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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第一章 なにもない場所

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第二十八話 余波


 路地は、異様なほど静かだった。

 さっきまであったはずの下卑た笑い声は消えている。

 残っているのは、荒い呼吸と、喉の奥で潰れたような呻きだけだった。

 俺は壁に手をついたまま、しばらく動けなかった。

 石が冷たい。

 なのに、身体の内側だけがまだ熱い。

 胸の奥に残ったそれは怒りの残り火みたいでもあり、別の何かがまだうごめいているようでもあった。

 目の前では、男たちが壊れたみたいに蹲っている。

 一人は意味のない謝罪を繰り返していた。


「し、知らねぇ……俺じゃ、ねぇ……っ、許して、許してくれ……」


 もう一人は壁に背を預けたまま、目を見開いて浅く息を吸っている。

 呼吸のたびに肩が跳ねるのに、立ち上がることも、まともにこちらを見ることもできない。

 最後の一人は、口を開いているのに何の言葉も出てこなかった。

 喉の奥でかすれた音だけが擦れている。

 勝った、とは思えなかった。

 殴っていない。

 刃も振っていない。

 なのに、路地だけが壊れていた。

 ――今の、何だ。

 心の中でそう呟いたつもりだった。

 だが、その声さえやけに遠い。

 視界の端に、黒っぽい外套の残像がまだこびりついている。

 荷箱の陰にいた影。

 俺が視線を向けた瞬間、迷いなく逃げたあいつ。

 見られた。

 その事実だけが、頭の奥に棘みたいに刺さっていた。

 追わなければ、と思った。

 けれど足に力が入らない。

 膝が笑う。

 吐き気がせり上がる。

 頭の芯を金槌で叩かれているみたいに、ずきずきと痛い。

 ここに長くいたらまずい。

 ようやくそれだけを掴んで、俺は壁から手を離した。

 足はまだ不安定だったが、止まっていれば本当にその場に崩れ落ちそうだった。

 男たちをもう一度見る。

 放っておいていいのか、一瞬だけ迷った。

 衛兵を呼ぶべきかとも思った。

 でも、呼んで何を話す?

 ならず者に絡まれて、気づいたらこうなっていた。

 そんな説明で通るわけがない。

 俺自身、何が起きたのか分かっていないのに。

 唇を噛んで、路地を出た。

     *

 表通りへ出る直前、小さな水場を見つけて、そこでようやく吐いた。

 胃の中はほとんど空だった。

 酸っぱい液が喉を焼き、目の奥が熱くなる。

 両手で石縁を掴んだまま何度も浅く息を吐き、顔を上げると、水面に映った自分の顔がひどく青白く見えた。

 金髪。

 オッドアイ。

 整いすぎた、美少女の顔。

 見慣れたはずなのに、今はそこに自分がいる感じがしない。


「……最悪」


 呟いた声がかすれる。

 さっきの視線を思い出しただけで、また胃の奥がひっくり返りそうになる。

 顔、胸元、腰、脚。

 順番に舐めるみたいに落ちていった、あの目。

 気持ち悪い。

 怖かったわけじゃない。

 違う。

 あんな風に見られたことなんてなかった。

 少なくとも、男だった頃の俺には。

 一瞬で分かった。

 あいつらにとって人の命も、女の身体も、大した違いじゃない。

 都合がいいか、使えるか、それだけだ。

 だから余計に、ローゼリアのことが許せなかった。

 前は橋から落として流した。

 赤い髪の娘。

 今度こそ確実にやる。

 聞き間違いなんかじゃない。

 あれはローゼリア本人だ。

 冷たい水を手ですくって顔を洗う。

 頬を打つ水の冷たさで、少しだけ意識が戻る。

 どうする。

 レオニードに伝えるか。

 エレノアに言うか。

 ローゼリア本人に話すか。

 でも、誰に、どこまで言う?

 屋敷の中まで完全に信用していいのか、今の俺にはまだ分からない。

 全部が見えているわけじゃない。

 軽々しく騒げば、かえって相手に警戒を与える可能性もある。

 少なくとも一つだけ、はっきりしていることがある。

 ローゼリアを、これ以上無防備に外へ出すわけにはいかない。

 そこまで考えたところで、胸の奥にまた熱が蘇りかけて、俺は強く息を吐いた。

 駄目だ。

 今は考えを一つずつ切り分けないと、また何かおかしくなる。

 まず落ち着け。

 それから、動け。

     *

 その夜は、ほとんど眠れなかった。

 宿屋の天井を見上げて目を閉じても、すぐに路地裏の光景が戻ってくる。

 崩れ落ちる男たち。

 軋む空気。

 逃げていった影。

 そして、自分の中から何かが漏れ出したような、あの感覚。

 分からない。

 あれが魔法なのか、それとも別の何かなのか。

 そもそも、今の俺にそんなものが使えるのか。

 分からないことだらけだった。

 それでも朝は来る。

 寝不足の重い頭のままハルヴェイ商会へ向かうと、昨日までとはまた少し違う景色があった。

 入口で足を止める客が、昨日より自然に増えている。

 旅小物の棚の前に立ち、手に取り、迷わず中へ入る。

 外套に目を留めてから布へ向かう客もいる。

 会計近くに寄せた小物のまとまり買いも起きていた。

 劇的じゃない。

 でも確かに、変わっている。


「……昨日より、入口で帰る人が減っています」


 帳場の横でレインが小声で言った。

 その声には、抑えきれない実感が混じっている。


「火打石も、紐も、昨日より動きが早いです。あと……針と糸も」


「そうですか」


 返しながら、自分でも声が少し平坦すぎるのが分かった。

 頭ではちゃんと嬉しい。

 やったことが間違っていなかったと確認できるのは、単純に大きい。

 でも、感情がそこまで追いつかない。

 レインが俺の顔を見た。


「……大丈夫ですか?」


 その一言に、少しだけ胸が詰まる。


「少し寝不足なだけです」


 嘘ではない。

 ただ、それだけでもない。

 レインは数秒だけ黙って、それから無理に踏み込まず頷いた。


「入口は、このまま維持します。補充も昨日より回りやすくなっていました」


「それなら良かったです」


 その時、近くを通った番頭が、こちらを見ずにぶっきらぼうに言った。


「小物の補充箱は、棚の下より半歩奥に入れた方が動きやすかった。手前だと客の足に当たる」


 俺は一瞬だけ目を瞬かせた。


「……それ、変えたんですか」


「使いづらかったからだ。悪いか」


 相変わらずの言い方だ。

 だが、否定ではない。

 昨日までなら、そもそもこちらのやり方に手を貸すこと自体しなかったはずだ。


「悪くないです。むしろ、その方がいいならそうしてください」


 番頭は鼻を鳴らして、そのまま奥へ消えた。

 レインがわずかに口元を緩める。


「認めたくはないみたいですが、昨日よりずっと素直です」


「素直じゃない方が、あの人らしいです」


 そう返したところで、自分の声が少しだけいつもの調子に戻っていることに気づいた。

 商会の空気は、確かに変わり始めている。

 入口を変えただけで全部が解決するわけじゃない。

 赤字の理由は一つじゃない。

 でも、店はちゃんと息をし始めていた。

 その事実だけは、少しだけ俺を現実に引き戻してくれる。

 けれど、胸の奥の熱は消えていなかった。

 客の流れを見るたび、どうしても考えてしまう。

 ローゼリアがもし、無防備に屋敷の外へ出たら。

 昨日の連中が、本当に次の機会を狙っているなら。

 そして、あの路地で逃げた影は。

 俺は帳場の脇で、無意識に拳を握っていた。

 店は少しずつ良くなっている。

 それは間違いない。

 でも、それとは別の場所で、もう何かが動いている。

 昨夜の路地で逃げた黒い影だけが、まだ頭の奥に残っていた。



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