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転生したら美少女だったオレ  作者: ウルティ
第三章 自由と支配

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第百十ニ話 まだ強いだけ

第百十二話 まだ強いだけ

 翌朝のセイレニアは、王都よりずっと早く動き出していた。

 窓の外から聞こえるのは、鳥の声ではない。

 荷を運ぶ掛け声。

 樽を転がす音。

 木箱が置かれる鈍い音。

 網を引く音。

 どこかで魚を捌く刃の音。

 そして、そのすべてに潮の匂いが混じっている。

 昨日、ヴェスカと話した言葉が、まだ頭の中に残っていた。

 港を焼く自由も。

 荷を奪う自由も。

 弱い者を食い物にする自由も。

 私の群れを乱す自由も。

 その自由を認めるほど、私は優しくない。

 自由を守るために、奪う自由を奪う。

 言葉としては分かる。

 でも、それを自分ができるのかは分からなかった。

 俺は自由が欲しい。

 誰かに決められず、自分で選べる場所が欲しい。

 けれど、その場所を荒らす者がいた時、俺はどこまで手を伸ばせるのだろう。

 止めるのか。

 押さえるのか。

 奪うのか。

 考えるほど、左肩の奥に昨日の冷たさが残っているような気がした。


「アイリス、また難しい顔してる」


 隣からニカの声がした。

 ニカは窓辺に座り、耳を外へ向けている。昨日よりは落ち着いているけれど、尻尾の先はまだ少し硬い。


「昨日の話を考えてた」


「ヴェスカの?」


「うん」


「分かるような、分かりたくないような話だったね」


「ニカでも?」


「強い名前があると助かることもある。これは分かる。でも、その名前の下で息するのが楽かって言われたら、別の話」


 ニカは小さく鼻を鳴らした。


「強いって、便利だけど面倒だね」


「ほんとにね」


 俺が苦笑したところで、扉が叩かれた。

 レインが応じると、昨日の案内役とは別の女性獣人が立っていた。


「ヴェスカ様がお呼びです」


 その一言で、部屋の空気が変わる。

 俺たちは支度を整え、案内に従って建物の奥へ向かった。

 今日は会談室ではなかった。

 案内されたのは、高台の建物の裏手にある広い石敷きの場だった。

 片側は港を見下ろし、もう片側には武器置き場と水場がある。

 訓練場でもあり、荷捌き場でもあり、場合によっては人を集めて裁く場所にも見えた。

 そこにはすでに、何人もの獣人が集まっていた。

 若い者が多い。

 海側の獣人特有の鋭い目と、荒い気配。

 その中心に、一人の男がいた。

 大きい。

 まず、そう思った。

 背が高いだけではない。

 肩が厚く、首が太い。

 灰白に近い髪が乱れ、肌には鮫を思わせる青灰の模様が走っている。

 口元から覗く歯は鋭く、笑っていなくても噛みつく寸前に見えた。

 立っているだけで、周囲の若い獣人たちが距離を取っている。

 恐れている。

 従っている。

 そして、期待している。

 その三つが混ざった視線だった。

 男は、手にした重い鉈のような刃を肩に乗せていた。

 訓練の途中だったらしい。足元には、尻もちをついた若い獣人が数人いる。


「遅ぇぞ、ヴェスカ」


 男が言った。

 その声に、近くの獣人たちがわずかに緊張する。

 ヴェスカは、昨日と同じように白黒と深青の衣装をまとい、堂々と歩いてきた。傍らには、大型の銛槍。

 彼女は男の無礼を咎めなかった。

 ただ、冷たい銀青の瞳で見た。


「待つことを覚えろ、ホルジス」


「俺に待てって言うなら、待つだけの価値がある話なんだろうな」


「価値を決める前に、まず見る癖をつけろ」


「見てるさ」


 ホルジスと呼ばれた男の視線が、俺へ向いた。

 重い。

 ヴェスカの視線とは違う。

 ヴェスカが深海の圧なら、ホルジスは狂気だった。

 噛み砕けるかどうかを、真っ先に測ってくる目。


「こいつが、海の流れを変えた陸の女か」


「アイリスだ」


 ヴェスカが短く言う。

 ホルジスは俺を上から下まで見た。


「細いな」


 分かりやすい感想だった。

 ニカの耳がぴくりと動く。

 レインは無言のまま、少しだけ姿勢を正した。


「その細さで、どこまで守れる」


 ホルジスの言葉に、若い獣人たちが低く笑う。

 馬鹿にしている。

 でも、完全に軽んじているわけではない。

 試している。

 俺は息を吸った。


「まだ分かりません」


 笑いが少し止まる。


「でも、見ないまま逃げるつもりはありません」


 ホルジスの目が細くなった。


「……へえ」


 鋭い歯が覗く。


「震えねえのか」


「怖くないわけじゃないです」


「なら、なぜ立ってる」


「必要だからです」


 ホルジスは一瞬黙った。

 それから、喉の奥で低く笑った。


「細いだけじゃねえな」


「強さを外見で測るな、ホルジス」


 ヴェスカが言う。


「測っちゃいねえ。ただ、思ったより折れにくそうだと言っただけだ」


「それを測っていると言う」


 ホルジスは鼻を鳴らした。


「なら、あんたは何を見る。流れか? また見えねえものの話か」


「そうだ」


「流れなんざ、強い奴が上から押さえりゃ止まる」


「だから、お前はまだ強いだけだ」


 空気が冷えた。

 ホルジスの口元が歪む。

 笑っているようにも、噛みつく寸前にも見えた。


「いつまでそれを言うつもりだ、ヴェスカ」


「お前が、それ以外を持つまでだ」


 若い獣人たちが息を詰める。

 ヴェスカの従者たちは表情を変えない。

 ホルジスは鉈の柄を握り直したが、振るうことはなかった。

 その時点で、二人の関係が少し見えた。

 ホルジスはヴェスカに従っているわけではない。

 でも、噛みつけない。

 噛みつかないのではなく、噛みつけば自分がどうなるか分かっている。

 それでも、いつか噛みつくつもりでいる。

 危険な男だ。

 悪人と決めつけるには早い。

 けれど、善良な相手ではないことだけは分かった。


「アイリス」


 ヴェスカが俺を見た。


「これがホルジスだ。ホオジロザメの獣人。強さだけなら、この港で私の次に来る」


「だけ、は余計だ」


「余計ではない。足りないものを知らせている」


 ホルジスが舌打ちする。


「俺が上に立てば、面倒は減る。噛みつく奴は噛み砕く。荷を奪う奴は腕を折る。群れを乱す奴は沈める。それで済む話だろうが」


「済まないから、今も私がここにいる」


「慎重すぎるんだよ、あんたは」


「浅すぎるんだ、お前は」


 二人の声は荒くない。

 でも、刃がぶつかるより重い。

 ニカが俺の袖を小さく引いた。


「アイリス」


「うん」


「この人、かなり危ない」


「分かる」


「悪い匂いだけじゃない。でも、近づきすぎると噛まれる」


 ニカの直感は、たぶん正しい。

 ホルジスは俺たちの小声に気づいたのか、ニカを見た。


「陸のラーテルか」


 ニカの耳が立つ。


「そうだけど」


「牙は小さくねえな」


「噛む時は噛むよ」


 ホルジスはにやりと笑った。


「いい返事だ」


 褒め言葉なのか、挑発なのか分からない。

 ニカも判断できなかったのか、眉を寄せたまま黙った。

 ヴェスカはそのやり取りを横目で見てから、俺に戻る。


「ホルジスは力で港を見る。お前は流れを作った。互いに見えているものが違う」


「私に、何を見せたいんですか」


「違いだ」


 ヴェスカは即答した。


「流れは、作るだけでは済まん。強いだけでも守れん。だが、力なしに守れるほど港は優しくない」


 昨日の言葉が重なる。

 自由を守るために、奪う自由を奪う。

 でも、それはただ力で潰せばいいという意味ではない。

 たぶん、ヴェスカはそれをホルジスにも俺にも見せようとしている。


「おい、陸の女」


 ホルジスが俺を呼んだ。


「はい」


「お前は、遊びで流れを変えたんだろ」


「遊びの形を作ったつもりです」


「遊びで荷が動く。金が動く。港がざわつく。笑えるな」


「笑ってもいいです。でも、人が動いたのは事実です」


 ホルジスの目が、また細くなる。

 睨んでいるのか、面白がっているのか分からない。


「その動いた流れに手ぇ突っ込まれたら、どうする」


 心臓が一つ鳴った。


「止めます」


「どうやって」


「まだ、分かりません」


「またそれか」


「分からないまま、分かったふりはしません」


 ホルジスは少し黙った。

 その沈黙を破ったのは、別の足音だった。

 石敷きの場の入口から、一人の若い獣人が駆け込んできた。

 息が荒い。

 顔色が悪い。

 胸元には、白黒の海獣紋ではなく、港の下働きがつける簡素な紐飾りがある。


「ヴェスカ様!」


 従者の一人が前に出ようとしたが、ヴェスカが手で止めた。


「言え」


「北側の小倉庫で、白黒紋の荷が止められました!」


 場の空気が変わった。

 若い獣人たちのざわめきが、一瞬で低くなる。

 白黒紋の荷。

 その言葉の重さを、昨日よりずっと理解できるようになっていた。

 ヴェスカは表情を変えない。


「誰だ」


「分かっているのは数人だけです。ですが、その連中が……」


 下働きの獣人は、ホルジスを一瞬だけ見た。

 ホルジスの目が細くなる。


「何だ。言え」


「ホルジス様の名を出していました」


 沈黙。

 今度の沈黙は、冷たいだけではなかった。

 熱を孕んでいた。

 ホルジスの口元から、鋭い歯が剥き出しになる。


「誰が俺の名前で動いた」


「そ、それはまだ……」


「俺に許可を取ったのか」


「いえ」


「俺の名前を使って、しくじったのか」


 ホルジスの声は低かった。

 怒っている。

 ただし、それは正義感ではない。

 自分の名を勝手に使われた怒り。

 自分の縄張りを勝手に踏まれた怒り。

 ヴェスカの前で顔を潰された怒り。

 そういう熱だった。

 ヴェスカは静かにホルジスを見ている。


「報告を続けろ」


 下働きは震えながら頷いた。


「荷の一部が、港外れの裏路地へ流された可能性があります。証人の一人が姿を消しました。止めた連中は、ホルジス様の若い衆を名乗っていたと」


「俺の若い衆だと?」


 ホルジスが笑った。

 笑っているのに、周囲の若い獣人たちの顔から血の気が引いていく。


「面白ぇ。誰が俺の下に入ったつもりでいる」


「ホルジス」


 ヴェスカが名を呼んだ。

 それだけで、ホルジスの笑いが止まる。


「そういうところだ」


「あ?」


「自分の名がどこで使われ、誰に利用されているかも見えていない」


 ヴェスカの声は冷たい。


「だから、まだだ」


 ホルジスの顎が、ぎり、と鳴った。


「俺が行く」


「行け」


 ホルジスが一瞬、目を細めた。


「止めねえのか」


「止めてほしかったのか」


「ふざけんな」


「なら行け。ただし、潰すだけで済むと思うな」


「俺の名を使った奴だ。俺が潰す」


「潰すだけなら、誰でもできる」


「できねえ奴の方が多いだろうが」


「だから、お前はまだ強いだけだ」


 ホルジスの周囲の空気が荒れる。

 でも、ヴェスカは揺れない。

 彼女は次に、俺を見た。


「アイリス」


「はい」


「お前も行け」


「私も、ですか?」


「昨日言ったはずだ。自分の作った流れがどこへ届き、誰の欲を起こすのか見ろ、と」


 胸の奥が重くなる。

 白黒の海獣紋。

 名前だけで荷を守るはずの印。

 その印に、誰かが手を伸ばした。

 そして、その荷はハルヴェイ商会の仕入れにも関係している。

 俺が作った夏が動かした流れ。

 その流れの先で、何かが起きている。


「分かりました。行きます」


「アイリス、あたしも」


 ニカがすぐに言った。

 ヴェスカはニカを見る。


「好きにしろ。ただし、邪魔になるなら置いていく」


「邪魔にならない」


「なら来い」


 レインが一歩前へ出た。


「私も同行を」


「商人はここに残れ」


 ヴェスカは即座に言った。


「現場は荒れる。取引書を持つ手は、今は邪魔だ」


 レインは一瞬だけ黙り、それから頭を下げた。


「承知しました」


 悔しさは見せない。

 でも、心配は隠しきれていない。


「アイリスさん、ニカさん。お気をつけて」


「はい」


「うん」


 ホルジスはすでに歩き出していた。

 大きな背中。

 荒い足音。

 若い獣人たちが慌てて道を開ける。

 その姿は、たしかに強い。

 けれど、ヴェスカの言う通り、強いだけでは足りないのかもしれない。

 何が足りないのか。

 まだ、俺には分からない。

 けれど、これから見ることになる。

 ヴェスカは最後に、低く言った。


「アイリス」


 俺は振り返る。


「守るとは何か。よく見てこい」


 左肩の奥が、ほんの少し冷えた。

 俺はそれに気づかないふりをして、ホルジスの後を追った。

 海の底に沈んでいたものが、浮かび上がろうとしていた。


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