第五十一話 小遣い稼ぎのはずだった
第五十一話 小遣い稼ぎのはずだった
ルシェル・ヴァン・オルフェリアと出会ってから、二週間が過ぎた。
その間に、俺の右足は少しだけ沈まなくなった。
ネルの観察記録は、紙三枚分になった。
そして学院内での俺の評価は、思ったより早く形を持ち始めていた。
双子の悪魔と契約したらしい。
けれど、悪魔は形にならない。
魔法も使えない。
魔力圧も扱えない。
非契約者のレオスに負け続けている。
それなのに、ローゼリアやセシリア、ニカと近く、ルシェル・ヴァン・オルフェリアには妙に目をかけられている。
強いから目立つなら、まだ分かる。
でも今の俺は、弱いのに目立っていた。
「アイリス、金ほしくない?」
昼休み明け、廊下でニカが当然のようにそう言ってきた。
「その入り、前にも聞いたよ」
「だって学院に入ったら援助はすべて禁止なんだもーん。稼ぐしかないっしょ」
「まぁそうなんだけどね」
「大丈夫大丈夫。学院経由の低危険度クエスト。ヴァリス外縁の小さな村で、リーフラットの駆除だって」
「リーフラット?」
「草むらに隠れる小型魔獣。畑を荒らすけど、人間相手にはそこまで強くないやつ。スライムより報酬いいよ」
「それで私を誘いに来たんだ」
「アイリス、金はある方がいいって言ってたじゃん」
そこは否定できない。
ハルヴェイ商会で得ている報酬はある。
けれど、学院で生活していると何かと金がかかる。
武具の手入れ、消耗品、資料、衣服、食事。
今すぐ困ってはいないが、蓄えがあるに越したことはない。
「メンバーは?」
「あたしとアイリス。あとローゼリアとセシリアにも声かけた。レオスにも」
「レオスも?」
「報酬出るって言ったら来るって」
「現実的だね」
「でしょ。あいつ、無口だけど金にはちゃんと反応するんだよね」
ニカはけらけら笑った。
その日の放課後、俺たちは学院で手続きを済ませ、ヴァリス外縁の村へ向かうことになった。
参加者は、俺、ニカ、ローゼリア、セシリア、レオス。
低危険度クエストとはいえ、学院生だけで村の外へ出る以上、許可は必要だった。
担当教官に確認され、指定区域を外れないこと、異常があれば撤退すること、討伐証明を必ず持ち帰ることを言い渡される。
その途中で、俺はふと足元に違和感を覚えた。
ぽよん。
聞き慣れた音がした。
「……ネル?」
道端の草の陰で、薄い水色の丸い身体が小さく跳ねていた。
俺は足を止める。
「なんでいるの?」
「アイリス、連れてきたの?」
ローゼリアが眉をつり上げる。
「ううん、連れてきてない」
「じゃあ、勝手についてきたってこと?」
「たぶん」
「魔獣に懐かれすぎでしょ」
ニカが笑う。
セシリアは額に手を当てた。
「イザベラ教官に許可を取った意味、分かっているの?」
「分かってる。目を離すな、異常があれば報告、寮内を勝手に動き回らせるな」
「今、寮外にいるわよ」
「……そうだね、あはは…」
ネルは何も知らないように、ぽよんと跳ねた。
今から戻すには時間がかかる。
そもそも、ここまで勝手についてきたなら、戻してもまた追いかけてくる可能性がある。
俺は少し考え、空いていた小さな布袋に湿った草を敷いた。
「仕方ない、ここに入ってて」
ネルをそっと入れると、抵抗せずに丸く収まった。
「本当に収まるんだ」
ニカが感心したように言う。
「可愛いからって油断しないでよ」
ローゼリアが釘を刺す。
「分かってる」
「分かってない顔してる」
「わかってないって顔あるの?」
「あるわよ」
そんなやり取りをしながら、俺たちは村へ向かった。
ヴァリス外縁の村は、小さな畑と木造の作業小屋が並ぶ静かな場所だった。
村の背後には低い森が広がり、その境目にリーフラットが出るらしい。
村人から話を聞くと、リーフラットは夜明けや夕方に畑へ入り込み、葉や根を荒らすという。
被害は大きくないが、放っておくと数が増える。だから学院へ駆除依頼が出された。
村には、たまたま滞在している商人の荷車もあった。
干し肉や穀物、甘い果実を積んでいるらしい。
商人は俺たちを見ると、少し不安そうに頭を下げた。
「学生さんたちで、本当に大丈夫なのかい?」
「低危険度なら問題ないっしょ」
ニカが軽く返す。
セシリアが一歩前に出た。
「指定区域内のリーフラット駆除のみ行います。万一、想定外の魔獣が確認された場合は、戦闘を継続せず撤退します」
その言い方は、ひどく落ち着いていた。
王女としての肩書を出しているわけではない。
だが、言葉の通し方が自然と場を整える。
この二週間で、周りも少しずつ変わっていた。
ローゼリアは短時間なら、契約悪魔ブライアの一部を憑依させ、荊のような魔法を出せるようになっていた。
まだ細く、長時間は保てない。
それでも、何もできなかった頃とは違う。
セシリアも同じだ。
契約悪魔シルの力を少しだけ借り、糸や線のような魔力を展開できるようになっていた。
攻撃力はほとんどないが、位置を示したり、動きを制限したりする使い方はできる。
ニカはバンデットの一部憑依で、受けた衝撃をほんの少しだけ拳に乗せられるようになった。
まだ威力は弱い。だが、彼女の動きの軽さと合わせると、牽制にはなる。
レオスは変わらない。悪魔も魔法もない。
けれど剣の置き方、足運び、間合いの取り方は相変わらず正確だった。
そして俺は、まだ何も使えない。
ラグナもルナも、形にならない。
魔法も出ない。
魔力圧も、まともに扱えない。
けれど、見て学ぶことはできる。
誰が何を見ていて、どう動こうとしているのか。
それを拾うくらいは、できるようになってきた。
「行くよ」
ニカの声で、俺たちは森の境目へ入った。
リーフラットは、思っていたより小さかった。
丸い胴体に、平たい葉のような耳。草の中に紛れると見つけにくいが、動きは速くない。
「いた」
レオスが短く言った。
次の瞬間、ニカが前に出る。
草むらが揺れ、リーフラットが跳ねた。
「そっち!」
俺が声を出すと、ローゼリアの指先から細い荊が伸びる。
「止まりなさい!」
荊はリーフラットの足元に絡み、動きを一瞬だけ止めた。
ニカの拳が軽く入る。
リーフラットは地面に転がった。
「よし、一体目!」
ニカが笑う。
「思ったより楽ね」
ローゼリアはそう言いながらも、少しだけ指先を見ていた。
自分の魔法が形になったことを、確かめているようだった。
「油断しないで。まだいるわ」
セシリアの声が飛ぶ。
彼女の指先から、細い光の線が伸びる。
攻撃ではない。
草むらの動きを示すように、線が揺れた。
「右。二体」
その指示に、レオスが無言で動く。
逃げ道を塞ぐ位置へ、先に剣を置く。
リーフラットは剣を嫌がって進路を変え、その先にニカがいた。
「はい、いただき!」
討伐自体は、問題なく進んだ。
俺は直接仕留められた数こそ少ないが、逃げる方向や草の揺れを見て声を出した。
リーフラット相手なら、それで十分役に立つ。
小さな成功だった。
けれど、その小ささが逆に今の自分らしいとも思った。
討伐証明を集め終えた頃、ネルを入れた袋がもぞもぞ動いた。
「ネル?」
開けると、ネルがぽよんと外へ出てきた。
リーフラットの残骸の方へ近づこうとする。
「待って」
俺が止めると、ネルはその場で揺れた。
「……食べたいの?」
「スライムって、魔獣の死骸とか吸収するんだっけ」
ニカが覗き込む。
「でも、勝手に吸わせていいものなの?」
ローゼリアが顔をしかめる。
「分からない。一応記録しておく」
ネルは俺の足元で、ぽよぽよと小さく跳ねた。
その様子を見て、セシリアが小さく息を吐く。
「あなたの周り、妙なものが増えていくわね」
「あはは…私もそう思う」
苦笑いするしかない。
「自覚があるならましね」
その時だった。
森の奥で、風が鳴った。
最初は、本当に風だと思った。
木々の上を大きな空気の塊が通り抜けるような音。
けれど、違う。
風にしては重い。
規則的すぎる。
ばさり。
もう一度、音がした。
ニカの耳が、ぴんと立つ。
「……今の、何?」
レオスが剣を握り直した。
「鳥ではない」
セシリアの表情が変わる。
「全員、村側へ下がりなさい」
その言葉が終わる前に、村の方から悲鳴が上がった。
商人の荷車の近くで、馬が暴れている。
村人たちが空を見上げ、腰を抜かしていた。
積荷の干し肉や果実が、荷台から少しこぼれている。
その上空に、影が落ちた。
大きい。
だが、巨大というほどではない。
それでも、俺たちが今まで見たどの魔獣よりも、明らかに空気が違った。
翼。
長い尾。
鉤爪。
硬そうな鱗。
子ども寄りなのか、図鑑で想像する成体よりは小型に見える。
だが、それでも人間よりずっと大きい。
空を裂くように羽ばたき、魔獣は村の上を旋回した。
「……ワイバーン?」
誰かが呟いた。
その瞬間、耳をつんざく咆哮が、森と畑をまとめて震わせた。




