第三話 セルピナ公国の宝物
医療用のメスはナイフと同じように鋭い。ロープに切れ込みを入れる程度なら容易だ。
(あぁ、そう来たか)
ジョセフは心の中で感心した。
リチャードはこの場において刃物の鋭利さや、証拠の特定。更には犯人探しさえ、端から求めていなかったのだ。
欲していたのは『犯人役』。その役目を宮廷医師と決めた。それだけだ。
「殿下! 私はシャンデリアが落下したその時、現場にはいませんでした! 私ではありません!!」
これまで静観していた宮廷医師は顔を青ざめさせ、弁明を述べる。
実際、医師はシャンデリアが落下した後に呼び出され、大舞踏室へやって来た。
しかしそれは潔白の証明にはならない。
「ジョセフ曰く、シャンデリアは切り込みを入れられてから暫くあと……。つまり時間差で落下したという話だ。現場にいなくとも何ら不思議はない。寧ろ容疑から逃れる為に、手の込んだことをしたのでは?」
宮廷医師は言葉に詰まった。
大舞踏室に出入りできる誰もが容疑者で、誰もが刃物を持てる状況で、犯人を見付けることなど困難極まりない。
ならば誰もが持てない刃物を使えた者を、犯人役にすれば——事件は解決する。
それはおかしいと異議を唱える者は本人以外、現れない。そうすれば再びカオスが訪れ、自分自身が犯人とされるかもしれないから。
「それでも私ではありません! 私は王家に忠誠を誓い、長年仕えて……!」
「長年、仕えてきたんだ。積もった不満が爆発したのか?」
「いいえ、いいえ! 殿下、検証すればきっと、私ではないとわかって」
「動機は牢でじっくり聞かせてくれ」
近衛兵が宮廷医師の腕を掴み、連行を開始する。
「私ではありません、殿下! 殿下ぁっ!!」
悲痛な叫びが、扉の奥へ消えていった。
仮初の安寧が戻ったことに、大舞踏室の空気は緩み、人々は安堵の息を漏らしている。
(不安や不信が広がらないよう医師をスケープゴートにした、というところか? 為政者らしい振る舞いだな)
その空気に飲まれず、ジョセフはじっと、壇上で尊大に構えるリチャードを眺めていた。
(まるで本当の、王太子のようだ)
殺すべき仇と重なる姿に、途方もない憎しみを滾らせながら。
◇
シャンデリア落下事件は表面上、解決した。
だがフレデリーカ王太后が死にかけたことには変わりない。この状況で舞踏会を続けることはできない、と判断したリチャードは、ゲストの退場を使用人に任せ、王太后とソフィア、そしてジョセフを連れ控えの間へ場所を移していた。
「母上、どこか痛む場所はありますか? 氷嚢を用意しましょう」
「ありがとう、私の可愛い子。でも、大丈夫よ。怪我はしていないわ」
豪奢なソファに腰を下ろしたフレデリーカ王太后は、傍らに膝をつくリチャードへ穏やかな笑みを向ける。
(こうして並ぶと、母子というより祖母と孫だな)
部屋の隅で待機しながら、ジョセフは心の中で呟いた。
フレデリーカ王太后が特別、老けて見える訳ではない。実年齢を考えれば寧ろ若々しいと言える。
ただ彼女は、リチャードを授かった頃には既に高齢だった。
先王とは若くして婚姻を結んだものの、長く子宝に恵まれず、生まれた子はリチャードただ一人。
王家待望の嫡子であり、最初で最後の我が子だった。
(その息子は今、生死もわからない)
目の前で母を気遣っているのは、息子の皮を被った別人だ。
にも拘らず王太后は一切を疑うことなく微笑み返し、偽物は慈愛に満ちた息子を演じ続ける。
(ハッ。実に滑稽だ)
ジョセフは冷ややかな目で、茶番を見詰めた。
(それにしても、公爵家に本物がいないことが確定してしまったな。どうしたものか)
舞踏会の欠席者に公爵家の者はいない。ジョセフの考える候補者全員が揃っていた。
だが誰も、本物のリチャードではなかった。この結果では今後の方針を定められない。
(貴族だという推測は間違っていない筈だ。でなければ為政者として振る舞えない。もしや子爵以下の身分なのか? その程度の身分であんな泰然自若に構えられるか?)
全貴族の前で平然とパフォーマンスをやり切った偽物は、どう見ても、人の上に立つことに慣れている。
下級貴族があの重圧を纏えるとは、どうしても考えられない。
(……もしや、王国内の人間じゃない?)
その発想に至ったと同時に、ジョセフは血の気が引いた。もしも偽物が国外の人間だった場合、候補者の範囲が一気に広がってしまう。
頭の中がこんがらがりそうになったところで、ジョセフは一旦、頭を振ると、思考を切り替えた。
(落ち着け。わかったことを整理すれば、何か見えてくるかもしれない。とりあえず、偽物はフレデリーカ王太后に、一欠片の慈愛も抱いていないことは確実だな)
本物のリチャードでなくとも、王家に忠誠を誓っている者ならば、命を狙った変事に危機感を覚えるだろう。
晩餐会で反逆者を処断した辺り、正体が何であれ、偽物は王家に肩入れしている敵だとジョセフは認識していた。
だが王太后の危機に直面した偽物は、全く彼女に寄り添わなかった。ジョセフが声をかけるまで、無表情で燃えるレッドカーペットを眺めていただけ。
リチャードの人柄を知る者ならば、明らかに不自然な行動だとわかる。
(特にあいつの側に居たソフィアは、違和感を覚えているのでは?)
そこでジョセフは視線を動かし、ソフィアの様子を窺った。
彼女は今、リチャードの隣で王太后を労っている最中だ。
「王太后さま。お怪我がなくて、本当によかった」
「ありがとう、ソフィア。貴女がリチャードのパートナーで、本当によかった。本当に、本当に……」
噛み締めるように同じ言葉を繰り返す王太后に、ソフィアはどこか辛そうに眉を寄せる。
次いで僅かに疑惑を孕んだ瞳で、リチャードを一瞥した。
(あぁ、やはり訝しんでいる)
ジョセフは薄っすらと微笑む。
シャンデリア事件によって、ソフィアには疑惑の種が植え付けられた。それとなく水を注げば、やがて芽吹くだろう。当初の目的——本物を炙り出すことは叶わなかったものの、これはこれで前進と言える。
リチャードと立場が同等なソフィアならば、ジョセフよりも発言力が強い。偽物を追い詰め、捕らえてくれるかもしれない。
(国外の人間が偽物だとすると、ソフィアに探られた方が痛手になるかもしれない。ま、その途中でたとえ国外追放される事態に陥ろうが、俺はダメージを負わないしな)
偽物と対立することでソフィアの立場がどれだけ悪くなろうが、彼女は反逆者と無関係。暗殺計画に支障は出ない。丁度いい人身御供だ。
これを機に利用しよう。そう判断したジョセフはさり気なくソフィアに歩み寄ろうとする。
だがその直前、扉が開き、ジョセフは反射的に足を止めた。
「奥さま、お持ちしました」
「ご苦労さま」
現れたのはフレデリーカ王太后の侍女。
彼女の手には、小ぶりなジュエリーボックスが乗せられている。どうやら使いを頼まれていたようだ。
そのジュエリーボックスを侍女から受け取った王太后は、蓋を開き中身を確かめる。そして再び蓋を閉じると、柔らかな笑みを浮かべた。
「ソフィア、こちらへいらっしゃい」
呼ばれて、少々戸惑いながらも前に出るソフィア。
「今日のことで、私はいつ命を落としてもおかしくないのだと、実感しました」
「王太后、そのような……」
「ですから渡せるうちに、渡してしまいますね」
そのまま王太后はジュエリーボックスをソフィアに差し出した。
死を意識したからこそ、生きているうちに託しておきたくなったのだろう。
ジョセフはソフィアに話しかける機会を窺いながら、二人のやり取りを冷めた目で見守る。
「本日は王太后の誕生日です。私が贈り物を受け取る訳にはいきません」
「では御義母さまと呼んでくれる?」
「えぇ? 婚前ですし、不敬になります」
「じゃあ私のプレゼントを拒否するのも不敬ね」
「……仕方ありませんね」
悪戯っぽく笑う王太后に苦笑しつつ、ソフィアはジュエリーボックスを受け取った。そしてその場で蓋を開ける。
途端。ジョセフの思考が、停止した。
「綺麗でしょう? 結婚式に是非、着けて頂戴」
先程は蓋が壁となって見えなかった中身が、見える。
それは夜空を切り取ったかのような、瑠璃色の宝石。
散りばめられた金の粒は星々のように煌めき、黄金の石座がその輝きをより一層引き立てている。
(あれ、は)
見間違えるはずがなかった。
大きさも。形も。瑠璃色の濃淡も。金の粒が走る位置までも。
ジョセフは、その宝石を知っている。
ラピスラズリ。
セルピナ公国の公家に代々受け継がれてきた秘宝――そのものだった。




