4話 影礫の実戦と、立ち塞がる脅威
鬱蒼と茂る大樹の太い枝の上。俺は気配を消し、息を潜めて眼下を見下ろしていた。
狙いは、体長一メートルを超える巨体を持ったイノシシのような魔物だ。頭部からは鋭い骨の突起が幾本も生えており、見るからに頑丈そうな皮膚で覆われている。
(角ウサギとは比べものにならない存在感。だが、今の俺には影礫と手裏剣術がある……!)
ポケットから手のひらに収まる程よい大きさの石を取り出し、指先に力を込めた。
脳内に刻まれた投擲のイメージに従い、呼吸を整える。
手首のスナップを最大限に利かせ、右腕をしならせて一気に石を叩きつけた。
シュッ、ドスッ!
狙い違わず、影礫はイノシシの眉間に命中した。
骨が砕ける甲高い音が森に響き渡り、巨体は一度大きく揺らいだ後、そのまま豪快に倒れ伏す。
【経験値を獲得しました】
【レベルが 3 に上がりました】
「ははっ! 見たか! 忍者の前にはどんな巨獣も一撃よ!」
樹上から飛び降り、俺は倒れた魔物の傍らで一人勝利の余韻に浸った。
レベル3。手裏剣術の威力は想像以上で、石ころ一つで大型の魔物すら一瞬で仕留められる。14歳の身体は軽やかで、視界はクリア、加齢臭も腰痛もない。
(俺は天才だ……! 異世界で真の能力を開花させたんだ!)
前世での冴えない社畜生活が嘘のような万能感。
その万能感に酔いしれた俺は、自身の警戒心が著しく薄れていることに気付いていなかった。
直後、背後から世界が歪むほどの濃密な殺気が叩きつけられる。
ガァァァァァンッ!!
鼓膜を直接揺さぶる重低音の咆哮。
脊髄を氷の針で突かれたような戦慄が走り、全身の毛穴が一斉に開いた。
茂みを蹴散らして現れたのは、先ほどの獲物を遥かに凌駕する漆黒の巨躯。体長は三メートルを超え、口元から赤黒い唾液を垂らしている。濁った両目が、明確な殺意とともに俺を捕捉していた。
(息が……吸えない……っ!?)
本能が全細胞で警鐘を鳴らす。
レベル3のヒヨッコが立ち向かっていい存在ではない。遭遇した瞬間に即死が確定する領域のバケモノだ。
「息潜め……っ!」
半狂乱でスキルを発動させたが、気休め程度の気配遮断など何の意味もなさない。
巨獣が前脚を踏み込んだ瞬間、視界からその姿が消えた。
ドバァッ!
「ガフッ……!?」
避けることすら許されない圧倒的な速度。
直撃すら免れたものの、すれ違いざまの衝撃波と巨躯の擦過だけで、俺の肉体は紙くずのように吹き飛ばされた。太い大木の幹へ背中から激しく激突する。
視界が不気味に明滅し、深紅に染まった。
肺の中の空気が吐き出され、折れた肋骨が内臓を圧迫する強烈な激痛。口から溜まった血がボタボタと地面にこぼれ落ちる。
【HP:4/45】
(死ぬ……本当に、ここで終わるのか……っ!)
前世の事故死とは比べものにならない、生々しい肉体の損壊と死の恐怖。
指一本動かすだけで全身に針を刺されたような痛みが走り、視界の端から暗転が始まっていた。
巨獣は勝負が決したと悟ったのか、地面をドシドシと鳴らしながら、あざ笑うかのようにゆっくり足を進めていた。
一歩近づくごとに、死の足音が鼓膜を直接揺らす。
だが、このまま無様に喰い殺される気は微塵もない。
数々の不条理な残業と理不尽に耐え抜いてきた社畜の泥臭さと、四十年間温め続けた忍者への執念。この程度の絶望で折れてやるほど甘くはないのだ。
俺は途切れかかる意識を激痛で無理やり繋ぎ止め、荒い呼吸とともに血を吐き散らした。
感覚の麻痺した右手でポケットをさぐり、握りしめたのは最後の小石ひとつ。
残されたわずかなMPとシステム、そして泥臭い四十路の知恵。使えるものすべてを爆発させ、この絶対的な死地を削り切りにかかる。




