表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/120

第八十三話 鎖の先

第八十三話 鎖の先

 確認室の空気は、会場よりも冷たかった。

 小さな机。

 磨かれた椅子。

 薄い香の匂い。

 壁際に立つ黒服の係員。

 そして、俺の前に差し出された数枚の契約書。

 そこには、人間一人の扱いが、あまりにも淡々と書かれていた。

 所有権移転。

 引き渡し後の返品不可。

 損傷、逃亡、死亡時の責任は購入者へ移行。

 首輪の管理権限。

 識別番号による登録。

 名前はない。

 その女が何を思い、何を望み、どこから連れてこられたのか。

 そんなものは、書類のどこにも存在しなかった。

 あるのは値段と、状態と、扱い方だけ。

 俺は書面に目を通しながら、奥歯を噛み締めそうになるのを抑えた。

 顔には出すな。

 ここで怒れば終わりだ。

 俺はこの子を助けるために来たわけじゃない。

 ロッカを探すために来た。

 その入口として、五億ビルでこの子を買った。

 そう理屈を並べる。

 けれど、鎖の先に立っている女を見れば、その理屈はひどく薄っぺらく感じられた。

 黒髪の女性は、首輪と鎖をつけたまま、ぼんやりとこちらを見ている。

 身体は大人に近い。

 顔立ちも整っている。

 けれど、目が幼い。

 怖がっていないのではない。

 怖がるという感情を、どこかに置き忘れている。


「あたらしい、ご主人さま?」


 幼すぎる声だった。

 俺は、すぐには返事ができなかった。

 背後で、ニカが拳を握る気配がする。

 ダリオは壁にもたれ、腕を組んでいる。

 顔にはいつもの豪快な笑みはない。

 係員が事務的な声で言った。


「こちらへご署名を。支払い確認後、所有権はベルモンド子爵様へ移ります。なお、実質的な管理者を別に指定される場合は、その旨を記載できます」


「管理者は嬢ちゃんだ」


 ダリオが顎で俺を示す。


「支払い保証も嬢ちゃんのものだ。名義だけ俺にしてる。あとで揉めねえように書いとけ」


「承知いたしました」


 係員が羽ペンを差し出す。

 俺はそれを受け取った。

 人を買う紙だ。

 だが、今ここで俺が署名しなければ、この子はここから出られない。

 その事実だけは、逃げようがなかった。

 俺は息を整え、署名した。

 アイリス・シエーレ。

 紙の上に自分の名前が残る。

 五億ビルで、人間一人を買った証として。

 胸の奥が、ひどく重くなった。


「確認いたしました」


 係員は書類をまとめ、首輪に触れた。

 黒髪の女性は反射的に肩を震わせる。

 けれど、逃げない。

 逃げ方を知らないのかもしれない。


「番号は後ほど書面にてお渡しします。しつけなどは現在のままです。再調教をご希望であれば、別料金にて承ります」


「いりません」


 思わず声が低くなった。

 係員の目がわずかにこちらへ向く。

 俺はすぐに表情を整え、扇を軽く開いた。


「今のところは、不要です。扱いは後でこちらで決めます」


「承知いたしました」


 危ない。

 怒りを出すな。

 怒りはあとでいい。

 今必要なのは、入口を広げることだ。

 俺は黒髪の女性へ視線を戻した。


「名前は?」


 女は首を傾げた。


「なまえ?」


「そう。あなたの名前」


「……番号なら、ある」


 背後で、ニカの息が止まった。

 俺も、ほんの一瞬だけ言葉を失う。

 番号ならある。

 その答えが、あまりにも当たり前のように出てきたことが、かえって気持ち悪かった。


「番号じゃない。あなた自身の名前を聞いてる」


「わたし、じぶん?」


 女は不思議そうに呟いた。

 その反応だけで分かる。

 この子は、自分というものをまともに持たされていない。

 良い子。

 商品。

 番号。

 混じり物。

 きっと、そういう呼び方だけで生きてきた。

 俺は首輪に視線を落とした。

 今すぐ外したい。

 こんなもの、目の前で壊してやりたい。

 けれど、俺が指を動かすより早く、ダリオの低い声が飛んだ。


「外すなよ」


「……分かっています」


「分かってねえ顔だ」


「分かっています」


 俺はもう一度、同じ言葉を返した。

 ダリオは鼻を鳴らす。


「ここで首輪を外して、優しいご主人様ごっこを見せた瞬間、お前はこの巣から弾かれる。こいつらは馬鹿じゃねえ。救済目的の客なんざ、二度と奥には通さねえぞ」


「ええ」


「なら、その顔を直せ」


 俺は扇で口元を隠した。

 黒髪の女性は、俺とダリオを交互に見たあと、不安そうに首輪へ手を添える。


「だいじょうぶ。いい子に、するから」


 その言葉が、一番きつかった。

 首輪を外されると思ったのではない。

 怒られたと思ったのだ。

 いい子にするから、捨てないで。

 いい子にするから、痛いことをしないで。

 そういう意味が、声の奥に染みついている。

 俺は深く息を吸った。

 ここで優しい言葉をかけすぎれば、周囲に違和感を持たれる。

 だから、声を抑えた。


「今は黙っていて。あとで話す」


「はい。いい子に、します」


 女は素直に頷いた。

 その従順さに、また胸が悪くなる。

 支払いと引き渡しの確認が終わると、係員は書類を閉じた。


「以上で手続きは完了となります。お帰りの際は、裏口よりご案内いたします」


 このまま帰れば、俺は五億を払っただけの客で終わる。

 それでは足りない。

 ロッカはいなかった。

 なら、この五億を、ただの消費で終わらせるわけにはいかない。

 俺は扇を閉じた。


「ひとつ、お願いがあります」


 係員の動きが止まる。


「何でしょう」


「本日の主催者様へ、ご挨拶をさせていただけませんか」


 確認室の空気が、わずかに張り詰めた。

 係員の目が細くなる。


「主催者への面会は、通常お受けしておりません」


「承知しています。ですが、本日の目玉を落札させていただきました。今後も希少品や特殊な商材を扱う機会があるなら、ぜひ直接ご挨拶をしておきたいのです」


「特殊な商材、ですか」


「私は香粧品や貴族向けの消耗商材を扱っています。今日の取引会を拝見して、この場に集まる方々とは相性が良いと感じました。主催者様にとっても、損のない話かと」


 嘘は言っていない。

 清香布は貴族向けに売れる。

 消耗品として回転もする。

 この場の客層と相性がいいのも事実だ。

 ただ、本当の目的はそこではない。

 俺は、ロッカへ続く鎖を辿りたい。

 そのためなら、自分の美貌も、金も、商談も、全部使う。

 係員は黙ったまま俺を見ていた。

 その横から、ダリオが低く笑う。


「五億落とした客だ。顔ぐらい通してやっても罰は当たらねえだろ」


「ベルモンド子爵様」


「俺もこの嬢ちゃんの商品には噛んでる。主催者に話が通るなら、俺の利益にもなる。まさか、五億払った客を確認室で帰すほど、灰鴉は小せえ商売をしてねえよな?」


 係員の眉が、わずかに動いた。

 ダリオの言い方は乱暴だが、効果はある。

 五億。

 その数字が、ここでは人格より重い。

 係員は少しだけ頭を下げた。


「確認してまいります。こちらでお待ちください」


 そう言って、奥の扉へ消えた。

 待つ時間は長く感じた。

 黒髪の女性は、俺の斜め後ろに立っている。

 係員に指示された位置から動かない。

 鎖は俺の手元にある。

 それが嫌だった。

 俺が持っているこの鎖が、この子の自由を奪っている。

 分かっている。

 ここを出るまでは必要だ。

 それでも、指先に触れる鎖の冷たさが、肌に染みつくようだった。

 ニカが小さな声で言う。


「アイリス」


「分かってる」


「まだ何も言ってない」


「言いたいことは分かる」


 ニカはそれ以上言わなかった。

 ただ、黒髪の女性を見ている。

 怒りと同情と、どうしようもない無力感が混ざった目だった。

 やがて、奥の扉が開いた。

 係員が戻ってくる。


「主催者様が、短時間であればお会いになるとのことです」


 通った。

 俺は表情を崩さず、静かに頷いた。


「ありがとうございます」


「ただし、護衛の方と購入品は控室にてお待ちいただきます」


 ニカの耳がぴくりと動く。


「私は護衛だけど」


「主催者様のお部屋へは、ベルモンド子爵様とご本人様のみです」


 当然だ。

 相手も警戒している。

 俺はニカへ視線を向けた。


「待っていて」


「……分かった。でも何かあったら呼んで」


「呼ぶ前に来そうだけどね」


「わかってんじゃん」


 短いやり取りだった。

 黒髪の女性は不安そうに俺を見る。


「ご主人さま、行く?」


「すぐ戻る」


「わたし、いい子にする」


「……そうしていて」


 優しくしすぎるな。

 そう自分に言い聞かせる。

 今はまだ、この場のルールに従うしかない。

 ダリオが俺の横に並んだ。


「嬢ちゃん」


「はい」


「口を間違えんなよ」


「相手は誰ですか」


 ダリオは少しだけ目を細めた。


「会えば分かる。だが、あれは商人じゃねえ」


「貴族ですか」


「ああ。それも、そこらの小貴族じゃねえ」


 ダリオの声に、わずかな警戒が混じる。

 あの元海賊が、だ。

 それだけで、相手の格は伝わった。

 係員に案内され、さらに奥へ進む。

 廊下は静かだった。

 奴隷市場の湿った空気とは違う。

 こちら側には、金と権力で磨かれた静けさがあった。

 厚い絨毯が足音を吸い込む。

 壁には灰鴉の意匠が控えめに飾られ、燭台の火が揺れている。

 この奥にいる者は、自分が汚れた場にいるとは思っていないのだろう。

 汚れを見下ろす場所に、自分は座っている。

 そんな空気だった。

 やがて、重い扉の前で係員が止まる。


「失礼いたします。ベルモンド子爵様と、そのお連れ様をお連れしました」


「通しなさい」


 柔らかな男の声がした。

 扉が開く。

 中は、思っていたよりも明るかった。

 高級な机。

 上質な椅子。

 香の匂い。

 整えられた書棚。

 分厚い帳簿。

 磨かれた銀の茶器。

 そして、壁に並ぶいくつもの写真と肖像。

 子どもたちだった。

 幼い少年。

 年端もいかない少女。

 凛とした目をした青年。

 微笑む貴族令嬢。

 年齢も顔立ちも違う。

 けれど、どこか似た気配がある。

 一見すれば、子を愛する父親の部屋に見えただろう。

 だが、違った。

 写真の下には、名前だけではなく、短い注釈が添えられている。

 社交向き。

 武門向き。

 婚姻交渉中。

 南部貴族接続候補。

 王都派閥調整用。

 胸の奥が冷えた。

 これは家族写真ではない。

 駒の一覧だ。

 その中の一つに、見覚えがあった。

 柔らかく波打つ金髪。

 紫を帯びた瞳。

 整った顔立ちと、貴族令嬢らしい静かな微笑み。

 ベアトリス・ヴァルンハート。

 写真の下には、短い文字が添えられていた。

『長子。ヴァルンハート家接続候補』

 喉の奥が、ひどく冷えた。

 ベアトリスの写真が、そこにあった。

 娘としてではない。

 家族としてでもない。

 価値ある接続先として。

 利用可能な資産として。

 俺が写真から視線を戻すと、机の向こうに座る男が穏やかに微笑んだ。

 整った髪。

 上質な服。

 柔らかな目元。

 丁寧な所作。

 けれど、その奥にあるものは、人を見る目ではなかった。

 価値を測る目。

 役割を決める目。

 使えるか、使えないかを判断する目。


「これはこれは。ベルモンド子爵のお連れ様ですか」


 男は静かに立ち上がった。


「本日の目玉を落としてくださった、新しいお客様ですね」


 その声は驚くほど穏やかだった。

 だからこそ、気持ちが悪い。


「初めまして」


 男は微笑んだまま、優雅に頭を下げる。


「オルグ・ベルゼアと申します」


 ベルゼア。

 その名を聞いた瞬間、壁に飾られた金髪の少女の写真が、もう一度脳裏に浮かんだ。

 鎖の先にいたのは、商会ではなかった。

 人間に値段をつけることを、悪だとすら思っていない大貴族。

 ベアトリスの父。

 オルグ・ベルゼアだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ