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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第一章 なにもない場所

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第三十話 見えない返答

第三十話 見えない返答

 店に手を加えてから四日目、俺は会計脇の棚に並べた小さな裁縫籠を見下ろしていた。

 昨日寄せたばかりの針、糸、指抜き、補修用の革紐。

 布棚の近くへ移したそれらは、もう目に見えて数が減っている。

 入口を変えた時と同じだ。

 人の流れは、一度形になると、この前までとは別の顔を見せ始める。


「こっちの糸、あと二つです」


 若い従業員が少し声を弾ませて言った。


「補充は下の箱から。色ごとに混ぜないでください」


「はい!」


 返事が昨日より早い。

 言われたことを半信半疑でやっていた段階は、もう越えつつあるらしい。

 布を手に取った女が、そのまま針も見る。

 旅用の革袋を買った男が、ついでに紐と油まで持っていく。

 この前までは単品で終わっていた買い方が、今日は自然に連なっていた。

 商会は前に進んでいる。

 それは確かだった。

 ただ、俺の頭の中はそれだけでは終わってくれない。

 あの夜の路地裏。

 崩れ落ちた男たち。

 軋んだ空気。

 逃げていった黒い影。

 そして、ローゼリア。

 手紙は出した。

 返事はいらないと決めた。

 必要だったのは、届くことだけだ。

 それでも人間は勝手だ。

 返書を求めないと決めたくせに、届いたかどうかは知りたくなる。


「アイリスさん」


 帳場の向こうからレインが手招きした。

 近づくと、売上帳の上に小さく印がついている。


「午前中だけで、昨日より小針が出ています。布まわりもそうです。入口から入って、そのまま奥まで見る人が増えました」


「入口で帰る客が減ったからですね」


「はい。あと、会計前で小物を足す人も増えました」


 レインの声は落ち着いていたが、隠しきれない実感が滲んでいた。

 浮かれてはいない。

 ただ、ようやく自分の店が変わる感触を掴み始めている。


「次も見えてるんですよね」


「だいたいは」


「だいたい、ですか」


「全部見えてるなら、私がもう少し偉そうにしてます」


 そう言うと、レインは小さく笑った。

 少しだけ和んだ空気の向こうで、入口の鈴が鳴る。

 入ってきたのは二人組だった。

 一人はよくある買い物客。

 もう一人を見た瞬間、視線が止まる。

 地味な色の服。

 だが布の質が違う。

 歩き方が静かで、余計なところを見ない。

 髪はきっちりまとめられ、袖口も汚れていない。

 使用人だ。

 それも、名のある家の。

 女は入口の旅用品には目もくれず、まっすぐ布棚の方へ来た。


「細い針と、糸を。白と灰、それから薄い青を少し」


 声も無駄がない。


「香りの弱い油もありますか。あまり煙の出ないものがいいです」


 俺は品を取り出しながら、相手の手元へ目を落とした。


 差し出された買付札の端に、小さな銀の型押しがある。

 山の稜線のような二本の線。

 その根元に、一本だけ細く伸びる樹。

 意味を考えるより先に、横から低い声が飛んだ。


「……ヴァルンハート家の札だな」


 コルバンだった。

 いつの間にか帳場の横に立って、女の手元を見ている。

 胸の奥がわずかに強く打つ。

 女はコルバンを一瞥したが、気を悪くした様子はない。


「はい。屋敷で使う物です」


「外向きの物は要らんのか」


 ぶっきらぼうな問いに、女はほんの一瞬だけ逡巡した。


「しばらく、お嬢様が外へ出られませんので」


 その一言で十分だった。

 俺は顔を上げず、品を包む手だけを動かした。

 布の上に、細針、色糸、灯り皿、栞紐、乾きにくい上質紙を並べる。

 どれも屋内で時間を過ごすための物だ。

 外出先で使う品じゃない。


「こちらで」


「ありがとうございます」


 女は代金を置き、包みを受け取る。

 帰り際、ちらりと店内を見渡した。

 その視線は商品ではなく、入口から帳場までの位置を確かめるようにも見えたが、考えすぎかもしれない。

 女が出ていくと、コルバンが鼻を鳴らした。


「貴族街の屋敷ってのは、空気が変わりゃ買う物も露骨に変わる。閉じこもる気なら、ああいう品が増える」


「偶然かもしれませんよ」


 俺がそう言うと、コルバンは片眉だけを上げた。


「商売で偶然だけ見てたら死ぬぞ」


 そのまま奥へ引っ込む。

 相変わらずだ。

 だが今の言葉は、十分すぎるほど現実的だった。

 レインが小さく息を吐いた。


「……届いたのかもしれませんね」


 その言い方に、俺は少しだけ救われる。

 断定じゃない。

 願望にも寄りすぎていない。

 ちょうどいい距離だ。


「かもしれません」


 それ以上は言わない。

 届いたと確信するには足りない。

 たまたま体調を崩しただけかもしれないし、屋敷側の別の事情かもしれない。

 だが、少なくとも手紙が無駄だったとも思わなかった。

 ローゼリアが外へ出ず、屋敷の中で過ごす方へ動いた。

 もし本当にそうなら、それでいい。

 今欲しいのは派手な解決じゃない。

 ただ一つ、あの子が不用意に表へ出ないことだ。

 湯気の立つ茶を受け取り、一口飲む。

 温かさが少しだけ胸の奥まで落ちた気がした。

 その時だった。

 店の外、通りの向こうに立つ男が視界に入る。

 客、というには店へ入る気配がない。

 通りすがりにしては、足が止まりすぎている。

 男の視線は、品ではなく、入口と帳場の位置、その間を動く人間をなぞっていた。

 目が合うより早く、男は何事もなかったように歩き出した。

 ただの通行人かもしれない。

 だが、あの夜から残っていた小さな熱が、また胸の奥で形を持つ。


「どうかしましたか」


 レインが俺の視線を追おうとする。


「……いえ」


 俺は先に首を振った。


「……何でもないです」


 本当に何でもないのかは分からない。

 だが、分からないまま騒ぐのは違う。

 手紙に言葉の返事はない。

 それでいい。

 必要だったのは、届くことだけだ。

 そして、屋敷側の動きには、この前までとは少し違う気配があった。

 それがあの手紙のせいかどうかは、まだ断定できない。

 それでも、何もしないよりはずっとましだった。

 店内では、また一人、布を手にした客が針の籠へ手を伸ばしている。

 この前までならそこで終わっていた動きだ。

 商会は前に進み始めている。

 だからこそ、この場所もまた、別の誰かの目に触れ始めているのかもしれなかった。



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