第二十三話 値踏み
第二十三話 値踏み
店の奥へ通される間、俺はさりげなく中の様子を見ていた。
表から見えた陳列の乱れだけじゃない。
奥へ入るほど、店の癖がよく分かる。
仕立て前の布束、革鞄の予備、箱に入ったまま積まれた小物。
品数はある。
質も悪くない。
だが、置き方に統一がない。
どこに何がどれだけあるのか、ぱっと見で把握しづらい。
小さな応接用の机に通され、俺は椅子へ腰を下ろした。
向かいには若旦那――レインが座り、その少し後ろに、さっき怒鳴っていた古株の男が腕を組んで立つ。
番頭だろう。
顔に刻まれた皺は、年齢よりも不機嫌で深く見えた。
「改めまして」
レインが口を開く。
「私はレイン・ハルヴェイです。先ほどは失礼しました」
「私はアイリスです」
俺も短く名乗り返す。
そこで番頭が鼻を鳴らした。
「随分と大きく出たもんだな。いきなり『赤字を黒字にできる』だと? 口だけなら何とでも言える」
想定通りだ。
むしろ、こういう反応をする人間がいてくれた方が話は早い。
レインは番頭を制するように小さく手を上げ、それから俺へ視線を戻した。
「黒字にできる、とは……どういう意味ですか?」
否定から入らない。
まず内容を聞く。
やっぱり、この人は完全に駄目な側じゃない。
俺は机の上に肘をつかないよう気をつけながら、軽く息を吐いた。
「簡単に言えば、店の回し方を変えます。品そのものじゃなく、売り方と見せ方と流れを整えるってことです」
「流れ、ですか」
「はい。さっき表を見ただけでも、いくつかすぐ分かる問題がありました」
番頭の眉がぴくりと動く。
「まず、入口で何の店かが一目で伝わりにくい。旅用品と衣類と小物が散っていて、客の目線が迷います。良い品も奥に埋もれてる。あれじゃ、必要な客ほど入る前に通り過ぎる」
レインが黙って聞いている。
番頭は明らかに面白くなさそうだ。
「それから、表に出す品の管理が曖昧です。値付け前の商品が表に出かけてた。あれは従業員のミスでもありますけど、同時に、誰がどこまで管理してるかがはっきりしてない証拠です」
番頭が口を開いた。
「たまたまだ。たった一度見ただけで知った風な口を――」
「たまたまなら、客前でああいう怒鳴り方はしない」
言い切ると、番頭の顔がわずかに強張った。
「あなたは、あの従業員が前にも同じようなことをしたって前提で怒ってた。つまり管理の乱れが一度きりじゃないって、自分で分かってるんですよ」
「……っ」
図星だったらしい。
レインが番頭と俺の間に流れる空気を見てから、少しだけ視線を落とした。
「他には?」
「店の空気です」
俺は即答した。
「品が悪くなくても、空気が悪いと客は逃げます。特に衣類や旅用品は、必要だからこそ気分よく選びたい客が多い。客前で従業員を怒鳴るのは、それだけで損です」
レインはゆっくりと息を吐いた。
「……分かっています。分かってはいるんです」
その声には、強がりより疲れが滲んでいた。
「でも、直しきれていない。私の力不足です」
そこで番頭が低く言う。
「坊ちゃんは甘いんですよ。人を切れもしない、厳しくもできない。商売ってのは、優しさだけで回るもんじゃねぇ」
俺はその言葉を聞いて、逆に少しだけ納得した。
この番頭は、ただの小物じゃない。
やり方は最悪でも、店の苦しさを自分なりに背負っている。だからこそ厄介だ。
「その通りです」
俺がそう返すと、レインも番頭も一瞬だけ黙った。
「優しさだけじゃ商売は回らない。だから言ってるんです。人を増やすんじゃなくて、まずは今ある店の回し方を変えるべきだって」
俺は机の上に視線を落とし、頭の中で見てきた光景を並べ直した。
「入口の見せ方を変える。旅用品を手前に寄せる。客の足を止める品を外へ出す。小物は会計の近くにまとめる。何の店か、一目で分かるようにする。在庫の置き方も整理したい。あと、売れ筋と死に筋を見ないと話にならないから、帳簿も見たいです」
「帳簿まで?」
レインが目を上げる。
「見なきゃ分かりません。感覚だけで『たぶん売れる』をやるから崩れるんです」
番頭が吐き捨てるように言った。
「随分と分かった口だな。で、お嬢さんは何様のつもりだ?」
俺はその視線をまっすぐ受けた。
「最初の賃金はいりません」
場がまた静まる。
「は?」
番頭が顔をしかめた。
レインも明らかに戸惑っている。
「今のこの店に、人を雇う余裕がないのは分かってます。だから最初の賃金はいりません。その代わり、七日だけ店を見させてください」
「七日……」
「私は店頭に立って愛想を振りまきたいわけじゃないです。売り方、並べ方、客の流れ、勘定のつけ方、そういうところを見たい。何も変わらなければ、そのまま出ていきます」
レインがまだ黙っているのを見て、俺はさらに続けた。
「でも売上が増えたなら、その増えた分から一部をもらいたい。それなら、そちらに損はないはずです」
番頭が鼻で笑う。
「怪しい話だ。金もいらねぇ、七日だけ見せろ? そんなもん、探りを入れるための口実にしか聞こえねぇな」
「そう思うのは当然です」
俺は頷いた。
「だから最初の賃金はいらないって言ってるんです。失敗した時に損をするのは私だけでいい。逆に言えば、今のままで黒字に戻せる見込みがあるなら、断ってもらって構いません」
その一言で、番頭の口が止まった。
レインも、まるで何かを量るように俺を見ている。
たぶん今、値踏みされている。
けど、それはこっちも同じだ。
俺はこの商会を見ている。
この二人が、どこまで現実を見て、どこまで変わる気があるかを。
レインはしばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。
「……なぜ、そこまで?」
「生きていく土台が欲しいからです」
俺は正直に答えた。
「手元の金で、すぐには困りません。でも、それだけで生きていけるほど甘くないのも分かってる。だから、自分の強みが通る場所に入りたい。その結果、この店を選びました」
「私たちを助けたいから、ではなく?」
「違います」
即答した。
「助けたいからじゃない。ここなら勝てると思ったからです」
番頭が嫌そうに顔を歪める。
でも、レインはその言葉を聞いて、逆に少しだけ表情を緩めた。
「正直ですね」
「嘘ついても意味ないので」
その返しに、彼はほんの少しだけ笑った。
初めて見た笑みは、疲れているのに妙に柔らかかった。
「……分かりました」
レインは姿勢を正し、まっすぐ俺を見た。
「まずは七日。それで店を見てください。ただし、何をどう変えるかは、その都度私に話してもらいます」
「当然です」
「番頭も、それでいいですね」
番頭は露骨に不満そうだったが、完全には否定しなかった。
「気に食わねぇが……坊ちゃんがそこまで言うなら」
十分だ。
今はそれでいい。
俺は椅子から少しだけ身を乗り出した。
「じゃあまず、帳簿を見せてください」
レインが目を瞬かせる。
「帳簿、ですか」
「売れ筋と死に筋を見ます。あと、一日の客の流れと、今ある在庫の置き場所も。入口の並びは明日変えたい」
そこで番頭が、今度は本気で嫌そうな顔をした。
でも構わない。
この店はまだ死んでいない。
なら、立て直せる。
勝てる土俵に、ちゃんと入れた。




