第六十四話 同じ班
第六十四話 同じ班
午後の演習場には、妙な緊張が漂っていた。
いつもの実技訓練とは違う。
剣を振るだけでも、魔法を撃つだけでもない。
護衛対象を守りながら、指定された地点まで到達する。
それだけなら単純に聞こえる。
けれど、班表を見た時点で、これがただの訓練ではないことは分かっていた。
俺の班は、俺、ニカ、エイフィズ、クラウス、ミーナ。
貴族、平民、獣人、家名なし、そして魔法も魔力圧も悪魔の顕現もできない契約者が二人。
まとまりやすいはずがない。
演習場には、木箱や布で覆われた障害物、低い柵、細い通路、簡易の壁がいくつも並べられていた。
その奥に、目的地点を示す旗が立っている。
敵役は上級生と教官補佐。
全員、革鎧と木剣を装備している。
俺たちが守る護衛対象は、腰ほどの高さがある木製の人形だった。
人間を想定した重さなのか、台車の上に固定されている。
これを壊されず、奪われず、目的地点まで運ぶ。
倒すのではない。
守って進む。
それが今回の訓練だった。
「護衛対象を置き去りにして前へ出るな。敵役を倒すことに夢中になって対象を失えば失格だ」
イザベラの声が演習場に響く。
「魔法の使用は制限付き。過剰な威力は禁止。魔力圧は第一層のみ。非契約者も参加する。相手を壊す訓練ではない。だが、気を抜けば即座に崩されると思え」
何人かの生徒が息を呑む。
イザベラは続けた。
「班内で役割を確認しろ。開始は五分後だ」
俺は自分の班を見る。
ニカはすでに軽く足首を回している。
ミーナは緊張した顔でメイスを握っていた。
クラウスは腕を組み、演習場全体を見渡している。
エイフィズは、台車の少し後ろに立ったまま黙っていた。
誰とも目を合わせようとしない。
「もう一度だけ確認しよう」
俺は声を出した。
「ニカは前に出すぎず、左右の通路と敵役の動きを見て。ミーナは足元を濡らして足止め。クラウスは正面の牽制。私は全体を見て指示を出す。エイフィズは護衛対象の近くにいてほしい」
「またそれか」
エイフィズが低く言った。
俺は言葉を止める。
「君は、僕を後ろに置いておけば安心だと思ってるの?」
「そうじゃないよ」
「じゃあ何だよ」
「護衛対象の近くに誰かが残っていないと、横から入られた時に守れない。前に出るだけが役割じゃない」
「それを、君が言うの?」
エイフィズの目が俺を見る。
怒りよりも、もっと暗いものがあった。
「君は前に出られる。みんなが君を見る。なのに僕には、後ろで立っていれば役に立つって言うんだ」
「違う。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
返そうとして、言葉が詰まった。
間違ったことは言っていないはずだった。
護衛対象の近くに残る役は必要だ。
でも、エイフィズにはそれが「お前は後ろにいろ」と聞こえている。
俺が言うから、余計にそう聞こえるのだろう。
ニカが軽く手を上げた。
「はいはい、今はケンカしてる時間ないよ。エイフィズが後ろ嫌なら、中央でいいんじゃない? 後ろすぎず、前すぎず」
ミーナも小さく頷いた。
「護衛対象の横なら、左右どちらにも動けますし……」
エイフィズは返事をしなかった。
クラウスが鼻で笑う。
「ずいぶん気を遣うんだな。ガイアの契約者様は」
エイフィズの肩が揺れた。
俺はクラウスを見る。
「今それ言う必要ある?」
「事実を言っただけだ」
「ほんと、便利だね」
ニカが昨日と同じことを言う。
クラウスはつまらなそうに目を逸らした。
開始の合図が鳴る。
俺たちは台車を押しながら、演習場の入口へ進んだ。
「始め」
イザベラの声と同時に、訓練が始まった。
最初の通路は広い。
右に木箱、左に低い壁。
正面には敵役の上級生が二人。
片方は木剣、もう片方は短い槍を持っている。
クラウスがすぐ前へ出た。
「僕が行く」
「待って。護衛対象から離れすぎないで」
「足の遅い者に合わせていては、いつまで経っても進めない」
クラウスは俺の制止を聞かず、正面の敵役へ向かった。
魔力が腕に薄く流れる。
火属性だ。
だが制限付きのため、炎のような形にはならない。
木剣の表面に熱を帯びさせる程度。
敵役の上級生は冷静だった。
クラウスの一撃を受け流し、もう一人が横から回り込む。
「ニカ、左!」
「見えてる!」
ニカが低く走る。
ラーテル獣人らしい小さく鋭い動きで、敵役の進路へ入る。
拳にバンデットの薄い魔力が滲むが、威力はまだ弱い。
それでも牽制にはなる。
敵役の足が一瞬止まった。
「ミーナ、足元!」
「はい!」
ミーナがメイスを振る。
敵役の足元に薄く水が広がった。
濡れた土が滑り、短槍の上級生が踏み込みを浅くする。
使える。
弱い魔法でも、場所を選べば役に立つ。
俺は護衛対象の横につきながら、左の壁と右の木箱の間を見る。
右が空いている。
敵役がもう一人潜んでいる可能性がある。
「エイフィズ、右を見て」
言った瞬間、エイフィズの身体が固まった。
俺はしまったと思った。
だが、遅かった。
右の木箱の陰から、三人目の敵役が飛び出す。
狙いは護衛対象。
エイフィズが一番近い。
木剣を持つ手がわずかに動く。
でも、足が出ない。
迷っている。
動けない。
俺は反射的に飛び込んだ。
二本の木剣で敵役の一撃を受ける。
重い。
肩に衝撃が走り、足が後ろへ滑った。
「っ……!」
「アイリス!」
ニカの声が飛ぶ。
敵役の木剣が、護衛対象の肩代わりに俺の木剣へ当たった。
防げた。
だが、俺が飛び込んだことで、台車の進行は止まる。
クラウスは前に出すぎて戻れない。
ミーナは慌てて水を出そうとするが、位置が悪い。
ニカが戻って敵役を牽制する。
エイフィズは、すぐそこに立っていた。
動けなかった自分を見ているように、顔を伏せていた。
「右から来ると言った」
クラウスが戻りながら言った。
「なぜ止めなかったんだ、エイフィズ」
エイフィズの拳が震える。
「……分かってる」
「分かっていて動けないなら、なおさら問題だな」
「クラウス」
俺は低く言った。
クラウスは肩をすくめる。
「事実だろう」
嫌な言葉だ。
でも、全部が間違いでもない。
それが余計にきつい。
護衛対象は守れた。
けれど、隊形は崩れた。
前へ出すぎたクラウス。
指示を受けて固まったエイフィズ。
それを埋めようとして飛び込んだ俺。
結果として、班全体の動きが止まった。
訓練は続く。
敵役は容赦しない。
右からの攻撃を防いだ直後、正面の上級生が低く踏み込んできた。
「下がる! 護衛対象を左へ!」
「はい!」
ミーナが台車の左側へ回る。
ニカが正面の敵役を牽制し、俺は右側を押さえる。
エイフィズは中央にいる。
いるだけだ。
それでも、その位置にいるだけで敵役は一瞬だけ迂回する。
俺はそれに気づいた。
「エイフィズ、その位置でいい」
言った直後、エイフィズの顔が歪んだ。
「やめてくれ」
「え?」
「君に言われると、余計に惨めになる」
声は小さかった。
でも、はっきり聞こえた。
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
「僕は何もしてない。ただ立っているだけだ。それを君が役割みたいに言う。君はそうやって、何もできない僕に意味を与えたつもりになる」
「そんなつもりはないよ!」
「そうだろうね。君はそういうつもりじゃない。だから余計に嫌なんだ」
敵役の上級生が迫る。
俺は反射で木剣を構えた。
考えている暇はない。
ニカが横から入り、敵役の足を止める。
ミーナの水が足元を滑らせる。
クラウスが正面から押し返す。
護衛対象は少しずつ進む。
けれど、エイフィズの言葉が頭から離れなかった。
助けようとしている。
でも、それは本当に助けになっているのか。
俺が差し出しているつもりの手は、エイフィズにとっては、俺との距離を見せつける光なのかもしれない。
中盤の狭い通路に入ると、状況はさらに悪くなった。
通路は台車がぎりぎり通れる幅しかない。
前後から敵役が来る。
クラウスはまた前へ出たがる。
ニカは左右へ抜けられず、動きが制限される。
ミーナは水を広げすぎるとこちらの足場まで悪くなるため、魔法を使いづらい。
エイフィズは台車の横にいる。
でも、敵役が近づくたび、動きが遅れる。
「右、来る!」
ニカが叫ぶ。
俺は右を見る。
敵役が低い姿勢で台車の車輪を狙っていた。
護衛対象を倒すつもりだ。
エイフィズが近い。
今度こそ間に合う。
そう思った瞬間、エイフィズの足が止まった。
敵役の木剣が車輪へ伸びる。
俺はまた飛び込んだ。
木剣で弾く。
だが、無理な姿勢だった。
敵役の肩が俺の胸に当たり、息が詰まる。
台車が大きく揺れた。
「護衛対象、接触一回」
審判役の上級生が淡々と言った。
「二回で失格だ」
班内の空気がさらに悪くなる。
クラウスが舌打ちした。
「話にならないな」
エイフィズの顔が青ざめる。
「今のは……」
「君が止めれば済んだ」
クラウスの声は冷たい。
ミーナが慌てて口を挟む。
「でも、急でしたし……」
「急に来るから訓練なんだろう」
正論だった。
だからこそ痛い。
俺は息を整えながら立ち上がった。
「私が飛び込む位置を間違えた。次は隊形を変える」
「君はすぐそうやって庇う」
エイフィズが言った。
声が震えている。
「庇ってない」
「庇ってるよ」
彼は俺を見た。
「ほら、結局君がやるんだろ」
「間に合うと思ったから動いた」
「そうだよ。君は間に合う。僕は間に合わない。僕はいないのと同じだ」
何も言えなかった。
違う、と言いたかった。
けれど、今ここで言っても届かない。
慰めにしかならない。
そして、エイフィズが一番嫌がっているのは、たぶんそれだった。
訓練はその後も続いた。
俺たちは何とか目的地点へ向かったが、動きは最後まで噛み合わなかった。
クラウスは前へ出すぎる。
ニカはそれを補おうとして走り回る。
ミーナは真面目に動くが、全体の指示が乱れると対応が遅れる。
俺は何とか立て直そうとする。
エイフィズは動こうとして、止まる。
止まった自分に傷つき、さらに動けなくなる。
その繰り返しだった。
最後の目的地点まで、あと少し。
敵役が正面から二人、後方から一人来た。
俺は前を見る。
ニカはもう息が上がっている。
ミーナの魔力も減っている。
クラウスは正面の敵役に意識を取られている。
後方。
エイフィズが一番近い。
「エイフィズ――」
名前を呼びかけて、俺は言葉を飲んだ。
言えば、また刺さる。
でも、言わなければ護衛対象が落ちる。
迷った。
その迷いの一瞬で、後方の敵役が台車へ迫った。
エイフィズは振り返っていた。
見えている。
でも、足が出ない。
俺は歯を食いしばって走った。
間に合わない。
そう思った瞬間、ニカが横から身体を投げ出すように飛び込んだ。
敵役の腕を弾き、台車から逸らす。
だが、体勢が崩れたニカの肩に木剣が当たった。
「っ!」
「ニカ!」
「だいじょぶ、当たっただけ!」
ニカは笑って見せた。
でも痛そうだった。
エイフィズはその場で固まっている。
自分が動けなかったせいで、ニカが飛び込んだ。
その事実を、彼自身が一番分かっている顔だった。
審判役の声が響く。
「時間切れ。到達未完了。護衛対象接触一回。判定、失敗」
演習場の音が、遠くなる。
失敗。
俺たちの班は、目的地点へ届かなかった。
誰か一人のせいではない。
クラウスも、俺も、全員に問題があった。
けれど、エイフィズはきっと自分のせいだと思っている。
そう思ってしまう顔をしていた。
訓練後、俺たちは演習場の端に集められた。
イザベラは各班の結果を確認しながら、俺たちの前で足を止めた。
「アイリス班、失敗。理由は分かるか」
俺は少し考えて答えた。
「役割が噛み合っていませんでした。前に出る人、守る人、見る人の動きがばらばらでした」
「他には」
「私が、全員に同じように指示を出そうとしすぎました」
イザベラの目が細くなる。
「続けろ」
「指示すれば動ける人と、指示されることで余計に動けなくなる人がいる。そこを見誤りました」
エイフィズが顔を上げた。
クラウスも少しだけ眉を動かす。
イザベラは俺を見たまま言う。
「気づいたなら、次に変えろ」
「はい」
「お前たちは互いを見ていない。自分の役割も、他人の限界も、まだ見えていない。護衛移動は、強い者が前で暴れれば成功する訓練ではない」
その言葉は、俺たち全員に向けられていた。
クラウスにも。
エイフィズにも。
俺にも。
「次回、同じ班で再訓練を行う。解散」
同じ班。
その言葉に、エイフィズの顔がさらに暗くなる。
クラウスは面倒そうに舌打ちした。
ミーナは不安そうに俯く。
ニカは肩を回しながら、小さく笑った。
「まあ、失敗一回で終わりよりはマシじゃない?」
「ポジティブだね」
「落ち込んだら成功扱いになるなら落ち込むけど」
ニカらしい言い方だった。
俺は少しだけ笑いかけて、それからエイフィズを見る。
彼は一人で離れようとしていた。
「エイフィズ」
呼ぶと、彼は足を止めた。
振り返らない。
「さっきは、ごめん」
「何が」
「私の言葉が、余計に動きづらくしてた」
少しの沈黙。
「……そうだね」
短い返事だった。
責めるでも、許すでもない。
ただ、事実として置かれた言葉。
エイフィズはゆっくり振り返る。
目の奥には、疲労と怒りと、消えない嫉妬があった。
「君は、できないって言いながら動く」
「え?」
「魔法も使えない。魔力圧も使えない。悪魔も出せない。なのに、動く。考えて、指示して、周りを見る」
エイフィズの声が低くなる。
「それを見ると、僕が本当に何もしていないみたいに見える」
「そんなつもりは――」
「分かってる。君はそんなつもりじゃない」
エイフィズは俺の言葉を遮った。
「だから嫌なんだ」
そう言って、彼は俺に背を向けた。
その背中は、昨日より少しだけ遠く見えた。
俺は手を伸ばせなかった。
助けたいと思った。
でも、その手が今の彼にとって助けになるとは、もう思えなかった。
午後の演習場に残った土の匂いが、やけに重く感じた。
同じ班。
同じ訓練。
同じように何も使えない二人。
それでも、俺とエイフィズは同じ場所に立っていなかった。




