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本気のキスは甘くとろけて(R15版)  作者: 矢崎未紗


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本気のキスは甘くとろけて(R15版)3

 数カ月前に賢人から告白された時は、「好きと思えるにはまだ遠い」なんて思っていたが、今ははっきりとわかる。この高嶺の花のような年上の恋人のことが、とても好きだ。

 だって、別れのその言葉が、胸に突き刺さってとても痛い。「はい、また今度」と言って、離れたくなんてない。その言葉が胸の中に冷たく広げる淋しさに濡れながら、帰りの電車になんて乗りたくない。もっと一緒にいたい。もっともっと傍にいたい。


「柚子?」


 いつもならおとなしく「はい」と返すはずの柚子が黙ったままなので、賢人は怪訝な表情になった。


「あの……賢人さん」


 最近ようやく呼べるようになってきた彼の名前を、柚子はぎこちなく呼んだ。呼び捨てでいいと彼は言ったが、呼び捨てにできる勇気はまだなく、かろうじてさん付けで呼べるようになったばかりだ。


「賢人さんの家に……行きたい……です」


 緊張で全身が縮こまってしまっていた柚子の声は、とても小さかった。

 ちゃんと聞いてもらえただろうか。自分の声は、賢人に届いただろうか。

 柚子は賢人の顔を直接見ることができず、自分の手で自分の手をもじもじとさすりながら、賢人のウエストあたりをそれとなく見つめる。

 しばらくの間、賢人からの返事はなかった。もしかしたら、柚子の声が小さすぎて聞こえなかったのかもしれない。あるいは、聞こえてはいたが承諾しかねるので、断りのための言葉を探しているのかもしれない。

 柚子は緊張したまま、永遠にも思える時間が流れていくのを感じた。

 賢人は何も言わずにいたが、しばらくしてから柚子の手を取ると、目の前にある柚子が乗るはずだった路線の改札に背を向けて、自分の自宅に向かう地下鉄の改札を目指して歩きだした。




(キスって……こんなに甘いんだ)


 初めて訪れた賢人の部屋は、築浅と思われるきれいなマンションの一室だった。あまり物は持たない主義なのか、1DKの室内はすっきりと片付いていて、生活感は薄い。けれど、部屋の隅のスチールラックの上には高校時代のものと思われるサッカーの賞状やメダルがあり、なんだか男の子らしくてかわいいと柚子は思った。

 バッグをダイニングルームの床に置いた柚子は、案内された洗面所で手洗いとうがいをする。それが終わるとすぐに、短い廊下の壁を背にして賢人に顎を固定され、深い口付けをされた。ディープキスはこれまでにも数回ほどしたが、今の賢人はどこか余裕がなく、彼の舌はいささか性急に、柚子の口内と唇を舐め取っている。しかし、そのキスにはいつにない甘さが含まれているような気がした。


「んぅ……」


 長い口付けの終わりに、柚子は小さな息を吐き出す。それから、恐る恐る賢人を見上げた。至近距離で見つめれば、彼の整った顔の作りをまじまじと観察したくなってしまう。くっきりとした二重に、長いまつげ。やや小顔だが首は太く、今でも定期的に運動をしているのか、着ているシャツは少し窮屈そうで、その布の下にある筋肉の硬さが見て取れる気がした。

 賢人に何かを言いたい、言わなければならない。そんな焦りを柚子は感じたが、うまく言葉が出てこない。これからここで何が起きるのか、何もわからないほど子供ではないつもりだ。けれど、この空気を動かして手懐けられるほどには、まだ大人になりきれていない。


(私は……)


 勇気を出して、賢人の部屋に行きたいと言った。そうしたら賢人は、黙ってここへ連れてきてくれた。もしかしたら、これから抱いてもらえるのかもしれない。それは緊張するが嬉しいことで、嫌なことではない。

 だがその前に、訊いておきたいことがある。どうしても、たしかめたいことがある。


「遊び相手……ですか」

「なに?」


 柚子の言葉が突拍子もなかったのか、賢人の眉間に皺が寄った。整った顔だと、少しでも不機嫌そうな表情になっただけで、かなりの迫力が出る。


「私は賢人さんにとって都合のいいカノジョ……ただの遊び相手……ですか」


 きっと、彼の周りには魅力的な女性が大勢いることだろう。これだけのスペックと端正な容姿を持っているのだから、合コンの誘いもお付き合いの誘いも、彼にはいくらでもあるに違いない。そもそも、自分たちの出会いも合コンだった。

 そんな賢人が、彼のように突出した良さなど何も持っていない平凡な自分を恋人にしていることが、柚子には信じられない。都合のいい遊び相手だと言われたほうが、まだ納得できる。


「おい、柚子」


 賢人は俯いた柚子の両頬に手を添えて、彼女の顔を上げさせた。するとその拍子に、柚子の両目から一滴の涙がはらり、と頬を伝った。


「ひっ、く……」

「なんで泣くんだよ」

「だって……わからない」

「何が」


 賢人の声は少し尖っていて、決して優しくはない。なぜだか怒っているようだ。

 そのことに柚子は気付いていたが、賢人のことを慮るよりも、自分の中に溜め込んでいた不安を一気に吐き出してしまうことにした。


「私……私なんか、賢人さんに全然釣り合わない……。顔も学歴も、性格もできることも……全部平凡で、普通すぎて……かわいくもないし、きれいでもない……。何も、賢人さんみたいにすごくない……好きになってもらえるところなんて……私にはないんです」

「だから俺に遊ばれていると思ったのか」


 賢人の声に冷たさが混じる。

 ああ、完全に怒らせてしまった。柚子は一抹の恐怖を覚えたが、今さら否定することはできず、こくりと頷いた。


「あのな、柚子」


 賢人は柚子の顔を少しだけ自分のほうに引き寄せると、前髪のかかったひたいにちゅ、とキスをした。それから、親指で柚子の頬の涙を拭う。

 自分の言動で柚子を怯えさせてしまったことを胸の中で申し訳ないと思いながら、賢人はどうにか彼女の誤解と緊張を解くために、意識して少しゆっくりと話し始めた。


「俺はお前と付き合うまで、正直に言って、女癖が悪かった。学生の頃から、遊び相手の女はいくらでもいた。俺が何かしなくても、向こうから勝手に寄ってくるからな。俺のほうからわざわざ優しくする必要なんてないと思ってて……まあ、誰に対してもなかなかのクズだったよ。でもな、そんな俺だけど、柚子のことを遊びだと思ったことは、一度もない。お前と付き合う前に、関係のあった女は全員切った。今は真面目に、柚子一筋だよ」

「でも……」

「何をどんな言葉で言えば、信じてくれるんだ?」


 賢人は柚子のひたいに自分のひたいをごちん、と当てると、懸命に言葉を探した。


「お前、あの合コンには数合わせで参加しただけなんだろ? それなのに、参加者全員にすごく気を遣っていたよな。正直、初対面のよく知らない、もう一度会うかもわからない相手なんか、もっと雑に対応して気楽にすりゃいいのに、って思った。でも同時に、全員に笑顔を絶やさないようにして、細かく気配りをして、場の空気を和やかにしようとしていたその生真面目なところが……なんかいいって……そう思ったんだ。クズな俺にはない、他人への思いやりがあるところ……って言えばいいのか。だから、あの日限りで柚子との縁が切れるのはなんか嫌で……それで名刺を渡した。デートを重ねるたびに、お前の生真面目で丁寧なところがやっぱり、何度もいいって思って……どんどん惹かれて……それで好きになったんだ」

「そ、そうだった……んですか……?」

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