第百五話 王剣と双牙
投稿が遅れていたので、今日はまだ投稿します!
ぜひ合わせて読んで下さい!
第百五話 王剣と双牙
訓練場には、いつもより多くの視線が集まっていた。
イザベラは中央から少し離れた位置に立ち、腕を組んでいる。
セシリア、ローゼリア、ニカは訓練場の端に並び、レオスは壁際で静かにこちらを見ていた。
そして、ミリアもいた。
手紙を握りしめたまま、落ち着かない様子で視線を揺らしている。
俺は双剣の柄に触れながら、ミリアの方へ歩いた。
「ミリア」
「は、はい」
「これは、ミリアの道を決めるための戦いじゃないよ」
ミリアの肩が小さく揺れる。
「私たちが、自分の言葉を確かめるためにやるだけ。だから、私が勝ったら残らなきゃいけないとか、リリィが勝ったら誰かに頼らなきゃいけないとか、そういう話じゃない」
「……でも、私のことで」
「きっかけはそう。でも、決めるのはミリアだよ」
そう言うと、リリィも近づいてきた。
彼女はいつものように笑っていた。けれど、その目はふざけていない。
「見ていなさい、ミリア。勝った方が正しいわけではないわ。けれど、本気でぶつかれば、言葉だけでは見えないものが見えることもある」
「……はい」
ミリアは小さく頷いた。
それを見届けて、俺とリリィは訓練場の中央へ向かう。
イザベラの声が飛んだ。
「確認する」
その一言で、訓練場の空気が締まった。
「殺傷目的の攻撃は禁止。勝敗は降参、戦闘継続不能、または私の判断で決める」
イザベラの視線がリリィに向く。
「レグナード、顕現は許可する」
「ええ!」
リリィは当然のように頷いた。
次に、イザベラの視線が俺へ向く。
「アイリス、お前はラグナを出すな。制御できないものを出した時点で中止する」
「分かってます」
「これは決闘であって、潰し合いではない。そこを間違えるな」
俺は頷いた。
不公平ではない。
リリィは使える。
俺は、まだ使えない。
ただそれだけだ。
リリィの六芒星の刻印は、すでに二辺まで完成している。
セシリアたちが一辺の段階にいる中で、リリィだけは明らかに先へ進んでいた。
対して俺は、両肩に一辺の半分ずつ。
総魔力量や魔力圧の密度がどうであれ、契約者としての段階はまだあまりにも未完成だ。
だから、今使えるもので戦う。
リリィが一歩前へ出た。
「ソードオブクラウン」
名を呼ぶ声は、驚くほど静かだった。
次の瞬間、リリィの背後に白金の光が立ち上がる。
人型。
全身を鎧に包んだ、王のような悪魔だった。
兜は王冠を思わせる鋭い意匠を持ち、顔は見えない。
手には大きな王剣。
背には翼というより、剣の束を重ねた外套のような輪郭。
リリィは笑っている。
けれど、その悪魔は笑わなかった。
ソードオブクラウン。
剣の悪魔。
完全に顕現したそれが背後に立っただけで、訓練場の空気が変わった。
荒々しくはない。
乱れてもいない。
ただ、重い。
周囲の生徒たちの背筋が自然と伸びる。
息をする音すら、少し小さくなった。
王の広間に立たされたような圧だった。
一方で、俺は悪魔を出さない。
出せない。
右肩の奥には熱がある。
ラグナがいる。
呼べば、たぶん応える。
けれど、それは顕現ではない。檻の鍵を壊して外へ出すようなものだ。
だから、押し込める。
代わりに魔力圧を身体へ沈めた。
足裏へ。
膝へ。
腰へ。
肩へ。
腕へ。
そして双剣へ。
色はない。
炎も雷もない。
それでも、足元の空気が硬く沈む。
双剣の周りが、薄くざらつく。
「……重い」
誰かが呟いた。
それがリリィの圧を指しているのか、俺の圧を指しているのかは分からなかった。
たぶん、両方だった。
リリィの魔力圧は外へ広がる。
訓練場の空間そのものを、白金の秩序で満たしていく。
俺の魔力圧は内へ沈む。
骨へ。
筋肉へ。
双剣へ。
身体と武器を、壊れないように固める。
広げる者と、固める者。
その差が、開始前からはっきりしていた。
リリィは木剣を正面に構える。
ただの木剣ではない。
ソードオブクラウンの魔力が乗ったその剣は、見た目以上に重い気配を放っている。
俺は刃引きされた訓練用双剣を左右に開いた。
壁際でレオスが呟く。
「正面から受ける気はないな」
ニカが小さく頷いた。
「受けたら飛ぶよ、あれ」
ローゼリアは目を細める。
「逃げ続けるだけでは勝負にならないわ」
セシリアは俺を見たまま言った。
「アイリスは逃げるために避ける子ではないわ」
聞こえている。
けれど、返事はしなかった。
リリィが、こちらを見る。
迷いがない。
その構えだけで分かる。
リリィは、真正面から来る。
「始め」
イザベラの声が落ちた。
直後、リリィが踏み込んだ。
一歩。
たった一歩で、間合いが潰れる。
速い。
いや、速いだけじゃない。
重い。
白金の魔力をまとった木剣が、上段から振り下ろされた。
俺は双剣を交差させない。
受ければ終わる。
右の剣で刃筋に触れ、左の剣で斜めへ逃がす。
剣を止めるのではなく、滑らせる。
それでも、衝撃が腕に抜けた。
「っ……!」
足裏が床を削る。
受けていない。
流した。
それなのに、身体ごと後ろへ持っていかれる。
リリィの剣には、ただの重さではない何かが乗っている。
下がれ。
退け。
道を開けろ。
そんな意思を、剣圧の形にして押しつけられているようだった。
俺は足裏に魔力圧を定着させる。
床を掴む。
膝と腰を固める。
下がろうとする身体を、自分の内側から押さえ込む。
リリィの二撃目が来る。
横薙ぎ。
俺は沈む。
木剣が頭上を抜ける前に、左足を半歩外へ逃がし、右の剣でリリィの手元を牽制する。
リリィは剣を引かない。
腕の力だけで軌道を変え、俺の牽制ごと押し返してくる。
強引。
でも、雑じゃない。
力で潰すのではなく、力を通す場所を知っている。
俺は踏み込みを変えた。
正面からは無理だ。
リリィの剣が振り下ろされる瞬間、脚に魔力圧を通して踏み込みを強化する。
横へ半身分ずれる。
右肩を引き、左の剣で木剣の腹を叩く。
同時に右の剣を下から返して、リリィの腕へ向ける。
リリィの目が楽しそうに細まった。
「そう来るのね、アイリス!」
「正面から受けたら、こっちが潰れるからね」
返しながら、俺はさらに踏み込む。
リリィの剣は大きい。
重く、正面では強い。
だから、振り切る前に間合いの内側へ入る。
肘。
肩。
膝。
剣だけで戦わない。
左の剣で木剣を外へ流し、右肩でリリィの間合いを押し崩す。
膝を入れるふりをして、足運びを止める。
リリィの体勢がわずかに揺れた。
だが、次の瞬間には戻っている。
早い。
剣士としての地力が高い。
ソードオブクラウンに頼っているだけじゃない。
リリィ本人の剣が、ちゃんと強い。
観戦している生徒たちのざわめきが聞こえた。
「レグナードさん、顕現してるんだぞ」
「アイリスさん、悪魔を出してないよな?」
「魔法も使ってない」
「剣と魔力圧だけで、あそこまで……?」
イザベラは何も言わない。
レオスも黙っている。
けれど、視線だけは外していなかった。
ニカが小さく呟く。
「アイリス、すごい……」
ローゼリアの声は冷静だった。
「リリィが押している。でも、アイリスが落ちない」
セシリアは両手を握りしめている。
「あれで、ラグナもルナも使っていないのね」
ミリアは、手紙を握ったまま固まっていた。
その目は、俺でもリリィでもなく、俺の足元を見ている。
たぶん、床を削っても下がらない足を見ていた。
自分で立つということが、綺麗な言葉だけではないと知るような顔だった。
リリィが一度、距離を取った。
木剣を肩の高さに構え直す。
「アイリス。やっぱりあなたは強いわ」
「まだ押されっぱなしだけどね」
「押しても倒れないなら、それは強さよ」
リリィの背後で、ソードオブクラウンが王剣を掲げた。
空気が変わった。
「なら、これはどうかしら!」
リリィの周囲に白金の光が広がる。
一本。
二本。
十本。
二十本。
剣だ。
魔力で形作られた白金の剣が、ソードオブクラウンの周囲に次々と並んでいく。
まだ増える。
リリィの背後。
頭上。
左右。
数え切れないほどの剣が、空中に整列していく。
切っ先は、すべて俺へ向いていた。
ただの飛び道具ではない。
並び方が嫌だった。
正面だけではなく、左右の逃げ道にも剣が置かれている。
上へ跳んでも届く位置に剣がある。
後ろへ下がれば、次の列が追ってくる。
防御を削る剣。
足を止める剣。
進路を塞ぐ剣。
リリィの前にあるものを、まとめて押し開くための剣群。
次の瞬間、それらが一斉に前へ走った。
正面は埋まっている。
後ろへ下がれば追いつかれる。
横へ逃げても進路を塞がれる。
上へ跳べば、空中で的になる。
なら、逃げ道を探すんじゃない。
通る場所を作る。
俺は足裏に魔力圧を定着させた。
床を掴む。
脚に通した魔力圧で、踏み込みの力を底上げする。
一歩。
白金の剣群へ、自分から飛び込んだ。
「アイリス!?」
ニカの声が弾けた。
「何を……!」
セシリアが息を呑む。
ローゼリアの目が、わずかに見開かれる。
「正気?」
ミリアは手紙を握りしめたまま、声も出せずに固まっていた。
イザベラの指が、かすかに動く。
止めるための一歩。
けれど、その足は踏み出されなかった。
「……違う」
壁際で、レオスが低く呟いた。
「受けに行ったんじゃない」
白金の剣が迫る。
その直前、俺は肩を落とし、腰をひねった。
前へ進む勢いを殺さない。
そのまま、身体を回転へ入れる。
空中で姿勢を変える。
身体を、床とほとんど並行に。
双剣の刃を、地面に対して垂直に。
腰と腹に魔力圧を固める。
回転軸が崩れないように。
肩、肘、手首へ薄く通す。
遠心力で腕を持っていかれないように。
剣身へ纏わせる。
刃筋がぶれないように。
回る。
右の刃が、白金の剣を弾いた。
左の刃が、次の剣の腹を削った。
返った右が、さらに一本を逸らした。
前へ進む勢いが、回転の刃になる。
一撃ではない。
断続的に。
噛み砕くように、剣群の隙間を削っていく。
身体ごと回るたび、刃が白金の剣へ触れた。
止めるのではなく、逸らす。
断つのではなく、削る。
全部を防ぐのではなく、通るための穴を作る。
ミリアが何かを呟いた気がした。
でも、聞き取る余裕はない。
俺自身の身体能力だけでは、こんな動きは維持できない。
魔力圧で脚を、腰を、腹を、肩を、腕を、双剣を支える。
身体の内側を固める。
剣の軌道を固定する。
崩れそうになる回転を、力ずくで形にする。
白金の剣が肩をかすめた。
痛みが走る。
でも、止まらない。
回転の終わりに足を差し込む。
魔力圧で強化した足裏を、床に噛ませる。
滑る寸前の接地で、向きを変える。
ただ逃げるのではなく、リリィの側面へ抜ける。
白金の剣群が背中のすぐ後ろを走り抜けた。
抜けた。
右の剣が、リリィの木剣の根元へ触れる。
左の剣が、肩口へ向かう。
リリィの目がわずかに見開かれた。
届く。
そう思った瞬間、リリィの足が動いた。
彼女は一歩、前へ出た。
避けるのではなく、前へ。
俺の側面へ入り込む軌道を、さらに前進してずらしたのだ。
左の剣は制服の袖をかすめた。
布が裂ける。
でも、浅い。
「今のは、驚いたわ!」
リリィの声が弾んだ。
俺は息を詰めたまま、着地する。
膝が笑いそうになる。
だが、休む暇はなかった。
リリィの背後に、再び白金の剣が並ぶ。
さっきより少ない。
けれど、位置が違う。
俺の正面ではない。
俺が回るであろう円周上に、剣が置かれていた。
リリィは一度見ただけで、軌道を読んだ。
「あなたの動き、面白いわ」
リリィが木剣を構える。
「でも、回る場所を奪えば止まるわね」
白金の剣群が降る。
正面からではない。
横から。
斜め上から。
俺が回ろうとする先へ、先回りするように。
俺は再び身体を回転へ入れようとした。
だが、遅い。
一振り目を右で弾く。
二振り目を左で逸らす。
三本目を肩すれすれで避ける。
その瞬間、腰の軸がわずかに乱れた。
回転が途切れる。
そこへ、リリィ本人が来た。
白金の魔力をまとった木剣が、横薙ぎに振るわれる。
俺は双剣を重ね、受け流そうとした。
重い。
流せない。
剣圧が腕を抜け、肩を抜け、胸の奥まで叩き込まれる。
「ぐっ……!」
身体が浮いた。
床が遠ざかる。
次の瞬間、背中から叩きつけられた。
息が抜ける。
視界が揺れた。
「アイリス!」
ニカの声が聞こえた。
セシリアが息を呑む気配。
ローゼリアの低い声。
レオスの沈黙。
ミリアが手紙を握る音。
痛い。
腕が痺れる。
肺が空気を拒む。
右肩の奥が、熱を持ちかける。
――壊せ。
違う。
まだ違う。
これは、壊す戦いじゃない。
俺は床に手をつき、息を吸った。
リリィは強い。
分かっていたつもりだった。
でも、違う。
俺が思っていたより、ずっと強い。
それでも。
俺は双剣を握り直した。
膝に力を入れる。
足裏に魔力圧を定着させる。
立つ。
リリィが、正面で木剣を構えていた。
その表情に油断はない。
俺は息を吐き、双剣を左右に開いた。
まだ、終わっていない。




