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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第七十六話 白砂の海

第七十六話 白砂の海

 俺たちは、この海に入る。

 そう決めた瞬間、目の前に広がる景色は、ただの視察先ではなくなった。

 白い砂浜。

 硝子のように透き通った浅瀬。

 遠くへ行くほど、淡い水色が深い青へと変わっていく海。

 波が寄せるたび、白砂の上に薄い光が走る。

 引いていく水は、砂の粒をさらさらと攫い、何もなかったようにまた透明へ戻っていく。

 俺の知っている海とは、まるで違った。

 空き瓶もない。

 破れた網もない。

 黒ずんだゴミもない。

 人の手で整えられた観光地ではないのに、誰かが丁寧に磨き上げたみたいに美しい。

 この世界には、まだ海水浴という文化がない。

 だからこそ、この浜辺には何もなかった。

 脱衣所も、休憩所も、店も、見張り台もない。

 けれど、何もないからこそ、余計な汚れもなかった。

 砂浜の上に、ハルヴェイ商会から持ってきた布と支柱で簡易天幕を立てる。

 まだ脱衣所と呼べるほど立派なものではない。

 布を張り、目隠しを作っただけの仮設の空間だ。

 それでも、今日の実地確認には十分だった。


「本当に入るのね」


 セシリアが海を見ながら言った。

 声は落ち着いていた。

 けれど、指先は少しだけ水着の包みを握り直している。


「入らないと分からないことが多いからね」


「それは分かっているわ」


 セシリアはそう答え、波打ち際へ視線を向けた。


「ただ……遊ぶために海へ入るというのは、やはり不思議な感覚ね」


「入ったら分かるよ。たぶん」


 俺が言うと、ニカはすでにそわそわしていた。


「ねえ、まだ? 着替えたら入っていいんだよね?」


「走って転ばないでよ」


「子ども扱いしないでって。まあ、走るけど」


「走るんじゃない」


 ローゼリアが呆れたように言った。

 けれど、その顔にも少しだけ期待が滲んでいる。

 貴族令嬢らしく落ち着いているつもりなのだろう。

 ただ、視線は何度も海へ向いていた。

 足元の白砂を軽く踏むたび、柔らかな粒が靴底の下で崩れていく。

 簡易天幕の中で、俺たちは試作品の水着へ着替えた。

 陽除け香膏も塗る。

 前に腕の内側で試して異常が出なかったため、今日は肩や腕、首筋にも薄く伸ばした。

 セシリアが量を管理し、ローゼリアが香りと伸びを確認し、ニカは「ひんやりする」と気楽に笑っている。

 俺は自分の腕に薄く伸びた香膏を見た。

 べたつきは少ない。

 肌に膜が張るような感覚はあるが、不快ではない。

 水に入った時にどれくらい落ちるかは、まだ分からない。

 それでも、少なくとも商品としての土台にはなる。

 天幕を出ると、レインさんは自然に視線を下げた。

 コルバンは最初から背を向けている。


「確認は女性陣にお任せします」


「坊っちゃん、余計なこと言うな。後で報告だけ聞きゃいい」


「はい」


 コルバンの声がいつもより硬い。

 俺は少しだけ苦笑し、海へ向き直った。

 最初に走ったのは、やっぱりニカだった。


「うわ、冷たっ! でも気持ちいい!」


 波打ち際で水を跳ね上げ、ニカが声を上げる。

 獣人の耳がぴくぴく動き、尻尾が楽しそうに揺れていた。

 そのまま足首まで水に入ると、彼女は振り返って大きく手を振る。


「早く来なよ! めっちゃ透明!」


 俺は一歩、砂浜を踏み出した。

 乾いた白砂は柔らかい。

 ただ、日差しを含んでいて、足裏にじんわりと熱が伝わる。

 そこから波が届く場所まで進むと、一気に冷たさが足首を包んだ。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。

 水が透明すぎて、足元の砂の形まで見える。

 波が引くたび、細かな砂が水の中でほどけ、光が砕ける。

 海水は淡く冷たく、熱を持った肌から余分なものを抜いていくようだった。

 セシリアもゆっくりと足を入れる。

 最初は慎重だった。

 水が足首に触れた瞬間、彼女の目がわずかに見開かれる。


「冷たい……」


「嫌?」


「いいえ」


 セシリアは視線を落としたまま、小さく言った。


「思っていたより、ずっと気持ちいいわ」


 その言葉に、ローゼリアが少し笑う。


「セシリアがそう言うなら、私も入らないわけにはいかないわね」


「張り合うところなの?」


「当然でしょう」


 ローゼリアは一歩踏み出し、水に足を沈めた。

 次の瞬間、肩がわずかに跳ねる。

 だが、すぐに表情を整えた。


「悪くないわ」


「今、驚いたでしょ」


「驚いていないわ」


「絶対驚いた」


「ニカ、余計なことを言わない」


 ローゼリアはそう言いながらも、次の波が来ると少しだけ口元を緩めていた。

 俺たちは浅瀬を進んだ。

 足首。

 膝下。

 膝。

 太もものあたりまで。

 遠浅の海は、しばらく進んでも急には深くならない。

 底が見える安心感は大きかった。

 もちろん、油断はできない。

 波も風も水深も、日によって変わる。

 ただ、区画を決めて見張りを置けば、初めて海に入る人でも楽しめる可能性は十分にある。

 ニカが両手で水をすくい、ローゼリアへかけた。


「ちょっと!」


「海遊びってこういうことじゃないの?」


「限度があるでしょう!」


 ローゼリアが即座に水をかけ返す。

 ニカは笑って避ける。

 けれど、足を取られて少しよろめいた。

 それを見ていたセシリアが眉を寄せる。


「走らない。水の中では足元が見えても滑るわ」


「はーい」


「返事だけ軽いわね」


 セシリアが注意する声はいつも通りだった。

 だが、ニカに水をかけられた瞬間、その表情が変わった。


「……ニカ」


「あ」


 冷たい声。

 ニカが一瞬固まる。

 次の瞬間、セシリアは両手で水をすくい、思いきりニカへ返した。


「うわっ、王女様がやった!」


「先にやったのはあなたよ」


 その場が、一気に明るくなった。


 ローゼリアが笑い、ニカが跳ね、セシリアもほんの少しだけ口元を緩める。

 俺はそれを見て、胸の奥が不思議に温かくなった。

 海で遊ぶ。

 ただ、それだけのこと。

 でも、この世界には、その文化がなかった。

 この笑顔は、まだ誰も知らない夏の形だった。

 しばらく浅瀬で動き、水着の機能を確認する。

 肩紐は問題ない。

 腰布は水に濡れると少し重くなる。

 薄い羽織りは見た目には良いが、泳ぐには邪魔になる。

 ニカの尻尾周りは、もう少し調整が必要だった。

 ローゼリアは胸元と腰回りの固定を厳しく見ている。

 セシリアは透けやずれを重点的に確認していた。


「白い布は、水に濡れると危ないわね」


 セシリアが冷静に言った。


「光の当たり方で透ける可能性がある。女性用は内側の布をもう一枚増やすべきよ」


「それだと重くならない?」


「薄くても色を考えればいいわ。完全な白は避けた方がいい」


 ローゼリアも頷く。


「貴族向けなら、濃い色と薄布を組み合わせた方が上品に見えるわ。水に濡れた時の見え方も含めて意匠にするべきね」


 実地でなければ分からないことばかりだった。

 紙の上で考えた水着と、水の中で動く水着は違う。

 濡れる。

 重くなる。

 肌に張りつく。

 布がずれる。

 日差しで見え方が変わる。

 当たり前のことなのに、実際に試さなければ見落としていた。

 一度浜へ戻ると、今度は別の問題が見えた。


「あつっ」


 乾いた砂を踏んだニカが足を跳ねさせた。


「さっきより熱くなってない?」


「日が当たってるからね」


 俺も足裏に熱を感じる。

 それに、砂の中には小さな貝殻や硬い欠片が混じっていた。

 裸足で歩けないほどではない。

 けれど、人が増えれば怪我をする者も出るだろう。

 特に子どもならなおさらだ。


「履物が必要だ」


 俺は呟いた。


「水辺用のサンダルですか?」


 レインさんが少し離れた場所から聞く。


「近いです。でも、普通のサンダルだと少し違います」


 俺は足元の砂を見る。


「街で履くサンダルはありますけど、海で使うためのものじゃありません。革や布は、塩水を吸えば傷みます。砂も入り込みます。濡れて、乾いて、また濡れる。それを繰り返す前提で作らないと、すぐ駄目になると思います」


 レインさんが小さく頷いた。


「海辺専用の履物、ということですね」


「はい。足全体を覆う必要はありません。足の裏だけを守って、甲を紐で留める形でいいと思います。簡単で、脱ぎ履きしやすくて、壊れたら安く直せるもの」


 コルバンが顎を撫でる。


「壊れない高級品じゃなく、傷む前提の消耗品ってわけか」


「そうです。海辺で使うものは、砂と塩水でどうしても傷みます。だから、丈夫さだけじゃなくて、交換しやすさが大事です」


 俺は頭の中で形を組み立てる。


「底は、海辺に生える硬い草を編むか、塩気に強い木を薄く削る。軽い樹皮を重ねるのもありです。薄板に海獣油を染み込ませて、水を弾かせる方法も試せるかもしれません」


「海獣油なら、すでに仕入れがあります」


 レインさんが言った。


「防水布との相性も見ていますから、試験は可能です」


「紐は布紐か編み紐。革紐も使えますけど、塩水で硬くなる可能性があるので、交換できる形がいいです。一般向けは丈夫で安いもの。貴族向けは、染色した紐や意匠違いの編み紐にすれば見栄えも出せます」


「浜辺用の履き物、か」


 コルバンが低く言った。


「名前をつけるなら……浜履き、ですかね」


「浜履きか。底材は草、木、樹皮。塩水対策に海獣油。紐は交換式。確かに、普通のサンダルより海向きだな」


「はい。水着と一緒に売れます。むしろ、これがないと砂浜で足を痛める人が出ます」


 レインさんの目が、少し商人のものになる。


「水着、陽除け香膏、浜履き。三つを合わせて売ることもできますね」


「はい。海に入るための一式として売れます」


 また一つ、夏の形が増えた。

 子ども用も必要だ。

 俺は浅瀬を振り返った。


「あの遠浅なら、家族で来られます。子ども用の水着、子ども用の浜履き、浅瀬区画、見張り。そこまで整えれば、親も安心して連れて来られる」


「また増えたわね」


 ローゼリアが呆れたように言う。

 でも、否定はしなかった。


「でも、家族向けは強いわ。貴族も富裕層も、子どもが楽しめるなら別の価値が生まれる」


 セシリアも静かに海を見る。


「浅瀬区画には、目印が必要ね。ここから先は深い、という境界を誰でも分かるようにしなければならないわ」


「縄か杭かな。浮きみたいなものも作れるかもしれない」


「見張り台もいるわね」


 レインさんが言った。


「浜辺全体を見渡せる高い場所が必要です。事故が起きてからでは遅い」


 その言葉に、俺は頷いた。

 水着。

 陽除け香膏。

 浜履き。

 脱衣所。

 休憩所。

 足洗い場。

 荷物置き場。

 見張り台。

 子ども用区画。

 飲み物と軽食。

 必要なものが、どんどん増えていく。

 けれど、それは悪いことではなかった。

 海で過ごす時間を本当に作るなら、必要なものが増えるのは当然だ。


「レインさん」


「はい」


「建設部門、作った方がいいです」


 俺が言うと、レインさんの表情が少し変わった。

 コルバンもこちらを見る。


「建設部門、ですか」


「はい。脱衣所と休憩所だけなら外注でもいいかもしれません。でも、これから見張り台、足洗い場、荷物置き場、家族向け区画、場合によっては宿や滞在施設まで考えるなら、そのたびに別々の職人へ外注するのは非効率です」


 宿や別荘の話は、まだ出さない。

 けれど、可能性だけは匂わせる。


「それに、設計や導線の考え方が外へ漏れます。商会の中に職人を抱えて、守秘義務を契約に入れた方がいい。技術も経験も商会の中に残ります」


 コルバンが低く笑った。


「嬢ちゃん、今度は商会に建築屋まで抱えさせる気か」


「一度きりの小屋なら不要です。でも、これは一度きりで終わらせるつもりがないので」


 レインさんは海辺を見た。

 白砂。

 浅瀬。

 まだ何も建っていない土地。

 そこに人が集まる未来を、たぶん彼も想像していた。


「確かに、専属の職人は必要かもしれませんね」


「腕が良くて、設計ができて、現場も見られる人がいいです」


「そんな都合のいい人がいるのかしら」


 セシリアが言う。

 その時、ニカが耳をぴくりと動かした。


「いるよ」


 全員の視線がニカへ向く。


「腕だけなら、たぶんめちゃくちゃいい人を知ってる」


「誰?」


 俺が聞くと、ニカは少しだけ困ったように笑った。


「ガルド・バルグレン。ドワーフの親父」


 その名前を口にした瞬間、ニカの軽さが少しだけ薄れた。


「設計もできるし、建てるのも上手い。昔はかなり有名だったらしいよ。今は……まあ、飲んだくれだけど」


「飲んだくれ?」


「うん。あと、ヒューム嫌い。特に貴族っぽいやつは無理」


 ローゼリアとセシリアが、ほぼ同時に目を細めた。

 ニカは肩をすくめる。


「だから、二人は行かない方がいいと思う」


 ローゼリアは少し不満そうにしたが、何も言わなかった。

 セシリアも静かに頷く。


「理由があるのね」


「あるっぽい。詳しくは知らないけど」


 ニカは海の方へ視線を逃がした。


「でも、腕は本物。建てるなら、あの親父以上はそういないと思う」


 俺は白い砂浜を見た。

 波が寄せて、引いていく。

 まだ何もない浜辺に、必要なものの輪郭だけが浮かんでいる。

 水着は形になった。

 陽除け香膏も、浜履きも、次に進める。

 でも、本当に海で過ごす場所を作るなら、布と小瓶だけでは足りない。

 人がいる。

 技術がいる。

 建てる者がいる。


「会いに行こう」


 俺が言うと、ニカがこちらを見た。


「たぶん門前払いされるよ」


「それでも行く」


「ヒューム嫌いだよ?」


「分かってる」


「結構、口悪いよ?」


「それは慣れてる」


 ニカが少し笑った。


「アイリス、変なところで強いよね」


「必要だからね」


 俺はもう一度、海を見た。

 目の前には、まだ誰も知らない夏がある。

 だけど、それを形にするためには、もう一つ越えなければならないものがあった。

 白砂の海は、ただ綺麗なだけではなかった。

 入ってみて初めて、足りないものが見えた。

 足を守るもの。

 休む場所。

 着替える場所。

 子どもを守る仕組み。

 そして、それを建てる職人。

 夏を売るために、次に必要なのは布ではない。

 職人だった。


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