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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第五十五話 紫のスライム

第五十五話 紫のスライム

 学院へ戻った頃には、空はもう暗くなりかけていた。

 身体が重い。

 背中も肩も痛い。

 歩くたびに、肺の奥がまだ少し熱を持っているような感覚があった。

 それでも、戻らなければならなかった。

 低危険度クエスト。

 リーフラット駆除。

 その途中で、小型ワイバーンと遭遇。

 討伐。

 ネルの異常吸収。

 報告しなければならないことが、多すぎる。

 学院の門をくぐると、警備の職員が俺たちの姿を見て目を見開いた。

 泥と血で汚れた制服。

 包帯代わりに巻いた布。

 抱えたワイバーンの角二本と、爪や鱗、牙の一部。

 どう見ても、ただの小遣い稼ぎ帰りではなかった。

 すぐにイザベラのもとへ通された。

 イザベラは俺たちの報告を最後まで黙って聞いていた。

 低危険度区域でのリーフラット討伐。

 村にいた商人の荷車。

 干し肉と果実に反応したワイバーン。

 子ども寄りの小型個体。

 俺たちの戦闘。

 騎士団一般兵三人の到着。

 そして、ネルがワイバーンの残骸を吸収したこと。

 全部を話し終えると、イザベラはしばらく黙った。


「低危険度クエストで、ワイバーンか」


 低い声だった。


「笑えない冗談だな」


「……はい」


「小型とはいえ亜竜だ。お前たちが生きて戻っただけでも、十分に異常だ」


 褒められた、とは少し違う。

 けれど、軽く見られているわけでもなかった。

 イザベラの視線が、俺へ向く。


「相手の速度と重さを使ったか」


「はい。正面からでは勝てなかったので」


「判断としては悪くない」


 それだけ言って、イザベラはすぐに続けた。


「だが、二度同じ条件が揃うと思うな」


「分かっています」


「ならいい」


 短い評価だった。

 でも、それで十分だった。

 次に、イザベラの視線は布袋へ向いた。

 中でネルがぽよんと揺れている。


「問題はそいつだ」


 俺は布袋をそっと開いた。

 ネルはいつもと同じ、薄い水色の丸い身体をしていた。


「ワイバーンの残骸を吸収したんだな」


「はい。休憩している間に、胴体の一部や血の濃い土、翼膜周辺をかなり吸収していました」


「通常のスライムではない可能性が高い」


「処分、ですか?」


 口にした瞬間、自分の声が少し硬くなったのが分かった。

 イザベラはネルを見たまま答えた。


「今すぐではない。現時点で人へ害を与えたわけではないからな」


 少しだけ息が抜けた。


「だが、監視対象にする。観察記録は今まで以上に細かくつけろ。餌、色、大きさ、動き、吸収物、魔素反応。何か変化があれば即報告だ」


「はい」


「可愛いから安全とは考えるな、と言ったはずだ」


「はい」


「次は、珍しいから手放せなくなるな」


「それは……否定できません」


「なら、余計に記録しろ」


 イザベラらしい言い方だった。

 厳しい。

 でも、切り捨てるだけではない。

 俺はネルを見下ろした。

 ネルは何も分かっていないように、ぽよんと跳ねた。

 その日は、全員早めに休むことになった。

 部屋に戻ると、セシリアは何も言わずに椅子へ座った。

 いつもなら制服の乱れをすぐに整える彼女が、しばらく動かなかった。


「大丈夫?」


「大丈夫に見える?」


「見えないね」


「なら聞かないで」


 声には棘があったが、いつもの鋭さは少し弱かった。

 俺はネルを木箱へ戻し、湿った草を足した。

 ネルは箱の中で丸くなり、すぐに動かなくなった。

 俺も机に向かい、観察記録を書こうとした。

 色、薄い水色。

 大きさ、やや変化なし。

 動き、通常通り。

 異常、ワイバーン残骸を高速吸収。

 要報告済み。

 そこまで書いて、手が止まった。

 要報告済み。

 その文字が、やけに重く見えた。

 翌朝。

 目が覚めた時、いつも通り木箱に目をやる。

 そして、身体が固まった。


「……ネル?」


 木箱の中にいたのは、昨日までの薄い水色のスライムではなかった。

 紫。

 濃すぎる紫ではない。

 淡く、半透明で、光を受けると中に薄い輝きが揺れるような紫色。

 形は丸い。

 大きさも、ほんの少し大きくなった気がする程度。

 動きもいつも通り、ぽよぽよしている。

 でも、色だけが明らかに違った。


「セシリア」


「何?」


「ネルの色、変わってる」


「見れば分かるわ」


 セシリアは寝台から身を起こし、木箱を覗き込んだ。

 紫のネルが、ぽよんと跳ねる。


「……本当に変わっているわね」


「どうしよう」


「まず記録。次に文献確認。その後、イザベラ教官へ報告」


「さすがセシリア。冷静だね」


「慌てて色が戻るなら慌てるわ」


「それは…そうだね」


 俺はすぐに紙を引き寄せた。

 色、薄い水色から淡い紫へ変化。

 大きさ、わずかに増加した可能性あり。

 動き、通常通り。

 反応、名前に反応して跳ねる。

 異常、前日ワイバーン残骸を吸収。

 書けば書くほど、普通ではない。

 朝食の後、俺とセシリアは資料室へ向かった。

 ネルは布袋に入れ、俺が抱えている。勝手についてこられるより、まだこちらの方がましだった。

 魔獣に関する本を何冊も開く。

 スライム。

 分解性魔獣。

 低級魔獣。

 環境変異個体。

 セシリアが一冊の古い文献で手を止めた。


「これね」


「何かあった?」


「ミュータントスライム」


 聞き慣れない言葉だった。


「環境変異個体。通常のスライムが、強い魔素環境や特定の属性、魔獣残骸の継続吸収などによって性質を変えたもの、とあるわ」


「ネルは、それ?」


「可能性は高いわね」


 セシリアは文献を指でなぞる。


「通常種は薄い水色。環境や吸収物によって色が変化する場合がある。紫色は、高濃度魔素、複合魔力、あるいは異種魔素の吸収時に稀に記録あり」


「稀に」


「ええ。記録は少ないわ」


「危険なの?」


「分からない。そこが問題よ」


 分からない。

 その言葉が、一番厄介だった。

 強いなら強いで対処がある。

 弱いなら弱いで管理できる。

 でも、分からないものは判断できない。

 俺は布袋の中を見た。

 ネルは紫色の身体を丸めて、ぽよぽよと揺れていた。


「キミ、本当に何になってるの?」


 ぽよん。

 当然、返事は分からなかった。

 そのまま俺たちはイザベラのもとへ向かった。

 イザベラは紫色になったネルを見ても、声を荒げなかった。

 ただ、少しだけ目を細めた。


「昨日の今日で変異か」


「文献では、ミュータントスライムの可能性があると」


「可能性ではなく、ほぼそう見ていいだろうな」


 イザベラはネルを観察する。


「現時点で、攻撃性は?」


「ありません。動きも昨日までとほとんど変わっていません」


「大きさは」


「少しだけ大きくなった気がします」


「記録しろ」


「はい」


「今後は週に一度、状態を報告しろ。色、餌、吸収物、動き、他者への反応。勝手に魔獣素材を与えるな。寮内で放すな。異常行動があれば即時報告」


「分かりました」


「必要なら魔獣学担当にも見せる」


 イザベラはそこで一度言葉を切り、俺を見る。


「アイリス」


「はい」


「隠さなかったのは正解だ」


 その一言は、少しだけ胸に残った。


「感情で抱え込めば、危険になる。お前自身にも、周囲にもだ」


「はい」


「なら戻れ。休める時に休め。お前たちは昨日、死にかけている」


 言われて、ようやく身体の痛みを思い出した。

 そこから二週間が過ぎた。

 ネルは紫のままだった。

 大きさはほんの少し増えた気がするが、劇的な変化はない。

 相変わらず木箱の中でぽよぽよしている。

 セシリアの机には近づかない。

 そこだけは賢い。

 ニカは、失われたワイバーン素材を時々思い出しては嘆いた。


「爪……鱗……牙……」


「まだ言ってるの?」


「あたしの金がネルの腹に……」


「腹って、あるのかな」


「そこはどうでもいいの!」


 ローゼリアは俺の怪我が治るまで、何かと口うるさかった。

 セシリアはネルを警戒しつつも、観察記録の書き方に何度か口を出した。

 レオスは変わらず、訓練場で剣を振っていた。

 ルシェルは、相変わらず三歩の距離を守っていた。

 ただ、俺を見る視線は変わらない。

 そんなある日、騎士団経由の正式報告が学院へ届いた。

 ヴァリス外縁の小村にて、小型ワイバーン出現。

 学院生五名が遭遇。

 村人避難および戦闘継続。

 対象は墜落後、討伐。

 騎士団一般兵三名が現場確認。

 参加学生の戦術判断および連携を評価。

 掲示板に張られた内容は、かなり整えられていた。

 事実だけが、綺麗に並べられている。

 けれど、生徒たちは事実だけで話さない。


「アイリス・シエーレがワイバーン倒したって」


「竜殺しだろ?」


「いや、小型だって聞いたぞ」


「でもワイバーンはワイバーンだろ」


「魔法も使えないのに?」


「だから変なんだよ。あいつ、何なんだ?」


 廊下を歩くだけで、そんな声が聞こえるようになった。

 弱いのに目立つ契約者。

 それが今度は、弱いはずなのにワイバーンを墜とした契約者へ変わり始めている。

 俺自身は、何も変わっていない。

 ラグナもルナも顕現しない。

 魔法も使えない。

 魔力圧も扱えない。

 でも、周囲が見る俺だけが変わっていく。

 その日の訓練後、ルシェルが遠くからこちらを見ていた。

 誰かと話している。

 穏やかに笑っている。

 完璧な貴公子の顔をしている。

 けれど、俺と目が合った瞬間だけ、口角がわずかに深くなった。


「竜殺し、か」


 声は聞こえなかった。

 でも、そう言ったように見えた。

 背筋に、少し冷たいものが走った。

 放課後、俺とニカは校舎の廊下を歩いていた。

 ローゼリアとセシリアは用事があると言って、少し前に別れている。

 レオスは訓練場に残っていた。


「ねえ、アイリス」


 ニカが不意に声を低くした。


「どうしたの?」


「最近、誰かに見られてる感じしない?」


「ルシェル?」


「違う。あれはもっと堂々と見てくる」


「堂々と見てくるって何」


「そのまんま。隠す気ない視線。今回のは違う」


 ニカの耳が、ぴくりと動いた。

 いつもの軽い顔ではなかった。

 ラーテルの獣人としての感覚が、何かを拾っている。


「足音、消してる。でも下手。あと、匂いが残ってる」


「匂い?」


「うん。さっきから同じやつが、距離を変えながらついてきてる」


 俺は足を止めかけた。

 ニカが小さく首を振る。


「止まらないで」


「誰なの?」


「そこまでは分かんない。ただ――」


 ニカの目から、いつもの軽さが消えた。


「アイリスを見てる」


 廊下の窓から差し込む夕方の光が、床に長く伸びていた。

 振り返りたい衝動を抑えながら、俺は歩き続ける。

 背後のどこかで、空気だけが少し遅れて揺れた気がした。


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― 新着の感想 ―
アイリスを付けている人の狙いは何か? 不気味ですね。 弱いし出来ない事の方が多いけど、ワイバーンを倒して結果を出した、 そこに対する嫉妬か? 憧れか? 執拗に後を付けている点が悪意を感じますが、 どう…
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