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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第六十七話 笑う獣人

第六十七話 笑う獣人


 ガイアの沈黙を見た翌日、エイフィズとの距離は縮まっていなかった。

 教室で目が合うことはある。

 けれど、エイフィズはすぐに視線を逸らす。

 前のようにただ沈んでいるだけではない。

 けれど、近づけたわけでもない。

 そこにある距離が、むしろ以前よりはっきり見えるようになった気がした。


 近づいたわけじゃない。

 ただ、見えなかったものが一つ見えただけだった。


 エイフィズの中には、確かに何かがある。

 ガイアは現れなかった。

 けれど、いなかったわけではない。

 あの重さ。

 あの沈黙。

 あれを思い出すたび、胸の奥に小さな石が残るような感覚があった。

 助けたいだけでは届かない。

 言葉を選んでも、沈黙を選んでも、届かない時がある。

 それを知ったからといって、何かがすぐに変わるわけではなかった。


「アイリス、今日も眉間働いてるよ」


 横から声が飛んできた。

 ニカだった。

 いつものように軽い声。

 いつものように少し笑った顔。

 その明るさに、少しだけ意識が現実へ戻る。


「そんなに分かりやすい?」


「分かりやすい。眉間に住民票出せるくらい」


「出さないよ」


「そりゃそうだ」


 ニカはけらけら笑った。

 その笑い方はいつも通りだった。

 けれど、俺はふと、彼女の右手に目を止めた。

 拳の関節あたりに、擦り傷がある。

 昨日の訓練でできた傷とは違う。

 もっと新しい。

 細く裂けたような赤みが、指の付け根に残っていた。


「ニカ、その手」


「ん?」


 ニカは自分の右手を見る。


「ああ、これ? ちょっと擦っただけ」


「いつ?」


「んー、昨日?」


「昨日の訓練では、そこ怪我してなかったと思うけど」


「よく見てるね、アイリス」


「そりゃ見るよ」


「やだ、愛?」


「心配」


「真面目に返されると照れるんだけど」


 ニカは笑って手をひらひら振った。

 それ以上聞かせないような、軽い仕草だった。

 でも、俺の中には小さな違和感が残った。


 昼休み、食堂でセシリアとローゼリアも合流した。

 いつもの席に四人で座る。

 セシリアは以前より少しだけ自然に俺たちの隣に座るようになった。

 周囲の視線はまだある。

 王女が誰と食事をするか。

 それだけで意味を探す目は消えない。

 けれど、セシリアは席を外さなかった。

 ローゼリアも当然のように座る。

 ニカは今日も、安いパンとスープを選んでいた。

 ただ、いつもより食べる速度が遅い。


「ニカ」


 セシリアが静かに言った。


「何?」


「その袖の下、青くなっているわ」


 ニカの手がぴたりと止まった。

 セシリアは誤魔化されない目をしていた。


「昨日はなかったはずよ」


「うわ、王女様こわ。人の袖の中まで見てるの?」


「見えたのよ。動かし方がおかしいから」


 ローゼリアも眉を寄せる。


「あなた、また何か隠しているでしょう」


「またって何。あたし、そんなに隠し事多い?」


「多そう」


「ひど」


 ニカは笑う。

 けれど、いつものように勢いよく切り返しているようで、少しだけ間があった。


「で、本当は?」


 俺が聞くと、ニカはスープを一口飲んだ。


「ちょっと転んだだけ」


「どこで?」


「んー、道で?」


「なんで疑問形なのよ」


 ローゼリアが呆れたように言う。

 ニカは肩をすくめた。


「獣人だって転ぶ時は転ぶって。ラーテルだからって無敵じゃないんだよ?」


「それは分かっているわ」


 セシリアの声は冷静だった。

 でも、目は納得していない。


「ただの転倒で、手と腕と肩を同時に痛めるかしら」


「うわ、追及が細かい」


「答えなさい」


「女にはね、秘密の一つや二つあるもんなんだよ」


「都合のいいことを言わないで」


 ニカは笑って流した。

 けれど、それ以上は話さなかった。

 俺たちも、その場で無理に踏み込むことはできなかった。

 エイフィズのことが、まだ胸に残っていたのかもしれない。

 助けたいからといって、すぐ手を伸ばせばいいわけではない。

 昨日、そう思ったばかりだった。

 でも、目の前のニカの笑顔を見ると、それが正しい判断なのか分からなくなる。

 踏み込まなければ見えないものもある。

 踏み込めば傷つけるものもある。

 その境目が、俺にはまだ分からなかった。


 放課後、学院の掲示板の前でニカを見かけた。

 依頼票が並ぶ板だ。

 学院経由の低危険度依頼だけでなく、補助的な仕事や荷運びの募集、店の手伝い、簡単な護衛補助なども貼られている。

 生徒が許可を得て受けられるものと、学院が確認中のものが分けられていた。

 ニカはその前で、じっと紙を見ていた。

 俺が近づくと、彼女は耳をぴくりと動かした。


「お、アイリス」


「何見てるの?」


「金」


「即答だね」


「掲示板ってだいたい金でしょ」


「間違ってはないけど」


 俺はニカの視線の先を見る。

 そこに貼られていたのは、倉庫街の夜間荷運び補助だった。

 報酬は高い。

 けれど、備考欄に小さく「荒事の可能性あり」と書かれている。

 学院の許可欄には、まだ印がなかった。


「これ、学院の許可出てないよ」


「見てるだけ」


「危なくない?」


「危ない方が高いんだよね」


 ニカは何でもないように言った。

 その声音が軽すぎて、逆に胸に引っかかった。


「ニカ」


「なに?」


「危ない仕事、受けてないよね?」


 ニカは少しだけ目を瞬かせた。

 ほんの一瞬。

 すぐにいつもの笑顔に戻る。


「受けてない受けてない。学院生だよ、あたし。真面目な優等生」


「優等生は自分で言わないと思う」


「じゃあ、そこそこ真面目な金欠生徒」


「それは近いかも」


「でしょ」


 笑っている。

 でも、答えになっていない。

 俺はもう一歩踏み込もうとして、止まった。

 ニカはそれに気づいたのか、依頼票から視線を外した。


「今日はちょっと用事あるから、先帰ってて」


「用事?」


「うん。金の匂いがする用事」


「それ、すごく怪しいんだけど」


「怪しくない怪しくない。ちゃんと戻るって」


「どこに行くの?」


「ちょっとそこらへん」


「そこらへんって、どこ?」


「アイリス、過保護になってる」


 ニカは笑った。

 でも、その笑顔は少しだけ逃げるようだった。


「友達だからって、全部聞かなくていいんだよ」


 その言葉に、俺は口を閉じた。

 友達。

 セシリアに言ったばかりの言葉だ。

 誰かを大切に思うこと。

 困っていたら助けたいと思うこと。

 でも、大切に思うからといって、相手の全部に踏み込んでいいわけじゃない。

 そう考えてしまった。

 考えてしまったから、足が止まった。


「……分かった」


 俺が言うと、ニカは少しだけ安心したように笑った。


「じゃ、またあとで」


 そう言って、ニカは手を振り、廊下の向こうへ歩いていった。

 歩き方は普通に見える。

 けれど、ほんの少しだけ右側を庇っているように見えた。

 俺はその背中を見送った。

 追いかけるべきだったのかもしれない。

 でも、その時の俺は、まだ踏み込む言葉を持っていなかった。


 夕方、俺はハルヴェイ商会から届いた書類を整理していた。

 レインからの報告書だ。

 入口棚の小物類は順調。

 旅前の買い足し品としてまとめた見切り棚も、少しずつ動いている。

 コルバンの補充位置も以前より改善されているらしい。

 数字を追っていると、少しだけ落ち着く。

 この世界に来てから、剣や魔法や悪魔ばかりに振り回されている気がする。

 けれど、商売の流れだけは前世の感覚と繋がっている。

 人が何を見て、何に手を伸ばし、何に金を払うのか。

 そこには理由がある。

 そういうものは、俺にとって分かりやすい。

 分かりやすいものに触れていると、分からないものばかりの学院生活から少し距離を置けた。

 けれど、書類の数字を見ている間も、頭のどこかでニカの背中がちらついていた。

 金の匂いがする用事。

 危ない方が高い。

 擦り傷。

 青あざ。

 笑ってごまかす顔。

 全部が小さく繋がっていく。

 けれど、確証はない。

 だからこそ、余計に気持ちが悪かった。


 夜になっても、ニカはしばらく戻ってこなかった。

 俺とセシリアは同室だから、ニカが寮へ戻ったかどうかを直接確認できるわけではない。

 それでも、食堂でいつもの時間に見かけなかったことが気になった。

 ローゼリアも同じだったらしく、廊下で会った時に眉を寄せていた。


「ニカ、見た?」


「見てない」


「やっぱり」


 ローゼリアは腕を組む。


「あの子、何か隠しているわ」


「うん」


「追わなかったの?」


「追えなかった」


「どうして?」


 まっすぐ聞かれて、俺は答えに詰まった。


「友達だからって、全部聞かなくていいって言われた」


「それで引いたの?」


「うん」


「アイリスらしくないわね」


「そうかな」


「そうよ。あなた、必要だと思ったら無茶でも踏み込むでしょう」


 そう言われて、何も返せなかった。

 確かに、俺はそういうところがある。

 なのに今回は、止まった。

 エイフィズのことがあったから。

 助けたいだけでは届かないと知ったから。

 でも、ニカの場合も同じなのか。

 それは分からない。

 ローゼリアは少しだけ表情を和らげた。


「難しく考えすぎているのかもしれないわね」


「私が?」


「ええ。相手によって、踏み込んでいい距離は違うわ。エイフィズとニカは違うでしょう」


 その言葉は、当たり前のようで、俺には抜けていた。

 エイフィズとニカは違う。

 届かない相手を知ったからといって、全ての相手に同じように距離を置く必要はない。

 そうかもしれない。

 でも、それに気づいた時には、もう夜は深くなりかけていた。


 寮へ戻る途中、外廊下の方から足音がした。

 軽い。

 けれど、いつもより少し乱れている。

 俺は足を止める。

 角を曲がってきたのは、ニカだった。


「お、二人とも何してんの?」


 いつもの声だった。

 でも、制服の裾に土がついている。

 袖の端にも、細かい汚れがある。

 そして左頬に、薄く赤い筋があった。


「ニカ」


 ローゼリアの声が低くなる。


「その顔、どうしたの」


「え? あー、枝」


「枝?」


「うん。枝。めっちゃ元気な枝だった」


「そんな枝があるわけないでしょう」


 ニカは笑う。

 けれど、笑った瞬間、少しだけ口元が引きつった。

 脇腹を庇っている。

 俺はそれを見逃せなかった。


「ニカ、怪我してる」


「してないって」


「してる」


「アイリスまで怖い顔しないでよ」


「何してたの?」


 俺が聞くと、ニカは目を逸らした。


「ちょっとした小遣い稼ぎ」


「何の仕事?」


「荷運び。まあ、そんな感じ」


「学院の許可は?」


 ローゼリアが鋭く聞く。

 ニカは一瞬だけ黙った。


「……似たようなもん」


「似たようなものって何よ」


「大丈夫だって。ちゃんと戻ってきたし」


「戻ってきたから大丈夫という問題ではないわ」


「ローゼリア、怒ると貴族感すごいね」


「茶化さないで」


 ローゼリアの声が強くなる。

 ニカは少しだけ目を伏せた。

 その顔に、疲労が滲んでいた。

 いつもの明るさの奥に、隠しきれない重さがある。


「ほんと、平気だよ」


 ニカは笑った。


「あたし、こういうの慣れてるし」


 その言葉が、胸に引っかかった。

 慣れている。

 何に。

 怪我に。

 危ない仕事に。

 ごまかすことに。

 笑って流すことに。

 俺は何かを言おうとした。

 けれど、セシリアの声が先に響いた。


「慣れているから平気、という言い方は嫌いよ」


 廊下の奥からセシリアが歩いてきた。

 いつの間にか様子を見に来ていたらしい。

 白い髪を揺らし、まっすぐニカを見る。


「傷を見せなさい」


「え、王女様に診察されるの?」


「茶化すなら、イザベラ教官を呼ぶわ」


「それはやだ」


 ニカは観念したように両手を上げた。

 それでも、完全に傷を見せようとはしない。

 笑顔を残したまま、逃げ道を探しているように見えた。

 セシリアはそれ以上追及せず、静かに言った。


「今日は休みなさい。明日、話を聞くわ」


「明日?」


「ええ。今のあなたは、まともに話す顔をしていないもの」


 ニカは少しだけ驚いたようにセシリアを見た。

 それから、困ったように笑った。


「ほんと、友達って面倒だね」


「そうよ」


 セシリアは即答した。


「面倒なの。だから覚悟しなさい」


 ニカは一瞬だけ言葉を失った。

 そして、いつものように笑った。

 軽くて、明るくて、何も気にしていないみたいな顔だった。

 けれど、その笑顔の端に、見えない傷がある気がした。

 俺はそれに気づきながら、まだ踏み込む言葉を持っていなかった。

 ただ、明日は聞こうと思った。

 ニカが笑って隠しているものを。

 金の匂いがする用事の正体を。

 そして、彼女がなぜそこまで金にこだわるのかを。

 今度は、見送るだけでは終わらせない。


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― 新着の感想 ―
ニカも何か事情を抱えてるようですね、仕事に行くたび怪我が増えるような、危ない仕事のようですが、続けていけば帰ってこなくなる日が来るような気もしますので、彼女の友人たちに期待したいと思います。
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