表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第一章 なにもない場所

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/57

第二十七話 理性の外


 男の一人が、石畳を鳴らして一歩前へ出た。

 そのたった一歩だけで、嫌というほど分かる。

 肩の厚み。

 腕の太さ。

 腰の低さ。

 踏み込みの重さ。

 勝てるわけがない。

 男だった頃の身体なら、まだ違ったかもしれない。

 だが今の俺は違う。

 軽い。

 細い。

 腕力も足りない。

 二十キロの岩ひとつ持ち上げるのにも苦労するこの身体で、ならず者の大人の男を正面からどうこうできるはずがなかった。

 そんなことは、分かっている。

 分かっているのに、下がれなかった。


「威勢だけはいいな」


 男が笑った。

 さっきまでの下卑た調子は残っているのに、もう完全にこちらを舐め切った声ではない。

 目の前に出てきた若い女が、予想より噛みついてきた。

 その程度の警戒は乗っている。


「で、どうする。ここで一人で何ができる?」


 答えられない。

 喉が焼けるみたいに熱いのに、言葉だけがうまく出てこない。

 逃げろ。

 頭のどこかでは、まだそう言っていた。

 今なら、まだ間に合う。

 ここで背を向けて、人を呼んで、別の手を探すべきだ。

 それが正しい。

 それくらい、分かっている。

 それなのに、足は石畳に縫いつけられたみたいに動かなかった。

「黙ったか」

 男が、さらに半歩だけ詰めた。

 手が伸びる。

 掴むのか、突き飛ばすのか、それともただ怯ませるつもりなのか。

 そんなことはどうでもよかった。

 そんなことより、力に任せられない怒り、感じた事のない嫌悪感が俺の体と思考を支配していった。

 そして男の指先が視界の端に入った瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。

 ぎし、と。

 骨が鳴ったわけじゃない。

 もっと内側。

 心臓の裏か、肺の底か、自分でも分からない場所で、目に見えない何かがきしんだ。


「……っ」


 呼吸が、止まる。

 男の手が途中で止まった。

 止まったように見えた、のかもしれない。


「……なんだ?」


 別の男が低く呟く。

 その声に、さっきまでの余裕はなかった。

 空気が重い。

 狭い路地そのものに、見えない何かが満ちていく。

 酒場裏に積まれていた空樽がごと、と短く鳴った。

 壁際に置かれた木箱が小さく揺れ、足元の砂がかすかに跳ねる。


「おい」


 前に出ていた男が喉を押さえた。

 顔が歪む。


「なん……だよ、これ……!」


 息が吸えないのだろう。

 胸を掻く。

 一歩下がろうとして、膝が落ちる。

 石畳に片手をついたまま、俺を見上げる目だけが大きく見開かれた。

 別の一人も、壁に背を打ちつけるようによろめいた。


「ふざ、け……るな……!」


 怒鳴ろうとしているのに、声にならない。

 喉が潰れたみたいに掠れ、短く途切れる。

 分からない。

 何が起きている。

 どうしてこうなっている。

 俺は何もしていない。

 少なくとも、そういうつもりでは。

 ただ、腹の底が熱かった。

 怒りとも嫌悪ともつかない熱が、全身を駆け上がっていく。

 視界の端がじりじりと白く焼け、男たちの輪郭だけがやけにくっきり見えた。

 耳鳴りがする。

 なのに、男たちの荒い呼吸だけが妙に近い。


「ローゼリアに……何するつもりだった」


 自分の声が遠い。

 低く、硬く、押し殺しているはずなのに、路地の空気を震わせて広がっていく。


「い、言う……! 言うから……!」


 膝をついた男が何度も頷いた。

 だが、言葉はうまく繋がらない。


「俺じゃ、ねぇ……っ、上から、言われて……あ、ああ、やめろ、やめろやめろやめろ……!」


 そのまま自分の頭を両手で掻きむしる。

 爪が皮膚を裂いても、痛みを感じている様子がない。

 もう一人は壁際で尻餅をついたまま、目を見開いて意味のない音だけを漏らしていた。

 最後の一人は口をぱくぱく開閉するだけで、何も言えない。

 笑っていた顔が、理解不能と恐怖の中間みたいに崩れていく。

 路地の空気は、さらに重くなる。

 石壁が、またみし、と鳴った。

 そこで初めて、俺は自分の指先が小刻みに震えていることに気づいた。

 息が浅い。

 胸が痛い。

 頭の芯がじんじんと痺れている。

 なのに、熱は引かない。


「ふざけるな」


 言葉が、また勝手に零れた。


「ふざけるなよ。勝手に人の命を決めて、勝手に流して、今度こそ、だ?」


 最後の方は、自分でも何を言っているのか分からなかった。

 怒鳴っているつもりはない。

 なのに、空気の方が先に軋む。

 ぎし、ぎし、と。

 男たちが一斉に悲鳴を呑み込んだ。

 一人はその場に崩れ落ち、もう一人は壁に背を打ちつけたまま腰が抜け、最後の一人は目を見開いたまま、喉の奥で壊れた笛みたいな音を漏らす。

 その時だった。

 路地の奥、荷箱の影が動いた。

 男たちとは少し距離を取った位置。

 最初から近くへ寄らず、様子だけを窺っていた気配がある。

 黒っぽい外套の裾が翻る。

 そいつは一歩、二歩と後ずさり、俺が視線を向けた瞬間、弾かれたように身を翻した。

 逃げる。

 追わなければ、と思った。

 だが足が動かない。

 影はそのまま路地の奥へ消えた。

 石畳を蹴る足音だけが、やけに鮮明に残る。

 次の瞬間、膝が揺れた。

 壁に手をつく。

 吐き気が込み上げる。

 視界がぐらりと傾いた。

 目の前では、男たちがまだ壊れたように呻いている。

 一人は意味のない謝罪を繰り返し、一人は嗚咽だけを漏らし、一人は目を見開いたまま何も言えなくなっていた。

 勝った、とは思えなかった。

 殴ったわけでもない。

 刃を振ったわけでもない。

 それなのに、路地は完全に壊れていた。

 荒い呼吸だけが、狭い空間に残る。

 その中心に立っているのが自分だと、すぐには理解できなかった。

 手のひらの下で、石壁が冷たい。

 なのに、身体の奥はまだ熱い。

 ――今の、何だ。

 心の中でそう呟いたはずなのに、その声さえひどく遠かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ