第四十六話 持たざる者の剣
第四十六話 持たざる者の剣
翌朝の訓練場には、昨日までとは違う空気が流れていた。
契約者クラスだけではない。
訓練場の反対側に、もう一つの列ができている。
非契約者クラス。
悪魔契約に失敗した者たち。
この学院において、最初の選別で“持たざる者”とされた者たち。
その言い方が正しいのかどうか、俺にはまだ分からない。
ただ、空気だけは明確に違っていた。
契約者側の生徒たちは、どこか余裕を残している。自分たちは選ばれた側だと、口にせずとも態度に滲ませている者がいる。
一方、非契約者側の生徒たちは表情が硬い。諦めたような顔もあれば、悔しさを押し殺した顔もある。
その中に、一人だけ妙に目につく少年がいた。
深い緑色の髪。
黒に近いモスグリーンの髪が、朝の光を受けてもほとんど明るくならない。
灰緑の瞳は静かで、周囲の喧騒から一歩だけ外れているようだった。
レオス・バルド。
契約式の日、非契約者側へ歩いていった少年だ。
俺はその横顔を見ながら、胸の奥に意識を落とす。
ある。
赤黒い熱と、蒼白い痺れ。
ラグナとルナ。
けれど、それだけだ。
昨日から何度も触れようとしている。
だが、届かない。
そこにいると分かるのに、形にならない。
ローゼリアはブライアの荊を出した。
セシリアはシルを顕現させた。
ニカも、ダリウスも、それぞれ悪魔との接続を始めている。
俺だけが、何も掴めていない。
そんな思考を切るように、イザベラの声が訓練場に響いた。
「今日は契約者クラスと非契約者クラスの合同基礎訓練を行う」
ざわめきが広がる。
契約者側の一部が、露骨に面倒そうな顔をした。
「勘違いするなよ、契約者ども」
イザベラの片目が、鋭く細められる。
「悪魔はお前らの代わりに足を動かしてはくれない。身体が鈍ければ死ぬ。剣を知らなければ死ぬ。魔力圧を扱えなければ、自分の魔法に振り回されて死ぬ」
次に、非契約者側へ視線を向けた。
「非契約者も勘違いするな。悪魔がないことを、立ち止まる理由にするな。魔法が使えなくても、身体は鍛えられる。剣は振れる。魔力圧は扱える」
訓練場の空気が引き締まった。
「今日は肩書も契約の有無も関係ない。動けない者から落ちる。それだけだ」
その言葉に、俺は小さく息を吐いた。
分かりやすい。
そして、容赦がない。
最初は走り込みだった。
単純な持久力、足運び、方向転換。
次に木剣を使った基礎の打ち込み。
俺はいつも通り、両手に一本ずつ木剣を持った。
二刀流。
この世界の基礎訓練では、一刀から始める者が多い。
だが俺にとっては、左右の手に剣がある方がしっくりくる。
もちろん、しっくりくることと、上手く扱えることは違う。
それにまだ剣を扱いきれないなら、守りの固い二刀が合理的だ。
俺は決して動けないわけじゃない。
森で魔獣から逃げた。
崖を越えた。
武具屋で双剣も握った。
そして、独学だが、訓練も多少はした。
でも学院式の訓練は違う。
一つ一つの動きに型がある。
無駄を削ぎ、癖を潰し、再現性を上げるための訓練。
俺の動きは、どうしても荒い。
反応はできる。
踏み込める。
だが、足の置き方が雑だ。
左右の剣の役割も、その場の感覚に頼りすぎている。
魔力圧を薄く纏おうとしても、内側から濃すぎるものが漏れそうになる。
「力を出すな。整えろ」
イザベラの声が飛ぶ。
分かっている。
でも、分かることとできることは違う。
俺は歯を食いしばり、右の木剣を振り下ろした。続けて左の木剣を返す。
その時、視界の端でレオスが動いた。
派手さはない。
速いわけでも、力強いわけでもない。
だが、足がぶれない。
剣先が落ちない。
踏み込みと同時に、薄い膜のような魔力圧が腕と足に乗る。
契約者の魔法とは違う。
けれど、ただの身体能力でもない。
少ない魔力を、薄く、丁寧に、必要な場所へ定着させている。
俺は思わず目を細めた。
あれが、第二層。
定着か。
俺の魔力圧は、出れば濃すぎる。
それなのに扱えない。
レオスの魔力圧は、たぶん俺ほどの量はない。
けれど、扱えている。
その差が、思ったよりも大きく見えた。
「悪魔もないのに、よく続ける気になるな」
契約者側の男子生徒が、半笑いで言った。
レオスは何も返さなかった。
ただ次の打ち込みで、その男子生徒の木剣を半歩で外し、足元を崩した。
男子生徒が尻餅をつく。
笑い声は起きなかった。
レオスは表情を変えず、木剣を構え直す。
俺は、その手元を見ていた。
あれは才能だけの動きじゃない。
何度も何度も、同じ動きを繰り返してきた手だ。
「次。アイリス・シエーレ。レオス・バルド」
イザベラの声が飛んだ。
俺は一瞬、レオスと目が合った。
灰緑の瞳が、静かに俺を測る。
周囲が少しざわついた。
双子の悪魔と契約した少女。
だが、いまだに何も顕現できない契約者。
そして、悪魔を持たない非契約者。
俺は二本の木剣を握り直し、訓練場の中央へ出た。
レオスも静かに歩いてくる。
「よろしく」
俺が言うと、レオスは短く返した。
「ああ」
余計な言葉はない。
構えを取る。
レオスの構えは堅い。
隙が少ない。
剣先が俺の中心から外れない。
対して俺は、右と左の剣を少しずらして構える。
右で誘い、左で払う。
左で止め、右で入る。
頭ではそう考えている。
だが、実際にどこまでできるかは分からない。
俺は息を整える。
魔法は使えない。
魔力圧もまともに使えない。
なら、今あるもので戦うしかない。
「始め」
イザベラの声と同時に、俺は踏み込んだ。
初手は速く。
右の木剣で真正面から打ち込む。
レオスは受けなかった。
半歩だけ横へずれ、俺の木剣の軌道を外す。
同時に、下から短く斬り上げてくる。
俺は左の木剣を差し込み、受ける。
軽い。
だが、正確だ。
受けた瞬間、レオスの剣が滑る。
こちらの木剣に沿って手首へ向かってきた。
危ない。
反射で左手を引き、右の木剣を横薙ぎに振る。
レオスは後ろへ下がらない。
半身になって軌道を外し、俺の踏み込みの隙へ剣先を置いてくる。
速い攻撃じゃない。
なのに、嫌な位置に来る。
俺は足を止められた。
レオスの目は冷静なままだ。
俺の動きに乗ってこない。
誘っても焦らない。
派手な反撃もない。
ただ、俺の荒い部分だけを正確に突いてくる。
やりづらい。
こいつ、強い。
俺は一度距離を取った。
呼吸が乱れる。
対するレオスは、ほとんど乱れていない。
腹が立つ。
いや、違う。
悔しい。
俺は契約者側にいる。
双子の悪魔と契約した。
規格外だと騒がれた。
なのに今、悪魔を持たない相手に押されている。
レオスが踏み込んだ。
剣筋は真っ直ぐ。
俺は右で受け、左で返そうとする。
しかし、その前に足元の圧が変わった。
レオスの魔力圧が足に乗る。
押すのではなく、地面に根を張るような定着。
俺の体勢が崩れる。
追撃が来る。
このままじゃ負ける。
そう思った瞬間、頭の奥で妙な感覚が走った。
学院の剣術じゃない。
この世界の型でもない。
前世で、画面の中のキャラが繰り出していた動き。
無茶な軌道。
現実なら隙だらけ。
けれど、読めなければ刺さる。
……ゲームなら、ここで回転斬りなんだけどな。
俺は半歩、軸足をずらした。
レオスの眉がわずかに動く。
一回転目。
右の木剣を低く走らせ、レオスの剣先を外側へ払う。
同時に、左の木剣を身体の内側へ畳み、次の軌道に備える。
二回転目。
勢いを殺さず、身体ごと回す。
左の木剣が、下から斜めに跳ね上がる。
レオスは反応した。
速い。
だが、一瞬だけ遅れた。
この世界の剣術なら、ここで回らない。
腰を据え、踏み込み直し、次の型へ繋ぐ。
でも俺は回った。
三回転目。
目が回りそうになる。
足も流れる。
無様だ。
隙だらけだ。
それでも、左右の木剣の軌道だけは、レオスの読みから外れた。
右の木剣がレオスの首筋の寸前で止まる。
左の木剣は、胴の内側へ入り込んでいた。
同時に、レオスの木剣も俺の脇腹に触れていた。
時間が止まったように静かになる。
息が荒い。
俺の手は痺れていた。
肩も痛い。
三回転なんて、魔法の加速もなしにやるものじゃない。
レオスは俺の二本の木剣を見ていた。
「……今のは、何だ」
「さあね」
俺は息を整えながら答えた。
「私にも、まだよく分かってない」
イザベラが歩いてくる。
「判定はアイリス。首への到達が先だ」
周囲がざわつく。
「だが」
イザベラの声が冷たく落ちた。
「実戦なら脇腹を裂かれていた。勝ちとは言い難い」
俺は苦笑した。
まあ、そうだろうな。
レオスが木剣を下ろす。
悔しそうではなかった。
怒ってもいない。
ただ、静かに俺を見ていた。
「妙な剣だ」
「やっぱり?」
「だが、いや、なにもない」
少しだけ、俺は笑いそうになる。
だが、レオスの次の言葉で、その感情は消えた。
「契約者側にいるなら」
レオスは木剣を握り直した。
「その席の意味くらい背負え」
俺は返事ができなかった。
レオスはそれ以上何も言わず、非契約者側の列へ戻っていく。
その背中を見ながら、俺はようやく気づく。
俺は、自分が何も持っていないと思っていた。
ラグナもルナも出せない。
魔法も使えない。
魔力圧もまともに扱えない。
だから、自分は落ちこぼれだと。
でも、レオスから見れば違う。
俺は契約者側に立っている。
それだけで、持っている側なのだ。
たとえ使えなくても。
たとえ未完成でも。
ラグナとルナという悪魔を持っている。
それは、持たざる者から見れば、きっと決定的な差だ。
レオスは淡々と木剣を布で拭いている。
誰とも話さない。
勝ち誇りもしない。
負け惜しみも言わない。
ただ、次の訓練に備えている。
その背中を見て、俺は小さく息を吐いた。
持たざる者。
そう呼ばれる側にも、積み上げてきたものがある。
俺はまだ、この世界の見方を知らない。




