしたことがある。
ノエル・オルレアン。
セルピナ公国大公の嫡男であり、当時、十三歳。
あの方は、よく民の前へ姿を見せていた。
セルピナ公国は小国だ。民心が離れれば、国はあっという間に揺らぐ。まして暴動が起きてしまえば、起こす側も鎮める側も消耗するばかりで、誰も幸せになれない。
だからこそ、日頃から民の声に耳を傾ける。一人ひとりと目を合わせ、言葉を交わし、不満の芽を摘む。
それが、オルレアン大公家の在り方だった。
「父上は公務で忙しいからね。私の方が身軽なんだ」
民と語らうノエルさまはそう言って、よく笑っていた。
瑠璃色の髪に金色の瞳を持ち、華奢で美しい容姿をしたあの方は、まるで宝石の化身のようで。
俺は近付くのも恐れ多く、いつも母さまの背中に隠れながらあの方を眺めていた。
「こら。ちゃんと挨拶なさい?」
首都の街中でノエルさまと顔を合わせた時、母さまは俺の背中を押してそう言った。
しかし俺はぎこちなく頭をさげることしかできなかった。どうしても緊張してしまって、喋れなかったんだ。
森で暮らす俺は、母さま以外の人と接する機会が少なくて、慣れていなかったのもある。そんな俺を、ノエルさまは笑って許してくれた。
それどころか——
「くちゅん」
「おや。風邪を引いているのかい?」
冷たい風が吹いた所為か、くしゃみをしてしまった俺の前にノエルさまは膝を地面に付けた上で、自分の首に巻いていたマフラーを俺に巻いてくれたんだ。
「それは君にあげよう」
「あっ、えっ」
「遠慮しなくていい。民が健やかであることこそ、私の望みなのだから」
ろくに礼も言えない俺に微笑みかけ、ノエルさまは颯爽と去っていく。
その背中を眺めながら、俺は惚けることしかできなかった。
我に返ったのは家に帰る途中のこと。
(ちゃんと、お礼、言わなくっちゃ……)
母さまの手をぎゅっと握りながら、俺は頭の中でひたすらノエルさまへ話しかける練習をしていた。
練習の成果を披露したのは、間もなくのことだ。
それは母と共に管理をしている森、そこにある湖で一人、作業をしていた日のこと。
いつものように雑草を抜き、掃き掃除をし、湖の水面に浮かぶ木の葉や枝を回収していたら、げほげほと、木陰から咳こむ声が聞こえた。
誰かいる。
俺は恐る恐る、咳が聞こえた方へ視線を向けた。そこにはローブを着た誰かが、木に寄りかかって座っていた。
(子ども、かな?)
座っているので背丈はわからない。おまけにフードを目深く被っているので顔も見えない。
ただ、体をすっぽりと覆い隠しているローブには、見覚えがあった。大公家が正装の際に羽織るマントの柄と一緒だ。
縁に星の刺繍が施されたデザインは確か、男子が着るものだったはず。つまり——
(ノっ、ノエルさまっ!?)
俺は目を丸くした。どうして森の中で、しかも一人でいるのだと仰天した。
それでも俺は慌てつつも服についた葉っぱを払い、背筋を伸ばし、裏返った声で何度もシミュレーションをした挨拶を述べた。
「こっ、こんにちは! ノエルさまっ!」
「わっ!」
木陰から驚いた声が聞こえた。ガラガラに枯れている。どうもノエルさまは風邪を引いているらしい。
「もしかして、具合がわるいのですか? えと、えと、ちょっとだけまっていてください! もうすぐ、母さまが来ますので……!」
「……いい。ほうって、おけ」
ぜぇぜぇと、喋るのも苦しそうだった。きっと熱も出ているだろう。
ただ座っているだけでも辛い筈なのに、どうしてここに来たのだろうか? 俺は不思議に思いながら、未だ木陰から出てこないノエルさまの説得を試みた。
「ダメですよ、ノエルさま! ちゃんとお薬をのんで、ねましょう?」
「ダメだっ!!」
するとノエルさまは本調子ではない声で精一杯叫び、俺の提案を拒絶してきたんだ。
「ど、どうしてですか……? 具合がわるい時はそうしなさいって、いつも、母さまは……」
「……私、は、よわいところを見せちゃ、ダメなんだ。民を支える立派なひとに、ならなくちゃ、いけ、ないから……」
民を不安にさせない為に、完璧な姿だけを見せる。だから人目のない森にいたのだ。
何て志の高い方なのだと、俺は感動した。
常に民草を気にかけてくださるノエルさまは、既に立派な人だ。だがノエルさまも人間。今日のように、時には風邪をひいてしまうことだってある。理想を体現しようと無理をすれば、倒れてしまう。
下手をすれば、死んでしまうことだって——
(どうしよう。どうすれば、ノエルさまは休んでくれるかな?)
今こそマフラーのお礼を返すべきだ。
俺はそう思って、ない頭を捻り、うんうんとアイデアを考える。
そして一つ、思い付いた。
「そうだ、ノエルさま!」
「……げほっ」
「あっあっ、しゃべらなくて大丈夫です! ええっとですね、その……おれ、じつは『精霊』なんですっ!」
この湖は精霊が住処にしている、神聖な場所。
俺はその精霊のフリをすることで、ノエルさまの心を軽くしようとした。
「そしてここは精霊の前に、みんな平等です! ノエルさまでもだれでも、いやされるところなのです! だからガマンしないで、甘えていいんです!」
思い返せば何て幼稚な発想なんだと恥ずかしくなるが、当時はそれが最善だと信じ切っていて、精一杯演じていた。
「精霊……」
「しっ、信じられませんか? えと、こ、これがっ、ショーコですっ!」
そう言って俺は鞄から湖畔で拾った羽を取り出し、ノエルさまに献上する。
尤も目の前に突き出す勇気はないから、木の根元にハンカチを敷いて置いた形になるが。ノエルさまはちょっとだけ木陰から顔を出して、その半透明の羽を眺めた。
「俺が小さいころ、背中に生えていた羽です!」
嘘である。
だが湖畔で時たま見つかる半透明の羽が、精霊の羽と謳われているのは本当だ。
「信じてくれましたかっ!?」
「……う、うん」
ノエルさまは小さく頷いた。
気を遣わせてしまっていることにも気付かず、嬉しくなった俺は精霊として母さまから教わったことを語った。
「精霊の羽は体をいやすお守りなんだって、母さま言っていました! だから、差し上げますっ!」
「でも……」
「元気じゃないのに、がんばっちゃダメです! 具合もよくならないし、もっと苦しくなってしまう! ……俺、苦しがっているのを見るの、イヤです……」
「……う、ん。……わか、った」
「元気になるまで俺がそばにいますから、どうか、安心してください」
俺はぱっと笑顔を浮かべ、ノエルさまに言う。
「あなたさまは、ひとりぼっちじゃないですよ」
「……あり、がとう」
掠れた声で返ってきた、ノエルさまのお礼。嬉しかった。役に立てたと思えた。恩を返せたと思った。
ガサリ
丁度その時、藪の奥から母さまが俺の名前を呼びながら現れた。
「母さま!」
すかさず駆け寄って、俺は木陰を指差す。
「今ですね、ノエルさまが……! ……あれ?」
けれど、振り返った時にはノエルさまは姿を消していた。
ハンカチの上に置いていた精霊の羽もなくなっていて、ノエルさまはちゃんと持っていってくれたのだと悟る。
(ノエルさま、大丈夫かな?)
俺はろくに顔を見せてくれなかったことを心配したが、後日、ノエルさまが元気に騎乗している姿を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
三カ月後、公国が戦火に飲まれるなんて、知りもせず。
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