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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第三章 自由と支配

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第百十六話 スピード違反

第百十六話 スピード違反

 白兎が跳ねる。

 壁を蹴り、屋根を撫で、ワイヤーの音を残して、ルドーの身体が視界から消える。

 キィン。

 細い金属音。

 右ではない。

 上でもない。

 音は上から聞こえた。

 けれど、ルドーはそこにはいない。

 あの男は、音を置いていく。

 ワイヤーを引っかけた場所と、自分が通る場所をずらす。

 目で追えば遅れる。

 音だけを信じても遅れる。

 なら、見るべきは姿じゃない。

 音でもない。

 速さが生まれる前。

 ルドーが、どこに身体を預けるのか。

 足が壁へ向く瞬間。

 ワイヤーを張る指の動き。

 白い耳が傾く方向。

 跳ねる前に、膝が沈む一瞬。

 俺は双剣を構えたまま、息を細く吐いた。

 痛い。

 肋骨の奥が軋む。

 肩が重い。

 腕にはまだ痺れが残っている。

 それでも、目は外さない。


「どうした、嬢ちゃん」


 ルドーの声が路地に跳ねた。


「見るだけじゃ俺様は止まらねえぞ」


 その通りだ。

 見るだけでは止められない。

 けれど、もう追わない。

 追えば遅れる。

 受ければ削られる。

 怒れば読まれる。

 なら、誘導する。

 ワイバーンの時と同じだ。

 前世で習った、当たり前の物理。

 速さは、力になる。

 速いものは、止まりにくい。

 速いものは、曲がりにくい。

 速いものは、ぶつかった時に大きな衝撃を生む。

 ルドーの蹴りは強い。

 白兎の脚力。

 ワイヤーで作った角度。

 壁や屋根を蹴ることで増した速度。

 全部が、蹴りの重さになっている。

 なら、その速さは俺にとっても武器になる。

 ルドーが動いた。

 ピンッ、とワイヤーが鳴る。

 左上。

 いや、違う。

 ワイヤーは左上。

 身体は右下へ流れる。

 見えた。


「アイリス、右!」


 ニカの声。

 俺は一歩も追わなかった。

 右の剣を短く構える。

 左の剣を下げる。

 白い脚が横から来る。


 ギャリッ!


 剣と靴底が擦れた。

 衝撃が腕に響く。

 でも、今度は弾かれない。

 足に魔力圧を沈め、膝と腰で受け流す。

 身体を固めるのではなく、路地の湿った石に重さを乗せる。

 ルドーの蹴りが刃を滑る。

 そのまま離れる。

 けれど、俺はそこで終わらせなかった。

 ルドーの離れる方向を見る。

 壁。

 木箱。

 網の支柱。

 次の足場は、そこだ。

 俺は右の剣を軽く投げるように前へ滑らせた。

 狙いはルドーではない。

 足場。


 カンッ!


 剣先が、木箱の縁に当たった。

 木箱がわずかにずれる。

 ほんの少し。

 けれど、ルドーの足が置かれるはずだった場所が、半歩分だけ狂った。


「お?」


 ルドーの目が動く。

 それでも、崩れない。

 ワイヤーを引き、身体を空中で捻り、別の壁へ足を伸ばす。

 速い。

 対応が早い。

 でも、今ので分かった。

 足場をずらせば、軌道は変わる。

 軌道が変われば、次の速さも変わる。


「今の、狙ったのか?」


 ルドーが壁に足をつけたまま笑う。


「偶然、って顔じゃねえな」


「偶然で当たるほど、あなたは遅くないので」


「言うねえ」


 ルドーの口元が裂ける。


「じゃあ、もっと速くするか」


 ワイヤーが二本飛んだ。

 キィン、キィン。

 左右の梁に同時に引っかかる。

 ルドーの身体が、路地の中央で引き絞られるように沈んだ。

 まずい。

 ただの移動じゃない。

 加速のために、ワイヤーを両側に使っている。

 白兎の脚が石壁を蹴った。


 ドンッ!


 石が欠ける。

 ルドーの身体が弾丸みたいに飛んできた。

 狙いは俺の顔。

 剣で受ければ腕が折れる。

 かわしすぎれば、背後のニカの方へ流れる。

 止めない。

 逸らす。

 俺は左の剣を斜めに立てた。

 ギィンッ!

 蹴りが刃に触れた瞬間、右の剣を添える。

 二本で受けるのではなく、流れを作る。

 ルドーの脚が刃の上を滑り、俺の肩をかすめて背後の石壁へ叩き込まれた。


 ドガッ!


 壁が鳴る。

 石片が飛んだ。

 その一つが頬を切る。


「ちっ、またずらしたか」


 ルドーが笑いながらも舌打ちする。


「器用だな、嬢ちゃん。そういう女は高く売れるぜ」


 右肩が熱を持つ。

 赤黒いものが奥で蠢いた。

 壊せ。

 その声は、さっきより近い。

 俺は呼吸を落とした。

 怒るな。

 怒りは、あいつの足場になる。

 ルドーは笑っている。

 俺を不快にさせるために言っている。

 なら、乗るな。


「安い挑発ですね」


「効いてるくせに」


「効いてますよ」


 俺は双剣を構え直した。


「だから、踏み込みません」


 ルドーの笑みが少しだけ消えた。


「……へえ」


 その瞬間、横の通路から男が飛び出してきた。

 俺ではなく、ニカを狙っている。

 ニカは反応した。

 身を低くし、爪で相手の手首を弾く。

 けれど、二人目が屋根から降ってくる。


「ニカ!」


 俺が動くより先に、重い音がした。

 ホルジスの刃の背が、屋根から降りた男を壁へ叩きつけていた。


「俺の前で横を抜けるな」


 ホルジスが低く言う。

 荒事屋の男が泡を吹いて崩れる。

 ニカが目を丸くした。


「……助かった」


「礼はいらねえ。邪魔になるな」


「素直じゃないね」


「黙れ」


 ホルジスは不機嫌そうに吐き捨てながら、横道へ立った。

 その巨体があるだけで、路地が一つ塞がる。

 ルドーの逃げ道が、少し減った。

 ルドーがそれを見る。


「つまんねえなあ、海の若旦那。周りを見るようになったのか?」


「てめえを潰すためだ」


「理由は何でもいい」


 俺は小さく呟いた。

 ホルジスが動きを変えた。

 ニカが死角を拾ってくれている。

 なら、俺はルドーだけを見る。

 白兎が、また跳ねた。

 でも今度は、路地の奥へ深く跳ばない。

 狭くなった逃げ道を嫌った。

 ホルジスが塞いだ横道。

 ニカが警戒する足元。

 俺がずらした木箱。

 ルドーの選択肢が、少しずつ減っている。

 これだ。

 倒すために、追うんじゃない。

 動ける場所を削る。

 使える足場をずらす。

 速度を作る方向を、選ばせる。


「見えてきたか?」


 ルドーが笑う。


「でもな、見えたところで――」


 言葉の途中で、ワイヤーが鳴った。


 ギィンッ!


 今度は、上。

 ルドーが屋根の縁へ跳ぶ。

 俺は追わない。

 ただ、左の剣を足元の石畳へ低く突き立てた。

 ガッ。

 刃が石の隙間に噛む。

 ルドーの目が細くなる。


「何してんだ?」


 俺は答えない。

 右の剣で、近くの濡れた縄を弾く。

 縄がルドーの着地点近くへ滑る。


「小細工かよ」


「あなたほどじゃありません」


「言うじゃねえか」


 ルドーが屋根を蹴った。

 その瞬間、俺は左の剣を引いた。

 ガリッ、と石畳を削って刃が抜ける。

 跳ねた水が、ルドーの視線の前で散った。

 ほんの一瞬。

 ルドーの目が細くなる。

 俺は右へ半歩。

 ルドーは笑った。


「そこだって言ったろ!」


 来た。

 読ませた。

 ルドーは俺が右へ逃げると読んでいる。

 だから、その進路を潰す蹴りを選ぶ。

 速い。

 鋭い。

 白い脚が、横から俺の頭を狙う。

 俺は右へ逃げない。

 左の剣を地面へ突き刺した。


 ガッ!


 右の剣も、その少し前へ噛ませる。


 ギチッ。


 刃が石に食い込む。

 支点。

 ルドーはワイヤーで作る。

 なら、俺は剣で作る。

 両手で柄を握る。

 足に魔力圧を集める。

 膝へ通す。

 腰へ通す。

 腹で回す。

 身体を、双剣を中心に横へ流す。

 腕が悲鳴を上げた。

 石に刺さった刃が軋む。


 ギギギッ!


 濡れた石畳の上で、俺の身体が普通ではあり得ない角度へ回る。

 追っているんじゃない。

 逃げているんでもない。

 曲がっている。

 自分で作った支点を使って、身体の軌道を変えている。

 ルドーの目が見開かれた。


「は――?」


 もう、遅い。

 ルドーは速い。

 だから強い。

 でも、速すぎる。

 ワイヤーで作った速度。

 壁を蹴った力。

 白兎の脚力。

 その全部が、今、俺が置いた場所へ向かっている。

 俺は蹴りを当てに行かない。

 そこへ来るなら、そこに置く。

 足へ魔力圧を集約する。

 重く。

 硬く。

 逃げないように。

 ルドーの顔が、目の前に来た。

 白い髪。

 白い耳。

 歪んだ笑みが消えた顔。

 俺は小さく息を吐いた。


「スピード違反だ」


 次の瞬間。


 ゴッッ!!!!!!


 俺の踵が、ルドーの頭上を撃ち抜いた。

 衝撃が路地に弾ける。

 ルドーの身体が、速度ごと下へ叩き落とされる。


 ドガァッ!!


 石畳が鳴った。

 水溜まりが跳ね、砕けた石片が壁に当たる。

 ワイヤーが空中で千切れ、キンッ、と細い音を立てて落ちた。

 ルドーの身体は、濡れた石畳の上で一度跳ね、それから動かなくなった。

 静かになった。

 いや、完全な静寂ではない。

 ホルジスが荒事屋を壁へ押しつける音。

 ニカが息を呑む音。

 遠くの港の喧騒。

 それらが、急に戻ってきた。

 俺は双剣から手を離しそうになって、慌てて握り直した。

 足が震える。

 腕も痛い。

 肩も痛い。

 背中も痛い。

 でも、立っている。


「……アイリス」


 ニカの声が震えていた。


「今の、何?」


「物理」


「ぶつり?なにそれ?」


「私も、今説明する余裕はない」


 俺は息を吐いた。

 ルドーは動かない。

 頭部への直撃だ。

 死んでいないか一瞬不安になったが、胸は上下している。

 気絶しているだけだ。

 たぶん。

 ホルジスが最後の一人を地面に押さえつけた。

 ドンッ、と膝で背中を押さえ、動きを止める。


「終わりか」


「たぶん」


 俺が答えると、ホルジスはルドーを見た。

 そして、砕けた石畳を見た。

 最後に、俺を見る。


「お前、蹴ったのか」


「はい」


「あいつの速さに合わせて?」


「合わせたというか、来る場所に置きました」


「意味が分からねえ」


「私も人に説明するほど整理できてないです」


 ホルジスはしばらく黙った。

 それから、低く笑った。


「ヴェスカが気に入るわけだ」


「気に入られてるんですか、私」


「さあな。少なくとも、面倒な奴だとは思われてる」


「それは否定できません」


 ニカがルドーへ近づこうとして、足を止める。


「気をつけて。起きるかも」


「この状態で起きたら化け物だね」


「そういうやつ、たまにいるよ」


 ニカの言葉に、俺は双剣を構え直した。

 けれど、ルドーは起きなかった。

 白い兎耳が、力なく濡れた石畳に伏せている。

 さっきまであれほど跳ねていた男が、今はただ重い。

 速さは力になる。

 けれど、止められた瞬間、その力は自分に返る。

 俺は改めて、それを身体で理解した。

 ホルジスの部下たちが遅れて駆け込んでくる。

 周囲の荒事屋たちは、ほとんど倒れていた。

 逃げようとした者も、ホルジスが塞いだ道とニカの警戒で動けずにいる。

 ホルジスは倒れたルドーの前に立った。


「こいつが、俺の名を使った男か」


「たぶん、中心はこの人です」


「軽そうな顔しやがって」


 ホルジスは吐き捨てる。

 けれど、その声にはさっきまでの怒りだけではないものが混じっていた。

 自分の名が利用されたこと。

 自分の力が、この場所では届かなかったこと。

 それをアイリスが止めたこと。

 全部が、喉の奥で引っかかっているような声だった。


「潰すだけじゃ、済まなかったですね」


 俺が言うと、ホルジスが睨んできた。


「お前、ほんとに余計なことを言うな」


「すみません」


「謝るくらいなら言うな」


「たぶん、また言います」


「だろうな」


 ホルジスは舌打ちした。

 けれど、怒鳴りはしなかった。


「……だが、まあ」


 彼は少しだけ言葉を詰まらせる。


「助かった」


 小さい声だった。

 ニカの耳がぴんと立つ。

 俺も少し驚いた。


「今、礼を言いました?」


「言ってねえ」


「言いましたよね」


「聞き間違いだ」


「ニカ、聞いた?」


「聞いた」


「聞いてねえ」


 ホルジスの目が鋭くなる。

 でも、さっきまでよりは怖くなかった。

 たぶん、少しだけ。

 本当に少しだけ、この人の強さ以外の部分が見えた気がした。

 その時、遠くから足音が近づいてきた。

 ヴェスカの従者たちだ。

 白黒の軽装に身を包んだ獣人たちが、路地の入口を押さえる。

 逃げようとしていた荒事屋たちは、その気配だけで膝をついた。

 その後ろから、ゆっくりとヴェスカが歩いてくる。

 場の空気が、また変わった。

 荒れていた路地が、静かに押さえ込まれる。

 ヴェスカは倒れたルドーを見た。

 砕けた石畳を見る。

 そして、俺を見る。


「派手にやったな」


「……すみません」


「謝る必要はない。殺していないなら十分だ」


 胸の奥が少しだけ軽くなる。

 殺していない。

 それを聞いて、ようやく息が深く入った。

 ヴェスカはホルジスへ視線を移す。


「何を見た」


 ホルジスの顔が歪む。


「……俺の力が通じねえ場所がある」


「それだけか」


「俺の名前が、俺の知らねえ場所で使われることがある」


「それだけか」


 ホルジスは奥歯を噛んだ。

 少しの沈黙。

 それから、低く答えた。


「潰すだけじゃ、見えねえものがある」


 ヴェスカの銀青の瞳が、わずかに細くなる。


「少しは増えたな」


「まだ強いだけ、か」


「今朝よりは、少しだけましだ」


「褒めてんのか、それ」


「褒められたいのか」


「いらねえよ」


 ホルジスはそっぽを向いた。

 ヴェスカは次に、俺を見た。


「アイリス」


「はい」


「お前は何を見た」


 俺は倒れたルドーを見た。

 名前を道具にした男。

 恐怖も、欲も、外見も、怒りも、全部使った男。

 それでも、彼は強かった。

 あの汚い合理性を、ただ否定するだけでは勝てなかった。

 俺も使った。

 地形を。

 物理を。

 双剣を。

 魔力圧を。

 ルドー自身の速さを。

 使えるものを使った。

 でも、使い方には線がある。


「流れを作るだけでも、守るだけでも足りないんだと思いました」


 ヴェスカは黙って聞いている。


「誰かがその流れに手を入れるなら、見ないといけない。止めるなら、ただ壊すんじゃなくて、どこを止めるのか見ないといけない」


 左肩の奥が、ほんの少し冷えた。

 ラグナの熱ではない。

 静かで、冷たい。

 何かが、こちらを見ているような感覚。

 すぐに消えた。

 ヴェスカは小さく笑った。


「いい。まだ分かった顔ではない」


「分かってないです」


「なら、見続けろ」


 ヴェスカは従者へ目を向ける。


「ルドーを縛れ。死なせるな。吐かせることがある」


「はっ」


 従者たちが動く。

 物理的な縄と拘束具で、ルドーの手足を押さえていく。

 白兎の耳が、ぴくりとも動かない。

 俺はそれを見ながら、痛む足に力を入れた。

 戦いは終わった。

 でも、終わりではない。

 ルドーは誰に使われていたのか。

 ホルジスの周りに入り込んでいたものは何なのか。

 白黒の海獣紋に手を伸ばした者は、どこまで繋がっているのか。

 海の底から浮かび上がったものは、まだ形の一部しか見せていない。

 ヴェスカの声が、静かに路地へ落ちた。


「戻るぞ。ここからは、話を聞く時間だ」


 港の向こうで、波の音がした。

 俺は双剣を鞘へ戻す。

 その手は、まだ少し震えていた。

 けれど、視線は逸らさなかった。

 自分の作った流れが、どこへ届き、誰の欲を起こすのか。

 その答えは、まだ先に沈んでいる。


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