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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第六十六話 ガイアの沈黙

第六十六話 ガイアの沈黙


 再訓練の翌日、教室の空気は少しだけ変わっていた。

 大きく変わったわけではない。

 貴族と平民の線は消えていない。

 セシリアが俺たちと一緒にいれば、相変わらず視線は集まる。

 竜殺し、王女、ヴァルンハート家、獣人、家名なし。

 勝手に意味をつけられる名前は、まだ俺たちの周りにまとわりついていた。

 それでも、昨日の護衛移動訓練の結果は、少しだけ教室内に別の空気を落としていた。

 アイリス班は失敗した。

 そして、再訓練では到達した。

 それだけの話だ。

 けれど、その中にエイフィズの名前が混じっていることに気づいた生徒は、少なくなかった。


「昨日、エイフィズが止めたらしいぞ」


「止めたって言っても、一瞬だろ?」


「でも前回は動けなかったんだろ」


「ガイアの契約者様が一歩動いたってことか」


 笑い混じりの声もあった。

 けれど、完全な嘲笑だけではなかった。

 少なくとも、昨日よりは少し違う。

 エイフィズを見る目に、ほんのわずかに迷いが混じっている。

 その変化が良いものなのか、悪いものなのか、俺にはまだ判断できなかった。

 エイフィズは、いつものように教室の端にいた。

 目立たない席で、机に肘を置き、俯いている。

 ミーナが少し迷ったあと、彼に近づいた。


「昨日は、ありがとうございました」


 声は小さかった。

 でも、はっきり聞こえた。

 エイフィズは顔を上げる。

 驚いたような顔だった。


「何が?」


「細い通路のところです。エイフィズさんが一歩出てくれたから、抜けられました」


「……あれは、たまたまだ」


「でも、助かりました」


 ミーナはそう言って、小さく頭を下げた。

 それ以上は何も言わず、自分の席へ戻っていく。

 重くしない。

 押しつけない。

 ただ、感謝だけを置いていった。

 俺はそれを見ながら、昨日のニカの言葉を思い出していた。

 歩ける場所を空けておく。

 ミーナの言葉も、たぶんそれに近かった。

 手を引っ張ったわけではない。

 ただ、一歩動いたことを事実として認めただけ。

 けれど、エイフィズの顔は晴れなかった。

 むしろ、より複雑に歪んだように見えた。

 感謝されることすら、今の彼にはうまく受け取れないのかもしれない。


 昼休み、エイフィズは誰とも話さなかった。

 クラウスに何かを言われることもなかった。

 昨日の到達成功があったからか、あるいはイザベラの目を気にしているのか。

 少なくとも、表立って彼を笑う声は減っていた。

 それでも、エイフィズは楽になったようには見えなかった。

 むしろ、周囲が少しだけ態度を変えたことで、余計に居場所を失っているように見えた。

 ほんの一歩。

 それだけで、人は見方を変える。

 けれど、本人の中にあるものまでは変わらない。

 そのことが、彼の顔から滲んでいた。


 放課後、俺は訓練場へ向かった。

 特別な理由があったわけではない。

 レオスとの訓練は、彼が処分中のためしばらく止まっている。

 魔法の訓練をするわけでもない。

 ただ、身体を動かしておきたかった。

 考えすぎると、胸の奥が重くなる。

 だから、木剣を振るくらいがちょうどいいと思った。

 夕方の訓練場は、人が少なかった。

 いくつかの班が片づけをしているだけで、日が落ちる頃にはほとんど誰もいなくなる。

 俺は端の方で木剣を握り、足を置く。

 踏むな。

 置く。

 レオスに何度も言われた言葉を思い出す。

 身体の重心を崩さないように、ゆっくり振る。

 派手な動きではない。

 けれど、今の俺にはこういう積み重ねしかない。

 魔法も使えない。

 魔力圧も扱えない。

 ラグナもルナも出せない。

 だから、できることを積む。

 その事実が、エイフィズにはまぶしいのだとニカは言った。

 なら、俺はどうすればいいのか。

 答えはまだ出ない。


 しばらく振っていると、訓練場の奥から低い音がした。

 音というより、地面の奥で何かが軋んだような感覚だった。

 俺は木剣を止める。

 風が止まった気がした。

 いや、実際には吹いている。

 髪の先はわずかに揺れている。

 けれど、空気そのものが重くなったように感じた。

 胸の奥を、見えない手で押される。

 呼吸が少しだけ浅くなる。

 俺は奥の方を見る。

 訓練場の隅。

 人影が一つ立っていた。

 エイフィズだった。

 彼は一人で、何もない地面の上に立っていた。

 木剣は持っていない。

 ただ、両手を握りしめ、足元を見ている。

 その周囲の土が、わずかに沈んでいた。

 大きな変化ではない。

 でも、確かにそこだけ土の粒が震えている。

 俺は息を呑む。

 契約の儀の時に感じた、あの異様な圧。

 大講堂の空気を沈ませた感覚。

 今は比べものにならないほど小さい。

 けれど、同じものの気配があった。


「……いるんだろ」


 エイフィズの声が聞こえた。

 低く、掠れている。


「ガイア」


 名前が落ちる。

 その瞬間、足元の土がほんの少しだけ沈んだ。

 俺の肌が粟立つ。

 ガイア。

 エイフィズの契約悪魔。

 規格外の圧を見せた存在。

 けれど、今も姿はない。

 声もない。

 ただ、重さだけがある。


「僕を選んだんだろ」


 エイフィズは拳を握りしめる。


「なら、出てこいよ」


 空気がさらに重くなる。

 土の粒が細かく震え、訓練場の端に置かれた木片がかすかに鳴った。

 俺は一歩、足を引きかけた。

 怖い。

 そう思った。

 ガイアが現れているわけではない。

 ただ漏れたような気配だけで、身体が重くなる。

 それでも、エイフィズはその中心に立っていた。


「力をくれよ」


 彼の声が震える。


「僕は、あんな一歩で満足したいわけじゃない」


 エイフィズは顔を歪めた。


「僕は、もっとすごいはずだったんだ」


 その言葉は、誰に向けたものなのか分からなかった。

 ガイアか。

 自分か。

 それとも、契約の儀で彼を見た全員か。

 彼の足元で、土がまた震える。

 だが、何も現れない。

 角も、翼も、影も、声もない。

 ただ、重い沈黙だけがあった。

 エイフィズは歯を食いしばる。


「なんでだよ」


 小さな声だった。


「なんで、出てこないんだよ」


 その声が、ひどく痛かった。

 俺は迷った。

 見なかったことにして離れるべきか。

 それとも声をかけるべきか。

 前に出すぎれば、また傷つけるかもしれない。

 でも、このまま放っておくのも違う気がした。

 俺はゆっくり近づいた。

 土を踏む音がした瞬間、エイフィズが振り返る。


「……見たの?」


「少しだけ」


 エイフィズの顔が強張る。


「言うな」


「言わないよ」


「同情もいらない」


「うん」


 そう答えると、エイフィズは逆に少しだけ苛立った顔をした。

 何を返しても気に障る。

 たぶん、今の彼にとって俺の存在そのものがそうなのだ。

 俺はそれを分かっていながら、そこに立っていた。


「今の、ガイア?」


 俺が聞くと、エイフィズは視線を逸らした。


「知らない」


「でも、何かはいた」


「だから何?」


 声が鋭くなる。


「君には関係ない」


「そうかもしれない」


「なら、放っておいてよ」


 言葉は拒絶だった。

 けれど、どこかで聞いてほしそうにも聞こえた。

 そう感じるのは、俺の勝手かもしれない。

 俺は木剣を下ろし、少し距離を置いたまま言った。


「私も、ラグナもルナも出せてない」


 エイフィズの目がこちらへ動く。


「魔法も使えない。魔力圧だって、まともに扱えない。だから、偉そうなことは言えない」


「……それで?」


「でも、イザベラ先生が言ってた。悪魔は、契約者の魂に引っかかった本性だって」


 エイフィズの表情が変わった。

 ほんのわずかに。

 でも、確かに。


「もしそれが本当なら、悪魔を出せない理由って、力が足りないだけじゃないのかもしれない」


「何が言いたいんだよ」


「分からない」


「は?」


「本当に分からない。私もできてないから」


 俺は自分の胸元に手を当てる。

 そこにラグナとルナの気配がある。

 でも、形にはならない。

 届いているようで、届かない。

 俺もまだ、そこにいる。


「ただ、できない理由が一つじゃないなら、考える余地はあるのかもしれないと思った」


 エイフィズの目が細くなる。


「僕が、自分を見てないって言いたいの?」


「そう断言できるほど、私は分かってない」


「でも、そう思ってるんだろ」


「私にも刺さってると思ってる」


 エイフィズは黙った。

 そして、低く笑った。

 笑いというより、息が漏れただけのような音だった。


「そういうところが嫌いなんだよ」


 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 でも、俺は黙って聞いた。


「君は、自分に刺さる言葉でも、前に進む理由にする」


 エイフィズの声には、怒りがあった。

 けれど、それだけではない。


「できない。分からない。怖い。そう言いながら、それでも考える。動く。周りを見る。誰かに助けられて、それを受け取る」


 彼は俺を見る。


「僕は、そういうふうにはなれない」


「私みたいになる必要はないと思う」


「ほら」


 エイフィズの顔が歪む。


「それだよ」


「え?」


「君は、そうやって逃げ道みたいな言葉を置く。優しい顔で、正しいことを言う」


「そんなつもりはないよ」


「分かってる。君はそういうつもりじゃない。だから嫌なんだ」


 その言葉は、前にも聞いた。

 でも、今回は少し違って聞こえた。

 エイフィズは俺を責めている。

 同時に、自分自身を責めている。

 俺が何かを言うたび、彼の中の傷が別の形で開いていく。

 そう感じた。


「僕は、あの時……」


 エイフィズは足元を見る。

 土はもう震えていない。

 ガイアの気配も薄れていた。


「契約の儀で、みんなが僕を見た。空気が沈んで、誰も笑わなかった。僕は、やっと何かになれると思った」


 その声は、静かだった。


「でも、今は何もない。魔法も使えない。魔力圧も扱えない。ガイアも出てこない。昨日一歩動いただけで、ありがとうって言われる」


 エイフィズの拳が震える。


「僕は、そんなことを望んでたんじゃない」


 俺は言葉を探した。

 でも、見つからなかった。

 何を言えばいい。

 それでも一歩は意味がある。

 小さな成功を積めばいい。

 焦らなくていい。

 どれもたぶん、今のエイフィズには届かない。

 届かないどころか、彼をさらに傷つけるかもしれない。


「エイフィズ」


「君みたいにはなれない」


 俺の声を遮るように、彼は言った。

 はっきりと。

 自分に言い聞かせるように。


「なる必要はないよ」


 俺は答えた。

 そう思ったから。

 本当に、俺みたいになる必要なんてない。

 エイフィズにはエイフィズの立ち方があるはずだ。

 けれど、その言葉は彼には届かなかった。

 エイフィズは目を伏せる。


「だから、それが嫌なんだ」


 小さな声だった。

 彼はそれ以上何も言わず、俺に背を向けた。

 俺は呼び止めなかった。

 呼び止めれば、また何かを言ってしまう。

 そして、その言葉はきっと多すぎる。

 エイフィズは訓練場の出口へ向かって歩いていく。

 その背中は、前より少しだけ真っ直ぐに見えた。

 けれど、近づけた感じはしなかった。

 距離は、むしろはっきりしたように思えた。

 俺はその場に残り、足元の土を見た。

 さっきまで沈んでいた場所は、もう静かだった。

 ガイアは現れなかった。

 でも、いなかったわけではない。

 そんな気がした。

 エイフィズの中には、確かに何かがある。

 けれど、それが形になるには、まだ何かが足りない。

 それが何なのか、俺には分からない。

 俺自身も、ラグナとルナに届いていないのだから。


 夜風が戻ってきた。

 止まっていたように感じた空気が、ようやく動き出す。

 俺は木剣を握り直した。

 助けたいと思った。

 でも、助けたいだけでは届かない。

 言葉を選んでも、沈黙を選んでも、届かない時がある。

 それでも、今日見たものをなかったことにはできない。

 ガイアの沈黙。

 エイフィズの一歩。

 そして、俺自身の未熟さ。

 全部が、胸の奥に残っていた。

 俺は木剣を一度だけ振った。

 夜の訓練場に、小さく風を切る音が残る。

 その音はすぐに消えた。

 けれど、手の中の感触だけは、しばらく残っていた。


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― 新着の感想 ―
エイフィズは巨大なプライドを抱え込んでいて、自分はかくあるべきと言う姿が自分の中にあるような気がしますね。 実力は追いついてないけど、そうでなければいけないという妄想に駆られているのは、きつい現実でし…
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