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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第七十二話 陽除け香膏

第七十二話 陽除け香膏


 海で過ごす時間を売る。

 そう言った瞬間から、ハルヴェイ商会の空気は明らかに変わった。


 さっきまで棚の配置を見ていたはずなのに、気づけば俺たちは商会奥の小部屋へ通されていた。

 机の上には防水布、海獣油の小瓶、布地の見本、簡単な帳簿、仕入れ書類が並んでいる。

 いつもの商談用の部屋だ。

 でも、そこにいる顔ぶれはいつもと違った。

 レイン、コルバン、俺、ニカ。

 そしてセシリアとローゼリア。

 王女と公爵令嬢が同席している時点で、ただの商会相談では済まない空気があった。


「まず確認したいのですが」


 レインが静かに切り出した。


「アイリスさんが考えているのは、海辺で人が遊ぶための一式を整える、という理解でよろしいですか?」


「はい」


 俺は頷いた。


「水着だけでは成立しません。着替える場所が必要です。女性用と男性用を分けた脱衣所。日差しを避ける休憩所。水や軽食を売る場所。荷物を置く場所。あとは、ある程度の見張りも必要になります」


「見張り?」


 ニカが首を傾げる。


「事故防止。荷物の盗難防止。あと、変な人が出ないように」


「あー、なるほどね。海で遊ぶって言っても、人が集まればそういうの出るか」


「うん。だから、ただ浜辺に人を呼べばいいわけじゃない」


 コルバンが腕を組んだ。


「嬢ちゃん、そこまで分かってるなら話は早い。人を集めるなら、責任も集まる。水に入って溺れた、荷物がなくなった、男女の着替えが揉めた、食い物で腹を壊した。そういう話になりゃ、商会の信用に傷がつく」


「はい。だから、仕組みごと作る必要があります」


「……仕組みごと、か」


 コルバンが低く呟く。

 レインは黙って俺を見ていた。

 穏やかな顔だが、目は笑っていない。

 俺の言葉の奥にあるものを測っている顔だった。


「それに、もう一つ大きな問題があります」


 ローゼリアが口を開いた。

 その表情は、いつもの勝ち気な令嬢の顔ではなく、貴族社会を知る者の顔だった。


「貴族女性は、肌が焼けることを嫌うわ。海辺で遊ぶという発想自体が新しくても、日差しで肌を痛めるなら広がらない」


「やっぱり、そこだよね」


 俺は頷いた。

 海水浴を広めるなら、水着だけでは足りない。

 日差し。

 肌荒れ。

 火照り。

 そこを解決しなければ、貴族女性には刺さらない。

 むしろ、水着より先にそちらの方が重要かもしれない。


「日差しから肌を守るものを作ります」


 セシリアが眉を寄せた。


「肌を守るもの?」


「はい。日差しによる火照りや肌荒れを抑える香膏です」


「香膏……」


「肌に薄く塗るものです。日差しや海風から肌を守る。完全に防げるわけじゃないけど、何もないよりずっといい」


 ローゼリアの目が少し変わった。


「それは、貴族女性には売れるわ」


「うん。たぶんかなり」


「ただし、質が悪ければ逆に問題になるわよ。肌に直接塗るものだもの。かぶれたり、匂いが悪かったり、べたつきすぎたりすれば、二度と手に取られない」


「そこは素材から考える」


 俺は机の上に置かれた海獣油の小瓶を見た。

 油分は使える。

 ただ、重すぎると不快になる。

 香りも強い。

 肌に膜を作り、伸びが良く、乾いた後にべたつきにくいもの。

 この世界の素材で近いものを探す必要がある。


 そこで、ふと思いついた。


「スライム」


 俺が呟くと、全員の視線がこちらへ向いた。


「スライム?」


 ニカが聞き返す。


「うん。スライムの粘液を使えないかな」


「肌に?」


 セシリアの顔が少しだけ引きつった。


「いきなり聞くと嫌だけど、たぶん素材としては悪くない。スライムは体表に粘性のある膜を持ってるでしょ。あれを精製して、薄く伸ばせる素材にできれば、肌の上に保護膜を作れるかもしれない」


「あなた、今度はスライムを肌に塗ると言っているの?」


「そのままじゃなくて、精製してからね」


「そういう問題かしら」


 セシリアは明らかに困惑している。

 ローゼリアも少しだけ難しい顔をしたが、すぐに考える顔へ変わった。


「でも、発想としては分からなくもないわ。スライム粘液は乾きにくく、薄く膜を作る性質がある。薬師が傷口の乾燥を防ぐ処置に使うこともあると聞いたことがあるわ」


「そうなの?」


「ええ。ただし、臭いと処理が問題ね。未処理のものは貴族女性には絶対に無理よ」


「そこにハーブを混ぜる」


 俺は続けた。


「火照りを抑える鎮静系のハーブ。香りを整える香草。少量の油分。たぶん、スライム粘液を薄めて、精製して、肌に伸ばせるようにすれば、陽除け香膏として使える」


 レインが静かに息を呑んだ。

 コルバンは一瞬、呆れたような顔をしたあと、すぐに商売人の目になった。


「スライム粘液、ハーブ、香草、油。嬢ちゃん、そいつは……」


「材料が比較的安い?」


「安いどころじゃねえ。スライムなんざ、村によっては厄介者だ。腐った物や魔獣の死骸の近くに集まるからな。畑や倉庫に湧けば嫌がられる」


「でも、危険度は低い」


「ほとんど無害に近い。もちろん増えすぎりゃ面倒だが、学院生の低危険度依頼にはちょうどいい」


 コルバンの声が少しずつ低くなる。

 商売の形が見え始めたのだろう。


「つまり、村はスライムが減って助かる。学院生は低危険度の討伐や回収依頼で金が入る。商会は粘液を買い取って加工する。ハーブ農家にも需要が出る。できた香膏は、貴族女性や海辺に行く客に売れる」


「そうです」


 俺が頷くと、ニカが口笛を吹いた。


「金の匂いどころじゃないね。流れができてる」


「流れ?」


「スライムが金になるなら、スライムを探す人が増える。村は助かる。商会は素材が手に入る。客は肌を守れる。みんなちょっとずつ得する」


「そういう形にしたい」


 俺はそう言った。

 商品を作るだけではない。

 困りごとを素材に変える。

 素材を商品に変える。

 商品を文化に繋げる。

 そうすれば、一つの発想が複数の人を動かす。


 でも、俺がそこまで考えた瞬間、部屋の空気がまた少し変わった。


「アイリスさん」


 レインの声が静かに落ちた。


「これは、商品開発ではありません」


 俺は顔を上げる。


「素材の流れ、学院依頼、村の困りごと、貴族女性の需要、海辺の街の収入。すべてに繋がります」


 レインはまっすぐ俺を見ていた。


「あなたは今、自分が思っているより大きなことを言っています」


 言葉が出なかった。

 さっきも似たようなことを言われた。

 でも、今度はさらに重い。

 水着と海水浴文化だけではない。

 スライム粘液。

 ハーブ。

 学院依頼。

 村。

 商会。

 貴族女性。

 海辺の街。

 全部が一本の線で繋がり始めている。


 俺としては、日焼け止めが必要だと思っただけだった。

 現代で当たり前だったものを、この世界の素材で代用できないかと考えただけだった。

 でも、この世界では、それはただの代用品では終わらない。


「アイリス」


 セシリアが少し低い声で言った。


「あなた、本当にどこまで見えているの?」


 その問いに、胸の奥が一瞬だけ冷えた。

 まただ。

 前世の感覚で話しすぎた。

 俺にとっては、海水浴に水着があり、日差し対策があり、休憩所があるのは当たり前だった。

 でも、この世界では当たり前ではない。

 それどころか、産業や制度に繋がるほどの発想になってしまう。


「全部が見えているわけじゃないよ」


 俺は慎重に言った。


「ただ、困ることを一つずつ潰そうとしてるだけ」


「その一つずつの潰し方が普通ではないのよ」


 ローゼリアが呆れたように言う。

 でも、その目には少しだけ興味もあった。


「海で遊ぶには服がいる。着替える場所がいる。日差しを防ぐものがいる。そこまでは理解できるわ。でも、その材料がスライムで、さらに村や学院依頼に繋がるという発想は、普通の十六歳の少女からは出てこない」


「……本で読んだことがあって」


「また本?」


 ニカが笑う。


「アイリスの本、絶対おかしいって」


「私もそう思い始めてる」


 セシリアが静かに言った。

 俺は目を逸らした。

 下手に弁明すると、余計に怪しくなる。

 ここはもう、ある程度変な人間として扱われるしかない。


「まあ、変な本を読んだ変な子ってことで」


「自分で言うのね」


 ローゼリアが小さく笑う。

 空気が少しだけ緩んだ。

 けれど、レインの表情はまだ真剣だった。


「アイリスさん。一つ、良心から申し上げます」


「はい」


「この構想は、成功すれば多くの人を助けます。ですが同時に、多くの人を動かします」


 レインは机の上の書類に指を置いた。


「スライム粘液の買い取りを始めれば、無理に数を狩ろうとする者が出るかもしれない。粗悪な粘液を混ぜる者もいるでしょう。肌に塗る品である以上、品質を誤れば被害が出ます。海辺に人を集めれば、事故も起こり得る」


 言葉が重い。

 金儲けの話だけなら、レインはもっと軽く乗ったかもしれない。

 でも、彼は違った。

 商機を見ている。

 同時に、その商機が人に与える影響も見ている。


「だから、やるなら責任が伴います」


「……はい」


「それでも、やりますか?」


 コルバンもこちらを見ていた。

 ニカも、セシリアも、ローゼリアも。

 全員が俺の答えを待っている。

 俺は少しだけ息を吐いた。


 逃げることはできる。

 思いつきだったと言って、引っ込めることもできる。

 でも、それでは何も変わらない。

 水着も、海水浴も、陽除け香膏も。

 スライムで困っている村も、安全な依頼を欲しがる学院生も、安くない仕事を求めるニカのような獣人も。

 まだ形になっていないだけで、そこに繋がるものが見えてしまった。


「やります」


 俺は答えた。


「ただし、急には広げません。まずは試作。次に小規模な試験販売。海辺の休憩所も、最初は一か所だけ。陽除け香膏も、品質が安定するまでは少数で試します」


 レインの目が少しだけ柔らかくなる。


「段階を踏む、ということですね」


「はい。それと、品質管理が必要です。スライム粘液は未処理のままでは使わない。商会で精製したものだけを使う。ハーブも産地と状態を確認する。肌に使うものだから、試験も必要です」


「試験?」


「少量を腕に塗って、かぶれないかを見る。いきなり顔に使わない。香りやべたつきも確認する」


 セシリアが少し顔をしかめた。


「それを誰が試すの?」


 俺は一瞬考えた。

 そして、自然に答える。


「まず私が試す」


「却下」


 セシリアの返事は早かった。


「え?」


「あなたはすぐ自分で試そうとするわね」


「発案者だし」


「だからといって、肌に塗るものを一人で勝手に試すのは駄目よ」


 ローゼリアも頷く。


「複数人で、量を決めて、記録を取りながら試すべきね。貴族女性に売るなら、肌への影響はかなり慎重に見ないといけないわ」


 ニカが手を上げる。


「あたしも試すよ。肌、強そうだし」


「強そうで決めない」


「じゃあ、ちょっとだけ」


「それはありかも」


 セシリアが頭を押さえる。


「あなたたち、本当にすぐ危ない方向へ行くわね」


 その言葉に、少し笑いが起きた。

 でも、笑いながらも話は進んでいく。

 レインが紙を取り出し、必要なものを書き始めた。


「まずは素材の確認ですね。スライム粘液の処理方法、鎮静系ハーブ、香草、油分。薬師か調合師にも話を通す必要があります」


「学院にも確認が必要かもしれません」


 セシリアが言った。


「スライム討伐依頼を増やすなら、学院側とギルド、あるいは依頼管理をしている部署に話が必要になるわ」


「アルヴェリア・ギルド連盟にも絡むかもしれないわね」


 ローゼリアが続ける。


「素材買い取りを商会が行うなら、正規の依頼として出した方が混乱が少ない。勝手に狩る者が増えすぎると、別の問題になるわ」


 俺は頷きながら、少しだけ驚いていた。

 俺一人で考えていたものが、周囲の視点で広がっていく。

 商会、学院、貴族、依頼、素材、品質。

 俺の前世知識だけでは足りない部分を、この世界の人たちが埋めていく。

 それが少し、面白かった。


「嬢ちゃん」


 コルバンが低い声で言った。


「これ、売れたら真似されるぞ」


 その一言で、部屋の空気がまた変わった。


「水着も、香膏も、休憩所も。形が見えりゃ、他の商会は真似する。特に香膏は危ねえ。粗悪品が出れば、肌が荒れた客が出る。その責任をどこが取るかで揉める」


「そうですね」


 俺は頷いた。

 そこは、俺も考えていた。


「だから、商品を作る前に、守る仕組みが必要です」


 レインが目を細める。


「守る仕組み?」


「はい。水着の形、陽除け香膏の製法、海辺休憩所の運営形式。誰が考えたものなのか、誰が作っていいのか、誰が売っていいのか。それを先に決める必要があります」


 コルバンが眉を上げた。


「嬢ちゃん、お前……今度は商品だけじゃなく、権利の話をしてるのか?」


「はい」


 俺は机の上に置かれた紙を見る。

 水着。

 陽除け香膏。

 海辺の休憩所。

 どれも、売れれば必ず真似される。

 それを完全に防ぐことはできない。

 でも、正規の形を作ることはできる。

 許可を出し、対価を取り、品質を守る仕組みを作ることはできる。


「売れた瞬間に真似されてから考えると、遅いです」


 俺は言った。


「だから、先に考えます」


 レインはしばらく黙っていた。

 そして、静かに息を吐く。


「本当に……あなたは十六歳なのですか」


 その言葉に、心臓が一瞬跳ねた。

 セシリアとローゼリアもこちらを見る。

 ニカは口元を押さえて笑いを堪えていた。


「十六歳です」


 俺は平静を装って答えた。


「たぶん」


「たぶんって何よ」


 ローゼリアが突っ込む。

 俺は咳払いした。


「ちゃんと十六歳です」


 レインは少しだけ困ったように微笑んだ。


「……そういうことにしておきます」


 納得はしていない。

 でも、追及もしない。

 その距離感に、少しだけ救われた。


 コルバンは腕を組み直し、低く唸った。


「嬢ちゃん、そこまでやるなら次の話は契約だ。作る権利、売る権利、真似された時の扱い。全部決めなきゃならねえ」


「はい」


「だがな、そんな制度は今の王国にゃねえぞ」


「なら、まずは契約で守ります」


 俺は答えた。


「次に、制度にできるか考えます」


 部屋の中が静かになった。

 水着を作る話から始まったはずだった。

 気づけば、陽除け香膏、スライム素材、学院依頼、品質管理、権利、制度。

 話はどんどん大きくなっている。

 でも、不思議と怖くはなかった。

 むしろ、形が見えてきている。


 レインがゆっくり頷いた。


「分かりました。ハルヴェイ商会として、本格的に検討します」


「ありがとうございます」


「ただし、これは簡単な商売ではありません」


「はい」


「だからこそ、正式な契約が必要です」


 その言葉に、俺は頷いた。

 水着を作る。

 陽除け香膏を作る。

 海辺で過ごす時間を作る。

 そして、それを守る仕組みを作る。


 俺が始めようとしているのは、ただの夏の商品ではなかった。

 この世界に、まだ存在しない季節の過ごし方を置くことだった。

 そのためには、思いつきだけでは足りない。

 責任がいる。

 品質がいる。

 契約がいる。

 そして、権利がいる。


 夏は、まだ始まっていない。

 けれど、ハルヴェイ商会の小さな部屋の中で、誰も知らない夏の形だけが、少しずつ輪郭を持ち始めていた。


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