第十四話 立ち上がる理由
第十四話 立ち上がる理由
目が覚めた時には、もう痛みの場所が分かるようになっていた。
腹。
左足。
胸の奥。
少し体を動かそうとするだけで、鈍い痛みがじわりと広がる。
だが、昨日感じたような、意識ごと沈んでいく感覚はない。
痛みはある。
重さもある。
けれど、考えることはできる。
それだけで十分だった。
窓から差し込む陽の光が、木の床に細長く伸びている。 外からは人の話し声と、車輪の軋む音が聞こえていた。 街だ。
森でも川辺でもない。
人が暮らしている場所。
俺は浅く息を吐いた。
生きている。
その事実を確認するみたいに、ゆっくりと天井を見上げる。
「起きたか」
部屋の隅で椅子に腰掛けていた医者が、組んでいた腕を解いた。
昨日と同じ男だ。
無精髭、薬草の匂い、日に焼けた手。
ぶっきらぼうだが、少なくとも敵ではない。
「……どれくらい寝てました?」
「丸一日近く、だな」
そんなにか。
意識の感覚としては一瞬にも思えたが、体の重さを考えれば納得はできる。
「動くなよ。まだ傷は塞ぎきってない」
「分かってます」
そう答えながらも、俺の意識はもう別のところに向いていた。
「ローゼリアは」
医者は一瞬だけ俺を見たあと、静かに口を開く。
「命に別状はない」
まず、その一言に胸の奥がわずかに緩む。
だが、そこで終わりじゃないことは、男の顔を見れば分かった。
「着水の衝撃で全身を強く打ってる。骨は折れてねぇが、まともに動ける状態じゃなかった。それでお前を背負ってここまで来たんだ。あれは正気の沙汰じゃねぇ」
俺は黙って聞いていた。
反論する言葉はない。
「お前を運び込んだ時点で、あの娘も限界だった。出血こそしてねぇが、熱も出てる。しばらくは安静だ」
「……そう、ですか」
昨日までなら、その言葉を聞いた瞬間に沈み込んでいたかもしれない。
守ると言ったくせに守れなかった。
背負われた。
助けられた。
情けない。
そういう感情に押し潰されて終わっていたと思う。
でも、今は違った。
悔しさはある。
胸が焼けるような後悔もある。
だが、それだけじゃ意味がない。
結果はもう出ている。
守れなかった。
俺は弱かった。
そこまでは事実だ。
なら、次に考えることは一つしかない。
「……会えますか」
医者は椅子から立ち上がる。
「少しだけだ。騒がせるなよ」
俺は頷いた。
体を起こすだけで腹が痛む。
足を床につけると、左足にずしりと重い痛みが返ってくる。
思ったより酷いな。
だが、歩けないほどじゃない。
医者に肩を貸されながら、ゆっくりと廊下に出た。
廊下は簡素だった。
壁も床も木造で、宿と診療所を兼ねているような造りだ。
薬草の匂いと、どこかで煮込んでいるスープの匂いが混ざっている。
窓の外には石畳の通りが見えた。
荷馬車。
桶を運ぶ女。
走り回る子供。
日常の景色だ。
俺はその光景を見て、少しだけ立ち止まる。
この世界にも、ちゃんと人が生きている。
当たり前のことなのに、今さら実感した。
「どうした」
「……いや」
何もない、とは言わなかった。
「ここで暮らしてる人間がいるんだなと思って」
医者は鼻で笑う。
「そりゃ街だからな」
当たり前の返答だ。
でも、その当たり前が今の俺には妙に重かった。
ローゼリアの部屋の前で足を止める。
「まだ眠ってる。起こすなよ」
医者が扉を開ける。
中は静かだった。
白い布が掛けられたベッド。
その上にローゼリアが横たわっている。
顔色はまだ良くない。
いつもの強気な表情はなく、呼吸だけが小さく胸を上下させていた。
腕にも脚にも包帯が巻かれている。
けれど、生きている。
その事実だけで十分だった。
俺はベッドの横まで歩いていき、しばらく黙ってその顔を見た。
この子が、俺を背負ってここまで来た。
あの崖から落ちて。
体を打って。
それでも。
なんでそんなことができたのか、今もよく分からない。 十五歳の女の子がやることじゃない。
普通なら、自分が生き延びることを優先する。
そうして責められる理由なんてない。
なのに、この子は違った。
だから助かった。
だから今、俺はここにいる。
「……借り、一つどころじゃねぇな」
自然と、そんな言葉が漏れた。
ローゼリアは眠ったまま動かない。
当然だ。
返事があるはずもない。
でも、言葉にしないと整理できなかった。
「守るって言ったのに、背負われて終わりとか、ダサすぎるだろ」
そこで、自分でも少し口元が歪んだ。
昨日までなら、この言葉はただの自己嫌悪で終わっていたはずだ。
けれど今は違う。
これは確認だ。
何が足りなかったのかを。
何が必要なのかを。
俺は弱い。
この世界のことも知らない。
戦い方も、魔法も、悪魔も、何一つ知らない。
知識だけじゃ越えられない壁があることも、もう分かった。
なら、やることは決まってる。
「強くならないとダメだな」
小さく、でもはっきりと言う。
ローゼリアの寝顔を見たまま。
「次は俺が守る」
それは理想でも誓いでもない。
必要条件だった。
ここで生きるなら。
この世界で何かを成すなら。
まずは、背負われる側で終わらないことだ。
俺はベッド脇の椅子にそっと手を置く。
「……もう背負わせねぇよ」
静かな部屋に、自分の声だけが落ちる。
その時だった。
廊下の向こうで、誰かの慌ただしい足音が響いた。
次いで、低い怒鳴り声。
「待て!許可のない立ち入りは――!」
医者が眉をひそめる。
次の瞬間、部屋の扉が乱暴に開いた。
入ってきたのは、革鎧を着た男だった。
息を切らし、額に汗を浮かべている。
視線は真っ直ぐ、ベッドの上のローゼリアへ向かっていた。
「いたぞ!やはりここに――」
その瞬間、男の目が俺に向く。
空気が変わる。
知らない目だ。
だが、その目にははっきりとした警戒が宿っていた。
俺は無意識にローゼリアの前へ半歩だけ出る。
足が痛む。
それでも、下がる気にはなれなかった。
男は短く息を呑んだあと、低い声で言った。
「お前は……誰だ」




