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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第九十八話 春を待つ剣

第九十八話 春を待つ剣

 旧温室の硝子が砕けた日から、ルシェルは学院の表に姿を見せなくなった。

 白薔薇の香りも、あの薄い笑みも、廊下から消えた。

 けれど、それで全てが終わったとは思えなかった。

 ただ、伸びていた白い手が、一度引っ込んだだけ。

 そんな気がした。


「……本当に何もしてこないのが、逆に気味悪いわね」


 昼休みの教室で、ローゼリアが腕を組んで呟いた。


「そうね。あの男が大人しくしているとは思えないもの」


 セシリアも不機嫌そうに頷く。


「何かしてきたら、今度こそ王女として正式に抗議するわ」


「その前に私が殴るわ」


「だから殴っちゃ駄目って言ってるでしょ」


「相手によるって言ったはずよ」


 二人のやり取りに、ニカが小さく笑った。


「でも、白い花の匂いはしなくなったよ」


「それは助かる」


 俺はそう答えながら、窓の外を見た。

 夏の光は、少しずつ弱くなり始めていた。

 海辺の熱も、歓声も、白く光る波も、今は少し遠い。

 けれど、夏に動かしたものは、確かに数字として残っていた。

 その数日後、俺はハルヴェイ商会の王都支店で、レインと向かい合っていた。


「夏期事業の最終集計が出ました」


 レインはいつものように、整った所作で書類を差し出した。


「総売上、二億一千八百万ビル。純利益、一億二千六百万ビルです」


「……何回聞いても、桁が怖いですね」


「慣れてください。アイリスさんは、これを扱う側になったのですから」


 さらりと言われたが、慣れる気はまったくしなかった。


「契約に基づくアイリスさんの取り分は、二千八百四十万ビルになります。清香布関連のダリオ子爵分は、三百二十万ビルで処理済みです」


「ダリオさん、笑ってました?」


「ええ。たいへん下品に」


「想像できます」


 レインは小さく笑い、別の書類を重ねた。


「ですが、夏だけで終わりではありません。冬期商品の仕込みも進めています」


 その言葉に、俺は頷いた。

 夏は、外へ出る事業だった。

 海へ行く。

 水着を着る。

 浜辺で過ごす。

 つまり、新しい行動を作る必要があった。

 けれど、冬は違う。

 寒い日は家にいる時間が長くなる。

 外へ出れば手が冷える。

 乾燥で手が荒れる。

 室内で過ごす時間が増えれば、大人も子どもも退屈する。

 それは、王都の人たちがすでに普通にしている生活だ。

 なら、その生活の中に商品を置けばいい。


「温香布は、まず獣車移動と屋外仕事の人に刺さると思います」


 俺は書類を指で押さえながら説明した。


「手に持つ、懐に入れる、寝具の足元に置く。それだけで冬の辛さは変わりますから」


「発熱袋の小型化は、薬師と素材商の協力で量産に入れます」


「手温め香膏は、陽除け香膏の冬版ですね。乾燥で手が荒れる人は多いです。貴族の女性だけじゃなく、商人も職人も学院生も、手を使わない人はいません」


「実用品として売れる、ということですね」


「はい。でも、冬の本命は遊具です」


 レインが目を細めた。


「リバーシ、チェス、かるたですね」


「リバーシは単純です。説明が短くて済む。子どもでも大人でも遊べる。安価版と高級版も分けやすい」


 前世では当たり前にあった遊びでも、この世界では違う。

 ただし、俺はそれをそのまま口には出さない。

 重要なのは、知識を持っていることではなく、この場所に合う形へ変えることだ。


「チェスは遊びとしても売れます。でも騎士団向けには、盤上で駒の役割や位置取りを考える訓練として売れます。守る駒、捨てる駒、誘導、挟撃、逃げ道の確保。遊びながら、考える癖がつく」


「騎士団向けの訓練盤は、高単価にできますね」


「ええ。一般向けとは別にできます」


 そして、かるた。


「かるたは子ども向けです。文字札と絵札を合わせる遊びにします。貴族の子どもには知育として売れますし、安価版なら庶民の子どもにも広げられます」


 俺は一度、言葉を選んだ。


「王都では文字を読める人も多いです。でも、誰もが当たり前に読み書きできるわけじゃありませんよね。貴族や商人の家ならともかく、余裕のない家の子どもまで、きちんと文字を学べるとは限らない」


「遊びながら文字に触れる入口、ですか」


「はい。貴族には美しい絵札と教養を。庶民には安くて丈夫な札を。目的は違っても、遊び方は同じです」


 レインは、少しだけ感心したように息を吐いた。


「夏は、新しい行動を作った。冬は、すでにある生活へ商品を差し込む。そういうことですね」


「はい。だから冬の方が、入り込みやすいと思います」


「……アイリスさん」


「何ですか?」


「あなたは、自分が何を証明しようとしているのか、分かっていますか」


「売れるものを作れる、ですか?」


「いいえ」


 レインは静かに首を振った。


「季節が変わっても、人の生活を読んで商品を作れる。そう証明しようとしているのです」


 それは、少し重い言葉だった。

 夏が終わり、学院の木々が色を変えた。

 ルシェルは姿を見せない。

 噂は消えない。

 けれど、日々は進む。

 朝の訓練場では、ニカが少しずつ全力で走れるようになっていった。


「もう平気?」


「平気。たぶん」


「たぶんって」


「バルバラが怒るから、完全に平気とは言わない」


「賢い」


 ニカは笑い、足裏で地面を蹴った。

 以前より、動きがしなやかになっている。

 バンデットとの連携も、力任せではなくなった。

 受け流す。

 逃がす。

 返す。

 小さな身体の中で、衝撃の行き場を選ぶようになっていた。

 セシリアはシルの糸を、攻撃以外にも使い始めた。

 足場を作り、味方の体勢を支え、相手の視線を誘導する。


「見てなさい、アイリス。私は王女だから強いんじゃないわ。強くなる王女なのよ」


「かっこいいね」


「そ、そういう軽い言い方をしないでちょうだい!」


 ローゼリアはブライアの荊をさらに細く、速く、正確に操るようになった。


「力任せに絡めるだけでは芸がないわ。逃げ道を潰すなら、相手が逃げたいと思う前に潰すのよ」


「ローゼリア、言い方が怖い」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


 レオスも変わらず訓練場にいた。

 深い緑の髪を揺らし、片手剣を振るう。

 派手さはない。けれど、無駄も少ない。

 非契約者。

 魔法は使えない。

 それでも、彼は弱くない。

 魔力圧を足裏に定着させて踏み込みを鋭くし、剣に薄く纏わせて打ち込みの重さを増す。

 合同訓練で一度手合わせした時、俺はあっさり負けた。


「また負けた」


「剣に迷いがある」


「一言が重いね」


「軽い剣よりはいい」


「それ、慰め?」


「事実だ」


 腹は立つ。

 でも、分かる。

 レオス・バルドは強い。

 魔法が使えないから弱いのではない。

 魔法が使えないからこそ、弱さを一つずつ潰してきた剣だった。

 俺も負けてはいられない。

 魔法はまだ扱えない。

 魔力圧も、出せば危ない。

 抑えるだけで精一杯だ。

 だから俺は、剣と身体を鍛えるしかない。

 イザベラ先生は、俺が片剣になってからの動きを徹底的に見た。


「お前は剣が折れた時、動きが止まる癖がある」


「剣を扱うなら当然ではないんですか?」


「違う。生き残る奴は、武器が折れてからがしぶとい」


 その言葉は、妙に耳に残った。

 季節はさらに進んだ。

 冬が来る頃、ハルヴェイ商会の冬事業は一気に動いた。

 温香布。

 手温め香膏。

 リバーシ。

 チェス。

 かるた。

 それらは、予想以上に王都の冬へ入り込んだ。

 獣車の中で温香布を握る商人。

 手温め香膏を塗る学院生。

 暖炉のそばでリバーシを囲む家族。

 騎士団の詰所で、チェス盤を前に唸る若い騎士。

 子どもたちが絵札を取り合いながら、文字を声に出す光景。

 その報告を聞いた時、俺は少しだけ胸が熱くなった。


「冬期事業の集計です」


 冬の終わりが見え始めた頃、レインは再び書類を持ってきた。


「総売上、三億一千二百万ビル。純利益、一億五千八百万ビル」


「……夏より多い」


「はい」


「本当に?」


「本当です。契約に基づくアイリスさんの取り分は、三千六百八十万ビルになります」


 俺は思わず額を押さえた。


「大丈夫ですか」


「数字に殴られてます」


「慣れてください」


「無茶言わないでください」


 レインは少しだけ笑った。


「ですが、アイリスさんの読み通りでした。冬は、人が家にいる時間が長い。そこへ娯楽と実用品を置いた。商会としても、非常に大きな成果です」


「一発当てた、じゃ済まなくなりましたね」


「ええ。夏も冬も売れた。これは危険な成功です」


「危険、ですか」


「はい。季節が変わっても売れる。場所が変わっても売れる。身分が違っても売れる。そう証明してしまいました」


 嬉しいことのはずなのに、背筋が少し冷えた。

 価値を持つということは、欲しがられるということだ。

 その言葉を、俺はもう知っている。

 けれど、それでも止まる気はなかった。

 ここまでの間に、リィナも大きく変わっていた。

 最初は途切れ途切れだった言葉が、今ではかなり自然になっている。


「アイリス、今日は来るのが遅かった」


「ごめん。訓練が長引いた」


「謝らなくていい。……たぶん。友達は、遅れても返されないって、ニカが言ってた」


「ニカ、いいこと言うね」


「うん。ニカはいい」


 リィナはそう言って、小さく笑った。

 普通に話せる。

 けれど、言葉の奥にはまだ檻の中で覚えた癖が残っている。

 ガルドとの距離も、少しずつ縮まっていた。


「ガルド、今日も仕事?」


「ああ」


「じゃあ、帰ってくる?」


「帰ってくる」


「……うん。待ってる」


 その一言だけで、ガルドはしばらく言葉を失っていた。

 ロッカも、完全ではないが鍛冶場へ戻り始めていた。

 そして、冬の終わり。

 俺はロッカの作業場に呼ばれた。


「来たか」


 ロッカは、布に包まれた二本の剣を作業台に置いた。


「お前の剣だ」


 俺は息を呑んだ。

 今まで俺が使っていたのは、一般的な安い双剣だった。

 悪い武器ではない。

 けれど、俺のために作られたものではない。

 長さも、重さも、握りも、誰にでも合うように作られた普通の剣。

 その片方は、灰晶石混じりの剣に折られた。

 ロッカは布を外す。

 二本の剣が現れた。

 派手ではない。

 宝石もない。

 異様な気配もない。

 けれど、綺麗だった。

 実用のために削ぎ落とされた美しさがあった。


「勘違いすんなよ。名剣じゃねえ」


 ロッカがぶっきらぼうに言う。


「今のお前に合わせた、ちゃんとした剣だ。今までの安物よりは、ずっとマシだがな」


 俺は一本を手に取った。

 握った瞬間、違いが分かった。

 柄が手に合う。

 重さが怖くない。

 振る前から、どこへ刃が行くか分かる。

 もう一本は、わずかに重心が違った。

 片方は受けやすく、片方は抜けやすい。

 俺の癖を見て作られている。


「……私専用ってこと?」


「そうだ」


 その短い返事が、思った以上に胸に来た。


「これはテンションがあがるね」


「何がだ」


「私のための武器って」


 ロッカは少しだけ目を逸らした。


「これは完成品じゃねえ。今のお前が、ちゃんと戦うための剣だ」


「うん」


「お前が変われば、次の剣も変わる」


「じゃあ、これは最初の剣だね」


「そう思っとけ」


 俺は二本の剣を腰に差した。

 今までより少しだけ重い。

 けれど、不思議と身体に馴染んだ。

 春を待つ風が、王都に吹き始めていた。

 学院の木々には、まだ小さな芽しかない。

 けれど、冬は確かに終わりへ向かっていた。

 その日、イザベラ先生が教室の前に立った。


「年度末模擬戦を行う」


 教室がざわついた。


「相手は王国騎士二名。目的は勝敗ではない。今の自分が、王国の実戦経験者にどこまで通じるかを知ることだ」


 イザベラ先生の目が、生徒たちを見渡す。


「勘違いするな。これは処刑台じゃない。訓練だ」


 王国騎士。

 その言葉に、教室の空気が変わった。

 憧れ。

 緊張。

 誇り。

 不安。

 俺は腰の新しい双剣に触れた。

 初めての、俺のための剣。

 今までより少しだけ重い。

 けれど、その重みは不思議と嫌ではなかった。

 春を待つ風が、窓の外を通り抜けていく。

 俺はその重みを確かめるように、静かに指先を添えた。


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― 新着の感想 ―
アイリスは一歩一歩成長しているようですね。 歩みは遅くても、足を止めなければ、いつか何かは物になるかと思います。 王国騎士との模擬戦で、何かを得られればよいですね。
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