第十二話 微かな意思と強い意志
第十二話 微かな意思と強い意志
音が...聞こえる。
水の…音…
遠くで、絶えず何かが流れている。
ざあ、と。
ざあ、と。
一定のリズムで、耳の奥を撫でるように。
あった…かい…
冷え切った体のどこかに、じんわりと熱が触れる。
人肌のような暖かさ。
押し当てられているのか、包まれているのか。
はっきりとは分からない。
揺れて…いる…
ゆっくりだが…
確かに、上下に。
規則的に。
一定のリズム
とく、とく、とく、と。
それに合わせて体も揺れる。
体に力が入らない
指先が動かない。
腕も、足も、自分のものじゃないみたいに遠い。
重い。
沈んでいくような感覚。
頭がぼんやりして、思考が回らない。
何かを考えようとしても、形になる前に崩れていく。
言葉が、続かない。
なにか…
聞こえる…
遠い。
でも、確かに。
「……ス」
かすれるような音。
水の音に混ざって、途切れ途切れに届く。
「ア…リス」
俺の名前を呼んでる。
ローゼリア。
その名前が、ゆっくりと浮かび上がる。
「アイリス!しっかりしなさい!私が必ず街へ連れてく!それまで死んじゃダメよ!」
声が近い。
強く、はっきりと。
必死で。
何度も、何度も。
叩きつけるように。
うっすらと見えるローゼリアの表情は、見たことのものだった。
歪んでいる。
でも、目だけは強い。
揺れているのに、逸れない。
俺に必死に呼びかけてくれている。
声が近い…
暖かい…
背中に伝わる熱。
押し付けられる体温。
柔らかい。
でも、その奥にあるのは、固い意志。
離さない。
絶対に。
そんな力が伝わってくる。
揺れが続く。
一歩。
また一歩。
ゆっくりだが、確実に。
進んでいる。
暖かい…
落ち着く…
安心する…
意識が、また沈む。
うっすらと光を見ていた視界は、またゆっくりと暗くなっていく。
白い光が、遠ざかる。
細くなる。
ぼやける。
瞼にすら力が入らない。
閉じることも、開くこともできない。
ただ、沈む。
ローゼリアのほのかな甘い香りが少し心を落ち着かれせてくれる。
土と、汗と、わずかな甘さ。
それが混ざった匂い。
現実の匂い。
生きている匂い。
ローゼリアの体温が、俺の生きようとする意志をなんとか保たせてくれる。
消えそうな何かを、引き止める。
細い糸みたいな意識を。
ぎりぎりのところで。
あぁ、そうだ
死ねない
まだ
ここで
終わるわけには
いかない
ダメだ。
また意識が…
音が聞こえなくなる。
水の音も。
足音も。
呼び声も。
すべてが遠ざかる。
感覚も消えていく。
触れているはずの温もりすら、ぼやけていく。
意識だけがクリアになっていく。
不自然なほどに。
静かで。
暗くて。
なにもない。
これは夢…なのか?
違う。
分からない。
でも――
ここまでのことが、断片的に浮かぶ。
崖。
水。
血。
赤。
ローゼリア。
声。
俺は一体どうなったんだろう。
なんで俺は…
こんな姿に…
ここは…
日本じゃ…
ない…
魔獣
魔法
悪魔
知らない言葉
知らない世界
俺はどうなっちまうんだ。
違う
そうじゃない
俺は――
なにができる
この体で
なにを
どこまで
俺は…
――
ふと、目が覚める。
「まぶしっ」
強い光。
瞼の裏に焼き付く。
現実の重さが、一気に戻ってくる。
空気の感触。
布の柔らかさ。
体の重さ。
「ここは…どこだ…」
眩しい陽の光が差し、俺は布団で寝ていた。




