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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第二章 この世界の自分

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第五十話 美しい敗者

第五十話 美しい敗者

 翌朝、俺は部屋の床を静かに踏んでいた。

 右足を半歩前へ出す。

 沈む。

 戻す。

 もう一度、出す。

 また沈む。

 木剣を構えるまでもない。

 昨日、レオスに言われた最初の欠点は、剣以前のところにあった。

 右足が沈む。

 踏み込む前に分かる。

 その言葉が、まだ足裏に残っている。


「朝から床を踏むの、やめてくれる?」


 セシリアの声が飛んできた。

 振り返ると、彼女はすでに身支度を終え、机の前に立っていた。

 白い髪は綺麗に整えられ、制服の乱れもない。

 朝から隙がなさすぎる。


「踏んでないよ。右足の沈み方を見てるだけ」


「それを部屋でやる必要があるの?」


「忘れる前に確認したかったんだ」


「……あなた、真面目なのか馬鹿なのか分からないわね」


 木箱の中で、ネルがぽよんと跳ねた。


「ほら、ネルもそう言ってるよ」


「魔獣を味方につけないで」


 セシリアは呆れたように息を吐いた。

 ネルは昨日と変わらず、薄い水色の丸い身体を湿った草の上で弾ませている。

 目も口もない。

 何を考えているかは分からない。

 そもそも考えているのかも分からない。

 俺は木箱の位置を確認してから、木剣を手に取った。

 今日は、まず右足からだ。

 訓練場に着くと、すでに何人かの生徒が動き始めていた。

 俺は端の空いている場所を選び、木剣を腰の横に構える。

 まずは踏み込み。

 剣を振る前に、足だけを見る。

 半歩。

 止まる。

 戻る。

 右足が、少し沈む。

 もう一度。

 今度は、地面を押し潰さないように。

 それでも、沈む。

 周囲の声が耳に入った。


「昨日レオスに負け続けてたやつだろ」


「契約者なのに、非契約者相手にあそこまで負けるか?」


「双子の悪魔って本当に意味あるのか?」


 聞こえている。

 けれど、今それに反応しても右足は直らない。

 なら、後回しでいい。

 俺はもう一度、右足を出した。


「まだ沈んでいる」


 横から声がした。

 見ると、レオス・バルドが少し離れた場所に立っていた。

 今日も表情は薄い。

 木剣を持つ姿勢に無駄がない。


「見てたの?」


「見えたんだ」


「なかなか厳しいね」


「だが、事実だ」


 相変わらず遠慮がない。

 レオスは俺の足元を見る。


「踏むな。置くんだ」


「……置く?」


「地面を潰そうとするから沈む」


 言われた意味を、頭の中で噛み砕く。

 踏む。

 押す。

 力を入れる。

 だから沈む。

 置く。

 俺は右足を前へ出した。

 地面を押すのではなく、そこに置くように。

 完全にはできない。

 でも、さっきより沈みが浅い。


「……少し変わった」


「まだ浅い」


「そこは褒めないんだね」


「褒める段階ではない」


「はいはい」


 レオスはそれ以上言わず、別の場所へ歩いていった。

 教え方は雑だ。

 でも、的確だ。

 俺はまた右足を出した。

 その時、訓練場の反対側で少し大きな声が上がった。


「だから、ここは俺たちが先に使っていたと言っているだろう」


「少し場所をずらせば済む話じゃないか」


「割り込んできた方が言うことではない」


 見ると、数人の生徒が訓練場所を巡って揉めているようだった。

 片方は貴族らしい身なりの男子。

 もう片方は、平民寄りの契約者らしい。

 どちらも木剣を持ったまま、じりじりと声を荒げている。

 教師が来る前に、別の声が間に入った。


「そこは譲り合うべきだろう。訓練場は、誰か一人のものではないからね」


 柔らかい声だった。

 鮮やかな緑色の髪。

 綺麗に整えられた七三分け。

 左目の下に小さなホクロ。

 口元には、常に口角が上がったような穏やかな微笑。

 男子制服を完璧に着こなした一人の生徒が、揉めている二人の間に立っていた。

 背筋が伸びている。

 立ち姿が、妙に綺麗だ。

 男らしく、凛々しい。

 けれど威圧ではなく、礼儀で場を支配している。


「君の言い分は正しい。先に場所を取ったのは君だ」


 緑髪の生徒は、まず貴族側の男子にそう言った。


「だが、彼が焦っていた理由も分かる。昨日の評価が思わしくなかったのだろう?」


 もう一方の生徒が、わずかに息を呑む。


「ここで声を荒げれば、君の正しさまで濁ってしまう。前半は君が使う。後半は彼に譲る。それでどうだろう」


「だが……」


「君が譲ったことは、僕が見ている」


 その一言で、貴族側の男子の表情が少し変わった。

 怒りが収まったわけではない。

 ただ、引く理由を与えられた顔だった。


「……分かった」


「ありがとう。君の寛容に感謝する」


 緑髪の生徒は、次にもう一方へ向く。


「君も、それでいいかな」


「あ、ああ。すまない」


「謝る相手は僕ではないよ」


「……すまなかった」


 生徒同士が短く頭を下げる。

 揉め事は、あっさり収まった。

 俺は少しだけ目を細めた。

 ただ仲裁したわけじゃない。

 相手の言い分を否定せず、欲しい言葉を与えて、引き際まで用意した。

 上手い。


「あー、ルシェル・ヴァン・オルフェリア」


 横からニカが声を落として言った。


「知ってるの?」


「有名人だよ。オルフェリア家の子息。王国内でも三番目くらいにデカい大貴族。ヴァルンハート家の次くらいって聞いたことある」


「そんな人が同級生なんだ」


「顔良し、成績良し、礼儀良し、剣も強い。まあ、だいたい持ってる側だね」


 ニカの言い方は軽いが、情報としては重い。


「オルフェリア家は社交と芸術後援で王都に強い影響力を持つ家よ」


 セシリアが静かに補足した。


「表立った武門ではないけれど、侮っていい家ではないわ。交渉、根回し、人の動かし方に長けている家系ね」


「なるほど」


 俺はもう一度、ルシェルを見た。

 彼は揉め事を収めたあと、穏やかに微笑んだまま周囲へ軽く礼をしていた。

 どこにも隙がない。

 完璧な貴公子。

 そう言われれば、その通りに見える。

 その時、ルシェルの視線がこちらへ向いた。

 いや、正確には、俺へ向いた。

 空気が少し変わった気がした。

 誰もが、俺を未熟な契約者として見ていた。

 魔法も使えず、魔力圧も扱えず、非契約者に負け続けた生徒。

 けれど、ルシェル・ヴァン・オルフェリアだけは、違うものを見ているようだった。

 乱れかけた金の髪。

 何度も同じ場所を踏み直す右足。

 昨日の打ち身が残る身体。

 それでも、前を見ようとする左右で色の違う瞳。

 ルシェルの口元が、わずかに深くなる。


「……美しい」


 小さな声だった。

 けれど、なぜか耳に残った。

 ルシェルはゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 動きに無駄がない。

 近づき方まで、礼法で整えられているようだった。


「君が、アイリス・シエーレだね」


「そうだけど……」


 ルシェルは胸に手を当て、綺麗に礼をした。


「ルシェル・ヴァン・オルフェリア。失礼、名乗りが遅れた」


「それで、何か用かな?」


「用、というほど整ったものではない。ただ、目を奪われた」


「……目を?」


「昨日、君は負けたそうだね」


「まあ、だいぶ負けたね」


「そして今日、もう直そうとしている」


「それが何か?」


 ルシェルは、俺を見つめたまま微笑んだ。


「美しいと思った」


 沈黙が落ちた。

 いや、周囲の音はある。

 訓練の木剣がぶつかる音も、生徒たちの声も聞こえている。

 でも、俺の周りだけ少し変な空気になった。


「これは……褒められてるの?」


「もちろん」


「そうは聞こえないんだけど」


「完成されたものは、時に退屈だ」


 ルシェルは静かに続けた。


「整いすぎた美は、飾り棚の中で息を止める。だが、君は違う」


「……」


「敗北し、土に汚れ、なお形を探している。壊れていない。だが、完成もしていない」


 その視線が、少し熱を帯びる。  


「その未完成さが、あまりにも鮮烈だ」


 何を言っているのか、半分くらい分からない。

 ただ一つ分かるのは、この人は俺を普通の意味で見ていない。


「君は、自分が今どんな顔をしているか分かっているのか?」


「分からないし、近いよ」


「失礼。君を前にすると、どうにも距離を測り損ねる」


「それは…測れるようになって?」


 ルシェルは少しだけ笑った。

 その時、ローゼリアが一歩前へ出た。


「近い。下がりなさい」


 ルシェルは即座に姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。


「失礼、ローゼリア嬢。君に不快感を与えるつもりはなかった」


 ローゼリアには、ちゃんと礼儀正しい。

 続いてセシリアが冷たく言った。


「その割には、随分と無遠慮な目をしていたわね」


 ルシェルはさらに深く、節度ある礼を取る。


「セシリア殿下。ご指摘、痛み入ります。僕の振る舞いが礼を欠いたのであれば、改めましょう」


 王族への礼。

 ローゼリアへの礼よりも、明確に一段深い。

 こいつ、礼法は間違えない。


「普段はまともなのに、アイリスの前だけ壊れるのね」


 セシリアの言葉に、ルシェルは口角を上げた。


「殿下のお言葉なら、否定すべきなのでしょう。ですが……どうやら、その通りのようです」


「自覚があるなら直しなさい」


「努力しましょう」


「努力ではなく、実行なさい」


「はい、殿下」


 ニカが小声で呟く。


「うわ、アイリス限定で変になるタイプじゃん」


「そんなことある?」


「いや、見たまんま」


 俺が返す前に、横合いから木剣が飛んできた。

 近くの訓練で弾かれたものだ。

 俺の方へ向かっている。

 反応しようとした瞬間、ルシェルの右手が動いた。

 視線は俺から外れていない。

 会話の姿勢も崩れていない。

 それなのに、飛んできた木剣の柄が、音もなく彼の手に収まっていた。


「危ないね」


 ルシェルは穏やかに言い、持ち主へ木剣を返す。


「す、すみません!」


「構わないよ。だが、周囲の軌道は常に意識した方がいい。君の剣は、相手だけに向かっているわけではないからね」


 持ち主の生徒は慌てて頭を下げた。

 俺はルシェルの手を見た。

 今の動きは、偶然じゃない。

 見ていなかったように見えた。

 でも、分かっていた。

 空間の中で、どこに何があるか。

 何が、どの軌道で、どこへ飛ぶか。

 それを把握していた。


「……今の、見えてたの?」


「見えていた、というより、そこを通ると思っただけだよ」


「それが普通にできるの?」


「多少はね」


 多少。

 その言葉で済む動きじゃない。

 ルシェルは再び俺を見る。


「アイリス、また話せるかな」


「距離を保ってくれるなら」


「努力しよう」


「努力じゃなくて実行して」


「手厳しいね。だが、そういうところも――」


「言わなくていいよ」


「分かった」


 ルシェルは微笑み、静かに身を引いた。

 去っていく背中は、完璧な貴公子そのものだった。

 他の生徒に声をかけられれば、柔らかく応じる。


 揉めそうな空気があれば、自然に和らげる。

 誰に対しても礼儀正しく、誰に対しても美しく振る舞う。

 ただ、俺を見る時だけ違う。


「アイリス」


 ニカが横から覗き込んでくる。


「あれ、絶対やばいやつだよ」


「だね」


「分かるんだ」


「分からない方がおかしいでしょ」


 ローゼリアは不機嫌そうに腕を組んでいた。


「二度と近づけない方がいいわ」


「さすがにそれは難しいと思うけど」


「なら、三歩以上近づけないことね」


 セシリアはルシェルの背を見ながら、静かに言った。


「オルフェリア家の子息としては優秀よ。礼法も、社交も、剣も。おそらく、人の動かし方もよく知っている」


「評価高いね」


「事実よ」


 セシリアの紫の瞳が、わずかに細くなる。


「けれど、あなたを見る目だけは、まともではなかったわ」


 俺はもう一度、ルシェルを見た。

 彼は別の生徒と普通に話している。

 表情も、姿勢も、言葉も、どこまでも紳士的だ。

 けれど、俺と目が合った瞬間だけ、口角が少し上がった。

 悪い人間には見えない。

 少なくとも、今のところは。

 礼儀もある。

 頭も回る。

 たぶん、かなり強い。

 でも、あの目だけは、どうにも苦手だった。

 こちらを見ているのに、俺自身ではなく、俺の中にある何かを測っているような目。

 ルシェル・ヴァン・オルフェリア。

 その名前を、俺はその日初めて覚えた。


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― 新着の感想 ―
また癖の強い人物がアイリスに絡んできましたねw ルシエルはアイリスの恋人になるのか? 仇敵になるのか? どちらにもなり得そうで思わず注視したくなるキャラクターですね。 この先が楽しみです。
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