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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第八十八話 ベルゼア第四加工倉

第八十八話 ベルゼア第四加工倉

 白薔薇回廊から戻った時、診療所の明かりはまだ落ちていなかった。

 窓を覆う厚い布の内側で、薬瓶の淡い色だけが棚に揺れている。

 乾燥薬草の匂いと酒精の匂い。

 昨夜からほとんど変わらない空気の中で、ニカは寝台に横になっていた。

 眠っているかと思った。

 けれど、近づく前に金色の目がこちらを向く。


「遅い」


「寝てなかったの?」


「寝ろって言われたら寝たくなくなる」


「子どもか」


「アイリスに言われたくない」


 声はまだ弱い。

 けれど、軽口を返せるくらいには戻っている。

 それだけで、胸の奥に詰まっていたものが少しだけ解けた。

 バルバラは椅子に腰掛け、足を組んで薬瓶を磨いていた。

 白衣の隙間から覗く胸板と腹筋は、夜中に見るには情報量が多すぎる。


「戻ったわね。で、白薔薇の坊やは何をくれたの?」


「ベルゼア第四加工倉」


 その名を出した瞬間、壁にもたれていたダリオの眉が動いた。


「……嫌な名前が出たな」


「知ってるんですか」


「噂だけはな。灰鴉は売る場所だ。だが、そこは売らねえ場所だ」


「売らない?」


「使い潰す場所ってことだ」


 ダリオの声に、いつもの軽さはなかった。

 リィナは部屋の隅で膝を抱えていた。

 俺が戻ってきてから、何度もこちらを見ている。

 けれど、会話の意味までは分かっていないのか、首を小さく傾げたままだ。

 俺はルシェルから受け取った紙を広げた。


「王都南区外れ。表向きは石材と木材の加工倉。いくつかの商会を挟んだ所有になっていて、ベルゼアの名前は表に出ない。奥に灰炉と呼ばれる炉区があって、ロッカさんはそこで炉番として使われている可能性が高い」


「ロッカ……」


 ニカが小さく呟いた。


「助けに行くんだよね」


「行く」


「いつ?」


「早い方がいい。場所が分かった以上、時間を置くほど危ない」


 ニカは身体を起こそうとした。

 その瞬間、バルバラが薬瓶を机に置く音が響いた。


「寝なさい」


「まだ何も言ってない」


「言う顔してたわよ」


「私も行く」


「却下」


 即答だった。

 ニカは不満そうに眉を寄せる。


「まだ動ける」


「動けるのと、動いていいのは違うわ。あんたの身体の中は毒で荒らされたばかり。歩くだけなら止めないけど、戦闘なんてしたら傷口が開く。毒が回った場所がまた熱を持つ。最悪、今度は本当に死ぬわよ」


「でも」


「でもじゃない」


 バルバラの声が低くなった。


「友達を助けに行きたい気持ちは美しいわ。でもね、死にかけの身体でついていって足を引っ張るのは美しくないの」


 ニカは唇を噛んだ。

 俺は寝台の横に立った。


「ニカ」


「分かってる」


「分かってない顔してる」


「分かってるけど、納得はしてない」


「それでいいよ」


 ニカが顔を上げる。


「納得しなくていい。怒っててもいい。でも、今は寝てて」


「一人で行くの?」


「一人じゃない。ダリオさんに手を借りる」


「それでも、私は行けない」


「うん」


「悔しい」


「うん」


 ニカの拳が布団の上で震えた。

 その悔しさは、分かる。

 俺だって、昨夜ニカが毒で倒れた時、何もできない自分に腹が立った。

 助けたいのに、動けない。

 手を伸ばしたいのに、伸ばせない。

 その感覚は、胸の内側を削る。


「帰ってきたら、怒っていいよ」


「絶対怒る」


「うん」


「無茶したらもっと怒る」


「気をつける」


「約束」


 俺は少しだけ笑った。


「約束する」


 ニカはまだ不満そうだったが、それ以上は言わなかった。

 友達だからこそ、止めたい。

 友達だからこそ、置いていく。

 どちらも間違いじゃないのが、ひどく面倒だった。

 リィナがゆっくりと顔を上げる。


「ろ……っか?」


「ロッカさん。探してる人の名前」


「火の、ところ?」


「たぶん」


「灰……あつい。黒い手」


 リィナは自分の手を見た。

 その瞳が、どこか遠くを見ている。


「大きい手。かたい手。火のにおい」


 俺は息を止めかけた。


 白い髪の人。

 歌。

 大きい手。

 硬くて温かい手。

 バルバラは机の引き出しを開け、小さな布包みを三つ取り出した。


「持っていきなさい」


「これは?」


「止血薬、痛み止め、目潰し用の刺激粉。使い方を間違えると自分も泣くわよ」


「ありがとうございます」


「礼は金でいいわ」


「払います」


「ハッハー、本当に可愛げがあるんだかないんだか分からない子ね」


 バルバラは俺の顔をじっと見た。


「それと、その顔は隠しなさい」


「顔?」


「そのまま行ったら目立つわ。美しいことは罪じゃないけど、潜入には向かないの。こっちへ来なさい」


 抵抗する前に、椅子へ座らされた。

 バルバラは慣れた手つきで俺の髪を布の中へまとめ、肌に薄く煤のような色を乗せていく。

 目元の印象をぼかし、頬の線を少しだけ崩す。

 美しさを消すというより、視線が引っかからないように塗り潰していく化粧だった。


「美しさを隠す化粧なんて最低だけど、これも美のためね」


「どっちですか」


「どっちもよ」


 ダリオが俺を見て、にやりと笑った。


「嬢ちゃん、その顔は武器だが、今夜は邪魔だ。薄汚れた搬入係くらいがちょうどいい」


「似合います?」


「びっくりするほど似合わねえ」


「それでいいです」


 双剣は布で包み、工具袋の底に隠した。服も地味な労務者用の厚手のものに替える。動きやすいが、粗い布が肌に擦れて少し痛い。

 ダリオが用意したのは、修繕用の炉材を運ぶ搬入札だった。


「ベルゼアの名前は出ねえ。間に三つ商会を挟んでる。こっちの札なら搬入口までは行ける」


「中は?」


「入ってから考える」


「雑ですね」


「裏仕事なんて、だいたい雑なもんだ」


 そう言いながらも、ダリオの準備は的確だった。

 搬入用の獣車。

 偽の荷。

 作業員の外套。

 金を握らせる相手の名前。

 見張りが交代する時刻。

 金で動く男は、金で動く連中の扱いを知っている。

 俺は診療所を出る前に、もう一度ニカを見た。


「行ってくる」


「帰ってきて」


「うん」


「ロッカさんも連れて」


「うん」


 ニカは小さく息を吐いた。


「じゃあ、行ってらっしゃい」


 その声を背に、俺は扉を開けた。

 王都南区の夜は、白薔薇回廊とはまるで違っていた。

 同じ月明かりの下にあるはずなのに、こちらの光は鈍い。

 倉庫街の壁は煤け、細い路地には石粉が溜まり、空気には焼けた木と熱い石の匂いが混ざっている。

 獣車の荷台に揺られながら、俺は外套の下で息を潜めていた。

 ベルゼア第四加工倉。

 ルシェルが差し出した道。

 気に食わない。

 けれど、正確だった。

 紙にあった目印の煙突が見える。

 欠けた石壁。

 赤黒く汚れた排水溝。

 搬入口の横に吊られた、煤で読みにくくなった商会札。

 ベルゼアの名はどこにもない。

 だからこそ、そこにある。

 搬入口には二人の見張りが立っていた。

 どちらも商会の私兵に見える。

 粗い革鎧。

 腰の短剣。

 眠そうな目。

 だが、こちらの札を見る目だけは妙に鋭い。


「遅いぞ」


 見張りの一人が言った。

 ダリオの手下に扮した御者が、面倒くさそうに札を見せる。


「炉材だ。南の倉で止められたんだよ。文句なら向こうに言え」


「中の連中に顔を見せるなよ。情が移ると面倒だ」


 もう一人の見張りが笑った。


「特に炉番の小人どもはな。目を合わせると余計なことを言う」

 小人。

 ドワーフが小さいわけではないと、ガルドを見れば分かる。

 あれは身体の話ではない。

 相手を下に置くための言葉だ。

 俺は外套の内側で拳を握った。

 今は駄目だ。

 壊しに来たんじゃない。

 連れ戻しに来た。

 獣車は搬入口を抜け、倉の内側へ入った。

 熱が押し寄せる。

 石を削る音。

 木材を切る音。

 何かを引きずる鎖の音。

 監督役の罵声。

 咳。

 火の爆ぜる音。

 そこは倉庫ではなかった。

 工房だった。

 いや、工房と呼ぶにはあまりに歪んでいる。

 腕に包帯を巻いた男が石材を削っている。

 足に鉄の拘束具をつけた女が木材を運んでいる。

 年老いた職人が炉の横で膝をつきながら、それでも手を止められずにいる。

 契約書上は、奉公人。

 債務労働者。

 住み込み職人。

 たぶん、そんな名前なのだろう。

 けれど、名前を変えたところで、鎖は鎖だ。


「見るな」


 ダリオが低く言った。


「分かっています」


「分かってる顔じゃねえ」


「分かっています」


 全員を助けたい。

 そう思った。

 この場にいる全員を、今すぐ外へ出したい。

 監督役を叩き伏せて、鎖を壊して、炉を止めて、こんな場所を二度と動かなくしたい。

 けれど、それをやれば全員が死ぬ。

 ベルゼアが動く。

 灰鴉が動く。

 証拠は消され、残った職人たちは別の場所へ移される。

 俺たちはロッカに辿り着く前に潰される。

 俺にできるのは、約束した一人へ辿り着くことだけだ。

 それが、今の限界だった。

 悔しい。

 吐き気がするほど、悔しい。

 荷を下ろすふりをしながら、俺たちは奥へ進んだ。

 ダリオが小声で合図を出し、影の薄い通路へ入る。

 奥へ行くほど熱が強くなる。

 灰炉。

 そう呼ばれる理由はすぐに分かった。

 壁も床も灰色に染まり、天井近くには煤が溜まっている。

 炉の熱で空気が歪み、息をするたびに喉が焼けるようだった。

 その奥から、怒鳴り声が聞こえた。


「その組み方じゃ崩れるって言ってんだろうが!」


 低く、荒い声。


「火を見ろ! 石じゃねえ、火を見ろ! 温度が逃げてんだよ!」


 監督役らしき男が苛立った声を上げる。


「奴隷が指図するな」


 鈍い音がした。

 棒で殴られた音だ。

 俺は反射的に踏み出しかけた。

 ダリオの手が肩を押さえる。


「まだだ」


 奥の炉の前で、一人の男が膝をついていた。

 煤に汚れた髪。

 伸びた髭。

 分厚い腕。

 火傷と傷だらけの指。

 足には重い拘束具。

 頬はこけているが、肩と背中にはまだ職人の厚みが残っている。

 小人などではない。

 ガルドと同じ、折れない土台を持った男だった。

 男は口の端から血を流しながら、それでも監督役を睨み上げる。


「崩れたらお前らも死ぬって言ってんだ、馬鹿が」


「黙れ」


「黙ってほしけりゃ、まともに組め。炉を舐めんな。石を舐めんな。職人を舐めんな」


 監督役がもう一度棒を振り上げた。

 男は避けない。

 目が死んでいなかった。

 俺は小さく息を吸う。

 見つけた。


「ロッカ・バルグレン」


 声に出さないほど小さく、その名を呼んだ。

 煤と熱と鎖の向こうで、ロッカはまだ生きている。

 ガルドさん。

 あなたの息子は、まだ折れていない。


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