第八話 世界
「ローゼリア、出発する前にいくつか聞かせてほしい」
俺はまず状況の確認からすることにした。
立ち止まったまま、周囲を軽く見渡す。
川のせせらぎが絶えず耳に入り、湿った空気が肌にまとわりつく。
木々は高く、空を覆うように枝葉を広げていて、どこか閉塞感すら感じさせる場所だった。
「えぇ、いいわ」
上から目線なのが気になるが、まぁ今はよしとしよう。
この状況でプライドがどうとか言っている余裕はない。
「まず、ローゼリアはこの場所がどこかわからない。武器になるようなものは持ってる?」
あまり期待はしていないが念のために聞いておく。
何もないよりはマシだ。最低限、自衛手段があるかどうかで生存率は大きく変わる。
「護身用のナイフなら二本あるわ」
両靴の中から一本ずつ小型のナイフが出てくる。
慣れた手つきだ。隠し場所としても合理的で、少なくとも“ただの箱入り娘”ではないことがわかる。
「マジか!!」
俺は年甲斐もなく少し興奮した。
この状況での刃物は、単なる武器以上の意味を持つ。安心感が段違いだ。
「ま…じ…?どういう意味よ」
マジというのは伝わらないようだ。
そりゃそうか、と内心で苦笑する。
「あ、ごめん。でもナイフがあるのは心強い」
ナイフがあるとだいぶ戦略が変わる。
最悪、木を削ることもできるし、罠も作れる。生き残る選択肢が一気に増える。
「提案なんだけど、ナイフを一つ借りれないかな?その方が私が盾になる時に守りやすくなる」
俺はそれっぽい理由をつけて提案してみる。
完全に本音ではないが、嘘でもない。
「それはだめよ。私はまだあんたを信用してない」
まぁごもっともだな。
俺でもそう答える。
「わかった。でもこれだけは言っておきたいんだけど、いざって時は戦わずに逃げてほしいんだ。私もどうしようもなくなった時ね」
俺は念を押した。
視線を外さず、できるだけ真剣に。
正直誰かを守りながら戦うなんて、ハードルが高い。
それに俺も死ねない。
自らの命を差し出すことなんてバカのすることだ。
「わかったわ。そうさせて貰う」
ローゼリアは承諾してくれた。
ほんの少しだけ、表情が柔らいだ気がした。
「よし、それじゃあまずは川の上流を目指しながら高いところへいこう。そうすれば水を確保しながら、高いところからこの周辺を見渡せる」
ほかにも聞きたいことは色々あるが、とりあえず今は置いとこう。
優先順位を間違えたら死ぬ。
それだけだ。
こうして俺とローゼリアは川に沿って歩き始める。
足元はぬかるみ、時折滑りそうになる。
湿った土の匂いが強く、草を踏むたびに水分を含んだ音がする。
鳥の鳴き声のようなものが聞こえるが、どこか違和感がある。
聞いたことのない響きだ。
歩きながら、俺は考えを巡らせていた。
まず、俺もローゼリアも西洋風の顔つきだけど、どこか俺の知ってる西洋人とは違うんだよな。
なんというか、西洋風の日本人みたいな感じだな。
でも日本語はハッキリ伝わるからとりあえず安心だ。
それにしてもここはマジでどこなんだ?
ここまで何匹か動物を見たけど、見たことない動物ばっかりだったぞ。
毛並みも、動きも、どこか異様だった。
「ローゼリア、ちょっと聞いていい?」
とりあえず聞くだけはタダだ。
ダメ元で聞いてみよう。
「なに?」
「ローゼリアはどこの街から来たの?目的地を聞いておきたくて」
この聞き方ならまだ答えやすいだろう。
「そうね。私はヴェルドリア王国よ」
ちょっと待て、そんなに偏差値は高くないがさすがそんな名前の国聞いたことないぞ。
頭の中で必死に検索をかけるが、該当するものは何も出てこない。
「へ、へぇー、ヴェルドリア王国か。どんな所なの?私は行ったことなくて」
なんとなく合わせていこう。
「あんた、ヴェルドリア王国を知らないってどんな貧しい村の子よ。まぁいいわ。教えてあげる」
少しローゼリアの声に自慢してる感じが感じ取れる。
「あんた、英雄のおとぎ話は知ってる?」
「あー、聞いたことはあったかもだけど、忘れちゃったかな」
なんだそれ。
英雄のおとぎ話?
いきなりなんの話だ。
「はぁ、災厄ヴァルゼリオンを倒した8人の英雄の話よ。で、その英雄の内二人が作ったのがヴェルドリア王国と言われているわ。そういうこともあって、ヴェルドリアでは魔法の研究と技術開発が盛んに行われているわ」
……
一瞬思考が止まる。
周囲の音が、遠くなる。
ちょ、ちょっと待ってくれ!
災厄ヴァルゼリオンがなにかはわからないけど、魔法だと?!
こいつはなにを言ってるんだ?
厨二病なのか?
なにかの隠語なのか?
でもこの状況で隠語なんて使う意味はない。
現実味のない言葉だけが頭を滑っていく。
こ、この目で確かめる必要がある。
「そうなんだ、すごいね。じゃあローゼリアも魔法を使えるの?」
たぶん俺は今顔が変な感じになってる。
理解が追いつかなすぎて表情が上手く作れねぇ。
「私はまだ十五歳だから悪魔契約してないわ。だから魔法は使えない」
あ、悪魔?!
頭の処理が追いつかねーって。
完全に脳がパンクしてる。
情報が多すぎるぞ。
「でも十六歳になったら悪魔と契約して、私は家を復興させてやるの!」
十六になったら悪魔と契約すんのか?!
なんでわざわざ悪魔なんかと契約すんだよ。
あ、悪魔と契約してなかったら魔法が使えない。
でも悪魔と契約すれば使えるってことは、魔法を使うために悪魔と契約するってことか。
「そっかぁ、じゃあローゼリアはがんばらないとだね」
ダメだ。情報が突拍子すぎて思考がうまく回らない。
「そういえばあんたはどっから来たのよ」
不意の問いに一瞬、頭がフリーズする。
「わ、私は…」
少し間を置き、思考を無理やりフル回転させる。
「…き、記憶がないんだ。目が覚めたら洞窟に居て…服も着てなくて…」
嘘…ではない。
だが、全部ではない。
「それで食料も水もなかったから、生きるために水源を探しに来てたんだ。そしたらローゼリアが溺れてて」
ローゼリアは足を止めじっと俺の顔を見て少し悲しそうな顔をしている。
「ローゼリア?どうしたの?」
俺はその表情の変化に戸惑って思わず尋ねてしまった。
「あんた、いえ、アイリス」
ローゼリアは少し力の戻った目で俺の目をまっすぐに見ている。
「は、はい…」
どうしんだ急に。
「ごめんなさい。私、あなたのことなにも知らずに高圧的な態度を取ってしまったわ。アイリスも怖かったわよね。それなのに私…」
正直、俺は胸が痛んだ。
自分の命がかかっていたとは言え、打算的に考えてしまった。
逆だ。
十五歳の女の子が見ず知らずの場所にいるんだ。
不安なんだ。
怖いんだ。
俺は三十五歳のくせに自分のことばっかりだった。
そんな状況なのに、こんなに他人のことを想える子、こんなに強い子を俺はほかに知らない。
「ローゼリア...」
俺はローゼリアの手を掴み引き寄せる。
申し訳なさ、不甲斐なさ、不安、恐怖、そして彼女の優しさ、色んなことが自分の中で混ざり合っているようだった。
「ごめん、私も自分の事でいっぱいだったみたいだ」
気づいたら年甲斐もなく目から涙が伝っていた。
「安心して。ローゼリアは絶対に家まで送り届けてみせるよ」
引き寄せたローゼリアの体は細く、一瞬だけ躊躇したが俺はそのまま抱きしめた。
「えぇ、必ず家へ帰るわ」
ローゼリアのその声はとても力強かった。
俺は改めて心に決めた。
この子を絶対に家まで送り届ける。
だが、俺たちはまだ気づいていなかった。
いや、知らなかった。
それがどれほど危険な選択なのかも知らずに。




