第二話 リチャードの泣きどころ
(フレデリーカ王太后。小国から嫁いできた、先王の正妻)
陛下にエスコートされ、長いドレスの裾を引きずりながら大階段を下る、フレデリーカ王太后。
彼女はリチャード以外の子を産めなかった。しかし先王が側室を迎えることを、ことごとく拒否。
先王が亡くなってからは更に過激になり、継承権を持つ王族をみな、王都から遠ざけてしまった。
リチャードが玉座に座るその日まで、誰も寄せ付けない為に。
(そんな王太后の寵愛を受けて育ったリチャードは、母親思いな人間として育った)
陰謀渦巻く王都の中で、唯一絶対の味方。
王太后の前では、王太子らしく超然と振る舞う仮面が剥がれ、幼い一面を見せることもある。
所謂、リチャードの泣きどころ。
(利用しない手はない)
ジョセフは不敵に笑う。
舞踏会に招待された貴族は上流のみ。公爵家と侯爵家、そして一部の伯爵家。丁度いい少なさである。
現国王陛下ことリチャードの祖父は多忙を理由に、早々に退室をした。持病が悪化しているのか、最近は顔見せだけですませることが多い。
王太后も二、三人ダンスの相手をしたところでホールから離れる。彼女は体力がないのだ。
壇上にあがり、豪奢な椅子に腰を下ろし貴族達を眺める。時折り、挨拶に来た訪問者と言葉を交わす。
いつも通りの流れ。狂いはない。これならば仕掛けは最大限、効果を発揮してくれることだろう。
(仕掛けはシンプルだ。主賓席のある壇上、その上に飾られた、シャンデリアを支えるロープに切れ目を入れる。それだけ)
王太后に見守られるなか、舞踏は続く。幾組もの貴族たちが床を踏み鳴らし、絶え間ない振動がホール全体を揺らす。
そうすれば元より細くなっていたロープは、徐々に千切れていき——
「きゃあああ!!」
絹を裂いたかのような悲鳴があがった。
壇上に、シャンデリアが落下したのだ。
「王太后!」
「フレデリーカさま!」
「誰か! 医師を呼べ、誰かっ!」
落下したシャンデリアは、ホール中央にあるものと比べて小ぶり。主賓席に直撃もしていない。
あくまで脅しだ。尤も仮に王太后に直撃しようが、構わなかったが。
大きな騒ぎになるほど、混乱は伝播する。
その状況こそ、ジョセフの望む展開。
(さて、誰が真っ先に駆け寄る?)
公爵家の嫡男か、当代か。
ジョセフは注意深く周囲を見渡す。
向かったのは——ガビンズ伯爵であった。混乱から動けなくなっているのを見兼ねて、先に動くことにしたらしい。
王太后への思い入れが少ないからこそ、冷静に動けたと言える。
(何? おかしい。リチャードこそ真っ先に向かうはずだ)
ガビンズ伯爵は帝王学を修めていない。彼にリチャードの成りは務まらない。
しかし御三家や公爵家は対応が後手に回っていて、とてもリチャードの魂が入っているようには見えなかった。
そのリチャードの演技をすべき偽物も、ソフィアの腰に手を回した体勢のまま、固まっている。
完璧にリチャードを演じてきた彼ならば、内心はどうあれ王太后に心を砕くべきなのに、動かない。
(んん? どうなっている。ここに来てボロを出すような奴じゃなかっただろう)
不可解な光景を訝しみながらも、ひとまずジョセフはリチャードの元に駆け寄ると、従者として退室を促した。
「リチャードさま、ソフィアさま。設備に不備があったようです。安全が確認されるまで、屋外に……」
「……いや」
リチャードは小さく首を振る。彼の視線はずっと壇上に向けられていた。
壇上では火事を警戒してか、水の魔術が飛び交っている最中だ。過剰に放水しなくとも大舞踏室は石造りなのだから、さほど延焼しないだろうに。
「……ジョセフ、出入り口を閉めろ」
「はい?」
「使用人通路やバルコニーも含め、全ての扉を封鎖しろ」
「リチャードさま、それは」
「あれは事故ではない。母上を謀殺しようとした犯人は、この場にいる」
ざわっと、リチャードの周囲にした貴族達がどよめく。
手入れが行き届いているシャンデリアが急に落下したのだ、仕掛け人を疑うのは当然の帰結。だが王太后が退室もしないうちに言い出すとは思わなかった。
命を受けたジョセフはうやうやしく頭を下げた後、近衛兵と共に全ての出入り口を封鎖した。
フレデリーカ王太后さえ、留まらせて。
戸惑う貴族達の横を通り抜け、リチャードは大階段へ向かう。
「ジョセフ、ソフィアを頼む」
「いいえ、私もお供します」
その際、ソフィアを下がらせようとしたが本人が拒否。
リチャードはソフィアと共に、大階段の上でホールを見下ろした。
「さて、犯人探しをしようじゃないか」
リチャードは笑う。
くすくすと、無邪気な子供のように。
(……晩餐会の時と、同じ笑み)
あれはフレデリーカ王太后を心配している訳でも、犯人に憤っている訳でもない。
偽物はこの事件を、楽しんでいる。
「これは紛れもない、王家殺人未遂。どうやら私は、反逆者を排除しきれていなかったようだ」
水を打ったように静まり返る大舞踏室。
だが冷静になった訳ではない。半端に口を開けたまま絶句する者。口を引き結び、全身を強張らせる者。口を手で覆い、吐き出しそうになる者。
——皆が皆、混乱と緊張、そして恐怖に飲まれている。
落ち着いているのは、例の晩餐会でこの空気を既に味わっている、ガビンズ伯爵とカトリーヌ侯爵令嬢ぐらいだ。
(本気で犯人探しをする気か? だが生憎と、証拠は残していないがな)
階段の脇で、ジョセフは人知れず冷笑する。
ロープに切れ目を入れたのは、会場にあった果物ナイフだ。既に返却ずみのそれは軽食用として各テーブルに備えられ、使用人でなくとも手に取れる。
つまり、誰でもロープを切れる。
晩餐会の時と異なり、“揺るぎのない正解”など存在しない。
目撃者も許さなかったなか、リチャードは誰を犯人に仕立て上げる気なのだろうか。
(それとも俺と当たりをつけ、言いがかりをつけてくるか? やってみろ。強制的に牢にぶち込むつもりなら、王太后の放置というボロとスウィッチの存在を暴露し、偽物だと疑惑を植え付け、信用を地に落としてやる……!)
「ジョセフ、ロープを調べてくれないか?」
そこで不意に飛んできた、リチャードの命令。
ジョセフは思わず目を瞬かせた。
「……は? ロープ、ですか?」
「シャンデリアを吊るしていたロープだ。行ってくれ」
「わ、わかりました」
ジョセフが犯人だと気付いていないのか、それとも瑕疵を誘発したいのか。
いずれにせよ人任せにするなど、証拠隠滅してくださいと言っているようなものだ。リチャード自ら現場検証すればいいだろうに、とジョセフは呆れながら壇上へ向かい、床に転がったシャンデリアとそれに繋がるロープを検分する。
「切り込みが入れられていた形跡があります。切り口からして、鋭利な刃物かと。振動や自重により、時間経過で千切れたのでしょう」
報告に嘘はない。
そして今後も、誰が見ても『刃物で切り込みを入れた』以上の情報は得られないだろう。
ジョセフがそうしたのだから。
「ほう。では整備を担当していた使用人、前に出てくれ」
リチャード冷たい声に、ひっと、短い悲鳴が聞こえた。だが締め切られた大舞踏室で逃げ場などある筈もなく。
やがて近衛兵に引きずられる形で、メイドとバトラーが数人、階段下へ引き出された。
「わ、わ、私、何も知りません……っ! 蝋燭を変えた時、不備なんて……」
「わっ、私も! 滑車もロープも正常でした! 本当です!!」
今にも泣き出しそうな顔で弁明する使用人達。
証拠があろうとなかろうと、特権階級相手に勝ち目はない。この場で犯人だと断じられれば極刑が待っているのだ、必死にもなる。
「君達に聞こう。会場にはどんな刃物がある?」
「え、ええと、確かテーブルに果物ナイフが……」
「そうです! 給仕は包丁を持っていました! 切れ味はその方がずっといい!!」
一人の使用人の発言によって、今度は給仕に疑惑の目が向かった。
「い、いいえ! ロープを切るのでしたら、近衛兵の剣の方が……!」
「そっ、そうだ! そうだ!」
「いいや! 剣の使用は目立ち過ぎて犯行ができないだろう、馬鹿なことを言うな!!」
誰が怪しい。これが怪しい。と反論し合い、容疑を押し付け合い、大舞踏室はカオスな空気に包まれていく。
やがてペーパーナイフやガラス片でもロープは切れる、などと範囲を広げにかかり、議論は錯綜していく。ガビンズ伯爵が取り纏めていた晩餐会とは大違いだ。
パンッ!
混迷が極まってきた辺りで、乾いた音が響き渡った。
「沢山の刃物の名前が出てきたが、どれも不正解だな」
手を叩いた張本人、リチャードは緩く微笑みながら不可解なことを口走る。
「わからないか? では教えよう」
果物ナイフ以外、それどころか包丁や剣さえも除外した。
何を言う気なのだと、ジョセフは体を固くする。
「ジョセフ、救護箱を開けてくれ」
だが次に告げられた命令で、ジョセフは察した。
フレデリーカ王太后に付き添っている宮廷医師、彼の持つ救護箱の中には——
メスが、入っている。
「それだな」
リチャードは、断言した。




