9話 路地裏の影と、忍びの「取引」
夜が明け始めた裏通りは、湿った霧と仄暗い影に包まれていた。
酒場で得た情報を元に、集落の隅にある怪しげな質屋兼・よろず屋の屋根の上に身を潜める。頭上では朝靄の中に二つの月がうっすらと残っていた。
(ふふふ……夜明けと共に動く、これぞ裏社会の流儀……!)
ボロボロの服のまま表通りを歩く気はない。狙うは、あの店が開く瞬間。手持ちの「魔物の牙」を金に換え、さらにまともな着替えを手に入れることだ。
やがて、店の裏口が開き、目つきの悪い小柄な店主が欠伸をしながらゴミを捨てに出てきた。
(よし、忍びらしく交渉を開始するとしよう……!)
『息潜め(中級)』を発動させたまま、屋根の上から音もなく舞い下りる。店主の背後にある建物の深い影の中へ、滑り込むように着地した。
「……買い取れ」
完全な無音の影の中から、低く冷徹な声をかける。
「ひっ……!?」
気配すら感じられなかった背後からの声に、店主が弾かれたように跳び上がった。影の中から差し出された「巨獣の牙」を目にした瞬間、店主の顔色が蒼白へ変わる。
「こ、これは……『漆黒の剛爪熊』の主牙……!?」
店主が牙の大きさと、影から覗く得体の知れない存在感に固まりかけた、その時だった。
「おい親父、朝っぱらから何バタついてやがる」
裏路地の暗がりから、ドスドスと重い足音を立てて巨漢の男が現れた。革の鎧を身に纏い、腰には大太刀。いかにもこの店や裏通りを仕切っている悪質な用心棒といった風体だ。
「なんだぁ? その牙……」
男が目をギラつかせ、横取りしようと店主の手元にある牙へ手を伸ばしかける。
(あーあ……出たよ、定番のゴロツキ。朝一番から面倒くさい奴に絡まれたな……)
42歳の大人の感覚としては、ため息しか出ない展開だ。争いは避けるのが鉄則だが、横取りされるわけにはいかない。
(忍者っぽく、実力行使で分からせてやるとするか……!)
影の中から一歩も動かず、ポケットから小石を一粒つまむと、親指の弾き(弾指)の姿勢を整えた。
『手裏剣術(中級)』の補正を乗せ、男の右耳のすぐ横を狙って一瞬で弾き飛ばす。
バシュッ……パンッ!
無音の影から放たれた小石は、用心棒の右耳の皮膚をかすめ、真横の石壁に深く突き刺さって弾け飛んだ。
「ひ……あっ!?」
耳元を通り抜けた音速の衝撃波と、直後に頬に走ったかすり傷の激痛。
何が起きたかも分からないまま、用心棒は自分の頬から流れる血と、石壁に穿たれた穴を交互に見比べた。
自分が今、紙一重で首皮一枚繋がっただけなのだと理解した瞬間、男の顔面から一気に血の気が引いていく。
(……次はあると思うか?)
カチリ。
影の奥で硬い石がぶつかり合う小さな音が、静まり返った路地裏に静かに響いた。




