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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第三章 自由と支配

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第百十五話 跳ねる白兎

第百十五話 跳ねる白兎

 ルドーが、濡れた石畳を蹴った。

 真正面ではない。

 最初の一歩は前に見えた。

 けれど、次の瞬間には、袖から伸びた細いワイヤーが屋根の梁へ飛び、白い身体が斜め上へ跳ねていた。

 視線が追いつかない。

 いや、違う。

 追いつかない場所へ、最初から跳んでいる。

 壁。

 屋根。

 木箱。

 吊られた網の支柱。

 ルドーは、地面だけを足場にしていない。

 路地そのものを足場にしている。

 俺は双剣を構えたまま、足裏へ魔力圧を沈めた。

 濡れた石畳の感触。

 靴底に入り込む水。

 滑りそうな足場を、力で押さえつけるのではなく、身体の重さごと馴染ませる。

 踏み込むなら、小さく。

 振るなら、短く。

 広く斬ろうとすれば、壁に引っかかる。


「上!」


 ニカの声。

 見上げた瞬間、白い影が落ちてきた。

 ルドーの脚が、俺の肩口を狙っている。

 止めるな。

 さっきと同じだ。

 止めようとすれば、剣ごと潰される。

 右の剣を斜めに入れる。

 左の剣で押す。

 腰を落とし、膝で衝撃を逃がす。

 ルドーの踵が刃を滑り、すぐ横の木箱を蹴り砕いた。

 破片が頬をかすめる。


「いい反応だなあ、嬢ちゃん」


 ルドーは着地しない。

 砕けた木箱の縁を蹴り、ワイヤーを別の梁へ飛ばし、身体を横へ流す。


「けど、受けてるだけじゃ沈むぜ」


 言葉の終わりと同時に、針が飛んできた。

 狙いは顔。

 俺は首を傾けてかわし、左の剣で二本目を弾く。

 その隙に、ルドーはいない。


「右、箱の陰!」


 ニカが叫ぶ。

 木箱の陰から荒事屋の一人が飛び出す。

 短い刃物。

 低い姿勢。

 足を狙う動き。

 俺は大きく振らず、右の剣の柄で手首を打った。

 刃物が落ちる。

 続けて膝を入れ、相手を壁際へ沈める。

 でも、視線が下がった。

 それがまずかった。

 ワイヤーの音。

 上ではない。

 横。

 俺は反射で身体をひねった。

 直後、ルドーの蹴りが脇腹をかすめる。

 直撃ではない。

 それでも、息が詰まった。


「っ……!」


 蹴りの風圧だけで、身体が持っていかれそうになる。

 ルドーは壁を蹴って離れ、濡れた石壁に片足をつけたまま笑っていた。


「綺麗に動くなよ、嬢ちゃん。そういう奴から泥に沈むんだ」


「最低ですね」


「褒め言葉だな」


「褒めてません」


「路地裏じゃ、最低の方が長生きするんだよ」


 軽い。

 けれど、軽さの下にあるものは、笑えない。

 名前も顔も、力も恐怖も。

 ルドーは全部を道具として使う。

 俺の外見も、ホルジスの名前も、若い獣人たちの欲も、倉庫番の怯えも。

 使えるなら使う。

 そこに善悪を挟んでいない。


「綺麗な顔してると得だよなあ」


 ルドーがワイヤーを指で弾いた。


「誰かが勝手に守りたがる。勝手に値をつける。勝手に欲しがる」


 嫌な視線だった。

 肌の上に、汚れた指先を置かれたような感覚。


「でもな、値がつくもんは奪われるんだよ」


 右肩が、少し熱を持った。

 奥から、赤黒いものが滲みそうになる。

 壊せ。

 そんな声が聞こえた気がした。

 俺は奥歯を噛む。

 違う。

 ここで怒りに任せれば、ルドーの思う通りだ。

 踏み込みを読まれる。

 立つ場所を選ばされる。

 そして、蹴られる。

 俺は右肩の熱を押し込めた。


「アイリス!」


 またニカの声。

 今度は足元。

 濡れた縄が転がされる。

 踏めば滑る。

 俺は半歩だけ横へずれた。

 その瞬間、ルドーが笑った。


「そこだ」


 壁を蹴る音。

 ワイヤーが鳴る。

 白い影が、俺の視界の外から飛び込んでくる。

 読まれていた。

 縄を避けるなら、ここに足を置く。

 剣を壁に当てたくないなら、身体はこの角度になる。

 荷を壊したくないなら、下がる方向は限られる。

 ルドーは、それを読んでいた。

 蹴りが胴へ来る。

 右の剣を差し込むには遅い。

 左腕を畳み、剣の腹で受ける。足裏へ魔力圧を沈め、腰を落とす。

 衝撃。

 身体が浮いた。

 いや、違う。

 俺の足が、石畳から剥がされた。

 背中が石壁に叩きつけられる。


「かはっ……!」


 肺の中の空気が、一瞬で抜けた。

 視界が白く弾ける。

 腕が痺れる。

 肩が痛い。

 肋骨の奥が軋む。

 でも、剣は離さない。

 落としたら終わる。


「アイリス!」


 ニカが駆け寄ろうとする。


「来るな!」


 俺は叫んだ。

 ニカが止まる。

 その直後、ニカの足元へ針が刺さった。

 ルドーが笑う。


「いい判断だ。仲間を近づけると足を取られるぜ」


「……本当に、最低ですね」


「だから褒め言葉だって」


 ルドーは古い看板にワイヤーを引っかけ、身体を逆さに吊るようにしてこちらを見ていた。

 白い耳が揺れる。

 その姿勢ですら、隙がない。

 蹴るための距離。

 逃げるための角度。

 次の足場。

 全部、もう作っている。

 俺は壁から背中を離した。

 痛い。

 けれど、立てる。

 ホルジスの方では、重い音が続いていた。


「邪魔だ!」


 ホルジスの刃が、路地の荒事屋を木箱ごと吹き飛ばす。

 一人、二人。

 正面に立った相手は話にならない。

 若い獣人二人も、ホルジスの指示で横道を塞ぎ始めている。


「そっちは任せます!」


 俺が叫ぶと、ホルジスがこちらを睨んだ。


「命令するな」


「お願いです!」


「チッ」


 ホルジスは舌打ちした。

 だが、次の瞬間には横道から出ようとした男を蹴り飛ばしていた。


「周りは潰す。そいつはお前が見ろ、アイリス」


 素直ではない。

 けれど、役割を分けた。

 ヴェスカが言った「潰すだけで済むと思うな」という言葉が、少しだけ形になった気がした。


「おいおい、海の若旦那が周りを片づける役か」


 ルドーが笑う。


「似合ってるぜ。強い奴は便利だな。置いておくだけで道が狭くなる」


「てめえの口、後で砕く」


「後で、が来るといいな」


 ホルジスの空気が荒れる。

 でも、踏み込まない。

 怒りを飲み込んでいる。

 それだけでも、さっきとは違う。

 俺はルドーから目を逸らさない。

 追えない。

 受けている限り削られる。

 こちらから踏み込めば、場所を選ばされる。

 なら、どうする。

 ルドーが動く。

 ワイヤーを飛ばす。

 壁を蹴る。

 身体が横へ流れる。

 速い。

 でも、突然消えているわけじゃない。

 速さが生まれる前に、必ず何かをしている。

 ワイヤーを掛ける。

 足場を見る。

 身体を畳む。

 蹴る場所を決める。

 流れがある。

 それを見ろ。

 俺は息を整えた。

 ルドーの姿ではなく、ワイヤーの先を見る。

 音。

 指の動き。

 白い耳の傾き。

 足が壁へ向く瞬間。


「見てるねえ」


 ルドーが笑った。


「でも、見るのと止めるのは別だぜ」


 針が飛ぶ。

 俺は弾かない。

 半歩だけ沈んでかわす。

 そのまま右の剣を短く振り、近づいてきた荒事屋の膝を払う。

 ルドーが上へ跳ぶ。

 俺は追わない。

 追えば遅れる。

 上を見すぎれば、横を取られる。


「違う、横!」


 ニカの声。

 今度は見えた。

 ルドーは上へ跳んだように見せて、ワイヤーを途中で切り替え、左の壁へ流れていた。

 白い脚が、俺の側頭を狙う。

 右の剣で受け流す。

 重い。

 腕が痺れる。

 でも、今度は壁に叩きつけられなかった。

 足裏が滑りそうになるのを、魔力圧で押さえる。

 膝を柔らかく使い、腰で逃がす。

 蹴りを受けた刃が火花を散らし、ルドーの身体が反動で離れる。


「おっと」


 ルドーの目が少し細くなった。


「少し慣れたか」


「少しだけです」


「正直だな」


「嘘をついても速くならないので」


「嫌いじゃねえぜ、そういうの」


「私は嫌いです。あなたのこと」


「傷つくねえ」


 絶対に傷ついていない声だった。

 ルドーはまた跳ねる。

 屋根の縁。

 木箱。

 壁。

 網の支柱。

 白い影が連続して視界を切る。

 完全には追えない。

 でも、さっきより見える。

 蹴りは速い。

 けれど、突然生まれているわけじゃない。

 速度を作るための場所がある。

 足場がある。

 角度がある。

 ルドーはそのすべてを利用している。

 なら、その前を見ればいい。

 けれど、今はまだ届かない。

 分かっても、身体が追いつかない。

 ルドーが上に消える。

 追わない。

 ワイヤーの音を聞く。

 右ではない。

 後ろでもない。

 前。

 木箱の影から、白い脚が低く伸びた。

 蹴り上げ。

 剣を下げる。

 間に合う。

 そう思った瞬間、ルドーの手元が動いた。

 ワイヤーが張る。

 蹴りの軌道が、途中で変わった。


「なっ……!」


 足が跳ね上がる。

 下から来たはずの蹴りが、刃の外側を抜け、俺の肩へ向かった。

 無理やり身体をひねる。

 直撃は避けた。

 けれど、肩を叩かれた。

 鈍い衝撃。

 視界が揺れる。


「アイリス!」


「大丈夫!」


 大丈夫ではない。

 でも、立っている。

 ルドーは笑いながら距離を取った。


「分かってきたのはいい。でもな、分かった瞬間に変えるのが路地裏だ」


 汚い。

 でも、強い。

 この男は、ただ逃げているのではない。

 ただ速いのでもない。

 相手が理解した瞬間に、その理解をずらす。

 正面から積み上げる戦いとは違う。

 積み上げたものを、横から蹴って崩す戦いだ。

 俺は呼吸を整える。

 肋骨が痛む。

 腕が痺れる。

 肩が重い。

 でも、目は外さない。

 ルドーの足。

 ワイヤーの先。

 跳ねる前の沈み。


「どうした、綺麗な花」


 ルドーが石壁に足をかけ、逆さ気味にこちらを見る。


「泥は苦手か?」


「得意ではないです」


「認めるんだな」


「だから、慣れます」


 ルドーの笑みが少しだけ深くなった。


「いいねえ。綺麗な女を痛ぶるのは楽しいぜ。その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしたくなる」


 白い影が、また跳ねた。

 追うな。

 俺は自分に言い聞かせる。

 追えば遅れる。

 受ければ削られる。

 怒れば読まれる。

 なら、見る。

 あの男が速さを作る、その瞬間を見る。

 濡れた石畳の上で、俺は双剣を握り直した。

 白兎が、また跳ねる。

 今度は、その跳ねる前を見逃さない。


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