5話 死地を穿つ一撃
激痛で霞む視界の中、迫り来る死の足音だけが不気味に響いていた。
漆黒の巨獣が、弄ぶかのように一歩一歩距離を詰めてくる。残りHPはわずか4。追加で掠り傷ひとつ受けるだけで、俺の二度目の人生はあっけなく幕を閉じる。
(考えろ……! 四十年間、理不尽なトラブルを解決し続けてきた社畜の頭脳をフル回転させろ……っ!)
正面から戦えば一瞬で肉塊だ。手持ちの攻撃手段は、ポケットに入った最後の小石ひとつ。手裏剣術の補正があるとはいえ、この巨獣の頑丈な皮膚を貫くことなど到底不可能に近い。
だが、どんなに強固なシステムや肉体にも、必ず「仕様の穴」と「弱点」が存在する。
俺は残されたわずかなMPを注ぎ込み、スキルを発動させた。
「息潜め……っ」
発動したのは、弱小隠密スキル。
当然、巨獣が目の前にいる俺の位置を完全に見失うわけではない。しかし、ほんの一瞬、相手の濁った両目が標的の存在感の揺らぎに戸惑い、眉間を寄せて動きを止めた。
(乗った……! 意識が切れるコンマ数秒の隙……っ!)
俺は全身の激痛を無視し、死力で右腕を振り抜いた。
狙うは、あの頑丈な皮膚でも骨でもない。生々しく見開かれた巨獣の左目、粘膜の露出した完全な無防備エリア。
シュッ!
手裏剣術補正に乗った最後の小石影礫が、空気を切り裂いて一直線に飛んでいく。
グシャッ……!
「ガアアアアアッ!?」
狙い違わず、小石は巨獣の左目を深く潰し穿った。
激痛に狂った巨獣が暴れ回り、前脚を無差別に振り回す。強烈な風圧が俺の身体を叩いたが、死に物狂いで泥の中に這いつくばって直撃を免れた。
(片目を潰した……! だが、トドメには程遠い……!)
狂乱する巨獣。しかし、俺が狙ったのは単なる目つぶしではない。
潰れた眼球から大量に噴き出す鮮血が、巨獣のもう片方の右目にもべったりとへばりつき、視界を完全に奪い去っていた。
暗闇に陥った巨獣は完全なパニックへ陥り、近くの大木へ向かって頭から激突した。
ドカァァァンッ!!
自慢の巨体と突進力が裏目に出て大木は折れ、巨獣自身も頭部を激しく強打して脳揺らしを起こし、その場に倒れ込んだ。
(今だ……っ!)
俺は倒れた巨獣の首元、剥き出しになった柔らかい喉元へ這い寄り、先ほどイノシシを倒した時に拾っていた鋭利な骨の破片を両手で握りしめた。
体重のすべてを乗せ、喉笛へ突き立てる。
ドスッ……!
「ガ……ッ、ゴ……」
喉を潰された巨獣が短く痙攣し、やがて静かに動きを止めた。
直後、視界いっぱいに青い光が眩しく弾け飛ぶ。
【膨大な経験値を獲得しました】
【レベルが 3 から 6 に上がりました】
【HP・MPが全回復しました】
【HP:45/45 ➔ 85/85】
【MP:25/25 ➔ 55/55】
【スキル:息潜め(初級)が 息潜め(中級) に成長しました】
【スキル:手裏剣術(初級)が 手裏剣術(中級) に成長しました】
【新たなスキル:煙幕(初級) を獲得しました】
全身を包み込む温かい光。
折れていた肋骨が繋がり、内臓の激痛が嘘のように消え去っていく。
「ハァ……ハァ……生き、残った……っ!」
冷や汗と血にまみれたまま、俺は泥の上に仰向けに倒れ込んだ。
命の危機を脱した安堵感が一気に押し寄せてくる。レベルアップによる全回復がなければ、間違いなくあのままショック死していただろう。完全に九死に一生を得た形だ。
「もう調子に乗るのはやめよう……。マジで死ぬ……」
異世界転生による万能感は、脳裏から綺麗さっぱり吹き飛んでいた。
大の字になって二つの月を見上げながら、荒くなった呼吸を整える。
四十路の知恵と泥臭い悪あがきで掴み取った勝利だ。大幅に跳ね上がったHPとMPの数値を噛み締め、成長したスキル群と新スキルの『煙幕(初級)』を確認しながら、俺は静かに体を起こした。




